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クリスマスの夜の約束 (上)

作者: 神地 香里

 僕の運命が動き出したのは、家事代行のアルバイトで依頼された大きな屋敷の門を、くぐったときから初まった。

僕は4年大学に行き何をしたらいいか、自分を見つけられず2年大学院へ通った。



幼い頃の僕はパティシエになりたかった。夢というものは時々薄れて、また浮かび

上がる。大学生で就活を始めた時は就職難でやりたい仕事もない。ただ、どこでもいいから働きたいという強迫観念にとらわれた。そんな就活は当たり前だが、上手くいく訳がない。焦るばかりで何もできなかった。いったい僕は何がしたいのかと自問自答する毎日だった。



 僕は、ある会社の面接を終えた帰りに小さな喫茶店に入った。そこは幼い頃に母が連れて行ってくれた懐かしい場所だった。小さいがお洒落なヨーロッパ風のテーブルや椅子、食器までもが趣味のいい物で溢れていた。僕はそこでCクレームガナッシュというチョコレートケーキを頼んだ。そのケーキを一口食べた途端、僕の夢が蘇った。ここのケーキを食べた時の幸福感は、パティシエになりたいと思うことに十分な説得力があった。


 その日から頭の隅に追いやられていたパティシエの夢が一気に広がり僕は決心した。大学を卒業して、今まで貯めたバイト代と足りない分の学費を父に借りて製菓専門学校に入学した。


 学費を借りた身分に贅沢はできない。製菓専門学校の1年間の学費は大学の1年分よりも高くついていた。2年間のコースだからバイトをしなくては夢見心地ではいけないと現実に戻される。

厳しい現実に立ち向かうために家事代行のバイトを始めた。バイトの内容は家事の中でも食事を作り置きするもので、お菓子作りがメインではないが、僕は料理する作業が案外好きみたいだ。




1年半が過ぎたころ食事作りでなく、お菓子作りだけの依頼がきた。こんなことは滅多にないのでテンションが上がっている。今日が初日。さて、どんな家だろうか僕はインターホンを鳴らした。


「はい、どちら様ですか?」


これが家政婦というものか、大きな屋敷には上品でありきたりなセレブ感がある。そういえば僕も家事代行だから家政婦みたいなものだった。


「家事代行アンジュの古代です」


「どうぞ、入ってください」


さっきまで閉まっていた門がカチャと音をたてて自動解錠した。ゆっくり門をくぐり中へ入ると、そこにはバラが咲き誇っていた。まるでイギリスの庭のように整えられて遠くにお城?いや白い壁と青い屋根の豪邸が見える。何種類もあるバラの花は豪邸とマッチして、男の僕でも時間を忘れて留まっていたくなるような美しさがある。十月でもバラが咲く季節なんだ。この時期は朝晩の温暖差があって、今日の朝は肌寒く秋晴れで天候も空気も爽やかだ。




門から少し歩いて行くと建物の入口にたどりついた。そこは重厚な扉が両開きになっていて見上げればバルコニーがある。それが玄関の庇のように突き出て、支える二本の柱が玄関の両側に幅を開けて立っている。そのバルコニーは、まるでジュリエットが今にも出てきうそうだ。

玄関の前に立つと家政婦が扉を開けてくれた。家政婦は細身で眼鏡をかけ、きりっとした表情でベテランだと一目でわかる。


「岩村です。古代さん、奥様がお待ちしていますので、ご案内します」


「お願いします」


中に入ると8メートルは離れた所に階段があり、それはヨーロッパの城の中に迷い込んだようだ。みとれていると岩村さんが声をかけてきた。


「珍しいですか?皆さんここで、よく立ち止まります」


「そうでしょうね。ヨーロッパの城巡りをしているみたいです」


「そう思うと楽しいでしょうね」

岩村さんは笑っていた。そして左側の奥の部屋に案内してくれた。


「こちらです」

部屋の前にくると岩村さんがドアをノックした。


「奥様、家事代行のアンジュの古代様がおみえです」


「どうぞ、入ってください」


「失礼します」


岩村さんの後に続いて部屋に入ると、そこは寝室だった。広い部屋の奥に天蓋付きの大きなベットがあり、その真ん中に僕の雇い主が体を起こして座っていた。


「こんな格好でごめんなさい。聞いてくれていると思いますが、大病を患っています。」


四十才代で癌になり、あと数か月の命と聞いていた。だが、とても綺麗で癌を患っているようには見えない。


「最後に貴方が、作ったお菓子を食べたいの。何でも好きなお菓子を作ってください」


「最後だなんて、僕でいいんですか。まだ製菓専門学校の学生で半人前なのに」


「未来ある方の作ったお菓子なら元気が出るわ。少しでも私に元気を分けてください」


「勿論です。食べられない物はありますか?」


「貴方の作ったものなら何でも食べられます。気になさらずに好きなものを作ってください」


「はい、分かりました」


奥様は小柄で四十才を過ぎているとは思えない可愛さで整った顔は眩しいくらい美しく、直視するには恥ずかしくて目をそらしてしまった。大きな瞳の中には僕しかいないようで勘違いするくらい好意的な態度だ。


「大和君、キッチンに材料や器具を揃えているつもりですが、足りない物があれば岩村さんに言ってください」


「はい、ありがとうございます」


「さて、今日は何を作ってくださるの?」


「今日は僕がパティシエになりたいと思った。クレームガナッシュというチョコレートケーキです」


奥様は万遍の笑顔で僕を見つめる。その大きな瞳にドキドキさせられるのは、どうしてだろう。


「それは楽しみね。貴方をパティシエの道に導いた魔法のケーキね」


「まあ、そうですね」


その言葉に照れた。魔法か。子供滋味ているが、小さい頃を思い出せば、しっくりくる。幼い頃の夢は現実に近づいているのだから。


「岩村さん、お菓子作り専用のキッチンへ案内してください」


「はい、かしこまりました」


「じゃ、大和君。よろしくね」


「はい、こちらこそお願いします」


「古代さん、ご案内します」



岩村さんはドアを開けると左側のさきほど通った階段を横切り2つある扉の奥の方のドアを開けた。そこは十二畳ぐらいある部屋で、お菓子作りをするために作られていた。まるで製菓学校の実習室の一部のようだ。清潔で新しい匂いがする。



「こちらは奥様が直々に用意されました。足りない物があれば言ってください。何でもご用意させて頂きます」


「ありがとうございます」


「では、私は隣のキッチンにいます。内線番号を書いていますので、そちらの電話でお呼びください」


岩村さんは扉の横に付けられた電話を指差した。まるでカラオケ店で延長する時に使う電話だ。しかもコードレス電話で、こんな電話が付いているなんて、やっぱりセレブだ。


「はい、分かりました。出来上がりしだい呼びます」


「困った時も遠慮なく電話してください」


「はい」


「では、失礼します」


岩村さんは静かに部屋を出ていった。

それからの僕は、どうしょうもないぐらい浮かれた。こんな気持ちになったのは初めてだった。ここは特別なキッチンだからだ。


僕はこのキッチンにある棚や引き出しを全て確認した。そこには最新の器具が用意されていた。部屋の奥にある扉も開けてみた。六畳くらいの部屋で棚が四方に並べてあり材料がストックされていた。小麦粉は国産の有機農産物で高級品だ。高い学費を払っている学校でも、こんな良い物は使ったことがない。ここで特別な物に触れて堪能しよう。


キッチンの方に戻るともう1つ扉があった。そこを開けると小さな部屋で真ん中に小型のベンチが置いてあった。そしてロッカーがあり荷物を置こうと開けると、お洒落なパティシエのユニフォームがあった。


 胸にはfaire des reve(フェール デ レーヴ)と書いてある。


夢を見るという意味、僕にぴったりだ。それに大和と僕の名前が刺繍してある。これも特別だ。喜んで僕は着替えた。ユニフォームは僕のサイズを知っていたのか、誂えたみたいだ。



お菓子作りに入る前にメールをチェックした。一通だけメールが受信されていた。開けてみると(メールアドレスを変更しました 登録してね     東条 幸)と書いていた。


(誰、間違ってるよ  大和)


怪しいメールだから返さなくていいと思ったけど普通に間違えたかもしれないから送信してみた。


(ごめんなさい 間違えました   ユキ)


もうこれ以上は送信しない。やっぱり変なメールかも。スマホをロッカーに入れた。

それからもとのキッチンに行き材料と器具を出し、お菓子作りを始めた。


「さぁ、仕事にかかるとするか」



卵をボウルに割り入れ、しっかり泡立てた。それからグラニュー糖をいれて、よくかき混ぜ、振るった薄力粉とココアパウダーを入れた。牛乳とバターを一緒に溶かし混ぜ合わせた。それを型に流し入れ、170度のオープンで35分程、焼いてスポンジケーキができた。それを冷ました。


 次はガナッシュを作る。鍋に生クリームと牛乳を入れ沸騰させる手前で細かく刻んだチョコレートを入れた。

それからスポンジを3枚に切り分けた。一番下にするスポンジを1枚、裏にガナッシュを塗って固める。そのスポンジのガナッシュを塗った方を下にして、グラニュー糖を入れて泡立てた生クリームをスポンジの間に重ねる。


仕上げはスポンジの上からガナッシュを隙間なく流しチョコレートが固まったら出来上がり。艶のあるチョコレートは、まるで宝石のように輝いていた。



僕は電話の受話器を持ち内線番号を押して岩村さんが出るのをまった。


「はい」


「出来上がりました」


「ではワゴンでケーキを運んでください。私はお茶の用意をして持って行きます」


「はい、分かりました」


「お願いします」


電話を切って、お洒落な白い食器棚から必要な食器を出した。大きな皿にケーキをのせて透明なガラスの蓋をした。ワゴンに出来上がったケーキとケーキ用の小さい皿に、フォークとカットするためのナイフを用意して乗せる。これで完了、ゆっくりワゴンを押して部屋を出た。



 何度見ても、この玄関は凄すぎる。天井の光るシャンデリアを見ると城に使えるパティシエになった気分だ。


あれ、階段から女性が下りてくる。姫? 花柄のワンピースは小柄な体にはドレスに見える。僕に気付いて目が合った。手摺りを持って足早に駆け寄ってくる。

可愛い、誰かに似ている。


奥様だ。この子はお嬢さんだろうか?


「あなたは新しいシェフ?」


「いえ、あのパティシエです。あっ、まだ製菓学校の学生ですけど」


「まあ、パティシエを雇うなんて、珍しい」


「あなたのお母様専用です」


「ママの?ああ、ママは病気がちだから、甘い物が唯一の楽しみなの。パパはママにはすごく優しいから、あなたを雇ったのね」


「そうみたいです」


しゃがみ込み、ワゴンのケーキを覗き見る姿は可愛すぎる。僕はこのお嬢さんに一目惚れをしてしまったらしい。少し茶色がかった髪に優しいウェーブがかかっている。いかにもセレブらしい。僕とは違う世界にいるようだ。


君は急に立ち上がり近づいてきた。僕は近すぎる君との距離を離そうと後退りをした。君は僕の前に立ち、眩しい笑顔を向ける。


「ご挨拶もなく失礼しました。初めまして私は、東条 幸です。幸せと書いてユキといいます」


「初めまして、僕は古代 大和です」


「宇宙戦艦ヤマトみたい!」

二人とも声を合わせてハモった。


「だってユキちゃんだし、僕は古代だから、そのうえ大和だ。」二人して笑った。


「古代 進じゃあないんだ」


「えっ、そっち」


「だって、宇宙戦艦ヤマトだし」


「君はユキちゃんだけど、僕は進じゃないよ」


「笑っちゃうわ」


君の笑顔をいつまでも見ていたいと思った。僕を幸せな気持ちにさせてくれる。その笑顔を。あれ東条って、さっきの間違いメールの人?幸せと書いてユキって。そうだ、きっと。


「あの、さっき間違えメールしなかった?登録してっていうの」


「ああ、私です。大和って書いてあったのは貴方だったんですね。ごめんなさい。どういう訳か」


「別に攻めてない。聞き覚えある名前だって思って。その時は怪しいメールって思い込んでいたから」


「本当にごめんなさい」


「いいよ。怒ってないからね」


僕はどうしていいか分からず思わず作り笑いをしてしまった。作り笑いは上手くいかず顔が引きつる。この家のお嬢さんなのに僕は何だか間が悪い。


「あ、奥様の所にケーキ持って行くね」


「いいな、私も食べたい」


「じゃあ、後であのキッチンへ来たらいいよ」

僕はお菓子作り専用のキッチンを指差した。


「えっ、あそこキッチンになったの?」


「うん、奥様直々に、いろいろ揃えてくれたみたい」


「そうなんだ」


「じゃ、僕は奥様の所へ行くね」


「後でね」


君は僕に可愛く手を振って階段を上がっていった。君を気にしながら奥様の部屋をノックした。


「はい、どうぞ」


ドアを開けると岩村さんが紅茶を入れている。奥様はベットに座り病院にあるような、食事をするためのテーブルが用意されていた。


「失礼します」


ワゴンを押してベットの近くに行った。紅茶を出し終わった岩村さんは部屋から出ていった。僕はケーキをゆっくり取り分けて奥様のテーブルに、ケーキと横に紙ナプキンを用意しフォークを置いた。


「まあ、美味しそう」


「どうぞ、召し上がって下さい」

奥様はフォークを手に持ちケーキをすくうように取り口に持っていった。


「美味しい」


「ありがとうございます。あの奥様、残りのケーキをお嬢様と頂いてもいいですか?」

奥様はびっくりしたような表情をしたあと、微笑んで僕に向かっていった。


「あの子に会ったのね」


「はい、奥様と同じようにケーキが好きだと言っていたので、召し上がって頂きたいと思いまして」


「きっと喜ぶわ」


「じゃ、早速召し上がって頂きます」


「お願いね。それから、あの子は強がっているけれど、寂しがりやで孤独を感じています。優しくしてあげて下さい」


「はい」


僕は奥様の寂しそうな顔が気になった。娘を思う気持ちが、そうさせているのだろう。優しい人だ。


 奥様の部屋から出て、お菓子作り専用のキッチンへ向かうと玄関ホールの階段の途中で君は僕を待っていた。微笑みかけると急いで階段を駆けおりて僕の前に立つ。

 

