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大内義興

室町幕府の将軍

足利氏の歴史を振り返りますと

似たようなことを繰り返して来たことを見ることが出来まして

それはどのようなことなのか?

と申しますと

畿内の勢力争いに巻き込まれ京を追い出された

将軍

ないし

将軍の資格を有しているモノを

地方の有力勢力の手により戻してもらう。

と言うモノでありました。


それが当時の常識でありまして

信長もその流れに沿う形で

義昭を奉じ、上洛を果たしたのでありましたが


最後。

将軍を置き去りにして領国に戻るケースや、

応仁の乱のように

担ぐ神輿が入れ替わって行く内に

本来の目的が何処かに行ってしまったケース。

更には

将軍を京都から追い払う(信長)など

仲違い

で終わる形を辿っております。


その理由につきましては

信長の歴史を見て頂けますと理解の助けになるのかな?

と思われますが

将軍自らの手で勝ち取ったもので無い。

にも関わらず

居心地が悪い

と駄々をこね、

もっと条件の良い

快適な担ぎ手は居ないものか?

と捜し回る癖が

どうやら足利将軍のDNAには流れ込んでいるようでありまして。

なら将軍自らが力をつければ良いのでは?

と思うのでありますが

義教の末路の経験があること。

に加えまして

足利家が将軍になった当初から

必ずしも政権基盤が盤石では無く、

幕府を立ち上げる際、

本来部下であるハズの守護に

かなりの譲歩しなければならない事情(南北朝など)

があったこと。

加えて将軍を決める方法の中に

くじ引き

が存在していたことなどから考えますと

どうやら足利将軍は

「象徴」

の域を出ることが出来なかったのかもしれません。


この辺りを学ぶとりました家康は

のち江戸で幕府を開いた際、

戦国時代からの家康の家臣と

関ヶ原前後からの協力者との間を

譜代と外様に分けまして

幕府の政権運営に直接関与することが出来るのは譜代までとしたこと。

鎌倉・室町と続きました

後継者難に悩まされぬよう

御三家など血のスペアの確保に尽力したこと。

あとは

……朝廷ですね……。

260年にも渡る長期政権を実現させることに成功したのでありましたが


そんな中、

将軍と地方の有力勢力の関係で

のちの

いわゆる

戦国大名に

大きな影響を与えた武将となりますと

中国地方から九州地方に掛けまして

一大勢力を築きあげました

大内義興でありまして

彼の経歴を振り返ってみますと


京を逐われた前の将軍が亡命して来まして

一時的に

「朝敵」

の扱いを受け

周辺勢力に敵対されるも

自力でこの局面を打開。

西日本における地位を確かなモノにすると、

前将軍と言うカードに

畿内は例の如く。

でありましたので

中央進出の好機と捉えまして上洛。

前将軍を再び将軍に据えると共に

恩賞として

当初は堺の権限を

でありましたが

元々寺社の権益でありました堺を

元の寺社の権益に戻すべく辞退。

代わりに

山城国守護の地位を受けるのでありましたが

大内家の本貫地であります

今の山口県の中に

元は寺社勢力の権限の地があったことに目を付けました

東大寺が変換を要求。

堺の前例が災いしまして

この地を失う羽目に遭う。


更には

当主不在の間隙を縫う形で

本領周辺に不穏な空気が流れ始めるも

畿内は畿内で

ほかの神輿に担がれた将軍候補との戦いが続いているため

戻ることも出来ない。

そうこうしている内に

これも例の如く

担いだ神輿との関係が悪化。

最後は

資金も尽きたのでありましょう。

畿内に留まるメリットを失った義興は帰国。

後ろ盾を失いました将軍は

その後。ほとんどの部下に見限られ、

京を追い出されてしまいまして

堺、淡路などを流浪したのち

阿波でその生涯を閉じることになったのでありました。


義興の生涯を見た

のち中国地方で一大勢力を築くことになりました

毛利元就は

息子たちに対し、

「天下を望むな」

と伝える1つのキッカケとなったことは

容易に想像することが出来るのでありますし、


信長は信長で

足利家の部下になっても得るモノは何もない。

どうせ足利家のことだから

いづれ仲違いする時がやってくる。

故に重要なのは

活動し続けるために必要は資金である。

そのためには

義興が辞退した堺のほうが

室町幕府の地位よりも重要であった。


……のかもしれませんね。


追記 もし可能でありましたら

下にあります

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