天王山
12月1日でしたか。
今年の流行語大賞が発表されますのは。
ブッチホン
のように
選ばれて
初めて
流行っていることを知ることになる
新たな発見がありましたり、
上半期と下半期とを分けたほうが良いのでは?
と忘却の彼方に追いやられてしまっている
世の移ろいの早さを感じる場
ともなっております
この流行語大賞なのでありますが
(設定が信長でありますので)
ここでは信長最終年となりました
1582年。
天正10年に流行った言葉を振り返ってみようと思います。
今、天正10年で
漠然と検索してみましたところ
最初に目に飛び込んで来ましたトピックスは
どのような事柄であったのか?
と申しますと
旧正月。
安土城で参賀を催した際、
人の重みで石垣が崩れ
大惨事となる。
と言う出来事が記載されておりました。
(……杭打ちのデータが改竄されていたのでありましょうか?)
(……もう少し早い時期の出来事でありましたら
候補作には残ることになったと思われますが
……どうやら年が改まると同時に
取り上げられることが少なくなる。
全く無くなる。
出来事となることが予想されます。)
波乱の一年を暗示するような出来事から始まりました
天正10年でありますが
……そうですね……。
信長関連で。
となりますと
敵は本能寺にあり
是非も無し
今こそ御開運の時ですぞ
と言いました
本能寺関連。
時期的にも
6月。
アンケート調査が間に合う
この本能寺関連が
中心となって来ることと思われます。
そのほか
武田家滅亡
中国大返し
三日天下
清州会議
などのトピックスございますが
1582年の新語・流行語大賞を
1つ選ぶとなりますと
のちの世。
現代でも使われることの多い文言であります
天王山
こちらが大賞になることが予想されます。
予想されるのでありますが
そのキッカケとなりました
山崎の戦いに置きまして
天王山が
今、言われている様な
天王山の役割を担うことになったのか?
と言いますと
必ずしも
そうでは無く、
山崎の戦いで
明智・秀吉双方が重要視しました場所は
どこであったのか?
と申しますと
通ることの出来る狭い道
でありました。
この時代。
山崎一帯は沼地であったこともありまして
人が通ることの出来る
特に重装の兵士が進むことの出来る道は
天王山の下と沼地の間の
狭い範囲しか無かったため、
その通路を防ぐべく陣を構えました明智軍を
如何にして秀吉軍が突破するのか?
に主眼が置かれた戦いでありまして
一進一退の攻防がしばらく続いたのでありましたが
その局面を打開することになりましたのは
天王山に陣取りました秀吉軍では無く、
山崎の南。
淀川沿いを北上して来ました
秀吉方の池田軍が明智光秀本体を側面から突くことが出来た。
それだけの兵士を配備するだけの余裕があった。
秀吉方と光秀方の物量の差が勝敗を分けることになったのが
実際なのではありますが
淀川の沼地よりは
高さのある天王山のほうが
物語としては面白かったのか?
単にその土地を知らなかった
もしくは
いくさの素人のかたが
描かれました物語を
正史として捉えられてしまったのか?
わかりませんが
天王山は
天下を制する山
と言う位置づけとして
現代に伝えられることとなっております。
難所であることには変わりありませんが……。