「待つと遅く感じるものね」


「これでも急いで出てきた」


「ねえ、早く御馳走してくださらない」


「用意しよう」


僕はお菓子作りをしていたキッチンのドアを開けた。君は部屋に入り辺りを見回した。


「こんな風になっていたのね」


「僕には勿体ないくらいだ」


「美味しいお菓子を作るのだから、ママは惜しまず貴方に投資したのよ」


「満足して頂けたらいいけど」


「じゃ、私が厳しい審査をしてあげましょう」


君はワゴンのフォークをとり僕がケーキを出すのを急かした。その仕草は子供のように可愛いい。僕はケーキを皿にのせテーブルに置き椅子を引いて座るのをまった。君はお嬢様らしく上品にすまして座った。


「審査委員長、お手柔らかにお願いします」


「私は公正な審査をします」


ゆっくりとじらすようにケーキを口に運んだ。君は大きい瞳を見開いて笑顔でいっぱいになった。


「うううーん」

フォークを動かして言葉にならない声だが美味しいと聞こえる。思わず笑ってしまった。


僕まで笑顔を誘う君の明るさに、奥様は君のことを孤独だといったが、嘘じゃないかと疑ってしまう。本当に孤独なら僕が君の傍に寄り添い、その闇に手を差し伸べ助けたい。まだ会ったばかりなのに、もう僕は君に夢中らしい。


「これは素晴らしい」


「審査委員長、僕の得点は満点でしょうか」


「150点!」


「えっ、何点満点?」


「100点」


「それ満点、超えているし。では、僕は合格ですか?」


「満場一致で合格です」


顔を見合わせて笑った。こんなに大きな声で笑ったのは久しぶりだ。君といると飾らない自分でいるのに気付いた。普段のまま。今まで初対面だと人見知りをして素っ気ない僕がいた。初めて会った君に、前からの知り合いみたいな懐かしさを感じた。更に癒されているのにびっくりする。不思議な空気感は心まで暖かくなる。


「あなたはパティシエになるのが夢なの」


「そう、パリの名店で勉強したいと思っている」


「パリ、素敵ね」


「来年の3月に卒業で、そのあとパリへ行くことになっているんだ」


「そう、羨ましいわ」


「どうして?」


「私には貴方のような夢がないわ。」


「僕は小さい頃の夢を思い出しただけ、専門学校へ行ってみると僕がどうありたいか形が見えてきた。君もみつかるよ。まだみつかってないだけだと思うよ」


「そうだといいけど」


君の表情は寂しげだった。孤独の文字が僕の頭の中に、また蘇った。君の孤独な闇とは、どんなものだろう。深刻でなければいいが。

僕が心配していると悟られたのか、何事もなかったように元の可愛い笑顔に戻った。


「貴方の夢を応援したい」


「ありがとう」


何気ない応援という言葉は僕の心の中に浸透していく。その言葉だけで障害になる壁も乗り越えられそうだ。君は僕の望む言葉を軽やかに発言する。不思議と僕の心の勇気という力に変わる。心のダメージに少々のことでは折れたりしないだろう。

穏やかな時間の中に君の存在は大きくなりそうだ。


君の皿の中のチョコレートケーキのクレームガナッシュは形を変えて小さくなっている。僕は向いの特等席でそれをみつめた。全部たいらげた君は満足そうな表情だ。でも僕の方が満足で喜びに満ちている。それと豊かな表情は僕の心を捕らえて目が離せない。

クリームが唇の端についている。僕の視線に気づいた君は首を傾げた。


「何かついている?」


「クリームがついてる」


「えっ、どこどこ」


君は慌ててテーブルのティシュペーパーを取って拭いたが、まだきれいに取れていない。僕は子供の口を拭くみたいに君の唇を指で拭いた。恥ずかしいのか赤い顔をした君は急に立ち上がり、わざとらしく腕時計を見た。


「私、午後から授業あるから大学へ行くね」


「まだ高校生かと思った」


「まあ、失礼ね。こう見えても3年生よ。もうすぐ二十一歳なんだから」


「そうなんだ」


「またケーキをご馳走してね」


「うん」


「じゃ、ご馳走さまでした」


「いってらっしゃい」


「いってきます」


君は風のようにいなくなった。僕の笑顔を残したまま部屋から出ていった。

その後の僕は食器を洗い片付けた。内線で岩村さんに残りのケーキを冷蔵庫に入れたことや片付けが終わったので帰ることを伝え、借りていたユニフォームを着替え畳んだ。




これから僕も午後に実習の授業がある。昼食はクレームガナッシュを頂けたから助かる。節約してパリ修行の予算の足しにしたいし学費も父に少しは返したい。夢にはお金も必要なんだ。やっぱり現実は厳しい。

僕は鞄を持ち急いで豪邸から出ていった。

庭は朝来たときと変わりなくバラが咲き誇り甘い香りがした。





それから十五分程バスに乗り学校に着いた。バスをおりた道のりに、後ろから肩を叩く明日香がいた。


「大和」


明日香は僕の腕に手を絡めてくる。初めての授業からずっと懐いてくる。高校卒で製菓専門学校へ通っている。僕の妹と同じ年で6つも違うのに、名前を呼びすてにされている。ショートカットの髪はホワイトアッシュの白っぽい色で奇抜な服装は、まるでコスプレをしているようだ。


「何だよ。馴れ馴れしいな」


「いいじゃん、同じグループなんだから」


「朝からバイトで疲れてんの」


「冷たいな。大和」


後ろからまた一人、僕の横に並んで歩いてきた。陸は僕の幼馴染みで同じ大学を卒業して就活難の波にのまれ、僕に影響されて製菓専門学校に入学した。


「おっ、陸」


「おっ、大和。お前、実習のパンプキンパイの作り方、読んできたか?」


「読んでない」


「何で読むの?読まなくても今から先生に習うじゃん」


「明日香は黙ってろ。大和は器用だから、すぐ出来るけど、俺、不器用だから前日の講義の授業の復習で読んでみたら。難しそうだった。できる自信ないな」


「大丈夫だ。誰だってできるんだから、陸もできるさ」


「馬鹿じゃない。できないから習ってんのに」


「うるさい、明日香。お前と喋ってない。俺は大和と喋ってんの」


「何よ。いつもいつも私から大和、横取りする」


「大和はお前のものじゃない」


「何よ。あんたのものでもないじゃん」


「何だよ」


「何よ」


二人は押し合って僕のまわりを行ったり来たりして、まるで子犬がじゃれ合うみたいでいいコンビだ。僕は面倒な二人を、見えていないふりをして校舎へ向かった。




ロッカールームでコックコートに着替え始めると陸がバイトのことを聞いてきた。陸には今日がバイトの初日だといっている。僕のことに関しては何でも好奇心旺盛のようだ。


「大和どうだった。バイト」


「うん、豪邸の美人奥様の依頼で、好きなケーキを作らせてもらった」


「勉強になったうえバイト代貰えるなんて最高についてんな」


「ああ、結構バイト代、弾んでくれるみたいだ。それに学校の時間を優先してくれて融通きくんだ」


「どうやって、そのバイト見つけたんだ」


「家事代行アンジュから指名された」


「何で指名なんだ。ホストクラブか」


「バカいえ、そんな安っぽい話じゃない」


陸は怪しいバイトと思っているだろう。まあ、おいしい話だから仕方がない。1日1万円なんて言えない。早くケーキを作ったらもの凄い高給取りだ。通えるだけ通って稼ぐつもりだ。


「俺もそんなバイト紹介してくれよ」


「何言ってんの。陸はバイトしなくても両親は高級取りだろ。家の会社を継げよ」


「俺は自分探しに学校に通ってんの」


「いいよな。親が惜しみなく学費払ってくれるもんな」


「仕方ない。これは運命だ。たまたま俺が金持ちの家に生まれただけだ。恨むなよ」


笑いながら着替えた。陸はいつもムードメーカーで、こいつがいるだけで和む。

コックコートに着替えると教科書とノートを持ち実習室にいった。

もう明日香は先に座っていて僕と陸がそのテーブルの席に着いた。ぎりぎりにじゅりが息を切らせて席に着く。


「樹、遅いわ。また寝坊した?寝癖ついてるじゃん」

髪を手櫛で撫ぜながら樹は周りを気にして見回していた。


「まだ始まってない。セーフ」


樹は女子よりも綺麗な顔で背は170㎝くらい僕とは14㎝の差があり、僕より高くはないので可愛さが増してみえる。樹も僕に懐いていて、よくベタベタ甘えてくる。女子より男子を好むと本人が言っているが、オネエ言葉じゃないし、女装している訳でもないから普通に見えた。だが肌はすべすべで美しいのはパックなど日々のスキンケアを入念にしているらしい。明日香といつも化粧品の話をしている女子力は高いみたいだ。



これでグループは集まった。僕の隣に陸が座り向かいに樹が、その横に明日香だ。実習室は4名のグループが6組あって、それぞれ実習テーブルの席に分かれて座る。

そして材料は前の大きなテーブルに並べられているのを、それぞれのグループが取りに行き、器具はテーブルの下の引き出しを開けて揃えた。それで一人が1ホールのケーキを作るのだ。

 コックコートを着た佐野先生が入ってきた。


「今日はパンプキンパイを作るが、もう材料や器具は揃ったか?」


生徒はそれぞれが「はい」と返事をした。まえもって実習のための授業が前日にあった。パンプキンパイの作り方と注意点など90分の授業を受けていたので、だいたいは分かっている。前のホワイトボードにも分量などが書いているので教科書を開かなくてもいい。


「始める。薄力粉と強力粉を振るうぞ」



皆が慌しく動き出した。振るい器やボウルのガチャガチャという音がなりだした。計量器で粉を測り、合わせて2度ふるってボウルに入れたまま冷蔵庫に冷やした。卵黄と生クリームは室温にもどした。バターを1㎝角に切って下準備をした。


 まずパイ生地を作る。陸は真剣な顔で僕の手元が何をしているか、見ながら遅れないように手早く体を動かしていた。冷やしていたボウルを取り出してスケッパーでバターを小さく刻みながら粉と馴染ませる。まるで陸は僕の鏡のように同じペースで作っている。


 明日香と樹は余裕がある。笑いながら冗談ばかりいって盛り上がっていたが。先生にふざけるなと注意をうけた。二人は真剣なふりをして、粉の中心に穴をあけて塩と冷水をながし練らないように全体を合わせた。


その後、4人とも作業台の上に粉を打ち生地を伸ばして三つ折りにして、さらに伸ばして三つ折りにする作業を何度も繰り返し冷蔵庫で生地を休ませた。

次はフィリングを作る。かぼちゃを切って皮を剥いてボイルしてマッシャーでつぶし、熱いうちに砂糖、無塩バター、生クリーム、シナモンパウダーなどを入れ卵黄を加えてよく混ぜた。


4人は最後の作業に入った。作業台に粉を打ち、パイ生地を3㎜の厚さに伸ばしてパイ皿に敷いた。皿からはみ出した部分は切り落とし生地全体をフォークで空気穴をあけ、かぼちゃのフィリングを上に流し入れて予熱しておいたオーブンで三十分くらい焼いた。



焼いている間は洗い物をして元あった場所になおした。それから各自ノートに向かい、反省点や気付いたことを書いた。


焼きあがると冷ましてから試食する。皿とフォークを用意して自分のホールのパイをひときれ切りわけた。

僕はパイを入れた皿を目線まで上げ、見た目が良くできているか角度をかえてみた。うん、いい形で美味しそうに見える。ゆっくりとテーブルに置いてフォークで一口分くらいに切り口へ運ぼうとすると、その手を樹が握りパイを素早く食べた。そして僕に笑いかけていった。


「美味しい!」


「いただき!」


明日香も自分のフォークで僕の皿のパイを横取りして一口食べた。目をつぶり大袈裟に両手を広げてから頬に手をあてるジェスチャーで美味しさを表現しているようだ。


「うーん。何で大和のパイは、こんなに美味しくできんの。めちゃ上手いんですけど」


「同じ材料と分量で作るのに、どこが違うのかな」


明日香と樹は、また僕のパイを横取りしようとしたが、陸が自分のフォークで二人のフォークをはらいのけた。


「お前たち、自分のパイを食って反省しろ。大和は志とセンスが違うんだ」


陸は涼しそうな顔で自分のパイを食べていた。渋々、明日香と樹は自分の席に座ると皿を見て怒りだした。


「陸、私のパイ食べたな」


「僕のもだ」


「何で勝手に食べんのよ」


「うるさい。お前たちの底辺の戦いを知りたかったからだ」


「何が底辺よ!陸だって変らないからね」


「何だと、明日香、お前よりましだ」


「もう一回いってみろ。許さないから」


明日香は陸を羽交い絞めにした。陸は「やめろ、ギブギブ」とテーブルを叩いた。騒がしい二人に佐野先生が気づいた。


「うるさい!お前たちは小学生か?皆、試食が終わって片付けしているぞ」


「はい、すいません」二人は頭を下げた。


「早く食べて、片付けしろ。帰ってレポート書くんだぞ。明日レポート提出だからな」


佐野先生は前へ行きレポートの提出の注意点を説明してから教室を出た。僕たち4人は急いで試食して片付けた。僕は皿を洗いながら、さっきの出来事を思い出して笑う。いつも一連の作業のように、僕のケーキを奪い合い陸と明日香と樹がふざける。


それを見ているのが何となく好きだ。だから何も言わず眺めて楽しんでいる。何もいわなくても僕の居場所がある。気心の知れた仲間は、そのままの僕を受け入れて安心感で包んでくれる。


 僕が洗い物をしていると後ろから誰かが抱きついてくる。右斜め下を見ると樹だった。


「大和の背中大きい」


「樹、離れろ」


明日香が低い声で言って樹の右腕を解こうと引っ張る。強引に離そうとすると余計に背中にしがみつき離れない。


「嫌だ」


更に樹は強く抱きしめていた。明日香は睨みつけ、また力を入れて腕を解こうと格闘している。僕は早く帰りたくて二人に向かい用事を優しくいってみた。


「ねぇ、ふたりとも皿拭いてくれる」


「はい」


二人は素直に返事したと思ったら1枚の布巾を取り合った。いつまで経っても争っているのを見た陸は呆れていう。


「お前たち、学校に泊まる勢いか?」

陸は冷めた視線を僕たちに向けて言った。


「皆、もう片付け終えて帰ってんぞ」


「そうだな。帰ってレポート仕上げないと」

僕はそう言いながら頭の中にレポート作成し始めていた。陸も早く帰りたいのか二人を急かした。


「樹、明日香。全集中でお願いします」


「陸、分かってる」


「こんなの、すぐ出来るわ。ほら後は棚に片付けるだけじゃん」


三人は子供みたにスピードを上げ素早く片付けることができた。素直というか単純で可笑しい。そのあと僕たちはロッカールームで着替えて学校から出た。




 帰りのバス停でも明日香と樹は気の合う女子同士のように、雑誌を見て化粧品のことで、たわいのない話をしている。僕はスマホに目をやりメールをチェックしていた。目の前に来て陸が僕の顔を覗き込んできた。


