*46
ライムントは目立つので、人里の近くには寄れない。少し開けたところで降ろされた。
あれほどの巨躯だから、ひとつ羽ばたくだけで遠くまで行けるのか、飛行していた時間はそう長くない。
その背から下りたのはテレンツィオとテスタ、ピュルサー、そして意識のないジルドである。
さっさと起きればいいものを、と言いたくなるが、ジルドの後頭部を触ってみたらでかい瘤ができていた。
手加減を知らない悪魔たちだ。本当に目覚めるのか不安になったので脈を取ってみたが、一応生きている。
ジルドをピュルサーに任せて歩いていると、ほどなくして前方に村が見えた。
「……ここはアバーテ村ですね」
テスタがかすれた声で言った。
アバーテ村というと、サメレの町から帰る途中に立ち寄ったところだ。あれからずいぶん経ったような気分だけれど、実際はそれほど経っていない。
テスタは仲間の死にショックを受けているようだった。いつも以上に口数が少ない。ジルドがいるのは何故かといったことを問う元気もないようだ。
こうして戦いから離れると、テレンツィオもトレントの死の瞬間を思い出してしまう。しかし今は竦んでうずくまっていればいいわけではない。それを頭から振り払うしかなかった。
「とりあえず、宿に落ち着きましょう」
テレンツィオが言うと、テスタはうなずいた。
確か、ここの宿屋は二軒しかない。物置ではない部屋が空いているといいけれど。
なんとなく、前に来た時とは違う方の宿を選んだ。
「すみません、連れの具合が悪くなってしまって。部屋は空いていますか?」
テスタが丁寧に言うと、女将は大きくうなずいた。
「ええ、ええ。空いていますとも! さあ、こちらにどうぞ」
粗末な床板は、ジルドを背負ったピュルサーが歩くと軋む。
二部屋のうち片方にジルドを背負ったピュルサーが入ると、テスタはテレンツィオの腕を引いてもう一方の部屋に籠った。
――この部屋割りはマズい。後でテスタのことはジルドの部屋に押し込もう。
多分、テスタにはテレンツィオと話したいことがあるのだ。そう思ったので大人しく部屋に残った。
「……これは現実なんですよね?」
テスタはベッドに腰かけ、項垂れてつぶやいた。急に老け込んだような印象だが、無理もない。
「ええ、残念ながら」
テレンツィオも砂埃で汚れたローブのまま、向かいのベッドに腰を下ろす。汚れてもいいから座りたかった。
テスタは眼鏡を外し、ローブの裾でそれを拭いた。うつむいているので顔は見えない。
「大悪魔同士の戦いというのは、かくも壮絶なものなのですね。大陸が滅んだのもわかります」
「四柱も集まったのですから、悲惨ですね」
「このアンゴル大陸も滅ぶのでしょうか」
テスタの絶望はその不安からだろうか。どんなに押し込めても滲み出す。
「まだそうとは決まっておりません」
――果たして、本当にそうだろうか。
魔王まで関わっていて、それで助かる見込みが僅かにでもあるのだろうか。
わからないけれど、少しくらいは明るい未来を望みたくなる。
このまま散るのではあまりに虚しいから。
テスタは、眼鏡を丁寧に拭き終え、それからテレンツィオを見据えた。
「そうでしょうか?」
確かな答えは誰も持たない。
皆、共に死んで、悪魔たちの野望のために魂を奪われるだけかもしれない。
そんなことは今のテスタには告げない方がいいだろう。
黙ってしまったテレンツィオにテスタは言う。
「君は大悪魔フルーエティの主です。君のことだけはフルーエティとその配下の悪魔たちが護るのでしょう」
その声は、突き放すように冷え冷えとしていた。
テスタは立ち上がる。
そして、テレンツィオを見下ろした。
昏い――。
「フルーエティは強く美しい大悪魔です。あのような悪魔を従える気分とはどんなものですか?」
いつもの親しみがその目には感じられなかった。
「ねえ、シルヴェーリ君」
一歩、近づく。
「フルーエティの真名をどうやって手に入れたのですか?」
――いけない、と頭ではわかっていても疲れすぎていてとっさに動けなかった。テスタの手がテレンツィオの細い首に回る。
「僕にも教えてください。僕もあの悪魔を従えてみたいんです」
「い、嫌だ……っ」
言えたのはそれだけだった。
テスタの指は容赦なくテレンツィオの喉に食い込む。
目がおかしかった。狂気に染まっている。
「ほら、早く教えてください。死にますよ」
そんなに強く絞めつけていては声なんて出せない。そんなこともわからないようだ。
差し迫った死への恐怖。
そして、羨望と嫉妬。
テスタは己に負けたのだ。
しかし、テレンツィオにはテスタを跳ねのける力はない。苦しくてもがきながらも気が遠くなる。
フルーエティが飛んできてくれないのは、戦いの最中だからだ。
死んでしまう。
そう思った瞬間、ふと首を絞める指が外れた。
テスタが悔いてやめてくれたのかと思ったが、違った。
怒りの形相で、ピュルサーがテスタの首を片手でつかんで吊るし上げている。テスタの首は――折れ曲がっていた。
「フルーエティ様の主を害せんとした。到底許すことはできない所業だ」
テレンツィオはゴホゴホとむせながらベッドに横たわった。そうしたら、涙が止まらなくなった。
いろんなことが一度に起こりすぎて、心も体もついていけない。
テレンツィオは、テスタのことも嫌いではなかったのだ。