(2)
出雲に連れられて向かった先は、郊外にある小さな神社だった。木々に囲まれた森閑とした場所だ。都会にもこんなところがあるのだなぁと、ミコトは周りを見渡しながら思った。
石の鳥居の手前にある門柱には【泉森神社】と刻まれている。その近くに狛犬の像があるのだが、
(これ、狛犬? 目がまん丸でお腹が大きいし……随分ビール腹な狛犬さんだなぁ)
自分に関する基本的な情報は白紙化しているというのに、何故か無駄な情報だけはある。そして果てしなく呑気だ。それがミコトである。
狛犬のあるべき場所には、大きく突き出た腹を抱えた、不思議な像が鎮座していた。向かいには二本足で立った狸の像があり、これもまた、ミコトの中では信楽焼の狸さんかな、というくらいで認識された。
境内は綺麗に掃き清められているが、不思議なほどに、あまり人の気配がしない。石畳の参道を歩くたびに鳴る靴音が、不意に広がって、さらなる静寂さをもたらす。
「おや、坊よ。今日はどうしたかね」
「ひっ!」
静かさに冷気さえ漂ってくるようだったところ、急に、斜め後ろの、それなりに近いところから声が聞こえてきたのだ。おどかすほうが悪いのだが、お化けに出会ったような声が出たのは許してほしいと思いながらそちらへと振り返る。ちょうど、出雲も同じ方向を向いていた。
(おじさんだ。普通の)
その人物を見た第一印象はそれだけだった。
若干低めの背丈の男。顔はシワがあり、二重……というよりは三重顎。中年以降の、わかりやすいお腹の突き出た、普通の男性である。それにもう一つ感想を付け加えるとするならば、白の着物に紫地に白紋の袴を纏っていることか。
おそらく、この神社の宮司さんとかなのだろう。そう結論づけてミコトは会釈した。
「初めまして、お嬢さん。ワシは福寿と申す」
「あ、ご丁寧にありがとうございます。私はミコトです」
お辞儀をされたので、こちらもお辞儀で返す。つい先程まで出雲との衝撃的で失礼な出会いを果たしていたので、彼女は少しだけ癒されたような気になった。
それを、こいつまたなんか変なこと考えているな、と整った顔を歪ませて見ている出雲。
基本、どちらも失礼であった。
「ミコトさん、お忘れかもしれませんが、あなた、普通の人には見えないんですよ」
「……あ! え、でも、福寿さんは見えていらっしゃいますし、会話しましたよ!?」
「そういう力があれば見えますからね」
「ってことは、この方も本物さんなんですね! 徳を積んだりしたのかしら? 凄いなぁ。私、お寺とか神社にいる人って、お経唱えたりお祓いしたりするけど、信じてなかったのに、本物さんもいるんですねぇ!」
またもキラキラと、星を詰めた瞳で福寿を見ている彼女に、さらに顔を歪ませて出雲は、心底嫌そうに伝える。
「違います、徳なんか積んでませんよ。それ、狸ですから」
「狸? 狸じじいってことですか? 出雲さん、本人を前にして、流石に失礼ですよ。確かに狸さんみたいな顔と形ですけれど」
どちらも失礼である。
ほっほっほっ、と高らかに上がった笑い声は、福寿からだった。口に手を当てようとしたようだが間に合わず、結局、腹を抱えて笑っている。その声が最終的にひゃははは……となった頃、出雲は境内に転がっていた玉砂利を手に取って、おもむろにぶん投げたのだった。
「いっ……ったいわぁ! おぬしなんっちゅうことしくさる! ワシ神獣じゃぞ、し・ん・じゅ・う!」
「うるさいですよ。声が耳障りです。存在は目障りです」
「ならおぬしが出ていくがよかろう! ここはワシの領域じゃ!」
「あなたが呼んだから来たんでしょうが。耄碌したか、このくそじじい」
「呼んだような気もするが忘れたわ、この小童め!」
「神獣とか言いながら認知症ですか。寄る年波には勝てませんね」
「これはここ仕様じゃと言うとるじゃろう! ワシはまだ若い!」
急に始まった口喧嘩──口喧嘩だ。誰がなんと言おうと口喧嘩である。しかもとっても幼稚な──に目を白黒していたミコトの目の前で、福寿がくるり、と宙を舞う。
ぽぉーん、と高く跳ね上がり、一回転。
「──えっ!」
とん、と足が地についた時、今まで喧嘩をしていたはずの、お腹の突き出た男はいなかった。