「なあ、大和。俺んちでレポート一緒にやる?」


「ああ、いいよ」


「あっ、ごめん。私バイトあるからパス」


「僕もごめん。バイト、大和とレポートしたかたな」


「お前たちには聞いてない。大和だけを誘ってんの」


「そう言いながら、私たちも誘いたかったって顔に書いてるよ」


「陸は寂しがり屋だから、よしよし」


樹が陸の頭をあやすように優しく撫ぜた。陸は嫌そうな顔をして手をはらいのけた。年下の樹にされるのが癪に障ったのか怒った口調でいった。


「やめろ、髪が崩れる」


「そうなの?よしよし、よしよし」


その横から明日香はわざと髪が崩れるように大きく手を動かして頭を撫ぜた。嫌がる陸を追いかけては頭を触ろうと必死になっている。樹がそれを見てけらけら笑った。平和過ぎて僕まで笑ってしまう。気づくとバスが停留場にすべるように入ってきた。


「バス、きたよ」


僕は陸と明日香を呼んだ。樹と肩を組んでバスの入口まで移動し背中を優しく押して先に乗せた。陸と明日香はバスから離れているのでバスが出発しないように、入口に足をかけて手招きで、おいでおいでと合図すると走ってきた。ふたりを先に乗せて最後に僕が乗り込んだ。陸は息を切らし後ろの席に座ったばかりの明日香と樹を指差していった。


「もう、子守は勘弁しろよな」


「陸が一番、子供じゃあないの」


僕はからかうように、そういって笑った。平和な時間が穏やかに流れている。こんな時間は安らぎを与えてくれる。バスに揺られて窓から見る夕方の空は西日の傾きが眩しくて目を射す。細めた目に車道の交通量は徐々に増えていく光景が見えた。

二つ停留場を過ぎて次のバス停で、明日香と樹がバイト先に向かうためにおりる。


「じゃ、大和、浮気すんなよ」


「そうそう、浮気したら、ただじゃ済まないから」


「何いってんの。バイト遅れるぞ」


「じゃ、バイバイ」二人は手をふってバスからおりた。




僕と陸は次のバス停でおりて、陸のタワーマンションの最上階の部屋へいった。


陸の部屋は2LDKで、二十畳くらいのリビングに大きなダイニングテーブルと離れた所に高級なソファーがあり、正面に60型のテレビがあった。他の部屋は十畳の寝室と十二畳の書斎があった。ついでに八畳の納戸がついている。僕の部屋より広い納戸は十分この部屋だけで暮らせそうだ。


 僕たちは、いつも書斎でレポートを書く。2台あるパソコンのうちの1台を借りて、USBをさし書きはじめる。思えば高校の時から陸は、このマンションで暮らし始めた。自分の部屋をもらえたと言うので来てみたら、部屋というより一人暮らしだったから、びっくりした。お金持ちはスケールが違うと感心したものだ。


「なあ、大和。今日いってたバイトだけど」


「紹介できないから」


「分かってる。美人奥様って」


「ああ、うん、美人だった。それから娘も親譲りで美人なんだ。紹介しないから」


「ははーん、大和。その子、狙ってんな」


「分かるか」


「分かるに決まってんだろう。俺たち何年、付き合ってると思ってんだ。大和のもってぷりも分かってるぞ」


「何だよ。それ」


「俺は大和に絶大な協力をする。上手くいったら、その子の友達を紹介してくれ」


「陸、下心、丸見えだな」


陸とは小学校からの付き合いで、最初は猫をかぶっていたのか、大人しい奴だった。とても庶民的で見た目では金持ちの感じがない。いい物を持っていてもブランドネームが見えない物を好むので、本当の庶民の僕には到底見分けがつかないくらいだった。あるとき誕生日プレゼントだと貰った物は小学生には高級過ぎて、後になってびっくりすることがあった。


それなのに親が金持ちだと自分が偉いと勘違いする奴も多いが、陸は一切そんなことが無かった。逆に僕たちに合わせていたので、時々こうやってマンションに来ると感狂う。やっぱり金持ちなんだと実感する。


「なあ、大和。何系美人だ。その美人娘は」


「うーん、可愛い系。ワンピースが可愛い。小さくて愛嬌あって」


「へぇー、可愛いうえ、愛想いいのか」


僕は今日あった出来事を陸に話した。あまり詳しくは仕事上いえないので、差しさわりのない程度に説明した。特に君の可愛らしい仕草や声、僕の作ったケーキを美味しいと夢中になって食べてくれたこと。陸はニマニマ笑いながら話を聞いてくれた。話だすと君のことが、こんなに好きだとは思わなかった。これが一目惚れなんだと、初めての思いに戸惑った。


「大和もとうとう初恋したか」


「何だよ。初恋って」

僕は照れた。陸の観察力は鋭いから隠し事ができない。


「俺は大和の全てを知っている」


「何だよ。その言い方やめろよ」

陸は含み笑いをした。


「陸、その笑い気持ち悪い。やめろ」


「誰にもなびかずクールな大和も、ついに春が来た!俺は嬉しい」


「春が来たって、おやじか」

陸は興奮して僕の近くまで来て熱弁する。


「大和君、君はモテ過ぎてどうかしていたんだ」


「どうかって何だよ」


「恋する前に相手が勝手に好意をよせる。優しいお前は付き合う。だがそれは恋に発展しない。だって相手がお前を好き過ぎて少々のことで嫉妬して大和は重荷と感じる。そして大和の心は彼女から冷める」


「だから何だよ。それが」


「よく聞け大和。恋は自分が先にする方が楽しいんだ。ドキドキしたりハラハラしたり歓喜と激動が交差する」


「陸、ちょっと分かりにくい」


「これから分かるはずだ。狙った女を落とす。男であれば狩猟のごとく」


「大丈夫か?」


「俺にはできなかったこと、お前ならできる。男たるものは何か・・・俺の願いをかなえてくれ」


「よく分からないけど」


「明日はバイトあんのか」


「うん、行くつもり」


「男は積極的であるのみ」


「大丈夫か、それ」


「俺の経験上、間違ってないぞ」


「陸、お前の経験は乏しいと見たけど」


「バカいえ。お前は、もて過ぎて尽くすことを知らん。俺は尽くすプロだ」


「そんなのにプロってあんの?」


「ある!そう考えないと俺が報われない」


僕は笑った。陸の素直で飾らない言葉がほっとする。時々、笑っては癒されている。それは子供の時からの付き合いだから遠慮ない関係がいい。


「はいはい、分かった。このレポート仕上げたら、プロに恋愛の秘策を伝授してもらおうかな」


「なんか、忍者みたいになってるけど、大和に秘策を伝授する。だから、娘の友達を紹介すんの忘れんなよ」


「何、それ条件付き」


「当たり前だ。大和ばっかり、いい思いするのはずるい。友達だったら幸せを分け合え」


「考えとく。早くレポート、仕上げないと徹夜になるぞ」


「分かってる」


陸のパソコンを覗くと、全然進んでいない。僕はしゃべりながら、手を動かしていたから、もうすぐ書き終わる。陸は席に着きスピードアップして書きはじめた。僕と陸はカチャカチャという音を鳴らしながらパソコンに向かっていた。



 僕が先にレポートを仕上げて時計をみると、もう8時を過ぎていた。いつも、勉強が終わった後に陸の家の冷蔵庫の中をみて、ありあわせの物で夕食を作る。今日はニンジンや玉ねぎとハムなどを炒めてケチャップを入れてナポリタンを作った。キャベツやレタスなどで、ありきたりなサラダもつけた。豪華なダイニングテーブルの上に、お洒落なランチョンマットを敷いて、それらを並べた。そこへ陸が書斎から出てきた。


「うわー、いい匂い。腹へってるから、この匂い体に沁みるなあ」


「お前、やっぱおやじか」


「つっこみいらねえわ。おお、俺の好きなナポリタン。いいよな、庶民の味は」


「金持ちの嫌味か?」


「あっ、金持ちで思い出した。彼女を落とすときは男でも胃袋つかめ。料理できると今は女子にもてるそうだ。大和はモテてるから、その情報いらないか」


「胃袋か、覚えとく」


「だから、モテてるから、いらねえ。あっ、そうか。作るってことは家に呼ぶ口実ができるな。すぐに親密になれるってことか」


「そんな、すぐに家に呼んだら引くだろ」


「大和も漏れなく草食系か。駄目だぞ。この頃の若いもんは奥手だから」


「陸、何歳だ?一気に年くってんぞ」


「恋愛の秘策を伝授してるのに。あっ、そうだパスタの時は彼女にお洒落なもの食わせろよ。カルボナーラとか、えーと他に」


「陸、間接的に苦情を言っているのか。食べたいものがあったら言えよな。作るから」


「違うよ。伝授、伝授」


「分かったから、食え。腹へってんだろ」


陸は頷いてダイニングテーブルの椅子に座りナポリタンを食べはじめた。


「上手い」


僕は嬉しくて笑顔で答えた。そして陸のコップに水を入れて、向いの席に座り食べはじめた。山盛り作ったナポリタンは、あっという間になくなった。陸は食後にフルーツを食べたがる。リンゴがあったから剥いてやったら満足そうに食べている。


「大和、食わないの」


「いいよ、洗い物するから」


「ありがとう。大和はいい。男からみてもイケメンが近くで世話やいてくれるのは

いいな。俺んとこにもアンジュの大和、指名しようかな」


「いかねよ。仕事場になったら遊びに来るの、いやになるわ」


陸は笑いながら、シャリシャリと音をたてリンゴをかじった。僕は洗い終わった食器を乾燥機に入れて、ひと段落つけた。後は次の日に陸が、いつも食器棚に入れてくれるから、そのままにしておいた。


「陸、後は食器なおしといて」


「うん。大和、泊まっていく」


「今日は帰る」


「そう。泊まっていけば、いいのに」


「また今度。じゃあ、なあ」


僕はコートを着て鞄を持ち玄関へ行った。陸が後をついてきて見送ってくれた。いつもの光景だが、いつもと違う。些細なことでも幸せに思う。君と出会った喜びからくるのかな。全てのものに感謝したい。心地良い思いだった。




 バス停は夜になると、人がいなくなり閑散としていた。そのせいか風が吹くたびに寒さが体にしみてくる。やっぱり泊まればよかったと後悔するが、まだ何も始まってもいない恋愛に陸の詮索はきつい。僕を思ってのことだけど、お節介な親戚の叔母ちゃん化する陸を想像してしまう。


バスの窓が電気のせいで四角い光が遠くにいても見える。待ち構えている僕の前に止ると寒さに急かされ足早に乗り込んだ。前方の運転手に近い席に座り窓の外を眺めた。街並みの店の光に目がいく、別に見ている訳でもないのは、頭の中で違うものを見ているせいだ。君の可愛い仕草が目に浮かんでくる。これは相当、重症化している。




家の近くのバス停についた。バスから降りた僕は家路に向かった。僕の家はバス停から十分程の所にあり、3階建てのマンションでエレベーターはない。部屋は3階の一番奥にあった。あまり体を動かすことがないので、いつも運動だと思って階段をのぼっている。疲れている時は辛いが、今日は何段あっても、いくらでも登れる勢いだ。きっと浮かれ過ぎだな。



部屋に入ると鍵を玄関に置き靴を揃えて脱いだ。一人暮らしは、だらしなくなるから、極力きれいに片付けていようと意識している。いつもの場所に鞄を置き上着をかけた。僕の部屋は6畳くらい、大きなクローゼットがあるので家具を最小限ですませる。ミニマリストを目指しているので都合がいい。僕は浴室に行きシャワーを浴びた。あがったら服を着替え髪を乾かし、すぐにベットに滑り込んだ。

心地良い疲れが眠りを誘ってくる。明日も君に会えるだろうか・・・





僕は朝から学校にレポートを提出にいき、1つだけ講義の授業を受けた。授業のあと、相変わらず賑やかな陸たちと学校のカフェで軽い昼食をとった。明日香がサンドイッチを頬張りながら僕に話かけた。


「大和、今日ひま?」


「午後から、バイトいく」


「どんなバイトしてたっけ?」


陸が横から体を乗り出して面白がって答えた。

「大和は家事代行のバイトで、美人奥様におやつ作り、いやお菓子作りしてんの」


「何、美人、奥様って」樹が割り込んで聞いてきた。


「それが、そこの娘が可愛いみたい。その子が目当てらしい、なあ、大和」


「陸、お前、ばらすなよ」


「えーっ!大和。行くなよ」明日香は怒った口調でいった。


「何言ってんの、明日香。バイトだから行くに決まってんだろ」


「嫌だ。大和は僕のものだ」


樹は涙ぐんだ。僕の存在は二人にはマスコットというか、ちょっと古くさいが、ゆるキャラ的だろう。


「僕にとっては、大和はアイドルだ」


アイドルなのか、ゆるキャラと思い込んでいた。好意的なのは嬉しいが樹が男であると思うと複雑だ。


「あたしは本気で大和が好きだからね」


「また、お前ら大和の取りあいか?ファンクラブでも作るのか?」


陸は笑って言った。僕はカフェの壁に掛かっている時計が、十二時半になっているのに気づいた。急いでアイスコーヒーを飲んで、食べ終わったトレイを返却口に持っていくために立ち上がった。


「じゃ、バイト行ってくる」


「おう、いってらっしゃい」陸は手をあげって見送ってくれた。


「僕を置いて行かないで」


「大和」


樹と明日香が声をかけてくるが、バイバイと手を振ってから、持っているトレイを返却口に置いてカフェをでた。

僕が学校を出たらバスが来ていたので走って飛び乗った。3時に間に合うように、

お菓子を出したいと思っているのでタイミングよくバスに乗れたのは嬉しい。





バスをおりてバイト先の豪邸に向かった。前回と同じようにドアを自動解錠してもらい中に入った。庭の鮮やかなバラの花々を横切り、香りを感じながら豪邸の中に入る。


 岩村さんに挨拶をして、お菓子作り専用のキッチンのドアを開け部屋に入ろうとしたとき、君は後ろから僕を押して一緒に中に入った。びっくりした僕は後ろを振り向き君をみた。いたずらを考えている子供のように、はにかんだ笑顔は何か期待させる。


