*6
今が冬でなくてよかったとテレンツィオは思った。
不愉快な臭いに耐えつつ小川まで引き返す。
ブーツを脱ぎ、濡らしたくないポシェットだけ外して、あとはそのまま清い水の中にバシャンと水音を立てて踏み入った。
川底に膝を突き、肩まで水に浸かって汚れを落とす。髪も解いて水を被った。
「あー、くそっ」
口から悪態が零れる。
こんな無様な失態を犯すとは思わなかった。それでも、汚れたままでいるという選択肢はない。絶対に嫌だ。やる気が起こらない。
水の中でガシガシと乱暴に服と体を洗い、濡れそぼったまま引き上げてきた。髪を絞り、ローブの裾も絞るが、着たままでは上手く絞れない。
仕方なく、テレンツィオはローブを脱いだ。力いっぱい絞ると、それを木に引っかける。白い肌着も肌に張りついていて、テレンツィオはそれも肌から剥ぎ取るようにして脱いだ。
無防備な姿を他人にさらす気はない。今、人が近づいてきたなら、躊躇いなく息の根を止める。溺れたことにして川に沈めてやろう。
テレンツィオは人の気配がないか気を張っていた。そこに現れたのはフルーエティである。
水に濡れた体で肌着を絞るテレンツィオをフルーエティは無言で眺めた。テレンツィオは嘆息する。
「何が言いたい?」
「別に何も」
嘲笑うでもなく、淡々と返された。それもまた気に入らない。
テレンツィオはパン、と音を立てて絞った肌着を広げると、術を使って乾かした。髪もローブも同様に水気を蒸発させる。乱暴に行ったら、ローブが少し縮んだ気もするが、まあいい。
何もと言いながら消えないフルーエティに、テレンツィオは腰に手を当てて胸を反らして見せた。若い肌の上を水の粒が滴り落ちる。
「主の裸をジロジロ見るのが悪魔の作法なのか?」
「一応、そんな貧弱な体でも男共の目に触れさせたくはないだろうと思ったのだが、そういう恥じらいはないらしいな」
「貧弱で結構だ。胸なんて無駄に育ったら邪魔なだけだからな」
テレンツィオは自分の柔らかな胸に指を埋めた。負け惜しみでもなく、本当にこれ以上膨らんでくれるなと思っている。
魔術は男の世界だ。学院も魔術師団も、人員はすべて男でなければならない。
だから、『誰か』になりたかった。自分ではない、男に。
肌着を着込み、ローブを身に着ける間もフルーエティはそこにいた。まだ私の裸を見ていたいのかと悪態をついてやろうかと思ったが、やめた。
フルーエティが来たのは、無防備になった主を護るためであったような気がしたからだ。
――もちろん、そんなはずはないだろうけれど。
『お前が息子だったら、俺の研究を引き継いでくれただろうに。まあ、言っても仕方ないか』
父の研究は、世間一般に言わせれば禍々しいものだった。
皆が忌避する暗黒に惹かれるような父だった。そして、その性質が自分にも受け継がれているという自覚はある。
ただし、父は凡人だった。着想はよくとも、成果を上げることはできなかった。
得意だったのは幻術だ。人の記憶を操作し、事実とは違うことを信じ込ませる。けれど、粗末な術だった。効果が長続きしないのだ。
賭博で幻術を使ったイカサマをし、翌日にはそれがバレて村人たちから袋叩きにされた。
『ご、ごめんよ。生活費が足りなくてっ』
殴られながら、情けない声で謝っていた。
生活費がないのは、父が魔術の研究に使ってしまうからだ。母が稼いだ金はすぐに消えていく。
愛想を尽かした母が出ていっても、父は変わらなかった。魔術に取りつかれていた。
そんな父のことが嫌いだったわけではない。むしろ好きだった。
何故なら、魔術という世界を教えてくれたからだ。貴重な魔術書、魔力の籠った石、奇跡と呼べる技の数々。
父は凡人だったので、己の血を分けた幼い娘が天才であることを見抜けなかったけれど。
母が出ていった後、二年はなんとか食い繋いだ。しかし、その父も夜道を歩いている時に誰かに襲われて死んだ。自業自得だと誰もが言った。
そして、そんな爪弾き者の娘など、誰も気にかけなかった。
ろくに口を利かない小さな娘がいたことすら、誰も覚えていなかっただろう。