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その後、フルーエティを喚んでテレンツィオは自室に逃げ帰った。
自分のベッドに潜り込んで縮こまった主に、フルーエティが放った言葉といったらない。
「朝までいるかと思ったのだがな」
「――っ!」
顔を出しかけて引っ込めた。今、誰の顔も見たくないし、見せたくない。
何か、自分がどんどん馬鹿になっているような気がした。
どうしてあんなことを許してしまったのだろう。
今度顔を合わせる時にはどうしたらいいのかわからない。
ベッドの中で煩悶しつつも気がついたら、そのまま寝ていた。
そうして、ジルドはバルディに出立した。
騎士団一小隊と魔術師が数人程度で赴く。今のところ決定的な何かが起こったわけではないから、大幅に兵力を割くことはできないようだ。
三将もついていることだから、なるべくジルドのことは考えないようにしたい。テレンツィオも暇なわけではないのだ。
それからしばらくして、テレンツィオはテスタに呼び出された。図書室で会うが、これを密会だとジルドは言うだろうか。
テスタに色欲はほぼない。感じない。とにかく魔術にしか興味のないテレンツィオの同類だ。
「オリアーリ団長もダリア王国のことで思い悩んではおられましたが、そう簡単に召喚の許可を与えてはくださいませんでした。こんな時だからこそ、悪魔は我々の弱い心の隙間を縫って入り込むのだと」
残念そうにそんなことを言う。
「まあ、ごもっともではありますが」
立場があるからこそ、簡単には許可できないのも事実である。
「諦めます?」
試しに言ってみるが、テスタはうなずかなかった。
「しかし、他に何かいい手があるとも思えません」
「そうですねぇ」
しかし、ここでのん気に話をしている場合ではない。
ダリア王国、続いてベキス王国も危ないとすると、ここが攻め落とされるのも時間の問題なのだ。悪魔が攻めてくるとなると人の力では到底防げないのだが、戦場に立たないとどうにも危機感が薄かった。
「ガルダーラ教団の総本山は今、どんな状況なのでしょう? 大主教なんて本当にいるんでしょうか」
テレンツィオはなんとなくつぶやいた。
その発言に、テスタは目を瞬く。
「今、なんと……」
「いえ、大主教はどんな人物なのかなと。少なくとも私はよく知りません」
「実は、僕も知りません」
テスタはその事実に今更ながらに驚いたふうだった。癇性な仕草で机をトントンと指で叩く。
「大主教マカード・ソリナス。公の場に出てきたことはもちろんありますが、ベールで顔は隠されていて、年齢さえも正確にはわかっていません」
――まさかとは思うけれど。
ひとつの閃きが生まれた。
この考えをフルーエティに話したら鼻で笑われるだろうか。
「ここで手をこまねいているよりも、総本山へ向かうべきかもしれませんね」
テスタがポツリと零した。
けれど、テレンツィオはむしろ、そこへ近づいていいものだろうかと思えた。
あそこは魔界以上に悪魔の巣窟と化している。
「フルーエティ!」
部屋で呼びかけると、フルーエティはすぐに出てこなかった。
しつこく何度か呼んでやっと出てきた。
「遅い!」
不貞腐れていると、フルーエティはため息をついた。
「うるさいヤツだ」
主に対してひどい言い草である。しかし、今はそれを言っている場合ではない。
「なあ、フルーエティ。ガルダーラ教団の大主教についてどう思う?」
「…………」
フルーエティは黙った。顔つきからは何も読めない。
だから勝手に続けた。
「私はずっと、大主教が悪魔を喚び出したんだと思っていた。でも、そうじゃないとしたら?」
「悪魔が勝手に、教団にすり寄ったと?」
「いいや。悪魔は教団より、もっとずっと前からいたんだ」
多分、三百年前から。
「『デズデーリの大粛清』、あれは本当に人が起こしたことなのか?」
堕落しきった聖職者たちを断罪し、人々は信仰を手放した。
もしあそこに悪魔が関わっていたのだとしたらどうだろう。
人々の心を神から逸らし、また、神からも人を見放すように仕向けられたのだとしたら。
その頃から悪魔はここにいたのではないのか。
フルーエティは顔をしかめる。
「俺はその頃、他の大陸に目を向けるゆとりはなかったのでな、ルキフォカスたちがどうしていたのかは知らん」
その頃、フルーエティは別の大陸を滅ぼすのに忙しかったのだろうか。
「ルキフォカス。それから、タストロア。なあ、ガルダーラ教団が崇める大主教って、本当に人間なのか?」
これを言った時、腕を組んでいたフルーエティはピクリと指先を動かした。
「お前はサメレの町にいた時から何かを感じていた。でも、いたのはマルコシウスだけだった。お前はあの時、何を感じていた?」
「……しかしあれは、メダリオンの徽章によってあの御方の気配がしたに過ぎない」
「本当にそれだけか?」
フルーエティにも認めたくないことがあるのだろうか。結論を先延ばしにしているように感じられた。
だからテレンツィオが言う。
「ガルダーラ教団の大主教がタストロアだという可能性は?」
否定したいならしてくれていい。
その方が、テレンツィオも嬉しい。
ルキフォカスでさえ手に負えないのだから、さらに格上の魔王など、さすがに御免こうむりたい。波乱が楽しいなんて、もうそんな馬鹿なことは言わないから。
フルーエティは深々と息をついた。
「タストロア様が魔界から地上に出てこられたとは思わない。ただ、幻影だとするならあるだろう。だからこそ、ルキフォカスが主に動いているとも考えられるのか……」
それなら、どうしたらいいのだ。
そんな相手に太刀打ちできる気がしない。フルーエティでさえもしないだろう。
「お前の魔王様は助けてくれないんだろう?」
もし、タストロアに対抗し得るとしたら、それはもう一人の魔王ヴァルビュートだけだろう。
しかし、フルーエティはかぶりを振った。
「ヴァルビュート様は寛大な御方ではあるが、ご自分の意に反したことには手厳しい。ひとたび御不興を買うと懲罰を与えられる。プトレマイアなどは未だに半分凍ったままだ」
「余計なことを言うとお前まで氷漬けになるのか? プトレマイアは何をしたんだ?」
「悪ふざけが過ぎたとでもいうところだ。ひとつ大陸が消し飛んだ責を負った」
魔王に無許可で滅ぼしたということか。多分、そうなのだろう。
直属の配下でもそこは多目に見ない厳しさを持つらしい。フルーエティの頼みもきっと一蹴してしまうのだろう。
――できることはもうないのか。




