御役御免は先の先
いつもより少しだけ明るい時間の下校風景。真達の向かう宇佐美宅と黄泉のアパート曼珠沙華、その分岐点となるいつもの公園までの道を歩く。
例によって、強は今日もバイトのため別行動と相成った。
「ちぇ、どうせオレらは変態カップルですよ」
唇を尖らせて腐る真に、苦笑いでごまかす女性陣。
フェリシアに至っては悪びれる様子も無いよ畜生。
「上様。拙者は他人の振りなどと無体はせず、いつでもお側に控えてござりまする」
「ちょ!? 何よ、周りの目を気にしなくていい人は余裕よね」
火柩の抜け駆けにたじろぐリリーを見て気を良くした真は、殊更挑発するように火柩の頭を撫で回す。
「あー火柩は可愛いなぁ! それに引き換え他のヤツらの薄情な事薄情な事」
「し、真様! 水乃が間違っておりました。真様にどのような悪評が立とうと、水乃と真様は家族に変わりありません」
早速の釣果に真は喜色満面。さらに、
「シンちゃん済まぬぅ! わしも許してたもれ~」
「分かったシン。ワタシも変態の仲間」
まさに入れ食い状態だ。訂正しよう……やはり君は《業報者》であると同時に世界一の果報者でもあると思うぞ。
さて、残るはリリー・ハミルトンなのだが、彼女は深海に生息しているからなぁ。
「ふ、ふん。他人のフリなんて真に受けないでよね。あなたが鬼妹の未練を断つために行動してたのは私もちゃんと知ってるもの。それに……き、霧崎は優しいって、事も……」
暗い深海を孤独に漂っていたリリーの口元まで、真の針は届いていた。
死神との遭遇から一週間も経たない内に、不可視の糸は緊密に二人を繋いでいたんだ。
そしてリリーは水面に顔を出す。そこはきっと、彼女にとって眩し過ぎる世界。広過ぎる世界。すぐには慣れないかもしれないけど、この温かさと美しさは、必ず心地良いものに変わるはずだ。
「お、おう。へへっ、何だかお前に褒められると悪い気しねぇな。……まぁ、アレだ。オレが優しいかどうかは置いといて、今夜はオレも悪霊退治を手伝ってやるよ。いいよな水乃、火柩」
リリーの予想外に素直な反応に戸惑いつつ、真は水乃に出陣許可を求める。水乃も《業報者》として力に覚醒した真の戦闘技術は認めているが、危険と決まっている場所にわざわざ送り出すのは躊躇いが先に立つ。
「み、水乃は……水乃は……巫女神楽の、練習がありますので。今夜の『怨鬼』懲伏は真様にお任せします……えへへ」
しかし水乃の選択は、躊躇いよりも先に男を立てるものだった。
ここで真を戦いから遠ざけてはせっかくの向上心を阻害する。そして何より、水乃が真を全く信用していないようにも取れるではないか。
危険な事はして欲しくない、自分の側に居て欲しい──そんな本音は押し隠し、感情は押し殺し、水乃は死神に、愛する人を明け渡すしかなかった。
「いよっしゃ、任されたぜ! 火柩も今夜は頼むな!」
「承知してござりまする!」
霧崎は優しい……ねぇ。張り切るのはいいけど、水乃の気持ちも尊重してやれよ、少年。
「真君、くれぐれも怪我の無いようにな」
「心配だわ~……水乃ちゃんも舞の練習なんか止めて一緒に行けばいいのに」
時刻は二十時を回った。死神達とは特に時間を決めて待ち合わせた訳ではないが、頃合いとしてはそろそろだろう。
宇佐美家玄関、上がり框に腰掛けて靴を履く真の背中に、いつになく神妙な父母の声が掛かる。
夕食も腹八分目、真は靴紐をいつもより強めに結んで立つ。優と深代の見送りに笑顔で応える真は、二人を安心させるように見得を切る。
「見せてあげますよ……宇佐美が見初めた《業報者》の性能とやらを。霧崎真、行ってきまーす!」
火柩を伴って歩く真は、行き先を思案する。住所不定の移動式住居、幻影馬車『アリアンロッド』の所在は不明。
