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*17

 町についた時、ほとんど辺りは暗くなっていた。夕食の支度をしている家が多いらしく、煮込み料理の匂いが漂っている。


 空いている宿を探すと、すぐに見つかった。通りに面した宿には『空き部屋あり』の木札がかかっている。

 これといって催し物があるわけでもない時期で、宿泊客は多くない。


 まず、宿の食堂で食事を取った。

 テレンツィオは美味しいとも不味いとも思わなかった。普通だ。

 普通の魚介とトマトのスープにパンがついていた。


 ここで一番困ったのが部屋割りだ。できるならば一人ずつ部屋を取ってほしかったが、最悪テレンツィオはノーゼと同室だろうと思っていた。それが――。


「僕たちの部屋は突き当りだ」


 へぇ、と冷ややかな声を出しそうになってしまった。ジルドは気づいていないが。

 食事の時もあちらの二人とは違うテーブルを選んだので、本当は嫌な予感はしていたが認めたくなかったのだ。

 宿帳に記入したジルドの姓も偽名らしかった。任務を思えば当然かもしれないが。


 ノーゼが好ましいなんてことは一切ないが、あの男は自分に付加価値をつけてくれる相手以外に興味がないから、進んでテレンツィオと関わろうとしない。それが丁度いいだけだ。

