足利義昭
12代将軍を父に持ち、
兄・義輝が13代を継いだことにより
仏門への道を歩むも
義輝が暗殺され、
義輝側・幕府側が
次に担ぎ出して来る可能性のある
義昭に身の危険が及ぼされる危険性があったことと
義輝暗殺に伴い
畿内での主導権を失った幕臣との思惑が一致したこともありまして
義輝暗殺に加担しました松永久秀の本拠地でもあります
奈良からの脱出に成功し、還俗。
自らの上洛を手助けしてくれる勢力を見つけるべく
日本各地に手紙を送る中、
協力を受諾して来ました信長の軍事力を背景に上洛に成功。
15代将軍に就任したまでは良かったのでありましたが
その後。
信長よりも
良い待遇で
崇め奉ってくれる勢力を見つけるべく
更に全国へと手紙を送り、
反信長包囲網を形成するも
勢力の長の寿命が尽きましたり、
農繁期など
様々な事情もあり、
上洛する勢力が現れぬまま
自ら挙兵するも
奈良脱出当時。助力した幕臣含め
義昭に味方するモノは出現せず
中国地方に落ち伸び
毛利氏の庇護を受け
戦国時代を生き抜き
最後。
山城国の大名として
生涯を終えることになるのでありましたが
足利義昭はどのようなかたであったのか?
を信長の視点から眺めてみますと
(……何もやらない人ですよね……)
血統の良さと
文筆の才に一日の長がありましたので
日本を引っかき回した存在として
のちの世に語り継がれることにはなったのでありましたが
今の世の中に例えるのは
なんか地雷踏みそうで危ないところはあるのでありますが
収入源は生活保護。
自由に使うことが出来る時間は
無尽蔵に確保されておりましたので、
これだけでありましたら
パチンコ台の前で日長過ごすことになるのでありますが
厄介なことに
彼は
文章を書く才能を持っている上、
嘘では無く
本当に足利将軍の血を引き継いでいる。
これを用いまして
信長は畿内進出の大義名分を得ることが出来たのでありましたが
まぁ義昭のほうは
奈良を脱出するにも
入洛するにも
他力で為し得た事柄でありますので
居心地が悪くなったり致しますと
彼には文章の才能がある上に、
本当に足利将軍でありますし、
更には
彼の成功体験が
文通であり
時間も有り余っていたため
また全国に向けて
信長を追い払ってくれ。
似たようなこと
平安時代の末期にもありましたね……。
我が物顔で京の街を闊歩する平家を追い出せ
と指示を出して
追い払って来れた木曽義仲が
あまり穏やかな勢力では無かったため
更に別の勢力に……
のところが……。
こっち(信長)はそんなに暇ではありませんし、
今以上の厚遇を
汗水垂らして働いていない輩に
施す義務もありません。
むしろカットしてやりたいぐらいなんだけど……。
が室町時代。
何回も将軍が京から追い出されておりましたけれども
その都度
守護大名や信長などが
自身の勢力拡大を目的としているとは申せ、
足利家復権の手助けに尽力して来たのでありましたが
最後。
将軍を置き去りにして
国元に帰って行くことになりました理由は
幕府を滅亡させ、
自ら新たな秩序を。
の意志は無かったにせよ
織田信長や
幕臣であったかたがたが
最後。足利義昭を見捨てたのと
同じであったと思います。




