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ベルテ王国、王都クリスターニ。
シルヴェーリ伯爵家の領地から馬車で一日と半。
テレンツィオはこれから生活していくだけの荷物と悪魔とを馬車に詰め込み、屋敷に祖母を残して王都へ向かったのだ。
フルーエティは馬車に乗るのを嫌がった。テレンツィオと差し向かいでいるのが嫌だったようだ。
「俺はヒトのような移動手段は取らん。馬車になど――」
「私の退屈しのぎに乗っていればいいんだよ。いいじゃないか、たまにはヒトの乗り物を楽しめば」
「お前というヤツは……」
正直に言って、フルーエティにどう言われようと可愛らしくしか思えない。
可愛い、賢いペットだ。
「さあ、行こう」
――しかし、会話が弾むわけもなく、結局テレンツィオは馬車の中で本を開いて読むのだった。時折不機嫌なフルーエティに目を向けて微笑みかけるが、笑い返してくれることはなかった。
「なあ、フルーエティ。そのうち君の三将に私を引き合わせてくれるんだろうね?」
「…………」
「おや、嫌なのかい? 私はお前の主なのに」
クスクスと声を立てると、フルーエティはテレンツィオを睨んだ。
「人間ごときに遅れを取ったことを恥じている? でも、気にすることはないよ。私のような天才はそういないから」
「自分で言うな」
疲れたような口調で返されたが、まあいい。
「だって本当のことだろう。これから魔術師団に入団するわけだが、学院の卒業生三十人の予定が、今期の入団は二十一人だそうだ。まあ、例の火災によって死傷したためだね。怪我が癒えてから遅れて入団する者もいるようだけれど。皆顔見知りだが、私から見て雑魚ばかりだ」
本当に子供じみた連中ばかりだった。
学ぶことを疎かにしてでも他人を陥れたがる。人の上に立てればなんだっていいという愚かしさだ。
「その才とやらが仇になって、お前の寿命を縮めるところだったのではないのか?」
出る杭は打たれると、そんなことは百も承知だ。打たれたからといって折れるつもりも、埋もれるつもりもない杭だってある。
「それでも、結果として私は生きていて、ヤツらが死んだ。力が物語るということだ」
テレンツィオは読んでいた歴史書を音を立てて閉じ、フルーエティの美しい顔を見つめた。
禍々しさはなく、むしろ透き通るような美貌だ。このまま彫刻にして飾っておきたいと願う者もたくさんいるだろうに、他の者には見えないのが惜しい。
ただ――。
「それにしても、悪魔がこんなに説教臭いとは知らなかった」
嫌味ではなく、少なくともテレンツィオには新たな発見という認識だった。
フルーエティは明らかに気分を害していたけれど。
青臭い初夏の日、テレンツィオは入団の手続きを済ませた。
入団者代表として言葉を述べるのもテレンツィオだったが、陰気な魔術師たちからの好奇の視線が肌に突き刺さった。
新人たちはいつの時代も、一年のうちに脱落して半数以下になるという。そうした者が学院に戻り教員の下につく。
惨めなものだが、それでも魔術に関われるだけマシだろう。実際、他には何もできないのだから。
「よくぞ参った、若き魔術師たちよ。王国の剣となり盾となり、善なる心の導きに従い、切磋琢磨し、すべては――」
偉そうな魔術師団長の老人、ジュスト・オリアーリが白い顎髭を揺らして演説する。あの学院長ピエリーニと双璧を成した天才魔術師である。
テレンツィオは優等生の顔でその話に耳を傾け、相槌を打つ仕草をしておいた。
フルーエティはこの場にはいない。いないというのも正確には違い、どこかにはいる。ただ、テレンツィオが目視できるところにいないというだけだ。
この場には、あの学院の教員たち以上の使い手がいる。魔術師団長の他にも特別強力な四人の強力な魔術師がいるのだ。
彼らはエリート中のエリートで、悪魔を察知できるかもしれない。
