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 幼い頃、父が一体の悪魔を召喚した。

 もちろん、父の才覚では使役することは適わない。ただ呼び寄せ、捕らえただけだ。それでも、父にしては大した成果だ。呼び寄せた悪魔はそこそこに名の知れた悪魔だったのだから。


『いいか、**。絶対にこの部屋に入るんじゃないぞ。いいな、わかったな?』


 父は執拗に幼い娘に言い聞かせた。

 だがしかし、その幼い娘は駄目だと言われたことをやりたくなる性分であった。


 父が寝入った時、隙を見て部屋に入ったのだ。雑然とした部屋の中、床だけが何もかも取り払われている。その剥き出しの床板に石灰で描かれていた魔法円は、幼い娘には理解できなかった。


 ただ、その真ん中に赤い髪の青年が座っていた。

 彼は人懐っこい無邪気な笑みを浮かべていた。


『――やあ、おちびさん』


 ()()、と。

 身体的な欠点をあげつらわれていい気はしなかったが、悪意がないのはわかったので怒らなかった。

 事実、その子供はちびだったのだ。何せ、せいぜいが四歳くらいだった。


『おちびさん、ちょっとこのラクガキを消してくれないかな? ちょっとだけでいいんだ』


 この時、普通に嫌だと思った。この部屋に入るなと父に釘を刺されているのだ。そんなことをしたら、言いつけを破ったことがバレて咎められてしまう。

 だから首を横に振った。


『いや』


 そうしたら、彼は怒り出すのではなく、さらなる猫なで声を出した。


『頼むよ。僕、困っているんだ。大事な用事があって、ここから出られないと面目丸潰れなんだよ』


 そんなものは潰れればいいんじゃないかと思ったけれど、口には出さなかった。


『お願いだよ。ほら、出してくれたらいいものを見せてあげるよ』


 ニコニコと友好的だが、よく見るとこの青年は耳が尖っていた。笑った口元からも牙のような歯が見える。

 これは人ではない。悪魔と呼ばれる者だ。


 父が散々騒いでいるから、娘も悪魔の存在を知っていた。

 悪魔というのは嘘つきで、人を惑わし、襲い、堕落させる。

 だというのに、何故か不思議と人にはない魅力を兼ね備えているようにも思われた。


『いいものって?』


 子供が食いついてきたのを幸いと、悪魔は芸を始めた。炎を出し、自分の周りをクルクルと回し始めたのだ。

 赤い、綺麗な炎だった。炎はあり得ない軌跡を描いて躍った。

 悪魔は得意げに笑っていた。


『ほら、火の花だよ』


 炎が、咲き乱れる薔薇のように彼の周りで形作られた。とても美しく、心動かされるものがあった。

 しかし、この子供は悪魔以上に狡猾だったのだ。最後にこう言い放つ。


『ありがとう、おやすみなさい』

『えっ、ちょっとっ』


 さっさと部屋を出ていった。

 面白い芸を見せてくれたが、それならば悪魔の望みを叶えない限り、何度でも見せてもらえるのだと気づいていたのだ。



 翌日、また顔を出す。

 悪魔は昨日のことを怒っていたかもしれないが、子供を誑かすことでしか逃げ道がないと思ったのか、それを顔には出さなかった。


『やあ、おちびさん。今日は何をして遊ぶんだい?』

『あなたのお名前は?』

『マルティっていうんだ。上級悪魔六柱が一、フルーエティ様の配下だよ』

『それ、本当の名前?』


 人間はよくないことをする時、自分のものではない名前を名乗ってごまかす。悪魔もそうなのではないかと思えた。


『もちろん真名ではないけど、通り名だ。嘘じゃないよ』

『真名って?』

『悪魔の魂に刻まれた名前さ。この名を知られたら、召喚者に契約を強いられても拒否できない』

『あなたの真名はなんていうの?』

『そんなの教えるわけないじゃないか』

『じゃあ、さようなら』


 パタン、と閉めた扉の向こうから、えーっという喚きが聞こえた。



 そして、次の晩。


『手品はもういいの。真名がどんなものなのか知りたい』


 悪魔は、子供の好奇心を変なふうに刺激してしまったことを心底悔いていただろう。


『いや、教えないよ』

『あなたのじゃなくていい。誰か他のでいいの。わたし、誰にも言わないから』


 真名とは人の洗礼名のようなものなのか、それとももっと難解な何かなのか。

 知りたい気持ちに火がついたら、もう後には引けない。


『他のって、よっぽど身近な悪魔のじゃないと知らないし。悪魔が仲間を売ると思ったら大間違いだ』


 マルティは呆れたように言ったが、ひとつ何かを思いついたようだった。


『ああ、そうだ。フルーエティ様の真名なら……』

『いいの?』

『あれほどの大悪魔だから、ただのニンゲンに真名を知られたところで扱えるわけがない。うん、おちびさん。誰にも言わないって約束できるんだね?』

『うん、言わない』


 そもそも、こんな小さな女の子がフルーエティの真名を知って、それを長じるまで覚えていて利用するとは、さすがにマルティも思わなかったらしい。


『そう、フルーエティ様の真名は――――だ』


 その名を胸に刻んだ。大事な宝物として。

 この名がいつか自分を護ってくれる。そんなふうに思えたのだ。


『ありがとう、マルティ』


 子供は約束を守った。床に描かれていた魔法円の文字を一部、手で擦り落とした。

 ――この出来事について、後になって知ったことがいくつかある。


 まず、悪魔は嘘つきであるということ。

 だからこんなふうに交渉しても本当のことを言うとは限らない。


 けれど、子供はマルティが囚われていた魔法円を寸分違わず記憶していた。父に頼らずにその魔法円を解析できるようになって知ったのは、そこには『真実のみを語る』ように制約が課されていたということ。


 悪魔が嘘をつくことなど父もわかっていて、あらかじめ手を打っていたらしい。

 だから、マルティが教えたフルーエティの真名は本物だ。

 そして――。


 魔法円が崩れ、そこから解放された悪魔を従える術はない。あの時、子供は自らの命を危険にさらしていた。

 フルーエティの真名を知った子供を殺していても不思議ではなかったのだ。

 けれど、マルティはそれをしなかった。


『助かったよ、おちびさん。じゃあね』


 子供の頭にぽん、と手を載せ、体を赤い炎に包みながら消えた。


 どうしたわけか、この家の家族を嫌う村人たちよりも悪魔との会話は楽しかった。

 相手は人ではなく、恐ろしい魔性の者だというのに。


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