血塗れの三日月
「お、お前なぁ……オレが炎を消さなかったら丸焼きになってたんだぞ?」
「絶対にそうならないって、信じてたから」
不本意ながらも炎から解放され、リリーに腹の傷口を治癒された真だったが、その身体は一向に涼しくならない。むしろ余計に顔が火照っていくのを感じていた。
「う、上様ぁ~! 何たる無茶をなさりまする! 上様に身罷られては、しかもそれが我が剣によるものとあっては拙者、笠の台がいくつ飛んでも飽き足りませぬぅぅ~!」
刀から人型に戻った火柩に泣き付かれ、真もすっかり気勢をそがれてしまった。
「ったく……で? オレの計画をぶっ潰してくれたんだ、何か妙策でもあるんだろ?」
真は大きく溜め息を吐くと、腰に手を当てて話を進める。
「愚問ね。先輩、『フレスベルグ』を使います」
フェリシアが頷くのも待たず、リリーは両腕を伸ばして胸を反らす。すると、リリーの背から翼が展開した。
大きくて、しなやかで、艶やかな、烏の如き漆黒の翼。月影を赤く照り返す玄い翼が、夜風を孕んで羽毛を散らす。
その瞬間、真の炎から逃れて飛び去ろうとしていた『怨鬼』が再び境内へと呼び戻され、リリーの腹部へと吸い込まれていく。
「何だこりゃあ!? お前の胃袋はブラックホールかよ!」
あまりの吸引力に思わず軽口を叩く真だったが、リリーは苦しそうに顔を顰めたまま返事を保留にした。その余裕の無さに真は一抹の不安を覚え、
「おいおい、大丈夫なのかよ、コレ……」
投げ掛けた疑問には、リリーもフェリシアも沈黙で答える。そうこうしている内に作業は終わり、鈴音の町に平穏と静寂が戻った。
「お、お疲れ! ……もう終わったのか? オレ達、勝ったんだよな?」
「霧崎。私を切り裂きなさい」
あまりにも唐突な殺害要請。
すぐには言葉の意味を飲み込めず、ダジャレ? と乾いた笑いで返すも、真以外に笑っている人物はいない。
「何でだよ……終わったんじゃねぇのか?」
「『フレスベルグ』はね、災害や紛争によって多くの死者が出た時、一度に大量の魂を冥府へと運ぶための特別な霊術なの。今みたいに『怨鬼』そのものを取り込むのは本来の用途とは違うし、前例も無い事だから……ちょっと、心配だったんだけ……ど……ごほっ、ごほっ!」
ビシャリと、大量の血を吐いて膝を折るリリー。
「駄目だった、みたい」
弱々しい笑顔に、汗が伝う。
「お、おい! 何血なんか吐いてんだよ!? 駄目だったって何だ? 失敗したのか? 駄目だったら……どうしてお前を斬らなきゃなんねぇんだ?」
「う、内側から食い破られそうなの。あなたが斬らなくても私は死ぬし、そうなったらまた『怨鬼』が町に飛び散っちゃう」
「ざっけんなよ!? これのどこが妙策だよ!? オレの事さんざん馬鹿にしといて自分もこのザマか? 勘弁してくれよ。さっきから誰が『怨鬼』と心中するかって、そればっかじゃねぇか! こんな事になるくらいならオレが燃え尽きた方が百倍マシだったぞ馬鹿野郎!」
リリーらしからぬ体たらくに激怒する真だったが、
「馬鹿はあなたよこの馬鹿っ! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿っ! 苦しいんだから何回も言わせないでよ大馬鹿っ!」
口から吐血を撒き散らして馬鹿を連呼するリリーの迫力に気圧され、真は思わず口をつぐむ。
「前にも言ったでしょ? あなたは生きてる。私は死んでる。どっちが死ねばマシかなんて、今更考えるまでもないわ!」
「し、知るかよ! そもそも死神って、死んだらどうなるんだよ?」
「死神は……死なないわ。ただ、ここから居なくなるだけ」
リリーは真の目を直視せず、淡々と告げる。
「何だよソレ……ここから居なくなるって、そりゃ死ぬのとどこが違うってんだよ! 死人だから死ぬのは怖くないって、お前またそう言う気かよ!?」
「怖いわよ! あなたのせいなんだからね!」
真が再び口をつぐんだのは、気圧されたからではない。リリーが返した予想外の言葉に、真自身が困惑してしまったからだ。
「死神だもの。死ぬのも殺すのも怖くなかった。だけどこの町に来て……あなたと出会って、私の中で何かが壊れた。戦いで傷付く事も、《業報者》を殺す事も当たり前だと思っていた自分が、今は怖い。全部あなたのせい……あなたが私を生者として扱うから、私は最近、生きてる気がした。ここに居るのが楽しいから、ここから居なくなるのがすごく……怖いの」
訥々と語られる、リリーの素直な想い。死を超越した存在である死神が死を恐れる……それは確かに、壊れていると言えるかもしれない。
「……一つだけ、間違ってるぜ」
真は真っ直ぐにリリーを見つめると、照れ臭そうに笑って言った。
「生きてる“気がした”、じゃねぇ。お前はちゃんと“生きてる”んだ。そりゃ厳密に言っちまえば死んでるかもしれないけどさ。でも、お前は確かに生きて、ここに居た。だって、さ……」
真は指先で自分の唇にそっと触れる。
「お前──息してるじゃん」
瑠天山での人工呼吸。死の淵から目覚めて朦朧としていた真の記憶に、鮮明に残る唇の感触。
「は、ふぇぇ……ば、馬鹿ぁ! アレはあなたが溺れたりするからでしょ!」
真は笑った。リリーも笑った。フェリシアは首を傾げていた。
「はっははは……はは……。もう、話をする時間も無いか?」
「そうね、そろそろ限界かも。ふふっ、それじゃお願い……痛くしないでよ?」
死神と《業報者》。殺す側と殺される側。二人の立場は、今や完全に逆転していた。
やれやれ……何度転生を繰り返しても、面白い事は尽きないね。これだからやめられない。
死んだ後も、生きる事を、やめられない。
「安心しろリリー、痛いのは多分、一瞬だ。シア、行くぜ」
真の言葉にコクリと頷きを返し、繋がる掌。
「タイドアップ……“クロウ・オブ・ケナイン”!!」
金色を纏い、魂の緒は結ばれた。一挺の大鎌と化すフェリシアを肩に担ぎ、真は最期の言葉を交わす。
「あばよ……リリー」
血塗れの三日月が、リリーの身体を袈裟に両断する。リリーは黄金に輝く光の粒子となって闇へと還り、
──こつん。
髑髏の面が乾いた音を立てて地面を跳ねた。