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焼き討ち

織田信長の歴史を見ていきますと

どうしても目に飛び込んで来ることになりますのが

焼き討ち

と言うワードでありまして

比叡山を筆頭に

様々な場面で登場することになります

この

焼き討ちなのでありますが

信長は何故

焼き討ちを多用することになったのか?

について想像してみようと思います。


そのヒントとなりますのが

信長が生まれ育ちました地域が湿地帯であったこと。

でありまして

更に尾張南部

と言う

湿気がある上に

夏はクソ暑い地域でありますので

放っておきますと

様々なモノが傷んでしまう。

モノが傷みますと

様々な虫が発生いたしまして

伝染病の原因を産み出すことになってしまう。


そのため

葬儀を行う前に

荼毘に付す。

火葬する風習が

まだ愛知県の中に

残っているところがございます。


加えて

当時は今と違いまして

全ての作業が人力でありましたので

たとえ武器を用いたとしましても

勢いをつけるのは人力でありますので

疲れ

と言うモノが出て参りますし、

戦いに勝利しましたあと

待っているモノは

何であるのか?

と申しますと

戦死者が傷んでしまう前に埋葬する。

そうしないと

傷みが発生し、

伝染病のモトが産み出され

折角占領したのに

使いモノにならない

と言う事態に陥る危険性が秘めております。


そして信長は

武士道とは異なるベクトルで

物事を考える武将でありましたので

より合理的な方法。

楽な方法を用いることによりまして


少ない損害で勝利を修めると同時に

戦死者の処理が出来、

更には

自らが統治するのに都合が良いよう

不必要な建物を更地に変える。

今で言う

強制代執行も

併せて行うことの出来るものとして

焼き討ちが採用されることになった。


海の戦いかたを

陸の上に持ち込んだ武将とも言えるのかもしれませんが……。


当時は木造の建物が多かったこともありますので。


同じことは

太平洋戦争で

アメリカ軍が

空襲の際、

焼夷弾が用いられたのも

似たような事情から採用されたモノと思われます。

(ヨーロッパでは砲撃により破壊することを行ったにも関わらず。

もっとも向こうはレンガやコンクリートの建物が多かったことが理由でありますが)


もちろん

火を用いられることの恐怖を

ほかの敵対勢力に対し示すことによりまして

セオドア・ルーズベルトの棍棒外交のような効果を狙って

(のちに秀吉が高野山を追い込む際に利用しました)

であったことも付け加えさせて頂きます。

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