「ごきげんよう、昨日はありがとう美味しかった。今日はお手伝いしたくて待っていたの」


「こんにちは、待ってくれてたんだ。でも学校は大丈夫?」


「大丈夫、今日は朝1番の講義にでて、猛スピードで帰ってきたの」


「猛スピードか」


君の古くさい表現に笑ってしまった。逆に新鮮に感じたりした。なにげなく君をよく見ると、まるで新婚の女性がするようなフリルいっぱいの可愛いエプロンをしていた。まだ付き合ってもいないのに新婚の偽似体験しているみたいだ。なんだか、すごく照れる。きっと本当の新婚だったら、エプロン姿の君の可愛さに抱きしめてしまうだろうな。想像すると顔がゆるむ。


「今日は何を作ってくださるの?」


「今日は苺のスフレ」


「スフレ?」


「温かい焼き菓子だ。苺の甘さが優しくて、ふわっとした食感が病気の奥様でも食べやすいと思って」


「大和君は優しいのね。食べる人のことをちゃんと考えている」


「僕は奥様のために、ケーキを作ってるんだから当たり前だ」


「ママが羨ましい。ねぇ、私のためにも何か作って」


「分かった。今度、作ってくるよ」


「絶対よ。私のためのケーキか。どんなケーキ作ってくださるの」


「考えとくね。じゃ、時間ないから作ろうか」


「はい」



僕は君とケーキに必要な器具や材料を棚から一緒にだした。

君は小さな体で走り回る。急がなくてもいいと声をかけても一生懸命な様子は、かなり張り切ってくれている。つま先立ちで伸びをして高い棚のボウルまでも取ろうとしているのは、僕が見えていないのかと思わせる。面白くて遠めでみていると、君が手の先でボウルを突っついたら、頭の真上に落ちてきた。僕は慌ててそのボウルを君の頭の手前で受けとめた。


「きゃー」


君は頭をかかえて、しゃがみ込んだ。落ちてこないボウルに気付き、ゆっくり頭の上を見上げて僕と目があった。面白いシチュエーションが可愛くて笑えてくる。僕は笑いながらいった。


「危ないよ。これ頭の上に落ちたら、相当、首やられるよ」


「ありがとう。助けてくれて」


「高い所の物は僕が取るから」


「はい」


おしとやかに見えるが、みかけによらず、おっちょこちょいな一面を見ると君の存在が近く感じる。もっと近寄りたい、君にとっても僕が近くに感じられる存在になれたらいいのに。


「これで、大和君が言っていた物、全部揃ったわ」


「じゃ、3時のお茶の時間までに、苺のスフレ作ろうか」


「はい」



僕は君に小麦粉を振るってもらうことと、直径6・5㎝のココット型に溶かしバターをぬってもらった。


その間に鍋にヘタを取って細かく刻んだ苺とグラニュー糖を入れ中火でひと煮立ちして、アクを取りながら10分弱火で煮詰めて苺ソースを作った

ボウルにバターを入れ湯せんにかけた。それから、ふるった小麦粉と牛乳を入れ混

ぜた。湯せんからおろして卵黄と苺ソースを加え混ぜ合わせた。


別のボウルに卵白を入れ、かたく泡立てた。そこに先に作ったボウルの中身をココット型に9分目くらい入れて、140度のオーブンで約20分焼いた。

オーブンの焼きあがりの時間を待つ間、君は僕に質問をしてきた。



「大和君の名前、本当に宇宙戦艦ヤマトからついたの」


「うん、僕の父はアニメ好きで、小さい頃から一緒にアニメ見てたな」


「私もアニメ好きで宇宙戦艦ヤマト見てたわ」


僕と父は兄弟みたいな親子だった。父が好きで何でも真似をしていたそうだ。そんな僕を父はとても可愛がってくれた。

 ある日、僕は父に愚痴をいったことがある。それは名前が少し恥ずかしいと。




宇宙戦艦ヤマトは何度も再放送をしていたし、実写版の映画にもなったそうだ。特に年配の人は古代の苗字を聞いて進か?という。

 古代 進はヤマトの乗組員で主役級の重要人物だ。そりゃ古代と聞いたら進だよなと思う。僕は父との会話を思い出した。


「ねえ、お父さん、何で僕は古代 進じゃないの?」


「大和は進がよかったか?」


「大和がいい!」


「そうだろう。父さんもそう思って大和にした。壮大で大きい志がもてる子になるだろうと思ってな」


父はそう言って笑っていた。そのときから僕にとって自慢の名前になった。そのことを君に話した。


「すてきね」


「名前って親からもらう、最初のプレゼントだろ。だから愛がこもってると思った

。ユキちゃんもそうだろう」


「うん、そうだと思う。私の父は厳格な人で私には特に厳しいの。母は私を愛しているから厳しく教育しているというんだけど」


「幸せと書いてユキって呼ぶんだろう」


「覚えてくれていたの」


「可愛い名前だからね。やっばり幸せになってもらいたいから、付けた名前だと思うよ」


「うん、私もそう思う」


 寂しそうに答える君をみていると、相当、厳しい人かな。君と付き合いたいと思うのに躊躇してしまいそうだ。だが本当に好きなら厳しい条件も突破できるよう努力しないと後悔する。でも今どき友達親子が多い世の中に珍しいもんだな。



オーブンのできあがりの合図の音がした。僕は冷めないうちにワゴンにケーキとスプーンなどを乗せた。君には焼き立てのスフレを大きめの皿にのせスプーンを添えてテーブルにだした。


「僕は奥様の所へ冷めないうちに持っていくね」


「私は棚にある紅茶いれるわね」


「先に食べていいから」


僕は岩村さんに内線をしてワゴンに乗せたケーキを運んだ。奥様の部屋の前でノックをして、はいという声を聴くと中に入った。



 奥様は相変わらず綺麗だ。やっぱり君に似ている。紅茶はもうベット用のテーブルにのっていた。岩村さんの姿はもうない。仕事の早い人だ。3時ちょうどには僕のケーキに合わせた紅茶をだしてくれていた。僕は急いで苺のスフレを大きめの皿にのせスプーンを付けてだした。


「お待たせしました」


「大丈夫よ。急がなくても、貴方のためなら何時間でも待ちますよ」


「ありがとうございます」


「今日はあの子とは一緒なの?」


「はい、苺のスフレを一緒に作りました」


「そう、よかった」


「また一緒にこのケーキをいただいていいですか?」


「何も言わなくてもいいわよ。勝手に食べてね。あの子も喜ぶと思うから」


「はい、ありがとうございます。それでは」


「もう、いってしまうの?」


「あ、すいません。お嬢様をお待たせしていますので」


「そうね。あの子のために、ゆっくりしていってね」


「はい、ありがとうございます」

僕は急いで君の所へ向かった。



専用キッチンに入ると、紅茶を用意して待ってくれていた。僕は急いで向いの席についた。僕の分までスフレを皿に置いてくれていた。目の前で見ると奥様を思い出す。奥様は君への気持ちを知ってか、この思いを応援してくれているみたいだ。


「待ってくれたんだ」


「一緒に食べる方が数倍おいしでしょ」


「うん」


君を見つめながらケーキを食べた。君は僕を見て一口食べた。スプーンを置いて頬に両手を挟んで目をつぶって体をゆらし美味しい表現をしてくれた。作った者には、その表現は喜びでしかない。僕の心をさらにくすぐる。


「このスフレ初めての味、美味しい」


「大袈裟だな」


「大袈裟じゃないわ。本当に美味しい、お店持てるわ」


「そのために勉強してるんだけど」


「あ、そうだった。今すぐでもお店出して買いに行くから」


「経験と資金の問題があるから、もう少し待って、必ず僕の店だしてみせる」


「楽しみ、私も何か協力したい」


「ありがとう。君の協力は、その美味しい表現をしてくれること」


「そんなので協力できるの?」


「うん、自信がつく。でも美味しくないときは必ずいってくれる。気を使っていわないのはなし。僕は今勉強中だから美味しくないのは問題だ」


「そんなことでいいなら、お安い御用よ」


「お安い御用?」


「え、簡単なことって意味よ」


「やっぱり面白いよ、君は」


「どうして?」


「何だか新鮮な感覚」


「何それ」


君は僕の作ったスフレを食べながら笑った。また口角のはしに、スフレの残骸をつけたままだ。いいな、このゆるいところが、癒されるんだろうな。ちっちゃいところも守りたくなる。これも男の本能だろうか、いや僕の好みかな。


「珈琲は飲めないの」


「苦いのは苦手なの」


「砂糖入れてもダメ?」


「ええ、ダメです。あ、珈琲がよかったのね」


「いや、紅茶も好きだよ」


「良かった。でも今度は珈琲にするね」


「ありがとう。でもどっちでもいいよ」



僕は自分から好きになったことは一度もない。これまで付き合ってきたのは女子からの告白だった。別れの原因は、してもいない浮気を疑われる。女子と話しただけなのに嫉妬の渦。束縛されるのは苦手だから自然と心が離れていく。僕の身勝手だと思うが、人間として完璧でないのだから、どうしょうもない。僕はわざと振られようと冷たくなった。


どういう訳か振られても、すぐに彼女ができる。陸いわく僕の見えない所で、彼女候補が列をなしているとか。そんなことは、あり得ないと思っている。


大学卒業後は、パティシエの夢のため、彼女は作らないと決めた。煩わしいことを避けようとしている。恋を知らなかったからだ。


君を見るたびに優しい気持ちになる。君が望むことは何でもしたい。まさかこんな気持ちになるとは思わなかった。今まで付き合っていた彼女たちは少なくとも、こ

んな気持ちでいてくれただろう。冷たくして申し訳ないと思うしかない。


君は僕のことを、どう思っているのだろうか。知りたいような知りたくないような、どっちつかずの思いは臆病になっているからだ。その反面、脈がない訳でもないと感じる。君が今日、僕を待ち伏せしていたことが、好意的だと捉えてしまうのだ。よし、陸のいう草食男子の汚名をはらすために君を誘ってみよう。


「ねぇ、ユキちゃん。僕とケーキ巡りしない?」


「ケーキ巡り?」


「行きたかった有名店がある。客は女の子ばっかりで入り辛いから、一緒に行ってくれるとありがたい」


「ええ、喜んで。ケーキは大好きだから、その名店とやらに行ってみたい」


「じゃ、今週の日曜日はどう?」


「うん、行きます」


「日曜日は朝のモーニングにフレンチトーストを作るから、早くから、ここにいるんだ」


「ここで待合せね」


「そう、たぶん9時までには終わるから、階段の前でどう?」


「はい、階段の前で待っています」



もう僕の頭の中はどこに行こうか、1日何件いけるだろうかと考えている。君との時間を共有できる嬉しさは何ともいえない幸福感でいっぱいだ。それに子供のころの遠足が待ち遠しいと同じで、大人になってもこんな気持ちになるとは思いもしな

かった。



 君といる時間は早く流れる。もう夕方で次ここに来るのは学校の都合で3日後になる。いつ会えるか聞くと大学があるので、日曜日、当日になるという。紅茶は2杯目を飲みほした。

 それから君は食器を洗ってくれて僕がそれを拭いて片付けた。帰る準備をして岩村さんに内線した。キッチンから出て君は僕に向かって話かけた。


「ケーキの名店、楽しみにしています」


「どんなケーキが食べたい?」


「苺のケーキが、特に好き」


「苺のケーキの美味しい所へいこうか」


「はい」


「じゃ、また」


僕が手を振ると君も手を振って玄関まで見送ってくれた。



外に出てスマホを見ると5時を過ぎていた。段々と日が短くなって暗くなる。出会いから2日しか経っていないのに、だいぶ時間が過ぎた感じがした。それなのに君と会えないと思うと時間が長い不思議な感覚だ。

神様は平等に時間を与えてくれているはずなのに、なぜ心の動きによって感じる時間が違うのだろうか。君との穏やかでゆっくり流れるのに早く感じる時間と目まぐるしく流れるわりに君とは会えない長い時間が混然としていた。



バスをおりて家に着いた。

冷蔵庫の中をみて、あり合わせの物で野菜炒めを作り、豆腐の味噌汁と冷凍庫のご飯をレンジでチンして夕食にした。食事は出来るだけ家で作ることにすると体と家計に優しくなる。それに家事代行の仕事をしているお陰で家でも面倒な気持ちにならず当たり前に手作りの食事が作れる。



ゆっくりと食事をして片付けて、その後はパソコンをあけ君と巡るケーキの店を探す。

イートインスペースがあるカフェが完備しているケーキ屋がいい。ケーキも流行りがあるのかチーズケーキ専門店もある。ベイクドチーズケーキは勿論あるが、他にチョコレートが入っている物やカボチャや抹茶もある。上にブルーベリーがのっている物もある。僕はフランス産の最高級のクリームチーズとエシレバターを使用した豊かな風味のチーズケーキが食べてみたい。


あと行きたい所はフランスの有名菓子店で修行したオーナーが展開するケーキ屋だ。その店はまるでパリのケーキ屋にいるような気分になるそうだ。


ケーキが並んでいるショーケースや店の外観を綺麗に映した写真を見ていると夢が広がる。自分の店がもてたら、店内は明るく柔らかい色の壁紙がいいとか、テーブルは高級感があるのがいいとか、ケーキの種類はどんなものがいいのかと思い描いた。僕にはどれだけのことができるだろうか。幸せな時間は僕の夢を膨らませた。





君と会えない日は、ありきたりなルーティンをこなしているだけで、鮮やかさのない代り映えのしない日常だ。ただ違うことは作ったケーキを奥様に食べてもらったとき、君に似ているから君と会っているような錯覚をする。そのときは楽しかった。


