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「ベキス王国、ベルテ王国の兵力は半減している。これで悪魔を防ぐことはできない。我々人間は、もう悪魔に魂を譲り渡すしかないのか?」
テレンツィオは思わずそんな弱音を吐いていた。すると、フルーエティは目を細める。
「次に何かが起こるのはベルテ王国の王都だろう。だが、お前が逃亡したいと言うのならそれでいい」
逃げ場があるのならまだしも、そんなものはどこにもないだろう。ほんの少し寿命を延ばしたところで苦痛が長引くだけだ。
王都には魔術師団長と火将、土将隊が残っており、騎士団も半数以上は無事なはずだ。けれど、それくらいで魔王や上級悪魔に太刀打ちできないのは明白だった。
このやり取りを聞いていたジルドは、まず自分以外の者の心配をしただろう。ヴィヴァリーニ家は王都に屋敷を構えているし、騎士団には友人も多くある。何より、騎士として忠節を誓った国王がいるのだから。
「いいや、フルーエティ。私を王都まで連れて戻ってくれ」
テレンツィオが言うと、ジルドはギクリと身を強張らせた。
「危険だ。ティオは――」
それでも、テレンツィオはかぶりを振った。
「私はフルーエティの主です。私以外に誰が何をできると言うんです?」
「しかし……」
行かせたくないとジルドが感じてくれているのは痛いほどよくわかった。
テレンツィオは、以前のように興味本位で首を突っ込みたいとも思っていない。それでも、状況を呑み込めないまま死ぬよりは立ち向かった方が幾分かはマシだろう。
フルーエティと三将だけを行かせても、どのような結果になるのか予測がつかない以上、一緒に見届けるしかない。
ただ、どうせ死ぬのなら、ジルドよりも先に死にたいなと思った。
ジルドはまるで自分を責めているように見えた。テレンツィオが、滅んでも構わないと思って生きてきた世界に執着を持たせたのが誰なのか、ジルドはわかっていないのだろう。
ジルドは途端にしょげていた。
「じゃあ、僕も行こう」
「一緒に来ても、死なないでくれますか?」
自然とそんなことを口にしていた。ジルドは目を瞬く。
そして、テレンツィオをじっと見つめた。
「君がこの先も僕と共に生きてくれると言うのなら死ねないな」
「……そんな約束はしない方が身のためですよ。私は、あなたががっかりするほどには汚れていますから」
「その汚れは、ティオが必死で生きてきたからこそだろう。今更怯まないよ」
そんなことを言って、微かに笑った。
本当にそうだろうか。本当に、受け入れられるものなのだろうか。
どちらにせよ、ジルドには生きていてほしい。そのためにはこの大地が必要なのだ。
テレンツィオは答えず、顔を隠すようにうつむいてフルーエティに命じた。
「フルーエティ、王都へ連れていってくれ」
この時、フルーエティがため息をついた音が聞こえた。そこに込めた意味はなんだったのだろうか。呆れているだけかもしれない。
けれど、フルーエティが運んでくれたのは王都の中ではなく、王都が見える丘の上だった。
丘に風が血腥さを運んでくる。上から眺める光景は凄惨だった。
白く美しかった城には醜い亀裂が走り、尖塔のほとんどが崩れてしまっている。城下町も城に近い方から火の手が上がっていた。ルキフォカスやサナトア、その配下の悪魔たちの仕業だろう。
「間に合わなかったのか……」
ジルドが声を震わせながらつぶやいた。
この時、テレンツィオは城のバルコニーに光るものを見た。遠すぎて判別できないが、先の戦いの時にガルダーラ教団の司祭がメダリオンを掲げていたことを思い出す。
「フルーエティ、城のバルコニーに誰がいる?」
テレンツィオが鋭く問うと、フルーエティは答えた。
「ガルダーラ教団の司祭だ。メダリオンを手にしている」
「あそこに私を連れていけるか?」
「……いいだろう」
フルーエティの魔法円によって、距離を短縮する。
ブワン、と耳鳴りのような音を立て、魔法円ごとテレンツィオたちはバルコニーに出現した。
ここは王が城下へ姿を見せる際に使われる場所だ。
王族たち、家臣や護衛、大勢が並ぶためにどこよりも広い。そんなところにガルダーラ教団の灰色のローブを着た司祭が一人、ポツンと立っていた。
振り向いた時、急に現れたテレンツィオたちに驚いた素振りも見せない。けれど、その司祭はテレンツィオの顔をじっと見て、それから軽くうなずいた。
「おや、君とはサメレの町で会いましたね?」
そうだ、この男はサメレの町で布教活動をしていた。確か、名はウラディミーロ・ゾフと言った。
「ここに立つのは不敬というものですよ。町まで荒らして、恥を知ってください」
テレンツィオが淡々と言うと、ゾフは薄い眉を大げさに跳ね上げた。
「もしかして、君はテレンツィオ・シルヴェーリ君でしょうか? 今年から宮廷魔術師になったはずですが、学院に在学中主席を通した秀才だという」
いきなり名を呼ばれ、テレンツィオは不愉快極まりなかった。背後でジルドも緊張したのがわかる。
けれど、ゾフが何を言いたいのかが知りたかったので、テレンツィオは答えることにした。
「ええ、そうですが?」
すると、ゾフは嬉しそうに笑った。
「兄から君の話を聞いていて、楽しみに待っていたのですよ」
「兄?」
テレンツィオは首を傾げた。身に覚えがないのだ。
「ええ。年も離れていますし、私は幼少のみぎりに養子に出ましたので共に育ってはおりませんが、実の兄です。ウィンクルム魔術学院の学院長をしておりました。もう亡くなりましたがね」
学院長ピエリーニ。
嫌な名を思い出した。
テレンツィオを葬り去ろうとしたあの老人だ。
まさか、兄の復讐をしようと考えているのかと思ったが、そういうことではなかった。
「君は天才だと兄が言っていました。優秀で不遜な君の魂には値打ちがあるはずだと」
「私の、魂?」
「そう。君の魂はきっと捧げると約束してくれたのに、実現しませんでした」
ほぅ、とため息をつく。
「学院長はガルダーラ教徒だったと?」
「私が説き伏せたのですが、教団の活動にはとても興味を持っておりました。だからこそ、君の論文に惹きつけられたのです」
随分と古い話をされたような気分になったが、あれからまだ半年と経っていないのだ。
テレンツィオは論文にまとめた内容を思い起こす。