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「信じてもらえる気がしない」
さすがにテレンツィオもため息しか出てこなかった。
部屋からタナルサスは消えたが、まだここに気配が残っている。大悪魔が二人、この空間にいたなんて信じられない話だが、ここ最近は信じられない話ばかりである。
「人間に話したところで何も変わらん。信じてもらう必要もない」
フルーエティはそんなことを言う。
「だけど、放っておいたら国が滅んで、そうしたら――出世できなくなる」
せっかく魔術師団に入ったのに、新入りのまま終わってしまうなんて最悪だ。
ぼやいたら、フルーエティは呆れたようにかぶりを振った。
「今はごまかせても、どうせあと数年で性別を隠し通せなくなるだろう」
線が細いのはまだ少年だからだという言い訳が通じなくなる。幻惑の術を使おうにも、魔術師団の上層部にかけるのは難しいのもわかっている。
最短で目覚ましい功績を上げ、さっさと引退するというのが理想だが、若くして隠居したら退屈で死にそうだ。
「私には魔術しかないんだ。他の何に喜びを見出せばいいんだよ」
嘆きたくなるけれど、そんなことを気にせずとも、テレンツィオもいずれはタストロアのために使われる魂のその他ひとつになってしまうだけだろうか。
深々と嘆息し、覚悟を決めた。
「テスタ様に話して協力を願う」
「好きにしろ」
と、フルーエティは言った。
テレンツィオが一人で抱えるには重たすぎる。正直なところ、手に負えないのだ。
とはいえ、テスタも忙しいようだった。なかなか捕まらない。
状況を思えばそれも仕方がないが。
図書室で待つこと数時間。本を読みふけっていたテレンツィオに時間の感覚はなかったが、結構待ったかもしれない。
「遅くなってすみません。それで、話というのは?」
「えぇと……」
テスタはローブの裾を捌き、テレンツィオの正面に座る。その時、ハッと眼鏡の奥の目を見張ったのがわかった。テレンツィオが振り向くと、そこにはフルーエティが腕を組んで立っている。
テスタにも見えるのだ。フルーエティが。
「き、君はどこから……」
「すみません、私のツレです」
「連れ? 誰なのでしょうか?」
一度だけやってみせたように人に化けていない。紫色の瞳にテスタは息を呑んだ。
テレンツィオは意を決して告白する。
「これは私が召喚した悪魔です。無断ですみません……」
テスタは、えっ、とつぶやいたきり声を失った。テレンツィオは多少の嘘を交えて話す。
「まさか召喚できると思わなくて、試してみたら成功してしまいました。フルーエティです」
まるでペットを紹介するように軽く言ったのが気に入らないのか、フルーエティは顔をしかめた。
「フ、フルーエティと……」
愕然とされたが、その反応をするということは信じてくれたからだ。
テレンツィオは続けて一気にまくし立てる。
「ええと、フルーエティが言うには、教団に関わる悪魔は魔王タストロアを筆頭に、その配下のルキフォカス、サナトア、ネビュロスだそうです。この大陸で人の魂を集めているらしくて。魔王ヴァルビュート配下のタナルサスも、タストロアを止めるために協力してくれるそうですが」
軽く話すには恐ろしすぎる名前の羅列である。テスタは気が遠くなりそうに見えた。今の会話が耳から入ってすり抜けているようで不安だ。
「え、ええと……」
返答に困っている。それはそうかもしれないが。
「三百年前から悪魔たちはこの大陸を狙っていたみたいです」
すると、テスタは額を押さえて深々とため息を漏らした。まるでテレンツィオの妄想癖に困り果てているような。
「非常に申し上げにくいのですが、シルヴェーリ君」
「はい」
「これは大悪魔フルーエティの名を騙る偽者です」
「へぇえぇ?」
変な声を上げてしまった。
フルーエティを見遣ると、イラッとした顔をしている。それでもテスタは信じない。
「低級悪魔がフルーエティの姿を模しているのでしょう。上手に化けていますが、すぐに馬脚を露しますよ」
そう言って、テスタは指先を起用に動かし、呪文を唱えて魔法円を作り上げた。青白い魔法円は、さすがというべき正確さだった。
しかし、その魔法円がフルーエティを捉えても、フルーエティは眉を少し動かした程度で魔法円を焼いてしまった。残った青い炎がフルーエティの長い指先でちろちろと揺れている。
「俺が偽者だと?」
底冷えする声で言うから、テスタは小刻みに震え出した。
「い、いえ、これは、その……」
テレンツィオは目でフルーエティを制した。
「全部冗談か私の空想であってくれたらよかったのですが、生憎と本当なんです。放っておいたら国がなくなって、皆死にます。テスタ様、この国を護る何かいい案をお考えください」
下手に出てお願いした。テスタは手の甲で汗を拭いつつ、何度もうなずく。
「……わかりました。君の言うことを信じます」
それにしても、とテスタはつぶやいてからフルーエティとテレンツィオとを見比べた。
「君が悪魔を前にそれほど落ち着いて話せるのは、契約が成ったから……ですね。参りました、君は真の天才だ」
テスタは学園長たちとは違い、テレンツィオの才能に対する賛辞をくれた。そこに嘘はないらしい。顔に賞賛が浮かんでいる。
そして、本物とわかるとフルーエティのことを穴が空くほど見つめた。さっきは青ざめていたのに、今では頬が紅潮している。
「素晴らしい……」
つぶやいている。
テレンツィオも同類だから、浮かれる気持ちはよくわかるが。
フルーエティはというと、さっきよりもずっと嫌そうな顔をしていた。