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会議室を出てすぐ、やはりジルドはテレンツィオに問いかけてくる。
小声だったのが唯一評価できるところだろうか。
「全部話せないのは、フルーエティのことを説明したくないからか?」
テレンツィオはジルドの顔を見ずに答える。
「そうですよ。悪魔との契約は――法には触れませんが褒められたことではありませんので」
「何故契約に至ったのか、訊いても教えてくれないのだろうな」
「ええ、教えません。あなたは赤の他人ですから」
今度はにっこりと微笑みを向けて言ってやった。
寄ってたかって殺されそうになったからだと言ったら、きっとジルドはテレンツィオを憐み、君は悪くないと答える。そんな陳腐な言葉は、非難以上に要らない。
ジルドはどこか悲しそうにつぶやく。
「悪魔とはいっても、テスタ様が仰ったように必ずしも害があるわけではないのだろう? 少なくとも、フルーエティは残忍ではないと感じたが」
それを聞き、テレンツィオは可笑しくなった。
「それは悪魔にとっては誉め言葉ではないかもしれませんよ。少なくとも、フルーエティは大陸を滅ぼしたとされる大悪魔ですから」
すると、ジルドは答えに窮したかに思われた。しかし、微かに首を揺らす。
「もしそれが本当なら、望んでのことではなかったかもしれないな」
その発言に、テレンツィオの方が呆けた。この男はまたおかしなことを言い出したと。
ジルドはそんなテレンツィオに一歩近づいた。先ほどよりも強い、射貫くような目をしている。紅玉髄の色をした目だ。
「君は自分が強いと思っているが、それは弱い部分に目を向けないからだ。自分の弱さを受け入れる強さは持たない」
だから、と言いかけたジルドの言葉を待つ気はなかった。テレンツィオはキッとジルドを睨みつける。
そこには憎しみに近いほどの感情が浮かんでいたはずだ。
「あなたにそんなことを指摘される謂れはありません」
「君にはフルーエティがいるから平気だと言うのか?」
「そうですね」
冷笑を添えて答えると、ジルドはかぶりを振った。
「それでも、彼は人ではない。人のように応えてくれるわけではないはずだ」
だから、頼りきるなと。
目を背けている弱さを補ってもらえると思うなと。
「人だって応えてくれませんから、同じことです」
「そんなことはない。それは君が心を開けずにいるからで――」
「とても、とても、余計なお世話ですよ。もう私たちが同じ任務に就くことはないのですから、今後馴れ馴れしくするのはやめてくださいね。では、さようなら」
どこまでも失礼な態度を取って背を向けた。ジルドがどんな表情でいるのかは知りたくなかった。
これだけ突き放しておけば、もう関わりを持とうとはしないだろう。そうであってほしい。
部屋に戻るとすぐ、声を上げた。
「フルーエティ、来い!」
心音が乱れている。何故、こんなに動揺してしまうのか。
「……犬のように呼びつけるな」
不機嫌なフルーエティが背後に立っている。テレンツィオはその顔を見た途端に言いようのない安堵を覚え、手を伸ばした。
フルーエティはテレンツィオの手から逃れようとはしなかった。ただ立って、体を寄せるテレンツィオを見下ろしている。
頬をフルーエティの胸元に当てても、人のような鼓動は聞こえなかった。
それでも、ここにいる。テレンツィオを護ってくれる、唯一の味方だ。
「あいつは嫌いだ」
ボソリ、と零した。
ジルドといるとイライラする。
どれだけひどい言葉を投げつけても、これまでの人々と同じような反応をしないのだ。いつまでも見放すことをしないで関心を向けてくる。それが堪らなく嫌だ。
それこそがテレンツィオの弱さなのだと指摘されているようで腹が立つ。
誰も彼もを拒絶し、決して受け入れることのできないこの心。
ジルドにはそれが弱さとしてしか映らない。
テレンツィオはフルーエティに腕を回し、ギュッと抱きついた。
フルーエティは口では辛辣なことを言うけれど、こうした時には気持ちに寄り添ってくれるような気がした。
それが悪魔らしくないとしても、テレンツィオはそれでいいと思えた。
フルーエティは腕をだらりと垂らしたまま、抱き締め返してくれるようなことはない。それでも突き放すようなこともしない。
「明るすぎる光は眩しいものだ」
ただ、そんなことを言った。
曇りのないジルドの性質は、テレンツィオを惨めにする。
これまでの努力や何もかもが無駄だったようにさえ感じられてしまう。
だから、嫌いだ。




