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今回、出雲宛の依頼が福寿から回ってきたことが、泉森に足を運ぶことになった理由だ。
霊能関係はそれが本物だろうが偽物だろうが、胡散臭く思われやすいため、こういう、まだ比較的一般人に近くあり、お祓いなどで比較的信憑性のある神社仏閣関係などから回されてくることが多い。
今回の依頼もまた、それらと同じ流れを辿ってきた。
「縁結びの関係でやってきた人たちなんじゃ。娘さんが今度、ええとこのお坊ちゃんと結婚するようで、玉の輿で有名な泉森に来てな」
話はこうだ。
曽田という夫婦と娘が、娘が俗に言う玉の輿に乗るので、有名な泉森にお参りに来たという。しかしその後、娘さんと、その婚約者の周りで怪奇現象が起こるようになったのだ。もしやこの結婚はあまり良い関係ではないのではないかと相手方の親に言われ、破談一歩手前になったところで困りに困って再度泉森に来て、ちょうど暇を持て余していた福寿に相談したことが今回の依頼になった。
「この神社って玉の輿で有名なんですか?」
「お、ミコトちゃんは知らんか。ここの所縁の家から昔、徳川の将軍に嫁を出したんじゃ。庶民から嫁が出たいうて有名になってな、狸は玉の輿の象徴とも言われておるんじゃよ」
「へぇ、将軍……って! 江戸幕府の将軍様!? 凄いですね!」
「ほっほっほっ! そうじゃろうそうじゃろう」
鼻を高々に伸ばして福寿は嬉しそうにはしゃぐ。その横には、「くそじじいが付け上がるのでやめなさい」と、何かを振り払うような仕草で言ってくる出雲がいる。
ミコトは苦笑しながら、
(この二人はきっと、これが通常運転なんだろうなぁ……)
と、もう一度理解を深めるのであった。
「家は近いと聞いていますけれど、電車ですか?」
「そうじゃ。たしか、電車で三十分とかなんとか言うておった。今日なら夫婦も娘さんも家におるらしいぞ」
「流石ですね。では、このまま直ぐに行ってみましょうか。ありがとうございます」
この神社に来てから初めて出雲が素直に福寿を褒める。それを、(ちゃんとお礼が言えるんだねぇ……)と、ミコトが何故か微笑ましそうに見ているのだが、鋭く察知して、出雲は彼女へと針のような視線を飛ばした。
空気を読む能力はミコトが高いが、こういう感情を察知する能力は出雲が高い。むしろ、自分にとって不快と思われる事柄に関しては一級品の精度を誇る。
「そういえば坊、ミコトちゃんとはどういう繋がりじゃ? 一匹狼のおぬしが連れを作るなぞ、ワシは驚いたぞい」
「今更ですか」呆れたように声は落とされた。けれどこのまま言い合いになるのもまた面倒だと、「ノラ霊体です。拾いました」と続ける。
「え、私ノラ!? 野良犬とか野良猫とかのノラですか!?」
「そうです。それ以外にあなたを表現する言葉がありません」
「ぺ……」
「ぺ?」
「ペットじゃないって言ったのに……!」
ミコトはさめざめと、とてもわかりやすい泣き真似を始めた。
なんだろう、この霊体。出雲は悩む。やっぱりそろそろ成仏させるべきか──「わわわっ! 待ってください、本当にすみませんでしたぁ!」「ちっ!」「舌打ち!」
ついつい、出会ってから一時間もたっていないのに、何かがあれば未練の糸を両手で引っ張ろうとするのが癖になってしまった。ほぼ無意識に手を伸ばそうとすると、やっぱり何故か、こういう時だけ触れる霊体に引き止められる。本当に不可解でならない。
心なしか頭痛までしてきたような気がしつつ、出雲は福寿に、ミコトと出会った経緯について説明するのであった。
*
さて、ところ変わってこちらは泉森から一時間ほど離れている住宅街である。
「あのくそじじい……! 何が三十分ですか、ほぼ一時間です。やっぱり認知症ですね」
「うわぁ……。まあ、聞いた時にちょっと聞き間違えたのかもしれませんし、ね」
あれから泉森を後にして依頼人である曽田家へと向かったのだが、電車で三十分と言っていた福寿の言葉を信じるのではなかったと、ここまで来て出雲は後悔していた。
電車で四十五分、さらに駅から徒歩で十分。合計五十五分である。半時間と思って移動してみればほぼその倍だ、この怒りは正当だろう。
今度泉森に行ったら力の限りぶん殴ろう──固く誓った出雲であった。
つくづくバイオレンスな思考である。
