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「俺の考えを申しますと、今回の現象の原因としていくつか考えられます」
そう言って出雲が切り出したのは、リビングだけでなく各部屋にお札を、加えて敷地を囲む四隅に盛り塩をして、曽田家全体をきっちりと結界で覆った後だった。
訪問してだいたい一時間半がたったところである。
出雲は立てた指を折りながら一つ一つ説明する。
まず第一に重要とするのは、『この現象はこれから来ている、これのせいだ』と決めつけないことと出雲は言った。これを話しておかないと、彼が可能性の話をする理由がわからなくなるからだ。
「人間という器であり存在という核を持たないモノは、どんなに弱く見えていても力の加減が利かない暴君です。それを勝手に勘違いして、違うものと思い込んで対応することは、何の策もなく虎穴に全裸で飛び込むようなものです。まずは決めつけず、そのモノについて調べ、考え、視て、その上で対処を検討する必要があります」
真っ直ぐとした目で語る出雲は、まるで『霊能探偵です』と名乗った時に自分たちがどのような感情を抱いたのか、曽田家の人間に忘れさせるほどの神聖さを感じさせた。結界による空気の清浄化で身体が楽になったことが現実としてあるせいか、まるで宗教の教祖様を見ている目だ。
(……出雲教……。あんなバイオレンスで無礼で失礼で暴力的な人が教祖……見た目だけなら綺麗な顔しているのになぁ──ひぃっ!)
出雲と曽田家家族の周りをふよんふよんと流離いながら思考していると、高性能の不快感情察知機能が搭載された出雲に睨まれる。手を少し振るだけで「切りましょうか?」と幻聴まで聞こえてくる気がするのは、視線に脅しが多分に含まれているからだろう。
いつの間にか思考と視線と動作だけで会話まで出来るようになっているが、何一つ嬉しくないのはどうしてか。
そっと、ミコトは出雲の背後へ移動した。さすがに後頭部に目はついていないだろう。
あいつは絶対に好奇心で虎穴に手を突っ込むタイプだな、と考えつつ、出雲は眼鏡の位置を調整し息を吸い込んだ。
「現象の可能性として一番に考えられるのは、やはり真由美さんの婚約が大きいと思います。時期として婚約後からであること、婚約者同士、二人ともが共にいる時に被害に遭っていること、ということが理由として挙げられます」
ここで大切なのは二人のうちどちらが対象とされているかだが、危険性の高低では量れないため調べる必要があると続けた。
一本、指を折る。
「二番目に考えられることは、この家に関することです。先ほど結界を張った時に気づかれたようなので理解できると思いますが、この家は現在、ナニカによって監視されていました。俺もこの家に入った時に特に強く観察された感触がありました」
ただこれに関しては、建てたのもリフォームをしたのも時期が違うので可能性としては弱いかもしれません。今度は少し悩んだ様子でそのまま進める。
もう一本、指を折った。これで最後は一本。
「最後に、新城さんに関わっている存在と真由美さんに害をなしている存在が別々である可能性もあります」
「そんなことあるんですか!? 二人一緒の時にしか起きないのに?」
今まで大人しく聞いていた真由美が、驚きをそのままに声を上げた。他の二人も、ついでにミコトも、同じような顔をしているので、どうやら考えは一緒のようだと出雲は受け取り、三人ともに説明するつもりで言葉を選ぶ。
「あります。例えば、真由美さんに憑いているモノと新城さんに憑いているモノの波長が、強く重なる時なんかがそうですね」
「波長……?」
曽田家三人とミコトから、異口同音で疑問がのぼる。左へと首を傾げるところまで同じだ。そこまで空気読まなくていいです、とミコトだけに対して口中で呟きつつ、次へ続けた。
