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このアンゴル大陸には三つの王国がある。
テレンツィオが属するのは、そのうちで西にあるベルテ王国だ。国土という点においては最大と言える。この三国はどこも隣り合っており、三つ巴状態だ。
東のベキス王国、南西のダリア王国、どちらとも平和的な関係を築こうという努力は行なわれてきた。どちらかに加担すればどちらかの不審を煽る。三という数は厄介なものなのだ。
この均衡が崩れる時、それは自国が滅ぶということかもしれない。
だからこそ、三国は極力争いを避ける。
「ねえ、フルーエティ。せっかくお前を喚んだのに、この大陸は平和なんだ。でも、お前が望むのなら火種を撒いてもいいよ」
反対向きに座り、椅子の背もたれを抱きしめながら笑顔を振りまくテレンツィオだったが、不穏極まりない発言ではある。
これをフルーエティは喜ばない。
「必要ない」
たったそれだけが返ってきた。テレンツィオは首をかしげる。
「どうして? こんな平和ボケしたところは退屈だろう?」
「お前はそんなに自分の故郷を火の海にしたいのか?」
その問いかけに、テレンツィオは白けてしまった。
「私は、私の力が遺憾なく発揮できる場がほしいだけだ。学院での試験なんて私には児戯だったし、これから入団する魔術師団だってその延長だろう」
ぬくぬくと平穏を味わうために精進してきたわけではない。血沸き肉躍るような戦場に立って力を振るうのもいいと思う。その時にはなんの手心も加えず、力のままにすべてをなぎ倒せばいいはずだから。
「そのためにはどんな犠牲も厭わないと? お前こそ、ヒトの皮を被りながら身の内に悪魔を飼っているようだな」
フルーエティは呆れているように見えたけれど、テレンツィオは構わなかった。
「褒めているんだろうね?」
「褒めているわけがあるか」
悪魔のくせに苛立ったように返された。
「大体、お前が魔術師団に? また幻惑の術でも使うつもりか」
シルヴェーリの老婦人にしたように。
けれど、それが生きるということだ。
「ああ、もちろん。必要とあらば使うさ」
そうやって生きてきた。そうすることで身を護ってきた。
これからもきっと、ずっと。
フルーエティは目を眇める。
「通用する相手ばかりと思うな」
「そこはお前がフォローしてくれたらいい」
「…………」
断りたいのだろうが、契約上それができない。
フルーエティは契約に縛られた我が身を呪っただろうか。
シルヴェーリの屋敷で過ごした二月の間、テレンツィオは退屈で仕方がなかった。
気の優しい、穏やかな祖母と茶を飲み、思い出話を繰り返す。
「ああ、あなたは小さい頃から気が優しくて、ほら、怪我をした小鳥の世話をしてあげたこともあったわね」
「ワートルベリーの木のそばに落ちていたヤツですね」
「そうよ。怪我が治ってからも何度もあなたに会いに来ていたわ」
「可愛い子でした」
こんな思い出話に苦戦したのは最初だけだ。わからないところは祖母を操って曖昧にしてしまうか、催眠術で喋らせて情報を得るかのどちらかだった。
それらの話によると、テレンツィオは大層大人しい子供だった。内気で、少し揶揄われただけで泣いてばかりいて。
そんな子供が両親が死んだ途端に魔術の勉強を始め、魔術師になるのだと言い出した時には祖母も驚いたそうだが、両親の死に目に遭い、いずれは伯爵になるという自覚が芽生えたのだと思うことにしたらしい。
――まさかそのテレンツィオが両親と一緒に死に、今ここで優雅に茶を飲んでいるのが赤の他人だと知らないからこそ驚いたわけだ。
けれど、孫まで喪ったと打ちひしがれるよりは嘘に救われることがある。とはいえ、『このテレンツィオ』は祖母を救いたいが故に孫に成りすましたのではない。
ただ単に金が要るからだ。学院に入学するにも金が要った。
それ以前にも魔術関連本、魔術道具、満ち足りた衣食住、金がなければ何もできず、才能を腐らせるだけだ。
何を利用しようとも、罪悪感などない。生憎と、そんなものを覚えるような育ち方はしてこなかったのだから。
フルーエティは退屈な茶会など眺めていたくもないのか、テレンツィオが呼ぶまで姿を見せない時間がよくあった。
退屈な日々の中、唯一の慰めはこの悪魔なのだから、テレンツィオは毎日の終わりには必ず呼びつけたのだけれど。
「フルーエティ、退屈させてしまって悪いが、それもそろそろ終わりだ。来週には魔術師団へ入団する。そうしたらもう少しくらいは楽しいこともあるだろう」
「お前の言う『楽しい』とやらはろくなことではないだろう」
「そうかな? 魔術師団には悪魔を使役する術者の一人くらいいるかもしれないじゃないか」
「もしそうだとするなら、それも含めてろくなことはないな」
主従ならばまだしも、悪魔たちがすべて仲良しこよしなわけはないかと考えてテレンツィオは苦笑した。
それでも、退屈よりはずっといい。
「退屈は人を殺す。悪魔だって殺せるだろうね」