実際のところ、察知されたらその時に対処すればいいとテレンツィオは思っている。悪魔との契約を悍ましいとする者は多いが、法による定めがあるわけではなかった。
それというのも、前例がないからだ。害があるとなれば法の改定もあるだろうが。
挨拶が済むと、寮室が振り分けられた。二人部屋だったが、今回の新人は割りきれない数のため、テレンツィオだけが一人部屋になった。
それというのも、テレンツィオが優秀だからか、この女顔と細い体が幸いしてのことか。
魔術師団の寮室は、思っていたよりも小綺麗だった。もっと、馬小屋のような剥き出しの板壁を想像していた。やはり魔術を志すのは裕福な家の子息が多いから、そんなにも汚いところでは不満の声がやまなかったのかもしれない。
別に馬小屋だろうと豚小屋だろうと、魔術に関わっていられるのならばテレンツィオは耐えたけれど。
「なあ、フルーエティ。明日は入団後初の実技試験だって。これで私たち新人の振り分けを決めるらしいよ」
テレンツィオはベッドに座り込み、天井に向けて語りかけた。
『お前のような者の育成を任されたら災難としか言えないな』
姿は見えないのに、頭の中に響くような声がした。面白いことをするものだ。
テレンツィオは思わず笑った。
「育成なんてしなくていいんだよ。私は勝手に学ぶんだから」
『では、部下を御しきれない責任だけ負わされるのだな』
「フルーエティの配下は命令をよく聞くいい子ちゃんばっかりなんだ?」
これ以上軽口につき合いたくないのか、フルーエティからの返答がなくなった。
「まあいい。明日に備えて早く寝るよ。おやすみ、私の悪魔」
翌朝、テレンツィオは身支度を整えて寮を出た。
新人の誰よりも堂々と、夜のような藍色のローブを翻して。
魔術師団の本部は王城のそばにあり、その敷地のうちにある講堂へ新人たちは向かわされた。
この魔術師団の反対側には騎士団の本部があり、遠目に見ることはできるが、大きな池を挟んでいる。
小舟で行き来するか迂回するしかない。不便なようだが、互いに目の端に入れたくない者同士なのでこれくらいの距離が必要なのだろう。合同の会合がある時のみ、片方の敷地へ踏み入る。
白壁の中、ずらりと並べられた新人たちに魔術師団のオリアーリ団長は壇上から呼びかける。
「今日、これより君たちには試験を課す。先達の導きに従い、成果を示すのだ」
具体的に何をするのかを説明してくれるのはオリアーリ団長ではなかった。それでも、そこそこに地位のある魔術師のように見えた。
「試験の場はカリアの森だ。その中にはいくつかの魔穴がある。この石を魔穴から漏れる魔力を触れさせるのだ。どれだけ多くの場所の魔穴を探し出せたかによって優劣を決める」
魔穴――この大地には、例えるならば人間の血管を流れる血のように魔力が流れている。魔穴はその魔力が表に出る地点と言えよう。魔術師たちにとっては重要なもので、己の魔力を放出しきった時に補充する場合がある。
すっかり力が戻るわけではなく、ほんの微量の回復に過ぎないが、生死を分けるような戦いともなれば別だ。それ故に、魔穴を探し当てる能力は必要最低限と言えるだろう。新人の試験としては妥当なところか。
「もちろん、従者に手伝わせてはならぬ。同輩と手を組むこともせぬように。単独で、己の才覚だけを頼りにして臨むのだ」
しかし、森には危険がある。獣も出るだろうし、道に迷う恐れもある。
新人たちのその手の不安がわかりきっているからか、すぐに言葉があった。
「単独で試験に挑むとはいえ、随所に監督はいる。もし離脱するのならば助けに向かうが、その場合の評価は――言うまでもない」
安心させたいのか突き放したいのかどちらだと、テレンツィオは可笑しくなった。
そう、可笑しい。楽しいのだ。
血沸き肉躍る。祭の前夜のように胸が高鳴る。
「さあ、支度を終えたら森まで赴くのだ。結果を楽しみにしている」
テレンツィオはなんの心配もしていなかった。
失敗する要素はない。ただ力を示すだけのことだ。