「今頃聞くのはなんですが、奥様の好きなケーキはどんな感じの物ですか?」


「うーん、強いていえば、苺を使ったものかしら」


「お嬢さんと同じですね」


「そうね」


「この前、ネットでケーキ屋を検索したら、チーズケーキに苺を練りこんだ物がありました」


「美味しそうね。食べてみたいわ」


「そうですか。じゃ、そのケーキ屋で食べた物を似せて作ってみます」


「そんなことも出来るのね」


「全く同じとはいかないですが、出来るだけ似せてみます」


「期待しているわ」


奥様の笑顔に君を重ねていると優しい気分になる。奥様は僕の話を微笑みながら聞いてくれた。


 この前の検索したネットの話をした。ショーケースの華やかな彩りのケーキのことや店内の装飾のこと外観のことなど。特に店内の壁紙のことは盛り上がった。奥様の好みを聞くと白のベースで可愛いピンクのバラの花柄という、女性が好みそうでいいな。僕には想像できない女性ならではの発想だ。ケーキ屋にくるお客さんは女性が多いから女性の好みに合わせたい。

 

 奥様は自分の夢のことのように僕の夢の話に合わせてくれた。それから外観に小さな花壇を作りバラの花を植えたいと思った。奥様がバラは手間がかかるという。虫が付きやすいし病気になりやすいそうだ。いろいろ教えてくれる奥様は物知りで感心することばかりだ。


気付くと僕自身、こんなに夢のことを人に話したことはなかった。奥様は聞き上手なうえ君に似ているから心を許してしまうのだろう。奥様の暖かく優しい感じが、とても居心地がいい。





バイトが終わった土曜日の5時に陸から呼び出された。陸のマンションは最上階なのでエレベーターで上がった。マンションのドアを開けると陸が待ち構えていた。

そこには色々な服がブティックのようなハンガーラックに何種類もかかっていた。


「どうだ。大和。明日の記念すべきデートの服を決めるぞ」


「陸、店でも構えたか?」


「何いってんだ。大和の好感度上げるために用意したのに」


「いいよ。いつもの服で」


「バカだな。身だしなみは大事だ。女子は、こんなスーツ姿にズキュンとくるそう

だ」


「いやいや、そこまでするのは気合い入り過ぎるんじゃないか」


「なに照れている。大和らしくない。大和は堂々とカッコつけていいぞ。お前にはそんな完璧な容姿があるからな」


「何それ」


「さあ、ファッションショーするか」


「お前、女子か?」


「大和君、君は俺の友情を無駄にするのか。今日1日中、君のために駈けずり回って探した服たちだ。頼むから服を無駄にするな。さあ、着てみな」


「陸、ありがとう」


普段では着ない高級ブランドの服を陸は僕に手渡したくれた。そのスーツ一式は趣味のいい品のある感じがした。スーツ姿の僕を陸が上から下まで値踏みするように評価する。


「大和、やっぱいい。いいけど、他のも見たいな。どんどん試着しちゃう?」


「これで、いいよ」


「いやいや、大和。お前のカジュアルなスーツ姿も見たいな」


「え、全部、スーツばかりか?堅苦しくないか」


「だから、女子のハートを射止めるため」

陸は片手にスーツを持って左手の親指と人差し指でハートを作って僕にアピールする。


「陸、辞めろ。その指、気持ち悪いわ」


「ほら、着ろよ。男の俺でもイケメンのスーツ姿を見んの楽しいな」


「何考えてんだ」


「はい、次はこれ」


陸に乗せられて6着ある全部のスーツを着てしまった。陸には悪いが、どの服も同じに見えて決めがたいので、結局、陸が決めた。それであまり堅苦しくないカジュアルなスーツになった。


「他のスーツも大和の体系に合わせて買ったから、全部お前の物だ」


「悪いよ。高級過ぎてすぐに払えないから、分割払いでお願いします」


「いいよ。好きで買ったし、楽しかったから」


「そんな、僕なんかに無駄使いだ。だから返すからね」


「もう、分かった。出世払いということで、大和に投資したつもりだから気にすんな」


「わるいな陸、ありがとう」


「その代わりに大和、いつもの大和特性の夕食頼む」


「分かった」


「なあ、大和、オムライス食べたい」


「うん、陸のリクエストは、いつも小学生みたいだな」


僕はいつものように、陸の冷蔵庫を開けた。オムライスの材料を出して作った。ついでにサラダも作る。陸は放っておくと野菜を食べない。フルーツは苺があった。苺の話ばかりしていたから食べたかったので、ちょうど良かった。洗ってヘタを切ってガラスの器に盛った。


陸はよほど腹が減っていたのか、椅子に座り僕が調理するのを見ていた。何だか陸の母になった気分だ。あの眼差しはせかされている。飢えた我が子には素早く作って食べさせたいと思ってしまう。出来上がったオムライスをテーブルに置いたとたん陸は大きなスプーンでがっついた。


「うめーえ」


「料理は逃げないから、ゆっくり食え」


陸と夕食を終えて、いつも通り片付けをした。陸が泊っていけとまた引き止めるが、明日は早くからバイトだと理由をつけて断って家に帰った。



明日はカフェのモーニング風にフレンチトーストをサラダとフルーツをつけて、ワンプレートでだすことになっている。

奥様から朝食は少量にして欲しいという要望があった。見かけは元気そうにみえても、やっぱり辛いのかもしれない。無理して食べていると思うと心配になる。


そこで岩村さんに聞いてみたら食事はあまり食べたがらず唯一、僕の作るケーキが主食のようになっているそうだ。カロリーが高いので、それだけでも食べてくれるなら、僕が作ることに対して、ありがたいと言ってくれた。僕の作るケーキだけは食べられるといわれると嬉しい反面なお心配になる。だからこそ、もっと栄養価の高い物をと思い。そこで牛乳の量を一般のフレンチトーストより増やしてみた。また柔らかく奥様に食べやすくしょうと考えた。





日曜日の朝は早めに起きて準備をした。陸が選んだカジュアルなスーツを着て鏡の前で身だしなみのチェックをした。スーツを着たら髪型まで気になる。ドライヤーを出して髪型を整えた。いつもより時間をかけて支度をしたら、毎日手抜きしていることがよく分かる。身だしなみを整えるのは大事なことだと改めて思った。何より気合が入るので、上手くいくような、そんな予感がする。鏡の自分に「よし」と気合の声をかけて家をでた。


 バスに乗り込むと、いつも以上に視線を感じる。ふと目が合った女子に目をそらされた。他にも何人もの女子に目が合うが、すぐに目をそらされる。上着の襟元をなおしてみたり、袖口を触ってみたが、何がおかしいのか分からず気になって仕方ない。バスの乗車時間が短くてよかった。


 バイト先のバス停に着くと素早くおりた。豪邸に行く足取りは軽い。君に会えると思うと久しぶりなので心が弾んでいる。豪邸に入ると岩村さんが僕のスーツ姿をみて微笑みながらいった。


「今日は、スーツで、いつも以上に決まっていますね」


「このあと、人気のケーキ屋に行きます」


「お洒落な所に行くんですね」


「はい」


「楽しみね。ではモーニングプレート用意して早く行かないとね」


「はい」


「よかたら、そのスーツ姿で奥様にモーニングプレートをだしたら、気分が変わって喜びますよ」


「じゃ、着替えてから運びます」


「宜しくお願いします」


「はい」


 僕はお菓子作り専用のキッチンでコックコートに着替えた。スーツを汚したくないのでユニフォームがあってよかった。

 

 

 早速、僕は仕事にかかった。

大きな白い皿に苺やキュウイとオレンジを食べやすい大きさに切り、サラダを作り、それらを添え物として並べた。ミルクを多めに浸しった半分のトーストをフライパンで焼いて先程の皿にのせた。ワゴンを用意して、先の岩村さんの提案してくれたとおりスーツに着替えた。洗い物をしながら片付けたので、いつでも彼女と出かけられる。



奥様の部屋に朝食を持っていた。奥様は僕の服装をずっと見ている。ベットのテーブルに朝食を置いてからも奥様は僕から視線を外さない。目と目が合ったとき瞳に涙を溜めて潤んでいるように見えた。みつめる眼差しの強さに僕はなぜだか目をそらしてしまった。奥様は僕が動揺しているのに気付いていった。


「ごめんなさい。何だか、急に感傷的になって、こんなに暗い表情は、びっくりするわね」


「いえ、いつも優しい感じだったから、今日はいつもより辛そうで体調が悪いのかと思って、どうしていいのか検討つかないんです。何もできなくて、すいません」


「体は大丈夫よ。今日はデートかしら?」


「はい、ケーキ屋巡りをしょうと約束したんです」


「そうなの。そのスーツ、とても似合っているわ」


「ありがとうございます」


奥様は僕をずっと目で追っていた。君に似ているせいで僕の鼓動が激しく高鳴る。今からこの調子だと君に会ったら、もっと落ち着かないだろうと想像する。奥様も娘さんのことが気になっているはず。だから僕の様子を観察しているのだろう。最初が肝心、君の母親なのだから好印象を。


「遅くならないように帰しますので心配しないで下さい」


「心配はしていません。ただ私の若い頃を思い出して、あの子が羨ましいわ。気にしないで楽しんできて下さいね」


「はい。じゃ、行ってきます」


「いってらっしゃい」


奥様公認の仲になれそうで嬉しくなった。そう思うと君に早く会いたいと心が弾む。奥様に一礼してワゴンを引いて部屋をでた。


ドアを静かに閉めて振り向くと君は階段の下で待っていた。ピンクの小さい花柄のワンピースで白い上着を着て、いかにもお嬢様風の服装だった。いつもの僕の服装では君と釣り合わなかった。思わず陸に感謝した。


君は僕に気付き笑顔で駆け寄ってきた。目の前に立っている君の大きな瞳をみつめていると僕の鼓動が聞こえそうなくらい激しくなった。可愛らしい高い声は僕に問いかける。


「もう終わった?」


「うん、このワゴン置いてくるから待っていて」


「待ってる」


急いでワゴンを置き、岩村さんに帰ることを伝え君のもとへ行った。君は僕を見るたびに絶え間ない笑顔で答えてくれた。


「お疲れ様。待ってたよ」


「うん、行こうか」


君はうなずいた。二人で豪邸を出てバスに乗り、電車を乗り継いで一軒目のチーズケーキの店へ行った。


 奥様に苺のチーズケーキを作るため最初に食べるとケーキの味が再現できると思

った。朝食を少なくしたことで味に敏感になって、どんな材料なのか分かるはずだ。僕は迷わず苺のチーズケーキを選んだ。君も苺が好きだからと同じ物にした。


 僕の向いに君がいて、苺のチーズケーキを品よく食べている。育ちの良さがでるのは、日ごろからの習慣が身についているからなのだろう。僕は君を見つめていると恥ずかし気にジュースを飲み紙ナフキンで口を拭いた。


「何かついているかしら?」


「いえ、何も」


「良かった」


「もしかして、クリームがついていると思った?」


「ええ、クリームついていると不愉快でしょ?」


「いや、可愛い」


「いつも、そんなに自然に可愛いって誰にもいっている?」


「え、何で?」


「だって、勘違いするわ。そんな言葉いったら、皆、あなたに夢中になる」


「え、夢中、そんなことないって。それに誰にも言ってないよ。ユキちゃんだけ」


「本当に?」


「今まで一度もいったことないし」


「そうか、大和君は何にもしなくてもモテるんだ。今でも擦れ違う人とか、ここのケーキ屋さんのカフェでも、皆、大和君見ているわ」


「あ、着なれない服装だから、おかしいのかな」


「そんなことない。かっこいい」


「ありがとう。でも怒ってる?」


「怒ってない」


君は僕を戸惑わせる。嫉妬している?そうだと嬉しい。

今まで付き合うことはあっても僕から告白したことがない。告白とは、どう切り出せばいいのか、どのタイミングなのかも分からない。まどろっこしい自分にイラついている。素直にありのままの思いをいうつもりだ。でも君は怒っているし今じゃないよな。


 君が黙々と食べている間に次のケーキ屋の地図をスマホで検索した。近場でここから歩いて20分ぐらいの所に決めていた。君に次のケーキ屋の場所を伝えた。

君がトイレに行っているときに会計を済ませて席で待った。バイトのお陰で少し贅沢ができる。店を出るとき君は会計を気にしてくれた。もう払ったので、こんな時はカッコつけさせて欲しいというと遠慮がちにありがとうといった。自然で礼儀正しくおごった僕が嬉しくなる。とてもいい感じの人だと改めて思う。


僕たちは次のケーキ屋へ向かう途中に可愛いい雑貨店をみつけた。君が入りたいというので一緒に見てまわった。棚には小物入れや食器や小さいぬいぐるみまである。女の子の好きそうな物でいっぱいだった。君はパンダのぬいぐるみのストラップを手に持つ。


「可愛い」といいながら少しの間みて、また棚に戻した。


「あれ、いいの?」


「うん」


返事からして買うのを迷っているのかな。気に入っているように見えたから、僕は君が他の物を見ている隙にパンダを買った。帰りに渡そう。



二件目のケーキ屋では今、流行の贅沢なモンブランを食べた。皿いっぱいに山ほどのモンブランのクリームをのせたケーキだ。


「すごい、こんなケーキ初めて食べる」


「思ったより、量が多い」


「これだけで、お腹いっぱいになる」


「二件目で満腹になるね」


「でも、もう一軒ぐらいは行きたい。そうしないと勉強にならないもの」


「ありがとう、でも無理しないで」


「次も誘ってくださるの?」


「嫌じゃなかたら、一緒に来てくれる?」


「ええ、勿論です」


君はさっきとは違って機嫌がよくなった。女子の気持ちは読めない。僕が鈍感すぎるせいかな。


 ケーキばかり食べていると辛い物が食べたくなる。でも満腹なので二人でこの辺りを、ゆっくり歩いて夕食の店まで行くことにした。賑やかな通りは様々な人が行き交う。恋人たちも多い。僕たちはどんな風に見えるだろうか。


夕食は和食の店にした。大きなお膳に色々な小鉢のおかずと汁物とご飯が乗っていった。普通だったら君はともかく、僕は足りないだろう。でも今日の僕はケーキを食べた後だし、今までは辺りが賑やかだったので気にしなかったが、静かな店の中で君が目の前にいるせいか、緊張してあまり食べられない。

