エピローグ
「嘘……できちゃったみたい……悩殺」
「あれっ!? マジで!? うわ、オレ……ええぇぇ~……」
しばし、沈黙する二人。先に静寂を破ったのは、リリーの方だった。
「……やだ」
発せられたのは、明確な拒絶の声。
「何でよ……何悩殺されてるのよ、馬っ鹿じゃないの!? あなたには宇佐美が居るでしょ!?」
「だ、だってしょうがねぇじゃん……可愛かったんだもん」
「だもんじゃないわよ馬鹿っ! 殺せないわよ……私っ、霧崎の事、殺したくない……!」
涙を浮かべて訴えるリリー。しかし、誰に訴えようと、どんなに願おうと、冥府の法則は変わらない。死神の役目も変わらない。
「リリー……」
あれほどまで任務遂行に執念を燃やしていたリリーが、今ではこの有り様だ。真はどうしていいか分からず、ただその場に立ち尽くしていた。
──からん、ころん。
その時、公園内に嗚咽以外の音が混じる。板石を叩く、乾いた木の音。不吉な夜にはいつも聞こえていた、下駄の鳴き声。
「やっほいシンちゃん。さすがは《業報者》、罪な男よのぅ」
振り返ったそこに居たのは、ニヤニヤと笑う比良坂黄泉。
そして、ハンカチを噛んで泣く宇佐美水乃。
無表情のフェリシア・クロフォード。
喜色満面の火柩。
戸惑う鬼強。
頬を膨らませて拗ねる鬼萌の姿があった。
「うぅぅ~真様ぁ、信じていたのに……信じていたのにぃぃ~……!」
「浮気者」
「否。英雄色を好むと申しまして、これも男の甲斐性なり。忠なれば即ち二心無し、拙者は上様の背中にどこまでも憑いてゆきまする~!」
「な、何だか凄い事になっているようだな、真」
「真君酷いっ! わたしというものがありながら!」
全ヒロイン集結の図、これは壮観だ。しかし成仏したはずの鬼萌まで登場となると、これはもう何が何やら。
「み、みんな! どうして……っていうか何で萌ちゃんまで居るの!?」
激しく混乱する真に、黄泉は更なる混乱の種を投じる。
「かっかっか! それはわしの計らいじゃよ。実はこのわし“比良坂黄泉”はな、冥府日本支部を預かる冥王、平たく言えば《閻魔大王》だったのじゃあ!」
「黄泉さんが閻魔……マジっすか……」
もはや驚く気力も無い。真はただ呆然と事態を眺めている。
「そんな! 冥王が《業報者》を見過ごしていたなんて……どういう事なんですか!」
リリーの疑問はもっともだ。しかし黄泉は威風堂々と胸を張って答える。
「それはのぅ、シンちゃんを一目見て気に入ってしもうたからじゃ!」
「完全に私情じゃないのよっ!」
リリーは敬語も忘れて的確な突っ込みを入れる。
「瑣事じゃよリリちゃん。じゃがシンちゃんは《業報者》、わし以外の冥府関係者に見つかればすぐにでもあの世行きじゃ。そこでわしは鈴音町に他の死神が寄り付かんよう“美少女幼馴染”として町に居座り、直々に死神の仕事を代行していたのじゃよ。シンちゃんに善行を積むよう命じたのも、もしもの時、地獄の責め苦が少しでも軽くなるようにするためなのじゃ」
何と、黄泉がそこまで考慮して行動していたとは……。
「じゃが努力の甲斐もなく、ついにシアちゃんがやって来おった。まぁ、シアちゃんはシンちゃんを護るために来たというからわしも安心していたのじゃが……シアちゃんを追い掛けてリリちゃんまでやって来たのは算盤違いじゃったのぅ」
黄泉にジロリと睥睨され、リリーは気まずそうに目を逸らすと頬を掻く。
「リリちゃんが現れた夜の事……わしゃあ魂消た。死神の殺害方法を“悩殺”などという屁理屈でやり過ごしたシンちゃんには度肝を抜かれたわい。見事生き延びてみせたシンちゃんのために、わしも何かしてやれないか……そう思った時、ピンと来たのよ。シンちゃんの地獄行きに執行猶予が付けられるかもしれん方策をな」
「な、何すか、その方策って……」
「八日前じゃよ。あの日わしは千の『怨鬼』を掻き集めた。倒しきれない数の敵を前に町とナノちゃんの双方を護るため、シンちゃんは命を擲って戦った。これはのぅ、最高の善行じゃ。この事実を“冥王会議”に提出すればシンちゃんにも執行猶予が付く、そう思ったのよ」
「ちょっと待った。あの夜『怨鬼』の大群を集めたのが黄泉さんって、それが本当なら許せないっすね」
得意顔で事の真相を語る黄泉を、一段低くなった真の声が止める。
「町と水乃、どっちも護るためにオレは命を捨てる覚悟までした。実際腹に刀をぶっ刺したりしてすっげー痛かったけど、まぁオレの事はいい。でも、水乃をあんな風にしたのは許せねぇ。一歩間違えたら、死んでたかもしれないのに……」
「何じゃ、その事か。わしとてナノちゃんを死なせるつもりは毛ほどもなかったわい。シンちゃんの助けが間に合わんかったり、万一ナノちゃんを見捨てようとした時は当然手を打つつもりじゃった」