こげ茶の短髪に、垂れ目がちな琥珀色の目。細身の身体は背が高く、同じく背の高い出雲を僅かばかり超しているようだ。小柄なほうのミコトと並んだら、頭二つ分くらい違うのではないか。
「ほら、若いじゃろう。のう、ミコトちゃん」
にっこりと向けられる微笑みはとっても甘やかだが、未だに、目の前で起こったことについていけていない彼女であった。
驚き固まってしまったミコトの目の前を、ちょいちょいと指を動かして、出雲は意識を向けさせる。その視線に『面倒だ』と滲み出ているのはどちらに対してか。
「狸なんですよ、これ。境内の入り口にあったでしょう、変わった狛犬。あれがこいつです。もう一匹いるのですが、基本的にこの神社で暇を持て余しているのがこいつですので、祟られないように気をつけてください」
「祟るなら真っ先におぬしを祟るわい! 何度も言うがワシSHI・N・JYU・U! 神の使いでとーっても偉いんじゃからな!」
「そーですかーえらいですねー」
とうとう会話自体がぞんざいになってきた出雲に、ぬぐぐぐ……、と歯軋りまでし出す福寿。出雲が鳴らす乾いた拍手の音が虚しく響いた。
「え……え、ええぇぇぇ! 狸ぃ!?」
そしてやっと、思考が動き出したミコト。
「え、狸ってあの狸? え、変身? ……変身? 変態!?」
「確かに変態です」
「違うわ! これはワシに授けられた真っ当な能力じゃ!」
「変態。形や状態を変えること、またはその形や状態。決して間違ってはいません」
「おぬしは違う意味でしか使ってなかろう!」
「へ……変態! ダメです出雲さん! 刺激したら食べられちゃいます!」
「頭からパクッとですか、それは困りますね」
心底驚いているだけのミコトを少し面白く思いながら出雲は返す。自分が会話すると疲れるが、こうやって他人があの会話に振り回されているのはいい気味だと考えているのだ。それを見透かしながら、昔から思っていたがやっぱりこいつ性格が悪いぞと、まあるい目を半眼にして福寿は睨んだ。
しかしここでだんだん混沌としていきそうになる会話を、引き留めておかないと話は進まない。
「ったく。ここまでコケにされるのも初めてじゃぞい。馬鹿なことばかり言っとらんで、依頼の話をするぞ」
「忘れたって言ってませんでしたか」
「ワシが忘れるはずがなかろう」
ドヤ顔の福寿にそうですか、と呆れたふうで出雲は返す。急に変わった雰囲気にミコトはおろおろするだけだ。
二人の会話から察するに、今までの賑やかな言い合いは日常茶飯事か、はたまた挨拶代わりのようなものだったのではないか。きっと気の置けない仲というものなのだろう。無駄に察する能力で空気を読んだ彼女は、今までの会話から頭を切り替える。
ちなみに、その察する能力で察した内容に関しては、二人揃って苦虫を噛み潰すことうけあいである。ここで口を噤んだ彼女はしっかり空気を読んでいた。
出雲はミコトに向き直って言った。
「ミコトさん、俺の仕事の話をします。聞きますか?」
「仕事って……あの、胡散臭そうな──すみませんすみません! もう言わないので切らないでください!」
霊能探偵という職業をイコール胡散臭いと方程式を繋げたミコトがぽろりと失言した時には、出雲が未練の糸に両手をかけているところである。公園から引き続いて三度腰にしがみついた。
出雲も慣れたくはないが慣れたもので、さっさと未練の糸から手を離し、二度はないですよと視線で刺した。ミコトは、今後もこういうことが起こるたびにこうなるのかと頭の片隅で考えながら、力強く、何度も首肯する。
とはいうものの、失言しないってまあ無理だろうな、と確信に近い推測を立てて、彼は福寿に向き直りつつミコトにも声をかけた。
「もう一度聞きます。仕事の話ですが、聞きますか?」
「きっ、聞きます聞きます! 聞かせてください!」
元々切れ長の目をさらに鋭くして睨む出雲にたじたじになりながら、ミコトは反応する。出会ってからそう経たないのに、驚くほどにしっかりと上下関係ができてしまっている。
(私……忠犬ハチ公目指します……)
少ししょんぼりとしながら、彼女はふよふよと移動した。今更だが、この移動は意外と気持ちが良くて楽しい。落ち込む思考が一瞬で浮上するのもまた、彼女の特徴であった。