君は真っ直ぐな大きな瞳でみつめる。


「あの、お菓子作り、また教えてほしいんです。もしよかったら1つでも多く習いたいの」


「いいよ」


「じゃ、いつ私の家に来るのか知りたい」


「うん、分かった」


君は手帳を出し僕の仕事の日にちを聞いた。僕はスマホのスケジュールをだして一ヵ月先まで豪邸にいく日にちをいう。一緒にお菓子作りできるのは数回しかないのでがっかりした。君は僕の行く日にちを全部書いた。約束の日にちに蛍光マーカーで印をつけるのが可愛くてアナログな君をじっと見ていた。


 店を出て帰り道、電車やバスを乗り継いで君の家の前まで送る。そこで僕は君に雑貨店で買ったパンダのストラップを渡した。


「えっ、買ってくれたの」


「うん、君が気にいってそうだから」


「ええ、気になってたけど、子供ぽいと思われるのが嫌で買えなかった」


「そこが可愛いのに」

君は笑顔になってストラップを、電話につけるとガラ系の電話をだした。


「これ大きくない?電話より大きいよ」


「うん、可愛いからいいの」


君はストラップに夢中になっていたが、僕は勇気をだし告白した。

「僕と付き合ってほしい」


君は下を向いて電話とストラップのパンダを握り締めて恥ずかしそうに「はい」と答えた。こんなにあっさりといくとは思わなかったので一瞬、間があいたが、後から喜びが込み上げて、つい君の額にキスをして抱きしめた。





あれから3日もたった。本当に

付き合っているという実感がない。メールのやり取りだけで君の顔は見えない。


だが今日は待ちに待った君とお菓子作りをする日だ。今日のお菓子は学校で習ったパンプキンパイを作る。君のために僕のノートをコピーした。そこには作り方や材料と分量が書いてある。

パンプキンパイにしたのはハロウィンが近いので奥様に季節を感じてほしいと思った。ベットの中ばかりでは辛いだろうし、気がめいると考えたからだ。


このキッチンにくると奥様のことをいろいろと考える。雇い主というだけでなく、とても気にかかる人だ。君の母親と思っているからじゃない。あまりに似ているので君といるような錯覚をして、君と会えない日に奥様の顔を見ると嬉しくなる。


 メールで(キッチンにいる)と送信した。


君から(すぐにキッチンへ行きます)とメールが受信された。


僕たちが会えるのは日曜日と君が学校の授業ない時間だけで、その時は必ずケーキ作りをする。


 キッチンの扉からノックをする音がした。ドアを開けると、そこに君が前と同じような可愛いエプロン姿でキッチンに入ってきた。あまりにも可愛いいので思わず抱きしめた。君も僕の背中に両手をまわして、ぎゅっと抱きしめてくれた。


「大和君、私はずっとこのままでいたいけど、時間なくなっちゃうわよ」


「あ、ごめん。可愛すぎて抱きしめたくなった」


名残惜しいと思いながら君の体を離した。二人でパンプキンパイを作るため器具や材料を並べ、それぞれにパンプキンパイを作ることにした。僕は奥様のため、君は僕と一緒に食べるために合わせて2ホール作ることになる。僕はノートのコピーを君に渡して学校で教えてもらったとおり教えた。僕にとっても人に教えることは勉強になる。


ふたりでゆっくりと同じペースで材料を混ぜて焼いた。オープンが2台あるので同時に焼けるから時間を有効に使える。君は合間に作り方を書いたコピー用紙に要点をメモした。学生らしく真剣な眼差しは大学の頃の懐かしい日を思い出した。君のその様子を見ると大学生として充実し楽しんでいるだろうと思えた。


 パンプキンパイが焼きあがると君は目を輝かせて喜んでいた。出来上がりの達成感は何よりも感慨深い初めて作れば、なおさら嬉しく思えるだろう。


「大和君、初めて一人で作ったよ」


「うん、上手く出来ている」


「じゃ、後で一緒に食べてね」


「うん、食べよう。ちょっと待っていて、僕は奥様にケーキをだしてくる」


「はい」


僕はワゴンを用意して、すぐに岩村さんに内線したあとキッチンをでた。

奥様の部屋のドアを開けると笑顔で座っていた。僕は奥様にパンプキンパイをだした。皿のパイを見て奥様は弾んだ声でいった。


「今日はパンプキンパイね」


「分かりますか」


「ええ、ハロウィンの季節ですものね」


「はい」


「ベットの上では季節も感じないから、こういうことが嬉しいわ」


「良かった。僕の思いが伝わって」


「その心遣いはいつも感じています。ありがとう」


「いえ、僕の方こそ条件をよくして頂いて感謝しています」


「未来の貴方を応援したいだけです」


「ありがとうございます」


奥様に、いくら感謝してもしきれない。このバイトのお陰で僕の未来のあり方が想像できた。こうありたいと心で描ける。自信を持ってパリに行くことができるからだ。だけど君とは付き合い始めたばかりで、あと半年もすればパリに行き遠距離恋愛で離ればなれになる。それだけが、どうしても心残りだ。


「大和君どうかした?」


「あ、すいません。少し考えごとをしていました」


「いろいろと思い悩むことはあるわね。何かあれば相談してね」


「はい、ありがとうございます。今は大丈夫です」


「そう、それならいいけど」


「あ、本当に困ったらお願いします」


「ええ、いつでも」


「では失礼します」


 奥様と話していると落ち着くが、君が待っているので部屋を出た。



キッチンに入ると君は僕のために珈琲を用意して待っていた。パイも皿に入れていて早く食べてほしいのか、コーヒーカップに珈琲を注いだ。僕がテーブルの椅子を引いて座ると珈琲の入ったカップをパイの皿の横に置いた。


「ありがとう」


「どうぞ、召し上がれ」


君の瞳は僕のフォークに釘付けで、意地悪してフォークだけを左右に動かしてみた。君が目で追うので声を出して笑った。怒った顔も可愛くて少し頬が赤くなる。それに僕を真っ直ぐ見る目力は早く食べろと訴えているようだ。


「もう、意地悪ね」


「ごめん、ごめん」


「早く感想が聞きたいのに」


「はい、いただきます」


「どうぞ」


僕が一口食べると君の瞳がじっとみつめる。僕の一言を待っている。僕はじらす感じで言葉を溜めていると君は息を凝らしてじっとしている。その様子は可愛さが増して見える。溜めた言葉を一息に言う。


「美味しい。初めてにしたら上出来だ」


「嬉しい」


喜びいっぱいで明るい声だった。瞳もキラキラと輝いていて綺麗だ。人から初めて美味しいといわれると嬉しいものだ。僕がそうだったから君の気持ちは手に取るように分かる。


もっとお菓子が好きになり、もっと作りたいと思うだろう。

僕が勧めると君もパイを一口食べた。すると目を見開いて、また僕をみつめる。その笑顔は優しい気持ちになる。


「本当にパンプキンパイだわ」


当たり前だけどパイを作った実感が湧いてきたことが面白い。欧米でパイはそれぞれに家庭の味がある。僕はあまり作らないので高度な物を作った気になる。何度も畳んでは伸ばして手間をかけたぶん美味しく感じる。中身の具を変えるだけで全く違う物になるのが楽しい。


「また、お菓子作り教えて下さいね」


「勿論。次も美味しく出来るといいね」


「はい。お菓子を作るのが、こんなに楽しいとは思わなかった」


「そう。病みつきになる」


「本当ね。大和君の気持ちが少し分かったような気がする」


「それは嬉しい。僕と同じ気持ちなんだ」


「大和君みたいに本格的にはいかないけど、少しは近づきたいと思う。次は何を教えてくださるのかしら」


「いろいろね。楽しみにして」


「はい」


返事は元気で君の嬉しそうな顔は笑っていた。笑顔が絶えない君が僕にも元気をくれる。いつまでも、ここに留まっていたいと思わせる。





 十一月も中半を過ぎ寒さが増してくる。先月は春の陽気くらい温かい時もあれば今月に入ると、寒くて秋の季節は遠に消え行き成り冬が現れたようだ。寒暖差があったせいで紅葉も真っ只中になった。庭の大きな木々も黄や赤色に染まっている。



 冬になろうとしている季節だけど僕たちの心は温かい。日曜日ごとのデートと平日のお菓子作りデートは続いている。今日も君は早々と僕の所へ来てくれた。


 前回は栗たっぷりのモンブランを作った。秋らしいと奥様も喜んでくれた。今回はリンゴにする。リンゴは年中あるから秋のイメージがない。でも旬は九月から十一月の果物だ。ふじや王林は十一月から1月までが旬らしい。リンゴの素材を生かして焼きリンゴにしよう。手抜きのようだがリンゴ好きには丸ごと使うので最高に楽しめる。僕の幼いころ母がこの時期よく作ってくれたものだ。一番簡単な焼きリンゴだが素朴で美味しい。


「僕の小さい頃、よく食べた手作りのお菓子なんだ。手作りといっても、ものすごく簡単なんだ」


「そう、思い出のお菓子なのね」 


君はいつもと違って元気がない。いつも元気いっぱいで笑顔が可愛いのにその笑顔がみられない。浮かない顔がどうしても気になる。


「どうしたの?体調悪い?」


「あの、大和君。お菓子作りが終わったら話があるの。ママの所へお菓子を持って行ってからでいいので聞いてください」


「今、話てもいいよ」


「今話したら泣いちゃう。お菓子作りできないわ」


「そんなに重大なこと?」


「うん、私にとって、とても大変なこと」


「分かった。早くできるレシピだし奥様の所へは、すぐに持って行くよ。じゃ、始めようか」


「はい」



焼きリンゴ作りは本当に簡単だった。

まず、リンゴを洗い芯の部分を包丁で上1㎝ぐらい切って後はスプーンで下、3分の1、残してくり抜き、そこに蜂蜜を流し込みバターを入れる。220度予熱しておいたオープンで15分焼く。焼き上がったらさらに盛り付けシナモンと蜂蜜をまわりにかける。できあがると奥様に急いで持って行った。

君は話があるといっていたので奥様の所から早めにキッチンへ戻った。キッチンへ入ったら君は僕に抱きついた。


「怒らないで聞いて、パパが私に婿をとるというの」


「えっ、どういうこと?」


顔を見ようと胸から君を離そうとした。だが、君は更に強く抱きついてきた。まるで顔を隠すみたいだ。無口な君の間に不穏な空気が流れる。息苦しい無音が窒息しそうだ。それをかき消したくて僕は沈黙を破った。


「嘘だよね。何かの間違いじゃあないの」


「本当よ。来年の3月に婚約させるといったわ」


「ちょっと待って、話が見えない。お父さんがユキちゃんの結婚相手を決めようとしているってこと?」


「そう」


「ユキちゃんは、その人のこと知っている?」


「ええ、パパの会社の人」


話を聞くと東条建設株式会社が君の父親の会社で、そこの若きエースが婚約者になる。ひとり娘の君は会社を婚約者に継がせ、今までどおりの何不自由のない生活を送らせたいそうだ。君の父親が托す人物だから婚約者は、かなり優秀な人物に違いない。きっと僕は足元にも及ばないし、何一つ敵わない人物なんだろう。今の僕には何もない。


「ユキちゃんは、その人のこと、どう思ってる?」


「何とも思ってない。大和君のことが好きよ。他の誰も目に入らない」


君の顔を両手で挟み、ゆっくり上に向かせて君の瞳を覗き込んだ。君は大きな雨粒のような涙をぽろぽろと流していた。悲しんでいる君を見るのが辛くて、もう1度抱きしめた。


 君はまた僕の腕の中で訴えた。まだはっきりといわれた訳でもなく、両親が会話しているところを立ち聞きしたという。

母親には僕と付き合い始めたことを報告している。だから母親はいってくれたそうだ。

「まだ若いのだから、娘の気持ちをよく考えてから決めればいい」と。


よりによって付き合ってから、一ヵ月程しか経っていないのに、こんなことが起こるとは夢にも思わなかった。母親の方は少なからず僕たちの交際を認めてくれている。それだけでも救いだ。


「でもパパは、一度決めたことは覆さない」


「ユキちゃん、3月までには、まだ時間がある。一緒に考えよう」


優しく声をかけた。だが時間なんて、いくらあっても足りない。不意に簡単な慰めの言葉がでた。その場凌ぎと分かっていても君の悲しむ姿が辛くて、そんな言葉しか出てこなかった。無情に時間は過ぎていくもので、何の提案も出ない自分に腹立たしい。


恋愛とは楽しいばかりだと思い込んでいた。君をみつめているだけで幸せだから贅沢なことは何も望まなかった。ただ君の横にいられるだけでよかった。まさかの展開に現実の厳しさを目の当たりにして戸惑い苦しむ。

前途多難な道のりは鋳薔薇の道で、どう歩むべきか見当もつかない。



家に帰りながら、先のできごとを僕なりに考えてみた。君の父親の気持ちは何となく分かる。もし僕にあんなに可愛い娘がいるとしたら、どこの馬の骨か分からない人物に、娘と今まで築き上げた会社を托せないだろう。ましてや会社経営なんて、そんな甘いものではない。素人に会社を任せるなんて僕自身が親でも絶対にしない。会社を潰し兼ねないからだ。ああ、頭が痛い。どう考えても埒が明かない。



 ポケットの中のスマホが鳴った。手に取って見ると陸からメールがきていた。


(どこにいる?飢え死にしそうだ。早くきて)


陸からのお気楽なメールが、いつもの日常に戻してくれた。

 そうだ。君の婚約の話を陸に相談してみよう。親が成功している陸なら君の立場が分かる。だから親身になって考えてくれるはずだ。早速、陸にメールした。


(相談したいことがある。今から行く)


(OK)


メールを見てからコンビニに寄り、弁当を2つ買い陸の家に向かった。腹を空かしていたら、特に陸なら考える力もなくなる。作る時間も惜しい。弁当なら早く食べられて相談に没頭できるだろう。



 オートロックのマンションの入口で部屋の番号を押した。解錠する音がして入口の扉が開いた。急いで最上階の陸の部屋に向かうためエレベーターに乗り込んだ。頭の中を整理しながら気持ちを落ち着かせた。

 インターホンを鳴らすと待ち構えていたように、陸は直ぐにドアを開けてくれた。


「どうした?大和。珍しく相談なんて、彼女のことか?」


「うん」


僕はスリッパを履いてリビングルームへ行った。陸は心配してくれている。僕の言葉を待っていた。いきなりは話にくい買ってきた弁当を陸に見せていった。


「陸、腹減っただろう。弁当買ってきた」


「おう、ありがとう」


リビングのソファーの机に弁当をエコバックからだして並べた。陸はウォーターサーバーからグラスに水を注いでくれた。二人で黙って弁当を食べた。悩み事がある時は何を食べても味気ない。胃袋に入れる作業をしているだけだった。


