愚か者の選択
二者択一。今、真の目の前に、二通りの未来が並んだ。
真は水乃に視線を移す。
神気と霊力を振り絞り、必死に『怨鬼』を押さえ込む水乃。しかし肉塊の増殖は悪化の一途を辿り、水乃の身体と意識が完全に飲み込まれるのは時間の問題に見えた。
「水乃……ごめん」
紡がれる、謝罪の言葉。真は決意と共に、一方の手を握り締めた。
「タイドアップ……“クロウ・オブ・インサイザー”!!」
真の叫びに呼応して、リリーの身体が黄金の光に包まれる。夜を侵食する魂の波動、再び神社に闇が戻った時、死神は一挺の大鎌と化していた。
《インサイザー》の名が示す通り、真が選んだのはリリー・ハミルトン・アンクウ。血に塗れたように真っ赤な輝きを放つ大鎌を担ぎ、真は言う。
「これがオレの選択……お別れだ、水乃」
なぜか唐突に別れを告げる真。
おいおい真、君はさっきから何を言っているんだ? リリーを選んだという事は、水乃を助けるという事だろう。だったら彼女に対して謝る必要はないし、別れの言葉も要らないはず。
君は一体、何を企んでいる……?
「うおおおおおおぉぉぉぉーーーーーーーッ!!」
魂を震わす叫び声が境内に響き、大鎌は真の手によって迷い無く振り下ろされた。
「よし、切り離した! リリー、戻れ!」
真は鎌を放り出すと、肉塊から剥がれ落ちる水乃を抱き止め安全圏へと退避する。血飛沫の代わりに噴き出す『怨鬼』の濁流には目もくれず、素早く水乃の状態を確認。
脈もあるし、呼吸もある。意識は無いが外傷も無い。すぐに意識を取り戻す事は無いだろうが、かくして水乃は救われた。
だがしかし、めでたしめでたしにはまだ早い事も承知済みだ。
「シンは無責任。ワタシを選ばなかった事、きっと後悔する」
相変わらずの無表情で言うフェリシアの声色には、どこか嬉しそうな色と、どこか悲しそうな色の双方が滲んでいた。
鎌から人型へと戻ったリリーは、水乃の身体に自分の襤褸を掛けながらフェリシアをたしなめる。
「先輩。霧崎が私を……ううん、宇佐美を選ぶ事は分かっていたはずです。さぁ! あなたの選択のお陰で手間が増えたわ。きりきり働きなさいよね、霧崎!」
上空へと飛び散っていく『怨鬼』の群れを見据え、リリーは鎌を構えて叫ぶ。
「いいや……手間は取らせねぇし、誰も死なせねぇ。死ぬのはこのオレ、一人だけだ!」
──ドシュッ!
真は腰に佩する火柩の化身、“幽餓刀・諫火”を抜き放ち、逆手に持ったそれを自身の腹に突き立てた。
フェリシアもリリーも、真の取った不可解な行動に言葉を失い、唖然として立ち尽くす。
「…………は? ちょっと霧崎、あなた……何してるの……?」
「ごふっ! ……お、おいおい、そんな馬鹿を見るような目でオレを見、見るな、よ……」
「馬鹿じゃなければどんな目で見ればいいのよっ! この馬鹿ぁ!」
「大馬鹿を見る目だ、馬鹿野郎。フツーの馬鹿は死ねば治るかもしれねぇけど、オレのは多分、死んでも治らねぇからな」
背中から生える刃を伝って血が滴り、神聖な境内を汚していく。
「へ、へへ……まぁ見てろって。ちょいと遅めの花火大会もオツなもんだぜ?」
その言葉が、開会の合図。
真の血液と霊力を燃料に、凄まじい勢いで火柱が立ち上る。
夜天を紅に染める劫火の渦は、町に飛び去った『怨鬼』を呼び戻す灯火となった。
『怨鬼』は夏の虫の如く火柱に飛び込み、次々と焼却されていく。
それはまさしく、“誘蛾灯”そのものであった。
「霊魂を引き寄せ、焼き尽くす……こいつが“幽餓刀・諫火”の最終奥義……“八大地獄・火柩”だッ!」
炎はさらに勢いを増して燃え盛る。だが、千の『怨鬼』全てを焼き尽くすには真の一命を丸ごと焼べても不足だろう。
しかし、なるほどね。水乃を助けると決めた時から、こうする事も決めていたって訳か。
あの謝罪と別れの言葉は、決意の印だったんだ。水乃を救い、町も救う──そんなわがままを叶えるために自身の命を供物とする……そんな馬鹿げた、だけど尊い、その決意の。
「やめなさい霧崎! あなた本気で死ぬつもりなの!?」
「おっと! 近付くなよ死神さん。『怨鬼』だろうが『幽鬼』だろうが、今のオレはお構い無しに誰でも焼き尽くしちまうぜ?」
一歩踏み出すリリーを制し、真はフェリシアに未来を託す。
「シア……聞いてくれ。このまま霊力を燃やし尽くしても、全ての『怨鬼』は殺し切れねぇと思う。だからさ、そん時ゃ責任持って、焼け残った『怨鬼』共とタイドアップする。オレの中に『怨鬼』が全部入ったのを見計らって、最後はお前がオレを斬れ」
真の言葉を聞いても、フェリシアは頷かない。
フェリシアの目的は、兄・フェリクスの魂を宿す《業報者》、霧崎真を護る事。守護の対象を自らの手で殺すなど、とても承服できるものではない。
『グリムトゥース』を脱退し、死神仲間から裏切り者と謗られても押し通ると決めた道、そう易々と譲る訳にはいかないのだ。
「……ダメ。できない」
「やってくれ。“ジャック・ザ・リッパー”の能力に、『怨鬼』を食って傷を癒すってのがあるんだけどよ……当然、食い過ぎれば消化が追いつかねぇ。お前がやらなきゃ、オレはさっきの水乃みたいな化け物になっちまうんだ。だから……な?」
紅蓮を纏った真の口元が優しく微笑を湛える。しかし、フェリシアはその笑顔に首を横に振って応え、足を後方へ動かす。
「馬っ鹿じゃないの?」
二人のやり取りを黙って聞いていたリリーはそう吐き捨てると、フェリシアに代わって足を前方へ動かす。
「いやだから、馬鹿じゃなくて大馬鹿だって……って、おい! 馬鹿っ、こっち来んな! 死ぬぞ!?」
「ハァ……あなたも分からない人ね。私はもう死んでいる、そう言ったでしょ」
リリーは大きく溜め息を吐くと、呆れた表情のまま歩を進める。
「止まれ! ……止まれよ馬鹿! 止まれ止まれ止まれ止まれ止まれえぇぇぇッ!!」
灼熱の炎に焼かれ、美しいブロンドの先端が火の粉になっても、リリーは眉一つ動かさない。
そしてついに──二人の距離は、零。
「もう……熱いじゃない、大馬鹿」
真の胸にしがみ付いて、目を細めるリリー。先に止まったのはリリーの足ではなく、真の炎の方だった。