「はい。知り合ったばかりで、急に意気投合する人っているでしょう? 霊にもそういうところがあるようで、感覚が近いとか逆に全くの正反対とかだったりすると、お互いに刺激し合って暴走することがあるんです」
暴走した霊は危険です。理性がなく箍が外れ加減を知らない暴力が、考えもなく対象へと襲いかかる。加減を知らないという点では子供と同じですが、基本的に及ぼされる力のレベルが全く違います。泣いて喚いて対話が不可能な赤子の方がまだマシなくらいですね。
そう締め括って、出雲は最後の指を折った。
とりあえず現在のところでわかることはここまでです、と、目の前に置かれたまま、すっかりと冷めてしまったコーヒーを一口飲んだ。冷めたコーヒーは苦味が強くなって美味しくない。出雲は猫舌だが、かといって冷たすぎるものも苦手なのだ。
「え、じゃあどうするんですか? あたし、このままなんですか!? 仕事もあるんですけど」
「わ、私どもも、もしかしたら家に関係すると言われては、安心していられません」
真由美と由香里が眉を寄せて発した声に、出雲はやんわりと頷く。
どうでもいいが、眉を寄せた顔がそっくりだ、さすが親子だなと感心するミコトであった。いつの間にか、曽田家に入ってから恐怖で萎縮していた彼女の呑気さが回復してきたようだ。結界様々か。拝まないが。
出雲は曽田親子を見つめた。享は何も言わないけれどこの現象に尻込みしているだけで、内心、とてもじゃないがと家を出て行きたそうにしているのではないかと感じた。しきりにリビングの入口の扉に目線をやっている。
次に鞄から取り出したのはお守りだった。神社で売っているような、朱色の、手のひらの半分もないような、小さな。表には【泉森神社】と、裏には【家内安全】と、刺繍がされている。
(……【家内安全】……間違ってない、間違ってはいないかもしれないけれど! なんか違う気がする!)
心の中で叫んだとしても誰も聞いてはくれない。加えて、普通に声を出したとしても、聞いてくれる人間は出雲だけの上に、その一人も面倒そうな顔をして無視するのだろう。結局ミコトは心内で涙を流しながら突っ込んだ。一瞬、こちらを見たような気がする誰かの視線は気のせいだ。
「このお守りの中に、この家に張り巡らせている結界と同等の護符と、身代わりの護符とを入れています。これを家族人数分渡しますので、肌身離さず持っていてください。それから、真由美さんにはもう少し、新城さんのことを詳しく教えていただきたいのですが構いませんか?」
手早く小さなお守りを由香里に三つ揃えて渡し、出雲はそのまま真由美に向き直った。「あ、はい」と、彼の雰囲気に呑まれつつ返事をした真由美は、その後矢継ぎ早に繰り出される質問の波に、途中からうんざりしながら答えることとなる。
出会ったのは? 二人の母校は? お付き合いするまでの経緯は? お互いのそれまでの異性、または同性交遊は? 婚約に至った流れは? 等々、お前はウェディングプランナーかと言いたくなるほどに事細かに聞いてくるのだ。この質問であまりに疲労したため、真由美はしばらく結婚式したくないと言い出したとかしないとか。
最終的にソファにぐったりと凭れかかりながら質問に返答していたのだが、両親が揃って微妙な表情をしながらも何も言わなかったのは、なんとなく、気持ちがわかってしまったからかもしれない。
「ありがとうございます。これで明日からでも新城さんと真由美さんの周りを調べてみて、また対応していきます。何かありましたらこちらにご連絡ください」
出雲は情報の一環として真由美に送ってもらった、婚約者とのツーショットの写真データをスマートフォンで確認し、最初に出した名刺の連絡先の欄を示した。
疲れ切った真由美を置いて、帰りは享と由香里に見送られて帰路につく。
*
「ふぃー、……」
ミコトは息を吐いた。自分の姿が見えない声が聞こえない人がいるところは、意外と気を遣って疲れるものだなぁと、無意味に伸びなどをしてみる。