陸は僕が黙っていても急かさず言葉が語るのを気長に待っていた。

 先に食べ終わった僕は、やっと陸に話し始めた。

君に婚約者がいたことを話した。

婚約者は父親の会社の有能な人物で、娘を結婚させ会社を継がせること。僕とはきっと正反対で会社も君も難なく成功へと導くのだろうと陸にいった。


「何いってんの。大和だって、俺には有能な人物だと思ってる」


「ありがとう。嘘でも嬉しいよ」


「お世辞じゃない。小さい頃から知っている大和は器用で何でもできる。もし彼女の親の会社を受け継いでも成功させると思う」


「それは僕を好意的に思ってくれているからいえること」


「大和、謙遜するな。お前の実力は半端ないから。あっ、でもパティシエの夢、諦められないよな」


「こんな気持ちなら、どっち付かずになる」


「もう一層のこと、子供つくってデキ婚でパリにさらっていけ」


「陸、真剣に考えてくれ。そんなことしたら彼女に苦労を背負わせることになる」


そういいながら僕は何の解決にもならないことが頭によぎった。陸がいったように二人の間に子供ができたら吹っ切れた行動に移れるかもしれないと。

でもそんな苦労しか見えない結婚生活は君を不幸にする。僕はその考えを払いのけるように頭を左右に振った。


「大和どうした?頭痛すんのか」


「いや、何でもない」


陸はいろいろ考えてくれた。しかしパティシエの夢が邪魔をして前に進まない。この夢を諦めたら君を手放さずに済むのか?いや、そんな夢のない僕に魅力を感じないはずだ。夢をみつけ努力する僕だからこそ存在価値があるんだ。


「なあ、大和はどうしたい?」


「本音をいうと、一緒にパリに行きたい」


「じゃ、その計画でいこう」


「それは僕のわがままで現実的じゃない。親に逆らってまでパリに連れて行くと彼女は後悔するだろう」


「大和、考え過ぎるな。もし俺の親なら子供が可愛いから、反対しても本当に好きな人と結婚させてくれる。親は子供のために、いつかおれるもんだ」


「そんな簡単なものかな」


「じゃ、後悔しないように彼女に選ばせろ。パリへ行くか、日本で待つか、別れるか。」


「彼女に選ばせるのは卑怯じゃないか?自分で決めたことは後悔するなと、責任を押し付けているようだ」


「大和、彼女は二十才を過ぎてる。もう大人で選ぶ権利がある。人生は一度だけ、どう選んでも自分のため考えだした答えだから悔いはないと思うよ」


「そうか、そんな考えもありかも」


「大和。お前は一人で何でも背負いすぎだ」


「そうだな」


「彼女の意見を聞いて大和の考えを話して、ふたりで決めたらいい」


陸の言葉は僕の心に響いた。君の意見をしっかり聞いて一緒に考えることが本当に大事だ。お互いの思いを尊重し合える存在でありたいからこそ。

そう思う反面、綺麗ごとで隠そうとしている心がむき出しになる。何も望まない僕に欲が芽生えたらしい。僕の願いは君と一緒にいること、離したくない。君をさらって行きたい。恋をすると自分勝手になるのだろうか。君の存在が心を占領している。





あれから一週間がたった。いろいろ考えたが君と婚約者のことは思い悩んでいても解決しない。もっと君の気持ちを聞いて、いろいろ話し合いたいと思う。それには僕自身の気持ちをまとめ、解決策をじっくり考えてから話す方がいいだろう。



今日は君とデートをするため、バイトの終わりに君と一緒に家を出て電車に乗った。そして近場の小さな遊園地に行った。


昔からあるその遊園地は子供の頃に両親に何度も連れられて行った懐かしい場所だ。君も小さいときの思い出が詰まった所だとはしゃいでいた。


君は二人でメリーゴーランドに乗りたいという。メリーゴーランドの馬にまたがった。君は王女様のように横座りして乗ると僕の方を見ていた。君の視線を感じて照れ笑いした。


「大和君、白馬に乗った王子様みたい」


「そんなこと言われたら、恥ずかしい」


「恥ずかしくない。ほら皆、貴方が素敵だからみとれている。私は一緒にいて自慢よ」


「ありがとう」


やっぱり恥ずかしい。君こそ巻き毛か可愛くって僕にとっては姫だ。そう思うと一層、恥ずかしくなる。



昼には君がお弁当を作ってくれた。レジャーシートを芝生の上に敷いてビックニック気分で食べた。子供のとき以来、久しぶりに外で食べると余計に美味しい。


日曜日のせいか家族連れが多く。その子供たちが走り回る姿は家族が出来たら、こうなのかと想像してしまう。何より君とずっと一緒にいることができるのは夢でしかないような気がする。


それは君の婚約者のことが頭をよぎるからだろう。僕の中の黒い部分がどんより出てくる。婚約者をあたまの中で抹消していく。君には知ってほしくない。隠していたい部分が少しずつ流れ出てくる。嫉妬深いもうひとりの僕が少しずつ現れた。


ジェットコースターやコーヒーカップ。スピードがあるものでも怖がらず楽しんでいた。ゴーカートにお化け屋敷。特に面白かったのはお化け屋敷だった。お化け屋敷の入口では怖がっていた。


「初めて入るの。お化け屋敷は怖いかしら」


「うん、ここの遊園地はお化け屋敷が名物だから、人によっては怖いかも」


「ドキドキしてきた」


「入るのやめる?」


「いえ、入ってみたい」


「僕が付いているから、大丈夫」


「うん!大和君。絶対離れないでね」


「離れないよ」


お化け屋敷の中は暗く目が慣れるまで、あまり辺りが見えなかった。だんだんと周りが見えてくると君は猫パンチの連発で、人形やらセットやら怖がって、やたらと叩いていた。それにお化けをキャーキャーいいながらも叩いて、お化け役の人がビビっている。僕は面白過ぎてケラケラ笑った。こんなに楽しいお化け屋敷は初めてだ。


最後に観覧車で夜景を見た。向かい合って座ると観覧車が登るたび、君は顔色が悪くなる。外を見ることができないのか目をつぶっていた。これが一番怖そうだ。


「大丈夫、もしかして高所恐怖症?」


「うん、でも大丈夫。目をつぶると怖くない」


「ごめん。気がつかなくて」


「いいの。でも思ったより揺れるのね」


「怖いなら、近くに来る」


「うん」


左横に来た君は僕の上着の裾を両手で握りしめていた。その仕草が愛しくて肩を抱きしめた。目をつぶっていた君は僕を見上げた。君の右頬に手をあて、その親指で君の唇をなぞる。

最上地点で初めてのキス。柔らかな唇を感じると君の鼓動が伝わってくる。早い鼓動に合わせるかのように僕の心に愛情の波が押し寄せる。だんだんと満ちて来るのを感じる。そして君を誰にも渡したくないという欲望が心を揺さぶる。



楽しくてはしゃいだせいで腹が減ってきた。遊園地の帰り道にあるオムライスの店で夕食にすることにした。いろいろな種類のオムライスがあったが、君は迷ったあげく結局、普通のオムライスになった。二人で同じものを食べると幸せを感じる。何気ない会話も楽しい。遊園地のことや年末に近いので毎年書く年賀状の話にもなった。


「ねえ、大和君。住所を教えて年賀状書くから」


「メールでいいよ。僕はいつもメールで新年の挨拶をするから」


「メールでもするけど年賀状も出したい」


「うん」


僕は住所を教えた。君は手帳に書いて嬉しそうにしている。住所を知ることがそんなに嬉しいものなのだと君を見て思った。


「いつか大和君のおうちに招待して下さいね」


「うん、いつでも来てくれていいよ」


「嬉しい」


君は手帳を大事そうに鞄にしまう。その様子は新鮮だ。よく考えると元彼女に住所を教えたことあったけ、聞かないから教えていない。部屋にも呼んだことがない。僕の領域に踏み込まれたくないから教えない空気を漂わせていたかもしれない。僕に嫌われたくない彼女たちは聞けないままでいたのだろう。だが君は僕の心の隙間に風みたいに自然と入って来る。当たり前のように素直に聞いてくる。教えない訳にはいかない。この僕がゆっくり変わっていく。


 君を送ろうと店を出たときスマホが鳴った。ポケットから出して見ると明日香からのメールだった。開いてみると。


(話したいことがあるから今日会いたい)


そう書いていた。どんな要件か検討つかない。まあ気心の知れた仲だし急ぐことはないか。

君が一番で他はない。優先順位に従おうと思っていたら君は聞いてきた。


「どうしたの?呼び出しのメール?」


「うん、明日香から」


「明日香さんって女の子?」


「うん、専門学校の」


「待っているんでしょ」


「別に後でもいいよ。ユキちゃん送っていくから」


「私は一人で帰れるから」


「送っていく」


「本当に大丈夫。待たせると悪いから」


「一人で大丈夫?」


「もう子供あつかいしないで大丈夫」


「そう、じゃー気をつけて」


「じゃーまたね」


「うん、連絡する」


君の後ろ姿を見送り明日香と待ち合わせのメールをした。後ろ髪を引かれる思いは、こんな感じなんだ。君が一人でちゃんと帰宅できたのか気になる。でもしつこく送るといいはるのは束縛されている窮屈さを感じて嫌われるんじゃないかと考えてしまう。案外、男って束縛したいのかも知れない。俺の女だと知らしめたい。




明日香に呼び出されたのは専門学校の近くの公園だった。途中にある自動販売機でおしるこがあるのを見て、(明日香、好きだよな。買っていこう)と思った。

明日香をみつけて自動販売機で買ったおしるこを渡した。


「ほら、おしるこだ。好きだろう」


「うん、ありがとう」


「明日香が呼び出すなんて珍しい。何かあった?」


「うん」


話辛いのか明日香は黙っていた。少し歩いて近くのベンチをみつけるとふたり並んで座った。決心したように明日香は純粋で真っ直ぐな目をしていう。


「今、付き合っている子は大和に合わない。やめた方がいいよ」


君に会ったことがないのに明日香は僕たちのことを上手くいかないと思っている。

明日香は気の強いところがあり、いつも堂々としていて自分の意見をはっきりという。そこら辺の男よりも男らしい。そこが明日香のいいところでもある。きっと同性からも好かれるだろう。


明日香には悪いが僕はあざとくても可愛い子が好きかもしれない。僕の前で可愛くいてくれると嬉しくなる。よく見せたいと思ってくれることは、僕に好意があると感じるから、多少たりとも努力してくれている。だから僕も好意的になり、ましてやタイプの女性は、特に勘違いするだろう。そこが良くも悪くも男心だと思う。明日香はとてもいい子だが、恋愛対象にはならない。うちの妹みたいな存在で、それ以上でも以下でもない。

明日香はなおも真剣な顔で僕に向かって訴える。


「大和のこと好きだから」


「明日香、それは樹に影響を受けて、そう思うんだ」


「樹は樹で大和のこと好きだと思うけど、私は誰にも負けないくらい大和のこと好きだから」


「ごめん明日香、僕はユキが好きだ」


「分かってる。陸に諦めろっていわれた。でも諦められない」


「僕は明日香の気持ちに答えられない」


「嫌だ。絶対諦めない。陸に問い詰めたら、その子には婚約者がいるって聞いた」


僕は戸惑った。陸の奴いわなくてもいいのに、明日香の押しの強さに負けたな。


「その子、婚約者がいるのに、大和をたぶらかして自分のものにして、もて遊んでる」


「そんな子じゃない」


「じゃ、なぜ婚約解消しないの?」


「それは親が決めたことで、簡単にはいかない」


「私だったら親に逆らっても大和をとる」


「だから、そう簡単ではないんだ」


「簡単だよ。大和と一緒に逃げる」


言葉を失った。頭の中では君の立場を考えて円満に収めたいと思った。ご両親に認めてもらえるように努力しようと、できもしないことを連々として考え夢見ていたのかもしれない。

真っ直ぐに見つめる明日香に居心地が悪くなって僕は立ち上がった。ここから消えてしまいたくなる。


「明日香、ごめん」


「大和が彼女のことが好き過ぎるんだ。なにも見えてないんじゃない」


僕は背を向け立ち去ろうとしたが、明日香が立ち上がり手首を握って離さない。僕はその手をふりはほどいて逃げるようにその場から立ち去った。


「大和、好きだから、いつまでも待ってる」


大きな声で明日香は僕に訴えた。角をまがり僕が見えなくなるまで聞こえた。





揺れるバスの中、スマホを出して君からの今までの受信メールを見た。


(もう寝たかな 声が聞きたかった)とか,


(大和君の夢を見たの 幸せな気分の1日だったよ)とか、


何件も見ていると君に無性に会いたくなった。きっと明日香に君とのことを否定されたからだろう。

 君にメールを送信した。


(1時間だけでもいいから、ユキに会いたい)とうった。


ただ会いたいだけだった。不安な心がそうさせる。送信したメールを睨みつけて待ったが返信はない。虚しさがじわじわと心に滲んでいく。明日香の言葉は間違ってはいない。君への思いが強すぎて、抱えきれないほどに溢れている。君の心を置き去りにしているのかも知れないのに何も見えていない。



 家の近くのバス停が見えた。停車したので席から立ち上がり鞄を持っておりた。辺りは人気がなく、電灯が明るい静かな街並みだった。家はすぐだが、この気持ちを持って帰りたくなかった。足が前に進まず、ゆっくりとした歩調で歩いていた。

 ポケットの中のスマホが鳴ったので急いで画面を見た。君からの電話で急いで出ると、か弱い声が聞こえた。


「どこにいるの?」


「家に帰る途中。ユキちゃんは?」


「メール見たら心配になって、今、大和君の家の前にいる」


「待ってて、すぐに帰る」


僕は心躍る気分だった。右の角を曲がり走り出した。早く君に会いたい心が先走ってマンションの階段を1つ飛ばしにあがった。3階の1番奥の扉の前で君はしゃがみ込んでいる。

寒さに震え、手に息を吹きかけこする姿が愛おしい。僕に気づき君は立ちあがって微笑んでくれた。

 僕は走り寄り小さな体を抱きしめた。腕の中の君は、僕の胸のあたりにある頭をあげ上目遣いにみつめた。自然と君を見ると笑顔になる。まるでさっきあった嫌なことが昔のできごとのように変わる。虚しさや悲しさは、どこかへ置いてきたようだ。


