*11
マルティはきょとんとしたが、悪魔の歳月としては十三年などつい最近のことだろう。思い出したのか、顔を引きつらせた。
「えーっ」
「もう『おちびさん』ではないから、私のことはティオ様と呼ぶように」
この時のやり取りで、フルーエティは部下の失策を知った。しかし、意外にも睨んだだけである。マルティはタジタジになっていたが。
「も、申し訳ございません、フルーエティ様!」
土下座し始めたマルティに、リゴールも呆れたようだった。――兜で覆われた顔は見えないが。
獅子のピュルサーも首を振っている。
「マルティを責めないでくれ。私は自分が狙いを定めたら、遅かれ早かれ、どんなことをしたってお前を手に入れたからね」
まるで愛の告白のようにテレンツィオが言い放つと、フルーエティは苦虫を嚙み潰したような顔をした。
それを見ていたリゴールがつぶやく。
「なんとも豪胆なお方ですね。それに、その若さでフルーエティ様と契約を交わされたとは」
「ありがとう、リゴール」
それから、テレンツィオは手を伸ばしてピュルサーの頭をわしわしと撫でた。とても戸惑っているのが可愛い。
「ピュルサーは獅子だから話せないのか」
残念だが、そのようだ。
すると、リゴールが苦笑したような声で言う。
「いえ、もともと無口ですが、人型になれば話せますよ。ここ何年もピュルサーが人型になったところは見ませんが」
「わかった。四足歩行が心地いいんだね」
「…………」
そうじゃあないとでも言いたげな目をした気がしたけれど、気のせいかもしれない。
マルティはおずおずと頭を上げ、テレンツィオを見た。テレンツィオは親しみを込めて微笑む。
「また会えて嬉しいよ。マルティが私の進路に与えた影響は大きかったからね」
「こんなことになるとは……。ニンゲンって個体差があるから侮れませんね」
「そうだよ。人間は厄介なんだ。決して低く見積もっちゃけいない」
「肝に銘じます」
がっくりと項垂れた。
テレンツィオは満足し、フルーエティに向き直る。
「さて、それでは寮に戻ろう」
フルーエティは目を細め、テレンツィオの腕をつかんだかと思うと、急に崖から飛び降りた。背中から落ちたせいで魔界の赤黒い空しか見えない。生ぬるい風がテレンツィオを苛む。
しかし、それも束の間のことだった。固い地面に叩きつけられることはなく、テレンツィオは寮の自室にいた。ベッドの上に身を投げ出している。
そうしていると、魔界でのことはすべて夢だったのではないかという気になった。
人間が魔界に行けるなんて知らなかった。時計を見遣ると、針がほとんど進んでいない。やはり夢だったのだろうか。
それでも、テレンツィオの髪からはハーブの残り香がした。
『魔界で過ごした時はこの地上と違う時間軸だ。ここでは魔界に行った直後だ』
フルーエティの声がした。
どんな原理なのかはまだわからないが便利なものだ。
「試験前や読みたい本が山積みの時にはぜひ魔界に入り浸りたいな」
そんなことをつぶやくと、フルーエティの声は呆れたようだった。
『お前自身は体感した時間と同じく老いていく。早く年を経たいのならばそうするがいい。それから――』
フルーエティはそこで言葉を切った。
『不正は無能のすることだろう?』
――腹の立つ悪魔だ。
テレンツィオはくつくつと笑いながら服を着替えた。
「本当に口の減らないヤツだね、お前は。いいよ、おやすみ、フルーエティ」
今日は濃い一日だった。
疲れを感じながらも、満たされた心地よい気分で眠りに就く。
また、これからいろんなことが起こり、退屈しないでいられるのだろう。
フルーエティの主でいる限りは。
試験の結果、新人のそれぞれに相応しいローブが贈られた。
魔穴三か所以下しか巡れなかった者には白いローブ。
六ヶ所未満の者には水色のローブ。
そして、テレンツィオには青いローブが与えられた。
比率として、白が十七人、水色が三人、青はテレンツィオただ一人である。
早朝、寮の部屋に届けられたローブを身に纏ったテレンツィオは姿見の前でうなずく。
「私は水色が似合わないから、着なくて済んでよかった」
真新しいローブはテレンツィオによく合った。そこに白い手袋をし、テレンツィオは後ろを振り返る。
「似合うだろう?」
「知らん」
壁際のフルーエティは素っ気ないが、おべんちゃらを言ってくれるとは思っていないのでまあいい。
新人がいきなり青いローブを与えられたことは、多分ほとんど前例がないのではないだろうか。この分だと、あのサンチェスのようなヤツがやっかんでくるのだろうけれど、それを恐れるつもりは毛頭ない。
テレンツィオはただ堂々と前を向くだけだ。
「さて、初仕事だ」
王の御前で忠誠を誓う。
しかし、テレンツィオが本気で忠誠を誓うに値する人間など、この世にはいないこともわかっていた。
まず、騎士の叙勲式が執り行われ、魔術師たちはその次だ。
それもまた気に入らない。
騎士など、鋼の塊を身に纏い、鋼の塊を振り回すだけのことなのに、それらが魔術師よりも上に立つ意味がわからない。上ではなく同格だというが、とてもそうは思えなかった。
魔術師は学院を卒業してくるが、騎士は従騎士としての下積みを終えてからなる者が多いらしい。
だからか、年齢にはばらつきがあった。幼い子供のような者もいれば、一体何年従騎士をしていたのかと言いたくなるような者までいたのだ。
テレンツィオは、叙勲の儀式としてひざまずいて王の剣の重みを肩で感じている騎士たちを眺めていた。ただ、その間も刺すような視線は受けていた。
魔術師が騎士を馬鹿にするように、騎士たちも魔術師を嫌っている。
その魔術師の中で優秀だと認められたテレンツィオに注目が集まるのも仕方のないことだ。
テレンツィオは向こう側で列を成す騎士をぼんやりと見遣った。どれもこれも体格だけは立派で、体を鍛えるのが趣味なのだろうと思われた。
しかし、テレンツィオがひとたび魔術を使えば、その筋肉はなんの役にも立たない。術によって、テレンツィオが生き別れの弟だと思い込ませるのもわけがないのだ。――やらないけれど。
そんな中、目立つ男がいた。
他の者と同じように長身で鍛えた体をしていたが、顔が小さく、脚が長い。均整が取れていた。柔らかそうな金髪は稲穂のようだ。
見栄えがよくてあれで強かったら嫌味な男だな、と思った。
そんなことを考えたのがバレたのか、ふと目が合った。




