究極の二択
鈴音神社、石段前。焦燥に駆られる真は、『アリアンロッド』の停車を待たずに飛び降りる。
石段に足をかけ、三段抜かしで駆け上がろうと力を込めた時、真は視界の端にある異常を見つけて立ち止まった。
「宇佐美の家が光ってる……なぁリリー、ありゃ何だ?」
真に続いて馬車から飛び出したリリーは、青白い光を帯びた宇佐美家を凝視する。
「あれは結界ね。家に結界が張られてるわ」
「結界っていうと、敵から身を護るために張る魔法の壁みたいなヤツか? だったら水乃は無事って事か? 家に避難して優さん達と一緒に立て籠ってるって事なんだろ?」
安堵して表情を和らげる真に、フェリシアが首を横に振って言う。
「違う。あの結界は何か変。外部からの干渉を遮断するだけじゃなくて、内部からの干渉も遮断している。誰かがスグル達を閉じ込めるために張ったモノと考えるべき」
「閉じ込める? 一体誰が、何の目的でそんな事……」
「分からない。けど、結界の中にミナノの気配がないのは分かる」
「マジかよ……くそっ、とにかく水乃を探そう!」
駆け付けた鈴音神社は、ひっそりと静まり返っていた。
ひび割れた鳥居、倒れた石灯籠、抉れた参道、砕けた狛兎、ひしゃげた破風……惨劇の爪痕はくっきりと残っている。
「う……嘘だ……こんな事って……」
学校に出現した『怨鬼』の数が、まず異常だった。
そしてそれを上回る数の『怨鬼』が、よりにもよって真達が離れた直後の神社を襲った。
死神曰く、『怨鬼』が大挙して狙い澄ましたかのように神社仏閣を攻撃するのは、極めて珍奇な事例であるらしい。
「水乃! どこだ水乃ッ!」
何者かの陰謀か、それともただの偶然か、今はまだ分からない。
とにかく真は走った。水乃の無事な姿を確認するまで、足を止める訳にはいかない。
拝殿を一瞥し、本殿に向かう。その途中にある神楽殿への参道で、真は見た。見つけてしまった。
宇佐美水乃の、無事ではない姿を。
「…………」
言葉にならない。
怒りと悔しさに潰された喉が、声を発する事を許さなかった。
水乃は、綺麗な顔をして眠っていた。トレードマークのシニョンは解けて流れ、月下に晒された雪の肌を隠している。
下半身は、無い。
「シン」
真の背中を、フェリシアの小さな手が支える。それは慰めではない。やらねばならない事をやる、その催促だ。
たった今、水乃は眠っていると説明したが、何も横たわっている訳ではない。下半身も無い訳ではない。
水乃は立っている。脚ではなく、形を成さない肉塊で地面を掴んでいる。
そう、水乃は取り込まれたのだ。千の『怨鬼』の器として、有象無象の腐肉の中に吸収された。
原形を留めているのは頭と胴のみ……水乃はもう、人ではない。討つべき……妖怪変化なのだ。
「……待って……生きてるわ!」
……何だって?
「宇佐美はまだ生きてる! 私なら彼女を救えるわ!」
「ま、マジなのか!? 頼むリリー! 水乃を助けてくれ!」
意外な人物によってもたらされた一筋の光は、更に意外な人物によって遮られる。
「シン、ダメ。リリーの『クロウ』はミナノ以外の人を殺す」
フェリシアの目に偽りは無い。真は逸る気持ちを抑えてフェリシアに説明を求めた。
「クロウ? な、何だそれ……あ~くそっ! もっと詳しく、三十秒以内で教えてくれ!」
「ワタシ達死神には、『クロウ』と呼ばれる切り札がある。《インサイザー》の『クロウ』は、悪霊とソレに憑かれた人の魂を切り離す能力。ミナノと『怨鬼』を切り離したいという今の状況には打って付け」
「だったら何がダメなんだよ」
「今、ミナノの体は千の『怨鬼』と繋がっている。リリーの『クロウ』でミナノと『怨鬼』を切り離せば、その瞬間、千の『怨鬼』が鈴音町に解き放たれる。そうなれば町中の人が死ぬ」
「千だろうが億だろうが、『怨鬼』が町を襲う前にこのオレがぶっ潰してやる! それでいいんだろ!?」
苛立ちに足を踏み鳴らす真は、知らずフェリシアを責めるように吠え立てていた。
「できるならそれでいい。できないならそれじゃダメ。シンなら分かってるはず」
「分からねぇよ! じゃあ何だ? 水乃を見殺しにすれば町は救われるのかよ!?」
「うるさい」
冷静さを欠く真の首筋に、冷眼のフェリシアが鎌を宛てがう。鎌から吹き付ける冷酷な冷気を感じて、真の顎に冷汗が伝う。
「ワタシの切り札、《ケナイン》の『クロウ』がある。千の魂を斬り殺すワタシの『クロウ』は、千の『怨鬼』を一度に斬り殺したいという今の状況には打って付け」
フェリシアの言葉は、水乃ごと斬り殺すという残酷な意味を孕んでいた。
選択肢一……水乃を救った後、溢れ出る千の『怨鬼』を地道に仕留める。
選択肢二……水乃を見捨てて、その身体ごと千の『怨鬼』を一挙に葬る。
前者は町に甚大な被害を与え、後者なら町への被害は皆無だ。
「シン。町を助けたいならワタシとタイドアップして《ケナイン》の『クロウ』を使って」
そう言って差し出される、フェリシアの小さな掌。続いて、
「……宇佐美を救うなら私とタイドアップしなさい。その後に何が起こっても、死神があなたの選択に罪を問う事は無いわ」
繊細な指を揃えた、リリーの掌が差し出された。