「そうじゃねぇよ!」
腹の底から吐き出す、怒りの叫び。当時の事を思い出したのだろう、真は掌で目を覆うようにして軽く頭を横に振る。
「そうじゃないんすよ黄泉さん。黄泉さんが仕掛人なら、あの場で水乃が死んじまうなんて事はなかったと思う。そこは信用してる。だけど、あの時水乃が体験した痛みは……恐怖は……誰も肩代わりできない。そうじゃないんすか? 水乃だけじゃない、リリーも同じ目に遭ってる。黄泉さんがオレのために何かしようと思ってくれたのは嬉しいけど、そのせいでオレの周りにいるみんなが傷付くなら、オレは《業報者》として死を選びます」
「シンちゃん……」
真の言い分に、やや気落ちして俯く黄泉。
だが、次の瞬間にはいつもの意地悪そうな笑顔を作って、暗くなった場の空気を吹き払う。
「よくぞ言ったわ! やはりシンちゃんはいい男じゃな、わしが見込んだだけはある。こうなったら絶対に死なせたりせん。誰に何と言われようとシンちゃんを救うぞ! どんな犠牲を払ってもじゃ!」
「んなっ!? 犠牲が出るくらいならマジでやめてくれって!」
「いいや、やめてやらん。わしを本気にさせたシンちゃんが悪いんじゃぞ? 是が非でもシンちゃんには生き延びてもらわんとな。そうでなければ今回の作戦で恐怖と苦痛を味わった面々が浮かばれないじゃろう。大変だったんよ? この作戦を成功させるには《業報者》の力を覚醒させたり、リリちゃんがシンちゃんに惚れるように仕向けたり、稲荷の目付けやナノちゃんを黙らせたりしなきゃならんかったからのぅ」
嬉々として語る黄泉を見て説得は無理だと判断した真は、溜め息とともに作戦の結果を確認する。
「……で? 結局その何とか会議ってのは上手く行ったんすか?」
「駄目じゃった。善行がまだまだ足りんのじゃと。やっぱりシンちゃんには死んでもらうしかないのぅ」
おいおい聞いたかい諸君。あの戦いは結局ただの徒労だってさ。
「ここに来て結局死ねとおっしゃいますかアンタは!?」
「これこれシンちゃん、短気は損気じゃぞ? こんな時こそ『殺害契約書』の出番なのじゃ。リリちゃん、本ぷりぃず」
リリーから『殺害契約書』を預かった黄泉は、華美な表紙を叩いて誇らしげにのたまう。
「むふふ、何を隠そうこの『殺害契約書』というシステムはな、わしが提案したのよ。十年くらい前じゃったか……シンちゃんが死神に見つかった時に問答無用で殺されては面白くないと思ってのぅ、冥王会議での厳正な殴り合いの結果、コレがついに可決されたのじゃ。もしコレが無かったらシンちゃん、二学期初日でデッドエンドじゃったぞ?」
厳正な……殴り合い? え、話し合いじゃなくて?
「言われてみれば、確かに。ありがとう黄泉さん」
「うむ。そこでじゃ、シンちゃんには新たな殺され方を決めてもらいたいのよ」
そうだった。そういえば以前真はこう言ってたっけ。悩殺された暁には今度こそ真面目に殺害方法を記入すると。
しかし、殺され方を自分で決めるというのも中々どうして難しい。頭を捻ってはみるものの、一向に案が浮かばない。
「ま、こうなると思ってな、今回は特別にわしが考えておいた」
真の耳元で黄泉がひそひそと囁く。それを聞いた真は苦笑いを浮かべると大きく頷いた。
「な~るほどね~……こりゃあホントに、浮かばれねぇぜ」
「冥王会議でシンちゃんの件を議題に上げたからのぅ……結果として世界中の冥王に、延いては世界中の死神にシンちゃんの存在を知られてしもうた。これから色々あるじゃろうが、差し当たってはリリちゃんシアちゃんの手伝い、ナノちゃんの機嫌取り、『幽鬼』の保護や町のボランティア、そしてわしの暇潰しなどに付き合ってもらおうかのぅ」
最後のは余計だぞ、と言ってやりたい。
「良いかシンちゃん、善行を一つ一つ積み重ねて精進せい。それが生きるというものじゃ。なぁに、案ずるでない。わしがついておるでの、シンちゃんは大船に乗ったつもりでドドォ~ンと構えておれば良い!」
「その大船が三途の渡し舟でない事を祈りますよ……」
はぁ……黄泉の笑顔を見ていると、世界中の冥府関係者に真の存在を知らせたのは、むしろわざとじゃないかと思えてくる。
黄泉に言われた通りの殺害方法を記入した真は、リリーに本を返却する。そこに書いてある二文字に目を落とし、リリーも同じく苦笑い。
「いいんじゃない? あなたらしくて」
リリーは皮肉を込めて本を閉じると、破った控え用紙を青空に放り投げる。
「リリー・ハミルトン・アンクウは契約に従い、霧崎真を“忙殺”する!」
高らかに響く宣誓と共に本を鎌へと持ち替えて、一閃。真っ二つになったページは青い炎となって光に溶けた。
「殺害……決定!」