 こんなに好きになるなんて溢れる思いが愛しい君に優しくキスをした。夢ではないかと君を確認するため少し離れ顔を見た。確かにここにいる。もう一度、寒さを忘れるような熱く長いキス。胸に詰まった氷が解けていき凍えた心がどんどん温まっていく。


君を家に誘おうと思ったが、このまま部屋に入ると抱きしめるだけでは止まらなくなる。

君が大切な存在だからこそ近くにあるカフェに誘うことにした。


「ユキちゃん、よくここが分かったね。」


「さっき住所を聞いたから」


「そうだった。さっき教えた。家に上がってほしいけど。ちらかっているから、この近くに可愛いカフェが出来たんだ。一緒に行こうか?」


「はい」



僕たちはマンションから三軒隣のカフェに入った。ここはアイスクリームの専門店でもあり冬でも暖かい店の中で食べると美味しい。君にそれを伝えると迷わずストロベリーアイスにするという。そういえば僕の部屋の前で寒そうにしていた。体が冷えているので温かい物を勧めた。君は僕といると不思議と温かいと答えた。よく考えると僕もそうだ。心身ともに温かい。

君はストロベリーアイスと僕は定番メニューのバニラアイスを注文した。

出てきたアイスを美味しいと何度も繰り返しいっては食べた。


「本当に美味しいね」


「うん、ユキちゃんが来てくれて、びっくりした」


「ごめんなさい。来るつもりじゃなかったけど、気になって来ました」


「嬉しかった」


「重い女だと思わなかった」


「別に思わない。僕のメールのせいだろ」


「いえ、えーと、あの・・・明日香さんに会うのが気になって、平気なふりして会ってきてといったの。大和君にとって、いい女になりたいと思って強がったけど、本当は嫉妬しています。重たい女になってる。嫌いになった?」


「いや、嫉妬してくれるくらい僕のこと思ってくれるのに、嫌いになる訳がない」


「良かった。明日香さんの御用はすんだの?」


「うん。たいしたことじゃない」


僕は嘘をついた。こんなに動揺する自分がいたのに平気なふりをした。告白されたなんていうと嫌な空気になる。心配するだろうし僕が反対の立場だと我慢できない。

素直にありのままの気持ちを話してくれたのに罪悪感。君がそれ以上、明日香と話したことを聞こうとはしない。話し辛いのでいわなかったけれど、僕の心には君だけしかいないから、いう必要が無いと思った。


アイスクリームを食べ終わると、遅い時間なので君を家まで送った。少し話をして離れがたい気持ちを引きずりながら、門に入る君を見送る。僕は君を思い家路に帰って行く。





 十一月の終わりに僕が通っている製菓専門学校では毎年シュトーレイを作る。

シュトーレイはドイツの伝統的なパン菓子でイエス・キリストの降誕を待ち望む間に食べる風習がある。クリスマスの4週間前からアドベントカレンダーのように毎日薄くスライスして食べるそうだ。その時、紅茶やワインと一緒に食す、この組み合わせはとても相性がいい。楽しみながらクリスマスを待つ人々の様子が想像できる。


 今日はシュトーレイ実習日。

いつも通り前日に講習があった。教室の前方に講師が実践で作ってくれる。手元はカメラに映し前のスクリーンで見えるようにしている。細かな注意点を詳しく教えてくれた。一緒に作っている錯覚をするくらい詳しい。


陸は前日に一度作った気分でできると言っていた。確信のない自信を持っていたのが陸らしい。


 前日の講習のときにドライフルーツのラム酒漬けを作っておいた。ラムレーズンは半年前から作った物だ。バターを常温にして準備した。

 牛乳を温め砂糖を少量混ぜてからイーストを加えて混ぜる。十五分ぐらいで膨らみ。小麦粉をボウルに入れ真ん中をくぼませ、そこに先のイーストを混ぜた物をそそぎ混ぜる。

1次発酵させる。


その間にレモンの皮をすりおろし、ラム酒につけておいたレーズンやレモンピールやオレンジピールなどの水分を切る。

発酵させた生地に砂糖、常温のバター、スパイス、玉子、アーモンドプードル、すりおろしたレモンの皮、バニラビーンズ、塩を加え練る。最後にラム酒漬けのドライフルーツを混ぜた。そして2次発酵させる。


生地を横長にして中央を包丁で切り込みを入れる。10分前にオープンを180度に予熱した。オープンに入れ1時間焼く。冷めてからバターをぬり砂糖を刷り込み、粉砂糖を全体にふりかけてラッピングをしたら出来上がり。

包装してリボンをかけたシュトーレイはクリスマスが近づいてくるワクワク感がある。


明日香や樹はシュトーレイを抱きかかえ喜んでいる。

陸は惚れ惚れとした目つきで包装したシュトーレイを手にして眺めている。今年で

2度目のシュトーレイ作りは前回よりも上手く出来たと皆が満足していた。


この後バイトで君とシュトーレイを食べた。奥様にも食べてもらった。子供の時のようにクリスマスのワクワク感を味わってほしかったからだ。手抜きした訳ではない。学校での成果を見せたかった。今年は去年よりも上達したと思ったから。

シュトーレイを切り分けた。君のワクワク感が伝わる。


「シュトーレイって初めて食べるわ。粉砂糖がクリスマスに降る雪のようね」


「ドイツのお菓子だから、冬は寒く雪が降るから白い雪を表しているかも」


「雪のクリスマスね。ロマンチックだわ。今年のクリスマスに雪が降ってほしい」


「そうだね」


喜んでくれた様子で無邪気な笑顔がいい。奥様もこんな笑顔で喜んでいた。似たもの親子だな。君の笑顔と奥様の笑顔が重なる。





 十二月になると街が騒がしくなる。どこもここもクリスマス一色でツリーは華やかに彩りを添える。イルミネイションはロマンチックな街に変えてしまう。こんな時期は何故か浮かれた気持ちになる。それは君がいるせいだ。その存在は僕の心を占めている。


 それに十二月二十四日は君の誕生日で、ずっとそのことを考えていた。サプライズは苦手だから普通でいいだろうか。よく考えると普通って、どんなことかも分からない。そういえば君は僕の家に来たいといっていた。じゃあ、2人だけのホームパーティーにしょう。

陸がいってたな男でも胃袋を掴めと。思いっきり腕をふるうか。





十二月二十三日は今年最後の実習がある。生クリームとチョコクリームの二種類のケーキを作る。去年より今年の方が断然上手く仕上がった。特にクリームの絞り方がプロっぽくなっていると自画自賛している。隣にいる陸は目を潤ませて、僕に負けないぐらい自分を褒めていた。相変わらず明日香と樹も嬉しそうだ。ケーキの中でもクリスマスケーキは特別に皆の気持ちを幸せにする魔法があるようだ。



学校が終わるとケーキを持って家に急いで帰ることにした。明日、君の誕生パーティーの準備をするためだ。

陸たちは終業式も終わったから打ち上げに居酒屋へ行こうという。打ち上げって、理由を付けていつも飲み会をしている。


「ねえ、行こうよ。大和」


「樹ごめん、用事があるから」


「大和は彼女のことで頭いっぱいみたい。私たちのことは、どうでもいいって」


「明日香、大和をいじめんな」


「陸も明日香もごめん。また今度な」


僕はケーキを壊さないように持って帰った。取りあえず家にケーキを置いてスーパーへ買い物に行った。新鮮な野菜でサラダを作ろう。厳選して野菜を買う。それから君が好きな唐揚げのための鶏肉も買った。コーンスープのトウモロコシと牛乳なども、必要な全ての物を買い終えて家に帰る。



 家に着いてからはサラダとコーンスープを作る。唐揚げの下ごしらえをした。それからサンドイッチの下ごしらえも、明日パンに中身を挟むための材料を用意する。それからミートソースを作った。これも明日パスタを作って仕上げよう。君のリクエストはこれで以上だ。


 明日はバイトでクリスマスケーキを作ることになっている。そのマジパンの飾りを作った。奥様のために心を込めよう、もしかして最後のクリスマスになるかもしれない。僕にできることをしよう。少しでも奥様にとって、幸せな時を過ごせるように。




 十二月二十四日は君の誕生日だ。0時を超えて君にメールをした。その内容は。



ユキちゃんへ

お誕生日おめでとう

ユキちゃんに出会えて僕は初めて幸せを感じた

これからも君の誕生日を一緒に迎えることができる

幸せを重ねていけたらと願っています

生まれて来てくれてありがとう

そしてユキちゃんが世界一幸せになりますように

大和より



送信した後で気が付くと自分のことばかり書いていた。正直な思いが、つい出てしまう。幸せ過ぎて自分勝手になっていないか心配だ。

今日は冬休みなので1時にバイトに入ることになっていた。



気合が入っていたから寝ようと思っても頭の中がハイになって寝むれなかった。目覚めると九時を過ぎていたのでベットから飛び起きた。すっきり目を覚ますためにシャワーを浴びた。


そしてバイトで作るケーキに必要なマジパンの飾りを箱に入れって持って行く用意をした。食事は朝が遅かったのでブランチになった。その後は顔を洗い、もう一度歯磨きをして髪を整えスーツに着替えた。時間をかけて身なりを整えるのは君によく思われたいからだ。そんなことをしていたら時間がどんどん過ぎていく。慌しく家を十二時に出た。バイト先が近くて良かった。ぎりぎりでも大丈夫だ。




バスを降りてバイト先に急いで入った。門をくぐったとき庭は、すっかり冬になっていた。花は少なく辺りはくすんだ緑色や茶色が占領していた。きっと落ち葉のせいだ。雪が降れば純白に変わる綺麗だろうな。

寒い外とは違い家の中は暖かい。キッチンに入ると少し緩めの暖房でケーキを作るためには丁度いい。ユニフォームに着替えて手を念入りに洗い。ケーキ作りを始めた。



今日は君がいないので寂しい。僕の家に泊まる準備があるからと、いつもの階段の下で待ち合わせをすることになっている。

今は奥様のために集中して思い出に残るクリスマスケーキを作ろう。

まずスポンジケーキから作った。


生クリームをスポンジケーキの間に塗って苺を挟み、クリームを重ねて半分のスポンジケーキをのせた。そのケーキの上から全体にクリームを塗った。側面にはレースのように生クリームを横Sの字にして組み合わせて絞った。上の面は白いバラの形に生クリームを絞った。そしてマジパンのサンタとソリを引くトナカイと苺をのせ、最後にメリークリスマスと書いた楕円形のチョコを飾りできあがりだ。


 着替えてから奥様の部屋に行き、できあがったクリスマスケーキを確認してもらった。


「クリスマスケーキは、こんな感じでいいですか?」


「ええ、可愛いわ。このサンタは何で出来ていますか?」


「これはマジパンです」


「マジパン?」


「アーモンドの粉と砂糖でできています」


「アーモンドなのね。上手にサンタの形になっているわ」


「粘土細工みたいに作るのは、割と自信あるんです」


「自信があることは、何事もいいことね」


僕は自信があると言ってしまって、ちょっと照れ笑いをした。奥様といると何でも正直にいうことができる。奥様は聞き上手で不思議と素直になれる。

何気なくボケットを触ると奥様のためにクリスマスプレゼント用意していた。


「あのクリスマスプレゼントです」


日頃の感謝の気持ちを込めて薔薇のブローチを買った。君の誕生日プレゼントを買ったときに目についた。薔薇のモチーフをみつけて奥様を思い出した。きっと奥様に似合うだろうと思って購入した。


「ありがとう。何かしら」


奥様はブローチの箱を開けると嬉しそうな顔で僕を見た。君と重なって見えた。プレゼントを渡したときの君が想像できた。本当にいい笑顔をする。それは僕の心をときめかせるのだ。


「まあ、素敵。とても嬉しいわ」


想像以上に奥様は喜んでくれたので驚いた。あまり高価な物でないので、そんなに喜んでくれると気が引けた。もっと高い物にしたら良かったかな。

でも心は込もっているから、これでいいと思った。


「そんなに高価な物でないんですが、日頃の感謝の気持ちです」


「嬉しいわ。本当にありがとう」


僕は笑顔で頷いた。いつも思うことだけど喜んでもらえて僕まで嬉しい。

「では失礼します。よいクリスマスを過ごして下さい」


一礼して部屋から出た。



部屋を出ると君が階段の下で待っていた。スーツケースを横に置き無性に髪型を気にしていた。いつも以上にお嬢様らしい巻き毛は気合が入っているのが分かる。ワンピースも清楚で品がある。僕のために、こんなにお洒落をしてくれたのだ。愛おしくて仕方ない。


君は僕に気づき手を振った。君に近づくと階段を二段上がり僕に飛びついて来た。まるで子供がしがみつくみたいに首に手を回してくる。落ちないように君の腰に手をあてた。


「会いたかった」


「僕も」


さすがに君の家で抱き合っているのも気まずい。ゆっくり降ろすと横に置いていたスーツケースが目に入った。何泊するのかと思わせるくらい大きいので興味をそそられて持ってみた。


「重・・・」


「いろいろ用意していたらドライヤーやスキンケア一色に手鏡を入れて」


「ドライヤーと鏡はあるけど」


「そうね。そうだと思うけど、いろいろ持って行かないと不安で」


「ユキちゃんらしいね」


ヘアードライヤーか、どうりで重いはずだ。いつもながら、その天然さに癒される。僕はキッチンへ鞄を取りに行き、スーツケースを転がし君と一緒に家を出た。

初めて僕の家に招く。この日を待ち望んでいた。バスに乗り込み僕の家へ向かう、それだけで幸せな時間だ。


この先どうなるのか不安を抱えていると一緒に過ごせる時間が貴重だと気付いた。今までは付き合っているのだから一緒にいるのが当たりだった。でも当たり前であることが本当は難しいことと感じた。ささやかな君との時間が、いつまで過ごせるのだろうか。



バスから降りて家に歩く道のりで、君の大学のことや今読んでいる本のことを話しただけなのに、すぐ到着した。バス停から家までが、こんなに近いと思ったことはない。君といるだけで僕の家の立地条件は最高に良くなる。

そんな僕のマンションの部屋は3階にある。エレベーターがないので、ちょっと重いスーツケースを軽そうに持って上がった。


クリスマスの夜の約束 下  につづく

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