私はいい子になりたかった。
私はいい子だね、と言われるのが好きだった。 あなたはいい子?
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高校一年生までの私はとても優等生だったと思う。体調が悪くても学校に行き、人間関係もそれなりに良好、勉強も要領がよく、テストでもそこまで酷い点数を取ったことはなかった。
高校受験も死ぬ気で勉強したわけではなかったが、偏差値65の高校に受かった。
志望動機なんて特になくて、「友達が受験するから」という理由で受験した。
それで合格してしまった。一緒に受験して残念なことに落ちてしまった子もいたが、そんな子に私は
なにも言わないよりはと思い、何にも考えてない「大丈夫だよ」という言葉を投げかけていた。
まぁ、何はともあれ私は高校に入学して順調に過ごす予定だった。
それなのに、あのきっかけは突然に訪れた。いや、突然ではなかったのかもしれないが当時の私にとってその出来事は人生を狂わせるには十分すぎる出来事だったのかもしれない。
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その日は七月の頭で、高校二年生の文化祭一日目だった。暑くてクラスのみんなで作ったTシャツの水色が変色してしまうくらいだった。
私は当時所属していた吹奏楽部の演奏を明日に控えていたので、ホームルームが終わった後も部員たちと練習をしていた。
練習が終わり、片付けが終わるといつもと違う感覚に襲われた。なんとなく立っていられなくなり、目を開けていると気持ち悪くなってしまう、頭がぼーっとして脳の中まで気持ち悪いようなそんな感覚に襲われた。
私はついにしゃがみ込んでしまった。仲間の部員が私に気が付き、先生を呼んでくれたがなにを言われたのか覚えていない。
私は車椅子に乗せられて保健室に連れていかれた。
保健室で寝ていると、先生が連絡したのか父親が迎えに来てくれていた。しかしうまく歩くことができず、もたれながら歩いていた気がする。
タクシーでそのまま大学病院へ。ついたら看護師さんが車椅子をもって病院の夜間入り口で待っていてくれた。
そのまま救急で診察を受けた。結果は過労と低血圧、自律神経失調症だった。
そして点滴をしてその日のうちに家に帰った。
過労に覚えがないわけがなかった。先週まで前期中間テストがあり、夜遅くまでの勉強、不規則な生活、プレッシャー。それに加えて文化祭のクラス企画長だった私はクラスで出すための材料の手配、看板製作、それに伴う費用の計算、さらに吹奏楽部での練習。
一人でやっていた。周りが助けてくれなかった。いや、私が助けてと言えなかった。
つらかったのかもわからない。充実していたのかもしれない。けれど体は悲鳴を上げていた。私はその叫びをうまく聞いてあげることができなかった。
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気が付くと私は学校に行けなくなってしまっていた。
家にずっといてドラマを見て昼うご飯を食べ、またテレビを見る。そして夕方になると寝てしまい、また夜ご飯になると起きる。こんな生活をしていた。
なんて怠惰な堕落した生活だ。と思っただろうか。でもそれが許されてしまう環境だった。
私を見て、「学校どうするの?」や「そろそろ学校行きなよ」という言葉をかけてくれた人はいた。
だが、私はそんなことを言われるのが怖かった。まるで自分が否定されたような、「お前はなんでここにいるんだ」と言われているように解釈してしまい、苦しいと思っていた。
善意が裏目に出てしまい、きっと周りの人はどう接したらいいのかわからなかっただろう。
私は甘えていたのかもしれない。ただ、周りの人に今まで言えなかった分の「助けて」を伝えたかったのかもしれない。と今では思う。
なぜ今まで言えなかった分の助けてをこのような学校に行かないという形で周りに伝えたのか私は
正確にはわからない。けれど、思い当たる記憶がある。
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それは私が小さかった時までさかのぼる。
私の両親は共働きだった。それは別に大した問題ではない。と思われるのかもしれないが、保育園を出て小学校に入学すると私にとって共働きで家に帰っても両親どちらもいないという環境はとても寂しかった。
友達が「下校したら家に遊びにおいでよ」と言ってくれた。とても嬉しかった。
でも家に入るとそこには優しそうなお友達のお母さんが待っていてお菓子が用意されていて、ゲームもたくさんあって、私はふと悲しくて寂しい気持ちでいっぱいになったが得意の「なにもないふり」をしていた。
調和を何よりも好み、争いを嫌う私は相手がどのように行動したら喜ぶか、相手の顔色をみて判断できるスキルを小学校低学年で身につけていた。
「さみしい、さみしいよ。どうして学校から帰ったらお母さんはいないの?どうして私の家はお友達とは違うの?どうして、どうして、、、」この言葉はずっと両親や周りの大人には言えなかった。もちろん小学校の友達にも。