「そういえば出雲さん、あのお札凄いですね! 一瞬で空気が違いましたよ。あんな凄いもの作れるんですねぇ」
「そんなわけないじゃないですか」
「──は?」
笑い掛けた表情のまま固まった。え、今褒めたよね? そんなわけないってどういうこと? え、やっぱり「詐欺!?」「違います」
ぺしこん。
お札でミコトの額を強かに打つ。あ、これはちゃんと当たるんですね。これからはこうしましょう。呟いた出雲は、目の前で額を押さえて痛みに悶絶しているミコトに少しだけ目を開いた。
「そんなに強くぶってないでしょう」
「うそ! めっちゃ痛いですよ、それ!」
「そうですか。護符なので、霊体には思った以上に効果があるのかもしれませんね」
「軽すぎますよ! 女の子をぶっておいて謝罪の一つもないんですか?」
「スミマセン。どうもオンナノコだとは思えませんで」
軽い上に失礼だ! 憤慨しつつ髪の毛の一本でも抜いてやろうかと──ちみっこい復讐だが──しようとしたが、縋りつく時以外は何故か触れない。気持ちの問題なのかな、と自分の手を眺めた。ぢっと手を見る。働いてないけど。
まあ出来なくて良かったのだ。すれば一瞬で未練の糸を断ち切られる未来しか見えないし。
「あ、そうそう。さっきの『そんなわけない』って、どんなわけなんですか? 結界を張った? っていうのは間違いないんですよね?」
「そうですよ。じゃなきゃあの家族、心労で倒れていたでしょうしね」
「ですよね。あの空気、本当に気持ち悪かったです。なんか、四方八方から圧迫されてるみたいで、結界張った後に息がしやすいって享さんが言ってたの、何だかとっても理解できましたからね」
「あなた元々息してませんけどね」
なんか言われたけど無視だ無視ぃ! 引っかかる物言いに関して続けたら会話が終わらない気がして、ミコトは視線をそらすのみで終わらせた。賢明である。
「ええと、たしかお札のことでしたね。あれは俺の知り合いに作ってもらって買ってるんです」
「えっ、待って! 買うの? 自分で作らないの? え、いや、え、買うの? そこらに売ってるやつって、ちゃんと効果あったの!?」
そっちか。福寿に対する発言でも感じたが、今回は特にわかりやすい。
ミコトは基本的に、神社や寺などで職務に就いている人間を信用していないようだ。これに関しては大多数の日本人に当てはまることだろう。初詣に神社に行き、葬式に寺を利用し、クリスマスを行い、ハロウィンにまで食指を動かすくせに、根本的なところで、そういうものの存在を認めていない。不思議なことだ。
けれどそれを指摘するほど馬鹿なことはないので、出雲はそっと、自分の感想の合間に黙殺する。帰路を辿る足は止めずに進む。
「そこらへんに売っているものとは違いますよ。俺の知り合いと言ったでしょう、ちゃんとした能力のある巫女に作ってもらって、それを買うんです。俺が作るわけないじゃないですか、あれ、とても疲れるんですから」
「え、札作るのって疲れるんですか?」
「当たり前でしょう。ただ線を引いているだけではないんです。一筆一筆、霊力を込めながら作るんですよ。今日使う分だけでも作るのに、かなりの体力と気力と霊力を消耗します」
「へぇ〜、そうなんですねぇ。ぺぺぺぺって、筆で書いてるだけじゃないんですねぇ。そして出雲さんが作らないのは面倒くさいから、とかじゃないんですねぇ」
「大丈夫ですよ。今度ミコトさんをぶん殴るためのお札は、これまでにないくらいしっかり、丁寧に、きっちりと霊力を込めて作らせていただきますから。ちょっと力を込めすぎて成仏なさるかもしれませんが、それは仕方のないことですよね」
輝くような笑顔で出雲は言った。無駄に後光まで見えてくるから美形は困りものである。
一瞬固まった後、その言葉の意味を理解し叫ぶ。
「 待って待って待ってやめてくださいぃぃぃ〜!」
響くミコトの声を聞きながら先を歩く出雲は、とてもいい顔をしていた。
面倒くさいからという理由を読まれたから仕返しするとかではないのだ、多分。