現実の魔女が求めるもの
『あとがき』
この本をお読み頂きありがとうございます。
一見すると救いのない物語に感じられるかもしれませんが、私はこれを救済の物語として書きました。
この作品の主人公には『魔女』という存在がありました。
自分のちっぽけな記憶や思い出を切り裂き、捨て去る事が出来さえすれば、死んでしまった大切な人達に再び生を与える事が出来ました。
それは悲しい取引きでしょうか。
だとしたら、世の中はそれ以上に悲しく、残酷です。
私もまた、大切な人達を亡くしました。
今まで自分だけを愛し自分だけを拠り所に生きてきた私にとって、二人の存在は本当に尊く、自分の全てを投げ出してでも守りたい存在でした。
二人には夢があり、未来がありました。そして二人の夢や未来は、私のそれと重なり、混ざり合っていました。
しかし、そんな私を残し、二人は逝ってしまいました。
私の目の前にもし『西の森に住む魔女』が現れたとしたら、私は喜んでこの思い出を差し出すでしょう。
それは憐れむべき行為ではなく、今の私にとって最も幸せな選択なのだと感じるのです。
でも、この世の中に魔女はいません。
だから私は魔女の代わりとなる物を探しました。
それが、今あなたの手にしているこの小説です。
死んでしまった二人を生き返らせる事など出来ません。それは魔法が存在しないこの世界では、悲しいけれどどうしようもない事実です。しかし二人を愛する私の思いだけならば、文章という形で残す事が出来ます。
惜しむべきは、私の愛は私一人の頭の中では収まりきらないこと。そして、私の死とともにそれは薄れ、いずれ消えてしまうこと。
私は二人に永遠を与えてあげたい。
可能性の筆で未来を描く事が出来なかったのだから、せめてこの『愛される存在だった』という事実を、未来永劫この世界に刻み込んであげたい。
ありがたい事に、私は小説家の端くれです。
このような形で読者の皆さんの心に入り込み、私の感じていた愛を刻みつけるという手段を取る事が出来ます。
ただし私には一つ、確信めいたものがあります。
それは、この小説は売れないだろう、という事です。
一般小説界隈では無名の私が、ただ自分の内面を書き殴った小説など、手に取てくれる人はきっと少ないでしょう。
それではこの想いも、感情も、いずれ冬の夜の溜息のように消えてしまいます。
現実世界の『魔女』が求めるものは、記憶や思い出だけでは足りないのかもしれません。
この本が皆さんの手に渡る頃、私はおそらくこの世にいないでしょう。それは今の私が取れる唯一の手段であり、現実世界の魔女に差し出すことのできる最大の対価です。
家族を失い、自らも命を絶った小説家が、最後に記した感動の物語ーーとでも言えば聞こえがいいでしょうか。
このキャッチーな煽り文句が現実世界の魔法となり、私の愛を、より多くの心に刻み込む事が出来たなら、私の魔女との取引は成功と言えます。
果たして魔女は、願いを叶えてくれたのでしょうか。
物語の最後、全ての記憶や思い出を失ってしまった主人公は、森の一軒家で独り、安らかな笑みを浮かべていました。
誰にも見つからず、ただ深く暗い海底のような静けさの中で、一欠片の充足感を抱きしめながら小さく笑っていました。
私の最後もそうでありたいと願います。
* * *
自宅アパートの駐車場で、藤巻は宮内の遺した『あとがき』を読み切ると、助手席のシートに向かってその原稿を叩きつけた。
フロントガラスからダイレクトに差し込む西日に照らされ、シートから舞い上がる埃が苛立たしげに暴れた。
こんなのはおかしい、絶対に間違っている。
藤巻は猛り狂う感情のまま、彼女の行いに対する憤りをハンドルに打ちつけた。
しかし、藤巻は心のどこかで理解していた。
彼女の生がーーいや愛する二人を失ってからの彼女の生が、このたった一つの願いのためだけに存在していたのだと。
藤巻が出会い、惹かれてしまった女とは、この瞬間のために命を燃やし火花を散らす、そんな儚くも美しい女なのだと。
おそらく、透明だった頃の藤巻であれば、そう自分に言い聞かせて無理やりに納得していた。目の前で繰り広げられるこの悲しい物語を、映画を観るように傍観者的な視点で眺め、そして幕が降りれば終わった事として諦めていた。
どうせ自分は誰にも見えないし、誰にも影響を与えない。
しかし藤巻は、もう透明ではなかった。
頭を掻きむしると、ハンドルを握り、大きく息を吸い込む。いつもならタバコを咥えるなのシーンだが、今はそんな欲求など湧かなかった。
窓を全開にする。
吹き込む風には、少しだけ春の残り香が含まれていた。それは甘く、やわらかく、そしてほろ苦い、あの家のリビングで嗅いだコーヒーとクッキーの匂いを連想させた。
彼女がどこに向かったのかなど、わかるわけがない。彼女がいつこの帰路のない旅路に出たのか。今日なのか、昨日なのか、そんなことさえもわからない。
もしかしたら全てが手遅れで、駆け回るだけ無駄な行為なのかもしれない。
それでも藤巻はアクセルを踏み込んだ。
透明ではなくなってしまった自分。その感情の色が、何かしらの奇跡を生んでくれる事を祈りながら。




