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関東管領

信長が京都での地盤を固め、

日本全土を視野に入れようと模索していました頃。

そのほかの勢力の全てが

上洛を目指していたわけでは必ずしも無く、

同盟者であります家康は東海道を東へ。

武田家は海を目指し

当初は越後。

桶狭間以後は駿河

への進出を目論むところがある一方、

中国地方までにしておけ。

と子孫への戒めを残した毛利家や

鎌倉時代の執権

北条を名字とすることにより、

関東一円を影響下に置くことを目標にしました

後北条氏など

勢力拡大を目論む勢力でありましても

進もうとする方向はそれぞれでありまして、

彼らにとりましての京は

都を自らの手で支配する。

と言うよりはむしろ

昔からの秩序を用いることにより、

自らの行いを正当化する

大義名分を得るために利用する。

に留められているところがありまして

仮に織田信長が登場すること無く

各地域ごとに

異なる政権が並立した状態であった場合、

日本は独立を維持することが出来たのであろうか……。


と言う

『IF』

が浮かび上がって来るのでありますが

今回はそのことは置いておきまして

他国

今で言う

隣町や他県に兵を進める際、

自らの領土を拡大することを

全く意図せずに行った戦国大名が存在しておりました。

関東管領・上杉謙信。

晩年になりまして

攻略しました

北陸地方の経営にも乗り出すようになりました

上杉謙信でありましたが

人生の大半を

自らの勢力を拡大させるためでは無く、

武田家に追われた村上家の旧領を回復させるためだけのために北信濃へ。

川越の戦いに敗れ、越後に落ちのびて来ました上杉憲政のために関東へ。

自らの兵を率い遠征するも

農繁期や

進出しているところとは異なる場所で不穏な動きが発生するなどしまして

越後本国に戻ると同時に

元の黙阿弥と化すことになる。

これを20年以上続けた武将として

のちの世に語り継がれることになりました

上杉謙信なのでありましたが

……たぶんでありますが

彼。謙信は

自らの領土を拡大させるためでも無ければ

越後に逃れて来た武将を元の領土に戻すためでも無い。

異なる理由があって

兵を関東や北信濃に派遣していたように思われます。


この考えのヒントとなりますのがこちら

「三十年戦争」

当初は

新教徒と旧教徒との対立から始まりました

三十年戦争でありましたが


17世紀のヨーロッパは

新大陸からの銀の流入も少なくなったことに伴い

経済活動が停滞。

小氷期と呼ばれる

気温の低い時期に入っていたため

農作物の採れ高不振が続くことによる食糧難が発生するなど

社会が不安定な状態でありましたので


途中から

名目は新教徒を支援するためではありましたが

目的は

力づくでも勢力圏を拡大させないことには

生きていくことが出来ないために変質し、


そこに

混乱に乗じ、

旧教国でありますフランスが

旧教側の中心であります

神聖ローマ帝国を打倒するため

新教側として参戦したため


どうなれば終息するのかがわからない

ただ不安なだけ

の状態が

実に30年も続くことになりまして

最終的には

神聖ローマ帝国は瓦解。

最後に乗り込んで来ましたフランスのほか

オスマントルコやロシアに隙を与える結果を招くことになった

三十年戦争なのでありましたが

その中で

神聖ローマ帝国領内に侵入して来ました

デンマークとスウェーデンが

出兵に至った

目的は

どうやら

領土の獲得

と言うよりはむしろ

口減らしも兼ねた

戦争

と言う名の

公共事業のため

と思うしかないよな……。

その時々の戦いには勝つのではありますが

その後のケアが全く見られない。

遊牧している家畜のエサを確保するためでもないことを思います。と……

であるにも関わらず

キッカケはあくまで

新教徒を保護するため。

(やっていることは根こそぎ奪い取るだけでありましたので)


……と。

上杉謙信が

特に関東地方で行ったこととリンクする部分がありまして

謙信が関東に兵を出すのは

大抵の場合。

でありまして

この時期は当然の如く

農作業をすることは出来ませんし、

新潟県は雪国でありますので

出来ることと言えば

家の中で

塩漬けにされました野菜をかじってはフテ寝。

泥棒でも来ないかな……

と無駄に縄をなっては

(……こんな雪深い中、尋ねて来るような泥棒も居ないよな)

とひとりごちしてはフテ寝。

なんて言う生活を

半年間。

元気な若者を雪の中に封じ込めたりなんか致しますと

働きもしないせず、無駄に食糧を減らすことになってしまいますし、

身体動かさないと不穏なことを思いついてしまうこともございます。

など

良いことは何一つとしてありませんので

関東管領としての務めを全うするため

と雪が降る前に三国峠を越えては

適度な運動と適度な食事を施すなど

健康的な生活を送りまして

雪が融ける頃を見計らい、

農作業を行うべく越後に帰る。

土産イッパイぶら下げることも無く


出稼ぎのためだったのでしょうね……。

そんな

現在。日本の首都が置かれています

16世紀当時の

関東地方の姿でありました。

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