*25
テレンツィオは手の中のメダリオンを握りしめた。
カルダーラ教団には悪魔が絡んでいるとして、それを報告するのは難しい。
今のところ、このメダリオンだけが手がかりだ。このメダリオンに刻まれている徽章を調べてから報告すれば自然に行えるだろうか。
脱力していたジルドが幽鬼のようにのっそりと立ち上がる。
この時、門の瓦礫の上に飛び乗った影があった。燃えている瓦礫の山の上だというのに、平然としている。その大きな翼に火は燃え移らない。
「マルコシウスか」
フルーエティが呼びかける。
その翼を持つ獣は恭しく答えた。
「これはこれは、フルーエティ様ではございませぬか」
犬――いや、狼だろうか。
黒毛の大きな狼に鳶色の逞しい翼が生えている。うねる尻尾は蛇のようだ。
金色の眼は射竦められたら野生の獣でも逃げ出すほどに鋭く、ただの人の身としては圧倒される。
マルコシウスは獣の裂けた口で器用に言葉を発する。声は低く、かすれていた。
「こちらにおいでとは存じ上げずに失礼致しました。ですが、喜ばしい限りです」
魔術書にはこの悪魔のことも記されていた。しかし、記載が少なく、詳しいことは書かれていない。
フルーエティはマルコシウスに問いかける。
「お前はここで何をしている?」
すると、狼の顔をした悪魔は慎重にうなずいた。
「ヒトの魂を集めております」
魂――。
マルコシウスの目がテレンツィオに向いた時、さすがに体が強張るのを感じた。
腑抜けていたかと思ったジルドは、この時ばかりはテレンツィオを庇うように腕を上げたが、ジルドに庇ってもらおうという気はなかった。
「そこのニンゲンたちは強い魂の輝きを持っています。ですが、片方はあなた様の主ですか。残念です」
悪魔同士、すぐにそれを感じたらしい。
フルーエティはため息をついて会話を続けた。
「なんのために魂を集める?」
「はて? それをお訊ねになられるのでしたら、あなた様は我らと共に動いておられるのではないと」
それならば、多くは語るべきではないというのか、マルコシウスは蛇の尻尾をくねらせるだけだった。
「このヒトの町にはもう他に生者はおりまぬ。そして、出口もありませぬ。どうぞお気をつけて」
生者がいないという悪魔の言葉は本当なのかもしれない。もう、嘆きも叫びも聞こえない。轟々と燃え盛る炎の音、風の音、破滅の音――。
この町は、もう終わったのだ。
忙しいとばかりに、マルコシウスは強靭な後ろ足で跳躍し、そのまま風に乗って遠ざかる。町をすべて焼いてしまうつもりなのか、まだ口から火を吐いて辺りに撒き散らしていた。
「フルーエティ、あの悪魔は教団に使役されているのか?」
テレンツィオが言うと、フルーエティは人間の扮装を解いて元の姿に戻った。
「あるいは、教団に関わる悪魔が協力を求めて引き込んだのか。マルコシウスは誇り高い悪魔だ。低俗な人間の誘いになど応じん」
「その悪魔の見当はついているのか?」
「一部はな」
深々とため息をついていた。一部ということは、複数いるのだろうか。
その様子から、厄介な相手だということだけは伝わる。
この時、フルーエティはテレンツィオを一度見て、それからジルドを見遣った。
「ヒトが通れる道はすべて塞がれている。このままここにいては焼け焦げるだけだ」
「逃げ道がない? いや、それでもティオだけはどうにかして逃がさないと……」
狼の姿をした悪魔が現れて町人たちが皆殺しにされたり、ジルドも心身共に疲れ果てているだろうに、まだそんな綺麗事を言う。
「私の心配ならば不要です。私にはフルーエティがついていますから」
苛立ちが混ざり、口調は冷たくなる。
心配しなくてはならないのはジルド自身のことだ。それをわかっていない。
「そうか。ティオは生き延びて、今日のことを軍に報告してくれ」
まるで、自分は生き残れないと理解したような言い方をする。
それでも、テレンツィオが逃げ切れるのならいいとでも思っているのか。美しい自己犠牲で生涯を終えたいのか。
「やめてください。私だけ戻ったら責任問題じゃないですか。責任の半分は持ってください」
そこまで言ったら、流れてきた煙を吸ってむせてしまった。本当に腹が立つ。
咳込んでいると、ジルドがテレンツィオの背中に触れた。触るなと言いたいのに声が出なくて涙が零れる。
こんな中でもフルーエティだけは汚れることなく、彫像のようにそこにいた。
「――行くぞ」
感情を込めずに言い、フルーエティが腕を振るうと、炎よりも赤い魔法円が浮かび上がる。
空間が歪み、テレンツィオを呑み込んだ。行き先は、多分魔界だろう。




