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それから、テレンツィオには二日間の休暇が与えられた。
しかし、その期間にどこかへ出かけるつもりもなく、ただ図書室で魔術書を読んで過ごす。こういう時間が時には必要だと思えた。
そんな時間が終わってしまうと、現実がやってくる。
各地に放ってた斥候が、教団の動きを報せてきたのだ。
ただ、そこでもたらされた情報は、テレンツィオにしてみれば古い。
「ガルダーラ教団の大主教ソリナスは依然として総本山から出てきませんが、司祭たちは大陸の全土に赴いております。布教活動というのは表向きで、実際にはサメレの町のように虐殺が行われる可能性があります。それを防ぐため、ダリア王国、ベキス王国にも使者を送ったのですが、未だ戻りません。教団が各国に匹敵する武力を持ったと考えるべきでしょうか」
トレントの副官ヴィーティが、風将隊のみの会議の席で発言する。
そんなことはすでにフルーエティから聞いた。
フルーエティは、こう言っていた。
『ルキフォカスにもアーガス、ハルバス、バルアという配下の三将がいる。各地への使者を捕まえたのはヤツらだ。各国の王へ謁見することもなく、国を出てすぐに捕らえられた。もう生きてはいないがな』
あのルキフォカスの配下ならば慈悲は期待できないだろう。
テレンツィオは顔をしかめて返したのだった。
『それなら、お前の三将に頼んで使者を警護してもらえばよかったのか?』
『各国の王に謁見し、協力を取りつけたところで悪魔に対抗し得ることはない。無意味だ』
教団が悪魔を抱える以上、人の軍勢では意味がないと言うのだ。
残念ながら、それもそうなのだが。
『ダリア王国もベキス王国も、そう遠くないうちに襲撃されるだろう』
『サメレの時のように、死んだ人々の魂は悪魔に囚われるのか?』
『そうだろうな』
『そんなにたくさんの魂を必要として、一体何がしたいんだろう?』
まずそこだ。それを知りたい。
教団と悪魔は何をしようとしているのだろう。
『――予測がつかないわけではないが』
『わかるのか?』
それならば勿体ぶらずに教えてくれてもいいものを。
しかし、フルーエティは口に出すのも嫌だったのかもしれない。
『……タストロア様の悲願は天に謀反を起こすこと。天門を破壊するために、糧となる力を集めているのかもしれない』
何やら、想像もしていなかった答えが返ってきた。これにはテレンツィオも唖然とするしかなかった。
『ルキフォカスも主君と同じ願いを掲げている。ヤツだけではなく、タストロア様の配下は皆そうだ』
『お前は違う主君を持つわけだから、そんな願いは持たないのだろう?』
フルーエティは明確な答えはくれなかったが、それを望んではいない気がした。
天門が破壊され、天使が駆り尽くされ、神が引きずり降ろされたなら、人は最早救いなどどこにも求められないのだ。
いくら神が人を救わないと諦めているテレンツィオであってもゾッとする話だ。
この大陸のガルダーラ教徒以外のすべての人の命を贄にして天門を砕くつもりだろうか。
それが教団と悪魔の最初の目的だとするのなら、思った以上に状況は悪い。さすがにフルーエティだけでは止めきれないだろう。
波乱を楽しいとは言ったが、劣勢は楽しくない。
『お前の魔王様はどうなんだ? 一緒に天界へ攻め入りたいのか、不参加なのか、どっちだ?』
『あのお方は、向こうから攻め入ってこない限り、天界に関心を持たれない』
それを聞いてほんの少しほっとした。
ヴァルビュートまでタストロアと組んだら、フルーエティも寝返ってしまうのだから。
『じゃあ、お前の同僚の上級悪魔二柱は不参加だな?』
『タナルサスは知らん。プトレマイアならば未だに嘆きの川に浸かっているので何もできん』
何があったのかは知らないが、プトレマイアは魔界の凍てつく川に浸かって凍っているらしい。
あそこにいるのはなんらかの罪を犯した結果のはずだから、何かの仕置きだと考えられる。悪魔にもいろいろと事情があるようだ。
『タナルサスか……』
テレンツィオがポツリとつぶやいたら、フルーエティは心底嫌な顔をした。
『やめろ。喚び出すな』
召喚するとは言っていないが、会いたくないらしい。
しかし、悪魔を味方につけることでしかこの難局は超えられない気がするのだ。
――フルーエティとのやり取りを思い出していたテレンツィオは、トレントの声に意識を引き戻される。
「使者を送るだけ人材の浪費だな。ガルダーラ教団の総本山へ向かうのが手っ取り早いんだろうなぁ」
「しかし、何が起こるかわかりません。国の護りも疎かにはできませんから、言いたくはありませんが人材不足ですね」
ヴィーティがぼやいた。しかし、その問題は一朝一夕では解決しない。
箍を外して、純然たる力を求めさえするのなら話は別だが。
ずっと大人しくしていたテレンツィオに、何故だかトレントは話を振った。
「ティー坊はどう考える?」
まずはその呼び方をやめろと言いたい。
しかし、テレンツィオは怒りを押し込めて答える。
「そうですね、召喚術なんていかがです? 一気に兵力が上がりますよ」
冗談めかして言うと、周りがざわついた。トレントだけは笑っている。
「いいな、それ。うん、やっぱりお前は面白い」
しかし、テレンツィオはヴィーティに睨まれた。トレントも睨まれた。
「真面目に意見を述べてください。これじゃあ合同会議で恥を掻きますよ」
トレントはその視線をさらりと躱し、頭を掻いている。
「いや、ヴィーも同じようなことを言ってたぞ」
ヴィーとは誰だろうか。ヴィーティのことではないらしい。その疑問にはヴィーティが答えてくれた。
「テスタ様が?」
「ああ。あいつはなんでもアリだからな」
それを聞いて、ヴィーティは顔をしかめた。
水将テスタのところに配属されていても面白かったかもしれない、とテレンツィオは思った。