「あ、ほらほら出雲さん。『曽田』って表札がかかっています。ここじゃないですかね!」
闇のオーラを醸造しようとしている出雲に恐怖で泣きそうになりながら、努めて明るい声を出す。ミコトが示した先には、中規模の一軒家が建っていた。
太陽光発電の板が乗った灰色の屋根に、クリーム色の外壁。玄関ポーチにはガーデニングで美しく整えられており、木の玄関が、優しい空気を醸し出しながら迎えてくれる。可愛らしい雰囲気の家屋の、その表札にはなるほど、確かに【曽田】と刻まれている。
勢い勇んでインターホンを押そうとするミコトだが、こういう時はどうしても触れない。何ひとつ力が加えられることなくインターホンが設置されている壁に指が埋め込まれていくのを見ては、触れられる時は触ってるんだけどなぁと若干肩を落としつつ、ふよふよと移動した。
結局出雲が鳴らすと女性の声が応答する。
『はい』「泉森神社のほうから参りました」『ああ、待ってください。直ぐ開けます』少し慌てた様子で、インターホン越しの会話は終了した。
「『泉森神社のほうから参りました』って言葉なんですけど、」
「詐欺みたい、とか馬鹿なことを言うなら──」
「すみませんでした!」
家人が出てくるまでの間にと提供した話題は切り口も鮮やかに回収された。コンマ数秒。瞬殺である。
そんな馬鹿なことに反応しているほど暇じゃないとぶつくさ出雲がしているところに、玄関ドアが開く。
「お待たせしました」そう言って出てきたのは、明るい茶髪をすっきりとしたショートにまとめた、目尻のすっと通った中年の女性だ。おそらくこの人が問題の女性の母親だろうとあたりをつける。
「初めまして。泉森の福寿からの依頼で参りました、出雲と申します」
「ああ、はい、聞いております。どうぞ中へ」
依頼の内容が内容だからか、若干の戸惑いと怪訝そうな雰囲気を感じながら、出雲とミコトは家の中へと入った。ミコトは、相手の女性に見えていないので不法侵入になるのかなぁ、と思いながら。呑気に。
────っ。
一歩。
扉を隔てた一歩を中に入れた途端、ナニカが自分たちを見ていると確信した。
睨めつけるような視線が絡みついてくる。
敵意か、排除かと顔色をうかがうように新参者を見ている。
今にも、その喉元へ食らいつくべきかと思案しているような思考と共に。
「……いっ、出雲さん!」
たまらず上げた声を、出雲は眦を鋭くして止めた。二人だけの時や福寿と一緒ならともかく、普通の人がいるところで普通の人には見えない聞こえないミコトと会話するのは危険が過ぎる。特に今、これほどまでの雰囲気に、少なくともしばらくの間さらされていて精神的に参っているだろう人の前では。
出雲の仕事をミコトが『胡散臭い』と評したように、通常、『霊能探偵です』と言って受け入れられることは、ほぼない。当たり前だ。目に見えぬものをどうしたとて、人はそれを理解することはできないのだから。
それでももしかしたら、どうにかなるかも、一か八か。そうやって縋ってくる人の多くは、心霊現象に悩まされ──時にはただの思い込みによるものもあるが──どうしても助けてほしいと思っているのだ。
ここで不用意な言動をして、この家の人たちに不信感を抱かせてはいけない。
もし不信感を抱かせて、この依頼自体を取り下げようものなら、ナニカがそこにいる状況で、今後この家族の無事は難しい。……少なくとも、原因の一端と考えられているこの家の娘は間違いなく危険だ。
何も感じていないふうを装って案内を受ける出雲の後に続きながら、ミコトは震える。
(怖い……。喉が、閉まる)
握った手に感触はない。
こんな時、縋れるだけの温もりがないことが、こんなにも恐ろしさを沸き立たせるとは思わなかった。
ここでやっと、出雲がしている仕事が、いわゆる『本物』なのだと、ミコトは理解する。
※「玉の輿」の元になった話は、春日局に見出されて局の側付きとして指導を受け、後に徳川家光に見初められて綱吉を産んだ、桂昌院の話です。彼女は実家が八百屋で庶民と呼ばれる存在でありながら将軍家に嫁に行ったとして、お玉(実名)が輿に乗ってお嫁に行ったという話から玉の輿という言葉が生まれたそうです。
諸説ありますので、こういう話もありますよ、ということだけ。また、この神社も名前は違いますが実在します。可愛らしい狸さんの狛犬が迎えてくださるそうなので、もし興味がございましたらば。