(9)
ちょっと、今回は切るところがなくて、よくわからない回になっております。申し訳ありません。
翌日は日曜だったため、真由美と新城はデートに繰り出すと初回の訪問時に聞いていたので、様子を見に行くことにした。
よく晴れた日である。
街中を歩き百貨店や好きなブティックを覗きつつ過ごすというので、車移動じゃなくて良かったと出雲は思う。車移動は、相手に気づかれずさらに引き離されないようにしないといけないのでとても難しいのだ。
しかもここまでくると本当に、ただの探偵である。
現在二人は、小洒落たレストランのテラス席でランチをとっている。真由美は少し顔色が悪いようで新城への対応も杜撰なところが見受けられるが、新城はそんな彼女によく話を振っては、楽しそうにしていた。
これほどにカップルの温度の違うデートもなかろうと思いつつ眺めている。
仕方ないところもある。真由美は昨日、婚約者の裏切りを知り、それが齎した結末を聞いたのだ。本人は今日のデートを渋っていたが、自然に二人が共にいるところを知るためにはと、出雲が「予定は変更せずにお願いします」と伝えたからである。
新城は少し長めの茶髪をワックスでクセをつけて遊ばせた、やんわりとした垂れ目が印象的な美形である。
あの容姿に株式会社シンジョーの御曹司だ。それはそれは女性など選り取り見取りだっただろう。……結果として、最悪の事態を招いているのだが。
「だから垂れ目は嫌いなんですよ。ミコトさんも覚えておきなさい、垂れ目はダメなやつだと」
「いや、それって絶対福寿さんと新城さんだけのことですよね? じゃないと全世界の垂れ目さんが怒って抗議しにきますよ」
福寿は『ダメなやつ』に入ってもいいらしい。
「いいんですよ、そういう認識で。ほら、あなただって『もげろ』って言ってたじゃないですか」
「言ってませんよ、そんな下品なこと! 私が言ったのは『落ちてしまえばいいのに』です!」
「普通に考えて同じ意味ですよね」
「違います! 私の認識が違います!」
ああそうですか。と急に終わった会話に、逆にミコトのほうが慌てる。このまま自分の発言が下品だったという認識のまま終わってはいけないのだ! 何というか、女として! 違いますからね、ともう一度念を押しておいたが、相手はどこ吹く風だ。
あーもう。無意味に肩に力を入れて拳を握る。
「そういや出雲さん、私いま気がついたんですけど」
「あまり馬鹿なことを言い出さないでくださいね。札の効力もそこまで強くはないんですよ」
デートの二人を、斜向かいの店先から出雲とミコトは覗いているのだ。「馬鹿なことって何でしょう?」「お気づきでないならいいです、幸せですね」「うわぁ。本当に性格悪いし失礼だー」と、片手間に会話しては。
先ほど会話を振ったのは出雲である。その理不尽さに若干慣れつつある自分に気づいて、そっと、あ、私仏になれるんじゃないかなーと呟いたミコトであった。
「あのですね、よくよく考えたら、私と出雲さん、出会って一週間じゃないですか!」
そして次に微妙な顔をしたのは出雲だった。真顔ではなく、嫌そうにしているわけでもなく、何やら遠い目をしつつ、そっと、視線を外した。
ミコトから飛び出した内容が、出雲にとって何とも言いがたい感情を撫でるものだったからである。
はあぁぁぁ〜……と、大きく溜息をつきつつ頭を抱えた。
「そうですね……もう一週間も、たったんですよね……」
「ちょ、何でそんな嫌そうなんですか! もう少し嬉しそうにしましょうよ!」
落ち込み半分、呆れ半分で、出雲は目の前にあったストレートティーで渇いた喉を潤した。
人通りの多い道筋の、しかもファーストフード店で出雲がミコトと会話をしているのには理由がある。
【人除けの護符】を自分の席のテーブルに貼りつけてあるからだ。これで人の視覚や認識をそっと逸らして、あまり人々の記憶に残らないように、視界に入りにくいようにしているのである。
「つまりは影が薄い人になるってわけですね!」と元気よく言ったミコトは、しっかりと護符でしばかれていたが。
対象人物に気づかれないためですと言った出雲に、私と会話して変態みたいな目で見られるのが嫌なだけなんですよね。とミコトが笑顔で返して成仏させられそうになったのもまた、いつものやりとりであった。
いい加減懲りろと言ってくれる存在はいない。
しかし札も万能なわけでもないので、あまり賑やかに会話をしていると周囲に気づかれるため、基本は囁き声で行っている。それをミコトとの会話で盛り上がってしまうと──盛り上がっているなどとは出雲は決して認めないが──、どうしても逸らしていた意識も視線も戻ってくるので直ぐに周囲に気づかれてしまう。なのであまりミコトとは会話をしたくないと出雲は言っているのだが、いかんせん、既に二人の会話にのぼったように、最初に会話を振ったのはやはり出雲である。
