絶対悩殺宣言
「真君、ちょっといいかね」
食後、神社に向かおうとした真は優に呼び止められた。
「さっきはああ言ったがね……あぁその、水乃との結婚の話だ。私とてな、無理強いはしたくないと思っている。だが……水乃は今まで、君の魂を食らおうと集まる『怨鬼』共から君を必死に護ってきた。真君は気付かなかったと思うけどね。そして私達夫婦もまた、君に多大なる愛情を注いで育ててきたつもりだ」
「はい。それはもう、どんなに感謝しても足りないと思ってます」
「うむ。……水乃はな、とてもいい子だ。親馬鹿と思われるかもしれんが、気立てもいいし、料理も得意だし……あとはほら、女としてもその、蠱惑的な魅力を持っている。まぁつまりおっぱい大きいんだ。はっきり言って自慢の娘なんだよ」
「は、はぁ……いっ!? い、イタイっすよ優さん!」
目を血走らせて真の肩を掴む優。
「あれも君にふさわしい女になるよう日々自分を磨いているし、私もたまに男の目線で口出ししてきた……が! もし……もしも真君が、ウチの子を気に入らないというのなら……」
──ごくり。
真は固唾を呑んで続く言葉を待つ。
「真君の好きに調教してくれて構わないからなっ!」
──こくり。
真は差し出された優の手を取り、大きく頷くのだった。
真と水乃、並んで歩く二人は、昨日より幾分余裕を持って家を出た。
(水乃……オレの事どう思ってんのかなぁ……)
堪えきれず、水乃を横目で盗み見る真。目は必然的に彼女の蠱惑的な部分──柔らかそうに揺れる胸へと吸い寄せられていた。
まぁ、気持ちは分かるけどね。
「……はぁ……」
溜め息をつく真に気付いて、水乃はすぐに話題を切り出す。
「真様、見るだけではなく触ってみていただけませんか?」
「はいぃっ!? ななな、なんの事でしょうか!?」
「ふふ、真様ったら。さっきからずっとコレを見ていたでしょう?」
水乃はそう言って、胸元を指差す。
「……えっと、さ、触ってもいいの?」
「ふふ、怖がらなくても大丈夫ですよ。触るくらいなら問題ありません。ただ、壊さないように、そっと……優しく、ですよ」
そう言って立ち止まると、真の手首を掴んで自分の胸元へと誘導する水乃。必死に抵抗するフリも空しく、真の手は胸までの距離を徐々に狭めていく。
「あっ、すごいです真様……やっぱり、ちゃんと触れてる……」
「っておい! 触れってコレの事かよっ! ……ったく、期待して損したぜ」
真の手に触れたのは水乃の膨らみではなく、その前をふわふわと漂っていた薄ぼんやりと光る半透明の球体だった。
サイズはパチンコ玉程度。重みを全く感じさせないソレを見て、真はがっくりと肩を落とす。
「期待……? 何を期待していたんですか?」
「ああいやっ! 何でもねぇ、何でもねぇよ? うん、コレね、昨日のケサランパサラン」
「ふふ、違います真様。これは『幽鬼』の欠片といいまして、死者の魂の残骸です。昨日も不思議に思っていたのですが……これが見えているという事は、やはり真様は霊感に目覚められたようですね」
「霊感って……何で突然? オレ、今までユーレイの類は全然見えなかったのに」
「真様は生まれつき強い霊力をお持ちでしたが、霊感の方は眠っていましたから。恐らく死神のフェリシアさんと遭遇した事によって霊感に目覚めたのかもしれませんね」
なるほど、と頷いて『幽鬼』の欠片を空に放す。歩みを再開する真の横顔を見つめて、水乃は顔色を窺うように話を繋げる。
「死神といえば、真様。昨夜は大変でしたね」
「昨夜? あぁ~大変っちゃ大変だったなぁ……色んな意味で」
* * *
「ブウゥゥわあぁぁーーっはははははっ!」
いきなり下品な馬鹿笑いで失礼。たった今話題に上った昨夜の出来事──死神との契約~悩殺決定──のその後、笑いを堪え切れなくなった真が噴き出してしまったところさ。
「な、何? 何がおかしいの?」
「悩殺だよ悩殺! しっかり殺してくれよな、《インサイザー》!」
バシバシと背中を叩いてくる真から、リリーは身をよじって逃げる。
しかしリリーめ、悩殺を知らないとは無知な死神もいたものだな。
「し……真様……悩殺だなんて、そんな……」
「ミナノ、悩殺ッテ何?」
おおフェリシアよ……悩殺を知らないとは、なんて無垢な子なんだ。
「悩殺というのは……女が、その……とっ、殿方を誘惑して夢中にさせる事……です」
頬を染め、言葉を選びながら説明する水乃。
「魅了するって事……? ちょ、ちょっと! それってちゃんと殺せるんでしょうね?」
「いいや? 悩殺が成功しても命までは奪えないな」
「こ、殺せない殺し方!? 何よそれ、そんなのアリなの!?」
「殺がつくなら何でもやる、そう言ったのはお前だろ? くくく……」
勝ち誇ったように含み笑いをする真に、
「ふざけないでよ馬鹿ぁ! 契約しちゃったのよ!?」
リリーは地団駄を踏んで喚き立てた。
「お前が先走って勝手に契約したんだろ、責任持って悩殺しやがれ。上手に悩殺できたら次はちゃんとした殺され方をサインしてやるからさ」
悔しそうに歯噛みして肩を震わせるリリーは、俯いたまましばし黙り込む。
「…………本当に?」
「あ?」
「私があなたを悩殺できたら、本当にサインするんでしょうね?」
髑髏の面が、真を下から覗き込む。
「男に二言はない」
真の言葉に頷くと、リリーは襤褸を翻して距離をとる。
不安げに見守る水乃。
興味深く見つめるフェリシア。
「見てなさいよ、うぅぅ……アッハ~ン、私ノ為ニ死・ン・デ?」
「断る」
ああ、お断りだ。悩殺という行為に抵抗があるのは分かるけどさ、面の下顎部分を閉じて今の台詞はないでしょ。そんな地獄の底から響くような声で迫られても総毛立つだけだ。
「ムキィィィーーッ! 殺害シテヤルウゥゥゥッ!!」
──ガキィィン!
「リリー、死神ノ契約ハ絶対。掟ヲ破ロウトスルナンテ、死神失格」
真の頭上で火花が散る。リリーの鎌を受け止めたフェリシアの眼が、髑髏の中で赤い光を灯していた。
「身内ヲ殺スノガ嫌デ『グリムトゥース』ヲ脱退シタ人ニ言ワレタクナイ!」
それはごもっとも……いや、僕はありがたいけど。
「霧崎……コレデ勝ッタト思ワナイ事ネ。アナタハ必ズ、私ガ悩殺スルワ」
「サセナイ。ダッタラシンハ、ワタシガ先ニ悩殺スル」
「はぁ!? な、何でお前まで?」
「リリーニ目移リシナイヨウニ──シン、オマエヲワタシノ虜ニスル。ソウスレバリリーハ悩殺ヲ達成デキナイ。シンハ安全」
むむむ……それは僕を護るために、仕方なくそうするんだよね? 真に気があるとかじゃない……よね?
「あわわわ……あうぅぅ……」
ほら見ろ、水乃が半泣きになってしまったじゃないか。おい真、何とかしろ!
「おもしれぇ……やれるモンならやってみやがれ、死神どもっ!」
ああもう、この能天気野郎!