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*9

 崖を少し下ったところにフルーエティの屋敷はあった。シルヴェーリ家のマナーハウスよりは小さいが十分立派だ。這っている蔦を除けば暗色ばかりで禍々しさはあれど、精緻でテレンツィオは気に入った。


 フルーエティの帰還を悪魔たちは察知することができるらしく、屋敷の扉は勝手に開いた。蝶番の軋む音が鳴りやまないうちに、使用人のような悪魔たちがぞろぞろと出てきてフルーエティに頭を垂れた。


 フルーエティのように人間に近い見目の悪魔ばかりではなく、獣の頭や鱗を持つ悪魔もいた。それもまた、テレンツィオには興味深い。


「おかえりなさいませ、フルーエティ様」


 肌が青い鱗に覆われた悪魔が前に出た。これは人間社会で言うところの家令や執事の役どころなのではないかと察する。

 フルーエティに人間の連れがいることを知り、この悪魔は僅かに眉を顰めた。嫌悪というよりも困惑だろう。


「こちらは……」


 テレンツィオはずい、と前に出た。


「テレンツィオ・シルヴェーリ。フルーエティと契約を交わした主だ」


 悪魔たちは声こそ上げなかったが、動揺したのはわかった。フルーエティは嘆息する。


「湯殿を貸してやれ」

「畏まりました」


 青い鱗を持つ悪魔は疑問を差し挟まずに恭しく答えた。

 テレンツィオは彼についていく。フルーエティは来なかった。行き先が湯殿だからだろうか。

 ここぞとばかりにテレンツィオは屋敷の中を見渡す。まるで古城のような趣がある。埃などが溜まっていることもなく、清潔だ。あの美しい悪魔にはよく似合う入れ物かもしれない。


「ええと、お前に名はあるのかい? 真名(まな)を教えろというんじゃない、呼び名だ」


 テレンツィオが背中に問いかけると、青い鱗を持つ悪魔は振り返ってうなずいた。


「ハウレスとお呼びください」

「そう、ハウレス。人間は珍しいか?」


 笑いかけると、ハウレスはやはり戸惑って見えた。


「ええ。ここに人間のお客様が来られたのは、もう随分と昔のことですから」

「前の主もこうして湯に浸かりに来た?」


 冗談のつもりだったが、悪魔には通じなかったようだ。至極真面目に答えらた。


「フルーエティ様の主ではございませんでしたが、何やら興味を持たれたご様子で連れてこられました。血と汗と埃に塗れていて、湯殿にお通ししましたが」


 本当に湯殿に入るために人間を連れてきたらしい。予想外の返答だった。


「ハウレス、君たちの主は随分と人間に親切じゃないか」


 悪魔のくせに。

 しかし、ハウレスはどう答えていいものか考えているふうだった。


「フルーエティ様は人間がお嫌いです。ご自身でそう仰っておいでです」

「へぇ」


 愚かで、浅はかで、欲深い。

 人間でなければ、人間など嫌いだろう。

 人間であっても、テレンツィオは人間など大嫌いだ。


「私と同じだね。気が合うかな?」


 ハハッと笑った。ハウレスは信じられないというような目をしたけれど。


 ただ、フルーエティは人間が嫌いだというが、それが本心のようには感じられない。

 そのことをフルーエティ自身がわかっていない気がした。





 フルーエティの屋敷の湯殿は広かった。大理石の湯舟は磨き上げられていて心地よい。

 ただ、フルーエティが湯殿を使う様子は想像できない。この湯殿は彼のためのものなのか、それ以外の者のためなのか、どちらだろう。


「まあいいか。さっぱりしたし」


 石鹸に混ぜ込まれていたハーブの爽快な匂いが肌に残っている。

 テレンツィオは上機嫌で湯殿を後にし、ハウレスにフルーエティのところへ連れていってもらった。フルーエティは豪奢なソファの上で脚を組んでいたが、本当に寛げてはいなかったのではないだろうか。


「フルーエティ。ここまで来たついでだから言うけど、私に三将を紹介してくれ」


 フルーエティはゆっくりと首を向け、顔をしかめた。


「お前はさっさと居場所に戻れ」

「戻るけど、会わせてくれてもいいじゃないか。私はお前の主なんだから、三将も私を敬うべきだろう?」

「…………」


 嫌々、といった様子でフルーエティは立ち上がった。

 そんな彼にテレンツィオは不敵に笑ってみせる。


「どうして私がお前の真名を知り得たのか、気にならないのかい?」


 悪魔の真名は生命線だ。

 これがなければ、たとえテレンツィオが天才だとしてもいきなりフルーエティと強制的な契約を結ぶことなどできなかった。真名は悪魔にとって秘中の秘である。どこで漏洩したのか気にならないとは思えない。


「素直に教えるお前ではないだろう?」

「三将に合わせてくれたら教えるよ。約束だ」


 これを言ったら、フルーエティは断らなかった。テレンツィオはフルーエティに続いて屋敷の正面から外へ出る。

 その僅かな間に、三将はすでにいたのだ。崖を背にし、そこに控えている。


「思念で呼びつけた」


 テレンツィオも以前体験したが、フルーエティが頭の中に直接語りかけてくるアレのことだろう。


 ひと際大きな影は、三将が一、黒騎士リゴールの騎竜ライムントだ。

 黒甲冑に身を包んだ悪魔はあの飛竜を従え、長槍を振るって軍勢を蹴散らすのだという。


 そして、伏せた金色の獅子がいる。しなやかな体に太い腕、見事な(たてがみ)を持つ。

 これはピュルサー。毒を操り、鋭い爪と牙で敵を切り裂く。


 その二体の悪魔と比べると、最後の将は細身の青年にしか見えなかった。

 燃えるような赤い髪をしている彼はマルティ。炎を操る悪魔だ。


 恭しく控える彼らが顔を上げるのを、テレンツィオは胸を焦がしながら待った。


「これが俺の三将だ。……満足か?」


 テレンツィオは大きくうなずいた。フルーエティがそれ以上何かを言うよりも先に三将へ向けて歩み出す。これにはフルーエティよりも三将の方が驚いたようだった。


「フルーエティと契約を交わした主、テレンツィオ・シルヴェーリだ。初めまして、だね。リゴール、ピュルサー、ライムント」


 この時、マルティはハッとして顔を上げた。名前をライムントと間違われたと思ったのだろう。黒曜石に似た無邪気な瞳がテレンツィオを見上げる。

 テレンツィオは微笑んだ。


「お前は『初めまして』じゃない。久しぶりだね、マルティ」

「えっ?」


 マルティは口をぽかんと開けた。尖った犬歯が覗く。

 月日を感じさせない容姿だった。


 けれど、人はそうではない。そこにすぐには思い至らないらしい。

 テレンツィオは優しく微笑んだ。


「また、火の花を見せてよ」


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