そして、私は気がつかないふりを自分自身にも始めた。「こんな気持ちは知らない、これは私じゃない。私は大人にいい子だねって褒められるような人になる。」きっと無意識にこんな風に考えていたと思う。
問題はこれだけではない。私の母親はとてもヒステリックな人だ。
仕事や外ではニコニコいい顔をして家では物にあたりながら愚痴を言う、思い通りにならないと怒鳴り始めるような人だ。
父親は夜にならないと帰ってこないからこの状況を知らない。私は耐えるしかなかった。
私が父親に言ったことが母親にばれるのが怖かった。また、それが原因で離婚なんてしたら二つ下の弟がかわいそうだ。
そう思うと自分の本心は言えなくなっていった。そのまま高校二年生まで育ってしまった。
ここまででわかるように私は自分の抱えていた寂しい気持ちを幼いころに吐き出せなかった分、今になって性格にゆがみができてしまった。
きっとこれは、誰のせいでもないのだろう。誰かを責めることなんてできない。だって誰も悪くないのだから。でも、だからこそ、私はこのどうしようもない寂しい感情を捨てきれずにいるのだろう。
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さて、時間を高校二年生に戻そう。
高校二年生の夏休みが明けても私はまだ学校に行けずにいた。時々学校へ行くが今まで行ってなかったのもあり、気持ち的にどんどん行きにくく、居づらくなってしまった。
この頃からだろうか、私はだんだんうつ病と思われる症状が出てきた。
何もしたくない、布団から出るのがつらい、息をしているのも、唯一の娯楽のスマホでさえも飽きてくる、生きているのがつらい、つらい、つらい
こんな感情でいっぱいになっていた時、数少ない学校の友達で私のように不登校の子がリストカットやアームカットといった自傷行為をしているのを見た。
私はバカだった。「こうしてつらさをみんなに見せれれば、私は救われるのだろうか。私の心の苦しさをこう表せばみんなに気が付いてもらえるだろうか」「あの子はきっとつらさをそう表現したかったんだろう」
ばかだな。こんな考えをしていたなんて恥ずかしくないのか。そう思われても仕方ないと思う。
そして私はやってしまった。左うでにカッターをあて、そして、、
幸いなことに私は痛いのが苦手だったので深く切ることなんてできなかった。せいぜいミミズ腫れができる程度だった。
でも気持ちよかった。こうすれば楽になれると思っていた自分もいた。
しばらくは、それで満足していた自分がいた。心配されることは周りから気にしてもらえているのだ。と思いつい、心配をかけるようなことをしてみたり、言ってみたりする。昔よりは減ったと思うが今もまだその癖が完全に抜けたとは言えない。
少し時間がたって。
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本当にいろいろなことがあったが私は高校三年生に何とかなれた。
私は寂しさを埋めるためにネットで出会いを探していた。現実では学校にいけないうつ病患者だが、ネットの中の私なら演じられる。そう思っていた。
そこで私はたくさんの人とネットの中で恋愛をした。しかし、どの人とも長くは続かなかった。
とあるSNSで知り合った人の配信の中で数人でコラボしていた時、私は今の彼と出会った。
彼と何があったのか詳しくは書けないが、私の考えを変えてくれた。
「私が彼を守れるような存在にならなければ」そう思うようになっていった。
そこから彼と別れたくなくて自分を変えようとしてきた。もちろん、今も治っていない部分はたくさんあって、人に迷惑をかけてしまうことばかりだ。
だけど変わりたい。私は変わりたいと思えている。それは私が少しだけ進めているということにはならないだろうか。
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私はきっと大多数の人とは違う道を歩いているのかもしれない。それはとても怖くて孤独を感じる。
でもそれはいつかみんなどこかで経験することだ。
なんて、綺麗な言葉で最後を書こうとは思わない。
私は寂しい、今も昔もきっとこれからも。ずっとずっと寂しい気持ちと一緒に生きていくんだ。何か変わればいいけれどそうそう人は変われない。
きっとこれからも同じようなことを繰り返していく。
それは誰のせいでもないといったけど私からみれば小さい頃の環境と今まで起きた精神的苦痛のせい。
耐えられなかった私が悪いのか?
そうではない。という人は私は理由はなく嫌うだろう。それは私のことを否定されているようにかんじるから。
私は悪い子だったみたいだ。そう、この文章を読んでいるあなたも悪い子なんでしょう?
こんにちは。
このような拙い作品を読んでくださりありがとうございます。
私が生きてきた17年間をぎゅっとまとめて抜粋して小説にしたものです。
共感してくださったり、なにかこの作品を読んで思うところがあるというようになれたなら書いてよかったのかなと思います。
これはあくまでも私の体験です。