 ジルドは、何かあるごとにこちらをじっと見てくる。その探るような目で。


「……わかりました」


 ため息を呑み込んで答える。

 ジルドが鍵を差し込んで開いた扉の先を見て、テレンツィオはギクリとした。


(せま)っ」


 思わず口に出してしまった。

 これが二人部屋かと言いたくなるような部屋だった。ベッドをふたつ並べ、間にサイドテーブルをひとつ置いたらもうそれで部屋はいっぱいだ。本当に寝るだけの部屋だ。

 テレンツィオが愕然としたからか、ジルドは小さく声を立てて笑った。


「ティオはまだいい。僕なんて寝返りを打ったらベッドからはみ出すな」


 馴れ馴れしく呼ばれたのに腹が立って、テレンツィオは無言で部屋に入った。

 ――窓か扉か。どちら側にいるのがより安全だろうか。

 どちらも大差がないと諦め、奥のベッドに荷物を下ろす。そうしたら、ジルドも部屋に入って扉を閉めた。


 この狭い空間にジルドと二人。少しも気が休まらない。

 それなのに、ジルドはベッドに腰を下ろすと、にこやかに言った。


「ティオ。君と僕は小さい頃に何度か会ってるんだが、覚えていないか?」


 ジルドは本物のテレンツィオを知っているらしい。侯爵家の人間だというから、嘘ではないだろう。

 落ち着け、とテレンツィオは自分に言い聞かせた。余裕を見せるように微笑んだが、心臓は早鐘を打っている。


「すみません、()()()()以前の記憶は曖昧で」


 それを言うと、ジルドは罪悪感を覚えたとでも言いたげな顔をした。


「ああ、そうか。ご両親と一緒に……。でも、君だけでも助かったのはせめてもの救いだった」


 本当は助かっていない。テレンツィオ少年は両親と共に天門を潜ったのだ。


 ――イゾラがいる孤児院に嫌気が差して、大事なものだけを持って逃げ出した。

 魔術が使えるのだから、人の記憶を操ってどこかに入り込むことができるはずだと考えたのだ。


 トボトボと歩いている先に大人三人と子供一人の遺体が転がっていた。子供は男の子だったが、仕立てのいい服を着て死んでいた。首があり得ない方に曲がっていたのだ。

 その遺体を茂みまで引きずっていき、服を剥ぎ取って着た。その子の遺体は魔術で人から見えなくした。

 この子には本来ならば与えられて当然のはずの弔いがなされないのは自分のせいだから、せめて冥福だけは祈っておいた。


 そして、来た道を戻ってみるとこの子の親の遺体を発見した大人がいて、『テレンツィオ』も見つかった。

 裕福な家庭に潜り込めたなら、好きなだけ魔術の勉強ができるのではないかという野心でいっぱいだった。

 綺麗な服を着たいとか、美味しいものを食べたいとか、そんなことは願わない。ただ知識を貪るように欲しただけだ。


 毎日幻惑の術を他人にかけ続け、今の居場所をつかんだ。孤児の少女一人が行方不明になろうとも、どうせろくに捜されなかったことだろう。

 だから今、ジルドの目の前にいるのは男ですらない偽物だが、そんなことを教えてやるつもりはない。


「おばあ様を一人にせずに済みました」


 フルーエティが聞いていたら唾棄するようなことを言ってやる。それでもジルドは疑わない。


「そうだな。これから軍にいればいくらでも危険な目に遭うが、君は絶対に生き残れ」

「ええ、そのつもりです」


 どんな手を使って生き残る。

 その精神があるからこそ、悪魔でさえも引き寄せたのだ。必要とあらば、ジルドの喉笛だって掻き切る。

 そんな相手と同室で眠らなくてはならないのだ。この男も不運だなと他人事のように思った。


 それにしても、テレンツィオ少年を知っているのなら危険かもしれない。

 ジルドが眠ったら、幻惑の術をかけて記憶を操作しておこうか。そう思うと、同室になったのも悪いことではないかもしれない。


「さて、とりあえず調査は明日からだ。今日はもう寝るだけだし、浴場に行くか」

「へっ」


 ジルドは悪意のない笑顔だが、テレンツィオの顔からは血の気が引いた。


「夜しか浴場を使わせてくれないからな。時間も決まっているし、急がないと」

「い、いえ。私は――」


 一緒に湯に浸かれるわけがない。

 どうしてこんなところで追い詰められなくてはならないのだ。腹立たしさと焦りとで目が回りそうだった。


「嫌なのか?」

「い、嫌というか」


 じっと見られている。本当に嫌な男だ。

 怪しまれているのか。目の前の人物は本当にテレンツィオなのかと。


 ――やっぱり、先に幻惑の術を施した方がいい。

 そう決めてテレンツィオが拳を握りしめると、ジルドは訳知り顔でうなずいた。


「まあ、人それぞれだから仕方ないが、そんなに潔癖症だと疲れないか?」

「…………」


 大衆浴場に入れないほどの潔癖症ということにされた。常に手袋をしているのもそれ故だと思っているらしい。

 ――まあいい、この際。


「すみません、それでも無理です」

「じゃあ、僕だけ行ってくる」

「そうしてください」


 ジルドが出ていくと、テレンツィオはドッと疲れてベッドに突っ伏した。くぐもった声で呼びかける。


「……フルーエティ」

『なんだ?』


 返事はしてくれたが、姿は見えない。


「出てこい」

『断る』

「断るな! 私が呼んだらすぐ来い!」

『こちらにも事情がある。今は無理だ』


 主の命令が最優先ではないのか。イライラが収まらない。


「湯殿に浸かりたい」

『今日は諦めろ』

「なんだと……」

『お前は意外に楽天的だな。そこにいて何も感じないのか?』


 主に向かって暴言を吐くが、それは今に始まったことでもない。そんなことよりも、フルーエティが何かを危惧している。それがなんなのかが気になった。


「悪魔のお前が何を警戒する?」


 人の大陸を滅ぼすほどの力を持つ大悪魔がエセ教団を恐れたりはしないだろう。

 少なくとも、この地に何もないということはないらしい。空手で帰らなくて済みそうだと喜ぶべきところだろうか。



 ジルドが戻ってくる前にテレンツィオは体を拭き、服を着替えてベッドに潜った。ジルドが戻ってきた時にはすでに寝た振りをしてやり過ごしたが、テレンツィオの寝顔をじっと見てる気配があった。


 ――やはり、怪しまれている。

 ジルドが横になって寝息を立て始めたのを確認すると、テレンツィオは静かに起き上り、ジルドの額の上に手を翳した。


「――汝、意識の海を揺蕩う者。我が導く岸辺へと参らん――」


 唱えると、薄い紫色の光が文字を刻む。

 テレンツィオの(おもかげ)を忘れ、現在の姿を認識すればいい。疑いを抱くな。

 テレンツィオ・シルヴェーリはこの世に一人だ。


 しかし、愕然としたのはテレンツィオの方だった。

 何度も使った術だというのに、思うように行かない。魔術の文字はジルドに浸透することなく砕け散った。


「どうして……っ」


 祖母やメイドたちには問題なくかかった。イゾラなどは子供の時にでもかけられた。

 それなのに、(こう)する魔力などないというのに、ジルドにはかかりにくい。


 考えられる可能性を上げるならば、ジルドの精神がこれまでの対象と比べて強靭だということ。

 かけようとするなら、こんな簡易的なものでは駄目だ。しっかりと支度をして、全力で取り組まねば。


 そして、現在、テレンツィオにはそこまでの準備はなかった。馬車に揺られて疲れているし、眠い。

 すやすやと眠っているジルドの寝顔が平和すぎて屈辱を感じた。


 殴ってやりたくなったが、殴ったら起きるので諦めてふて寝した。


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