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鳴かぬなら

信長・秀吉。更には家康の性格を例えました作品としまして

後世に名を残すことになりました


鳴かぬなら


で始まります

3つの川柳がありますけれども

意外にも

と言っては失礼にあたるのかもわかりませんが

実は信長。我慢強かったんですよ。

の自己弁護をしてみようと思います。


まず最初に出て来ますのが

弟・信行

(正式な名前では無いとのことでありますが

一番わかりやすいの信行でありますので)

との後継者争いでありまして

その戦いに信長が勝利を修めましたあと

首謀者であります信行。

更には

林・柴田共々

一度目は許しております。


ただ信行が再度

となりましたので

(……是非も無し)


でありましたが

信行の息子

のちの津田信澄を咎めることも無く、元服後。

主に近畿周辺での活動に功績があり、

四国渡海の一翼を担うことが期待されていたのでありましたが

本能寺があり、

その本能寺の首謀者であります

光秀と親戚関係となっていたことが災いしまして

同じ四国渡海の準備をしていました

信孝と丹羽に討たれる

と言いました非業の最期を遂げることになっておりますが

私。信長が存命でありましたら

そのようなことになることはあり得なかった

と見るのが自然な流れであります。


信澄の親。

信行と共に

信長に向かって来ました

柴田・林両氏にしましても

林につきましては

(ここで想像を働かせても良いのでありますが

正直。不明なところありまして

追放となりました理由は

「記憶にございません」

なのでありますが)

一方、柴田に関しましては

赦免後。

数多の実績を修め、

本能寺時点では

北陸全般を統括する役目を担っておりました。


西美濃三人衆


斎藤家から織田家に主家を移すことになりました彼ら。

このような新参者は大抵

危険な最前線に配備されることが通常なのでありますが

もちろん武人でありますので

いくさの場に出ることは多々ございましたが

信長は彼らを

そのような

ある意味捨て駒として扱うようなことはしておりません。


ここで安藤氏が林氏

更には佐久間氏同様。

本能寺の2年前に追放されているのでありますが

……たぶんでありますが

信長が

息子信忠の管轄を大きなものにするため

邪魔となります

尾張・美濃に大きな所領を得ていました

彼らに対し、

難癖をつけ

追放した。

信行当時。

林と共に信長に向かって来ました

柴田は北陸に地盤を得ていたため

信忠の尾張・美濃経営の邪魔となることが無かったため

連座することが無かったことからしますと


実力主義を採用していたとは言え

(……息子に対しては

甘くなってしまったところがあったのかもしれません。)


六角氏


信長が足利義昭を奉じ京を目指す際、

通らなければならないのが

今の滋賀県でありまして

その滋賀県の内

北部に関しましては

妹を嫁がせていることもありますので

その当時の段階ではありますが

安全に通過することが出来ますし、


将軍家に連なるモノを。

でありますので

滋賀から京都への境に位置します

比叡山も

……たぶん問題無し。


残された障害は

滋賀県南部に勢力を誇ります

六角氏でありまして

上洛の手助けを依頼したのでありましたが

残念ながら交渉は不調に終わり、

力ずくで突破する

と言う選択肢を採用する結果になったのでありましたが


その説得工作にあたった日数はどれ程であったのか?

と申しますと

実に一週間我慢しました。


松永久秀


義昭の兄

義輝を無きものにしました

張本人であります

久秀に対し、

上洛をした際。

その後

謀反を犯した時も赦し、

更に

もう一度となることになりました

この食えないお年寄りに対しまして

(……茶器差し出せば赦すよ)

と連絡したのでありましたが


(……彼。火薬の扱いが出来るかたでありましたので)


以上のことからもわかりますように

私はけっして

鳴かなかったから

と言って

即座に。

と言うことはありませんでした。


むしろ

鳴くまで待とう

は私であろう。

ただ。

平安楽土

実現のため

となりました場合、


当時は選挙による政権交代

と言う方法はありませんでしたので

天下布武を掲げ

国の分裂状態打開を目指したのでありましたが

志し半ば。

本能寺で最期を迎えることになったのでありました。

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