羽柴秀吉
山形鉄道
元国鉄
今は
第三セクターの路線として
運営されております
この山形鉄道でありますが
国鉄からJRになる際
切り離されたことからもわかりますように
普通に列車を運行しているだけでは
存続していくのに必要な資金を確保することは出来ず、
設立当初は
今は政策金利
と言われておりますが
当時は
公定歩合
と呼ばれていましたが
その公定歩合の利率が高い時期でありましたので
路線が維持されることにより
恩恵に与ることの出来る自治体や、
貨物輸送のあるところですと
企業などが基金を積み立てまして
そこから発生します
利子収入で
赤字を補てんしていこう。
と始められたのでありましたが
バブル経済の崩壊と
バブルの時期に行いました投資の回収が出来ず
経営が苦しくなりました金融機関を救うため
国が行いましたのが
いわゆる
ゼロ金利政策でありまして
たしか8%あった金利が
あっという間にゼロとなったため
あてにしていました利子の収入がほぼゼロとなり、
鉄道は動いていますので
当然の如く
日々赤字が積み重ねられることになりましたので
その赤字分を補てんするために
本来、利子を得るための原資としていました
基金が取り崩されまして、
積み立てられました基金が枯渇したところから
廃線の憂き目に遭う。
その流れの中、
苦しい経営が続いていました
山形鉄道で
社長の公募が行われまして
そこで選出されましたかたが
念頭に置かれていましたことの1つが
メディアに取り上げられるよう
常に仕掛けていかなければ
存在を忘れられてしまう。
でありまして
様々な企画を立ち上げられまして
日常の足として整備されました鉄道に乗車するだけ
と言うことが
観光旅行
それも
大型バスを使うツアーでも成立する。
と言う実績を残されるなど
活躍されておりましたが
残念ながら
昨年の怪我などもありまして
退任される運びとなられました。
上下分離方式導入など
支出面での苦労を
少しでも軽減することにより、
利用者数の7割を占めます
通学定期利用を維持する施策が模索されるなど
良い話がある一方、
利用者数の4分の1以上に達しています
定期外利用
=観光利用
を維持・発展していくために必要となります
全国規模への発信力。
が今後、どのような展開を見せることになるのか。
に注目が集まる山形鉄道であります。
……と羽柴秀吉は似たところがありまして
彼は天下を獲ることが出来ました。
天下を獲ることは出来ましたが
一方、
同じく天下を獲りました
徳川家康とは異なり
彼。秀吉は
神様になることは出来ませんでした。
家康は権現様
であるのに対しまして
秀吉は
『太閤さん』
と
『さん』
付けで呼ばれる存在でありましたので。
しかも秀吉は
全くと言ってよいほど
地盤を有していない
最下級の位置からのスタートでありましたので
とにかく
目立たなければならなかった。
別に出しゃばらなくても良い
清州城の壁の修理に始まりまして
最前線の危険地帯であります
墨俣に城を造りましたり、
想像しますに
対浅井・朝倉の最前線であります
横山在番や
金ヶ崎からの撤退の殿軍は
たぶんでありますが
秀吉が立候補したのではないか……。
理由は
目立ち続けなければ
忘れられてしまう
捨てられてしまう
それだけ地盤の弱い立場であったから。
その後の対毛利など
危険なところだけれども
成果を挙げれば……
の場所に自ら飛び込むことにより、
信長の関心を惹き続けることに尽力し続けたのが
信長家臣時代の秀吉の姿であったのかもしれません。
ここで培われましたパフォーマンス上手が
本能寺後の
清州会議や
家康臣従の場面などで発揮されまして
天下を奪ったまでは良かったのでありましたが
ここが中国と異なるところでありまして
中国では
勝った理由は徳があったから。
負けた理由は徳が無かったから。
と言いました
殷を倒す際、
周が用いました理論が
その後も適用されましたので
スタート時点の出自とは関係なく
誰しもが皇帝になることが出来るのが
中国であるのに対しまして
日本は
天皇になることが出来るのは
天皇だけでありますし、
征夷大将軍になることが出来るのは源氏。
と言いました
嘘でも良いから
(これも中国とは異なるところなのでありますが)
系図が必要でありまして
秀吉は
足利義昭にお願いしては断られ、
近衛家の猶子となることにより
やっと
国を治めるだけの理由を得ることが出来た
と言いました
余分な苦労が必要となりまして、
(その後の家康も関ヶ原から征夷大将軍になるまでには
3年の月日を要したこと。
その際、吉良家を介したことが
のちのちの赤穂浪士に繋がることになったのでありましたが)
ここも中国と異なる点なのでありますが
中国では
全土制圧者
=徳があるから制することが出来たモノが
漢字の一文字の国を造り
自らを
『太祖』
と称しさえすれば
皇帝になることが出来る国でありますので
秀吉にとりましては
ある意味。
日本のトップになるよりも
武力で押し切ることが出来さえすれば
朝廷工作のような
余計な労力を割かなくとも
トップになることが出来る。
……ならば
の気持ちも
少なからずあったとは思われます。
加えて秀吉は
関白に就任することが出来たとしましても
世間一般は
彼が元々どのような出自から成り上がって来たのかを知っています。
しかも秀吉は
家康のように
神様になることは出来なかった
『太閤さん』
でありますので。
仮に秀吉が
神様になることが出来ましたり、
秀吉よりも先に
大陸進出を図る勢力が登場し、
失敗に終わることにより、
海を渡っても仕方ないや……
の空気が蔓延している状況で
天下を獲ることが出来たのでありましたら
朝鮮出兵をする必要はなかったのでありましたが
1590年段階では
(……いつか俺も秀吉に)
のかたが
結構いらっしゃったことと思われます。
そんな彼らに
これからは新田を開発するように
と触れを出したところで
(……言うことを聞いてくれると思いますか?)
戦いの場を造らざるを得ない状況。
秀吉のスタートがスタートでありましたので
戦いの場を造らざるを得ない立場であったのかもしれません。
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