そうやって、理不尽で失礼な会話が交わされることになるのだった。
「……で、出雲さん、あれがあの、須藤さんの霊ですか?」
二人は真由美と新城の様子をただ出歯亀しているわけではない。
昨日、出雲は真由美と件の女性との間に縁があるかないか、その関係性を繋げた上で対象を特定したが、それが新城に関わっているとはわからない。新城に対しているのは違うモノだという可能性もあるわけだ。
そのため、今日は真由美と新城が一緒にいるところを見させてもらって、須藤美也の霊がどう関わっているのかを確認しにきたのだった。
結果として、特に何の捻りもなかったわけなのだが。
「そうですね。真由美さんに害を及ぼしていたのも、新城さんに関わっていたのも、共に彼女だったのでしょう」
二人の目の前では、新城にべったりと纏わりつく、どす黒い靄を巻きつけた女性の霊がいた。
それは常に新城に纏わりついて時にドリンクのコップを揺らしてみたり髪の毛を引っ張ってみたりするものの、相手は一切気づいていない。代わりに真由美が、時々強風にあてられてみたりナイフを滑り落として脚に傷がつく寸前であったりと被害を受けていた。
「ふむ。──『まるで正樹に気づいてほしいからしてるように思う』ね。なかなかどうして、女性の勘は馬鹿にできません」
それは、曽田家を初訪問した際に真由美が語っていた一文だ。
二人が共にいる時に、真由美には明らかに害意の見える展開で、新城には地味な反応であるという会話をしている時だったな、とミコトは想起する。なるほどどうして、随分とわかりやすい反応であることか。
「これでとりあえず、二人に関係していた今回の騒動は須藤さんの霊だったってことなんですよね」
「そうですね、そうなります」
ミコトの振った疑問に出雲はさらりと答えた。決まっていることを決まっているまま。何一つ感慨を見せることもなく。
「じゃあ、どうするんです? 須藤さんも、未練の糸を断ち切ったら成仏しますか?」
そんな彼女を、ミコトは自分を投影するように見ている。逝くべき果てと想像できる存在が目の前で、今、生者に危害を加えようとしているのだ。そうすることがどうなるのか、どこに向かうのか、心配は尽きない。
ミコトを窺い見つつ、出雲は変わらずさらりと。「いいえ。未練の糸を切ってもどうにもなりません」と言う。
ストレートティーをまた一口含み、眼鏡を直す。彼の凪いだ湖面のような瞳は今日も通常営業だ。
「そもそも未練の糸とは、霊がこの世に留まるために縛られる【鎖】のようなものです。既に霊体から悪霊へと変容してきている状態でそれを切っても、相手はもう、自分で自分を、何かに縛りつけてしまっているんですよ。いま未練の糸を切っても暴走するだけで何もなりません」
「え……っと、じゃあどうするんですか?」
「簡単です。相手の望むものを渡して浄霊するか、悪さをしないように全て断ち切って除霊するかの二択です」
いや、簡単じゃないです。ミコトは顔の前で手を振った。
霊的存在をよく知っている出雲にとっては簡単に思うかもしれないが、ミコトにとっては驚きしかない。そもそも、霊が望むことというと、真由美か新城の命ではないのかと。
大きくぶんぶんと首を振り続けるミコトは、霊体だからなのか青白くてなんとも言いようがない。これが普段は血色良く見えるのだから不思議なものだ。
出雲は口角を上げて、手元に置いていたスマートフォンを操作する。
「良いんですよ。あなただって言っていたでしょう? 『もげろ』って」
「だから! 私が言ったのは『落ちてしまえばいいのに』です! 勝手に不穏な方向性に意訳しないでください」
「じゃあどう違うんですか?」
「意味合いは一緒かもしれませんが、感情が違うんです!」
「結局一緒じゃないですか」
呆れたように出雲は言うが、ミコトは譲らない。
「絶対違います! と・に・か・く! 私は断じて! そんな下品なことを言ってません!」
「はいはい、よくわかりましたのでとりあえず行きましょうか」
結局、この会話を続けることが億劫になったため、勝手に止めてしまったのだった。
行きましょうって、どこにですか! とミコトが叫ぶ声を聞きながら、出雲は我が道を行く。
もう二人を見守ってなくていいんですか? と心配になりながら振り向いた視線の先には、ここ数日で見慣れた二人が先ほどまで座していたテラス席から移動しようとしているところだった。
……ぬたりとしたなめくじを後ろに引き連れたまま。
歩くたびに、それはゆったりと共に動き、その後にはどす黒い粘液を落としていくのだ。
あそこ歩きたくないなぁ。と、やはり呑気に構えつつ、二人を心配しつつ、出雲の後を急いで追うことにしたミコトである。