しかし全く当てがない訳でもない。真は始まりの地、鈴音中央公園へと足を向け、
「と、その前に……」
宇佐美が管理する鈴音神社の鳥居を潜り、境内を進んだ。神楽殿で舞の練習に励んでいる水乃に、一声掛けようという腹積もりらしい。
「あれ? いねぇぞ」
神楽殿は厳粛な闇に包まれ、人の姿はどこにも無かった。真は水乃の行方を追って、さらに境内を捜索する。すると……、
「はぁ……真様……」
溜め息は、本殿から零れて消えた。吐息の中に自分の名を見つけた真は、足音と気配を殺して近づき、壁越しに息を潜める。
「今頃真様は死神と仲良く夜のお散歩……水乃は……独りぼっち」
消え入るようなか細い声は、寂寞の夜に深く染み入る。そっと中を覗き見ると、巫女装束姿でしゃがみ込んだ水乃が黒ちゃんの頭を優しく撫でていた。
「ふふっ、ごめんなさい。黒ちゃんが居るから独りじゃありませんね。……ウサギは寂しいと死んじゃうと言います。黒ちゃんはいつも独りで、寂しくありませんか?」
〈神様だから平気だよ〉
今のは水乃お得意の腹話術……ではない。
生き物には魂があって、死後の世界もちゃんとある。幽霊も居るし、多分悪魔も、妖怪も居る。ならきっと……喋る神様ウサギだって実在するはずだ。
──至って普通の高校一年生。
僕は最初に霧崎真の事をそう説明したけど、これはもう完全に間違いだったね。この場を借りて諸君には深くお詫びします。
「真様のお側にはもうフェリシアさんが居ます。彼女はとても強くて、可愛いです。水乃では太刀打ちできません。彼女ならきっと、真様を危険から護り抜いてくれると思います。リリーさんも悩殺にはそれほど積極的ではない様子なので、しばらくは安全でしょう」
死神二人の評価を、水乃は淡々と語った。
「真様自身も、《業報者》として頭角を現しています。真様は強くなりました。もう水乃がお護りしなくても、独りで戦えますね。水乃はきっと……もう、御役御免なんです」
「そいつはどうかな」
水乃の後ろ向きな独白に業を煮やした真は、盗み聞きを早々に切り上げて異を唱える。
「し、真様!? いつから……」
「悪いが今の話、一部始終聞かせて貰ったぜ。おうおう、水乃! 黙って聞いてりゃ言いたい放題言いやがって、シアがオレを護れると本気で思ってるとしたらお前の目は節穴だ! アイツのせいでオレが何回死にかけたか分かってるのか? リリーだって同じだ。アイツにオレが何回悩殺されかかったと思ってる?」
「えぇーっ! 悩殺されかかってたんですか!?」
後半は明らかに失言だったな。前半も何かの間違いだと思いたいけど。
「ゲフンゲフン! まぁそれは置いといて。オレが強くなったってのも間違いだ。誰かの力を借りて戦うのがオレの戦闘スタイルだからな、一本立ちなんてこの先ずっと有り得ねぇ」
傍らに控える火柩を見て、真は自嘲気味に口元を歪める。
「それにさ……水乃は知ってんだろ? ホントのオレは、超カッコ悪ぃ泣き虫野郎だって事」
鼻の下を擦り、照れ臭そうに笑いながら水乃の隣まで歩く。真の思い掛けない言葉に、水乃はゆっくりと立ち上がって思い出す。
「真様……あの時の事、まだ憶えて……」
フラッシュバックする、幼き日の光景。真が宇佐美の家に引き取られて間もない、夏祭りの夜。優と深代に縋り付いて泣きじゃくる真の顔を、水乃は今でも忘れない。
「だからさ、御役御免ももうちょい先になる。オレと水乃が、け、けこっ、結婚、してさ……子供を授かるまで……そうだっ! 一人っ子なんてケチな事言わねぇでさ、二人でも三人でも作ればいいじゃねぇか! そしたら『怨鬼』とも姉妹で戦えるだろ? 安産祈願に子宝祈願、黒ちゃんに頼めばご利益バッチリだもんな!」
な、なんというセクハラ発言。こんなふざけた台詞が慰めになるものか。
「し、真様……はいっ! 御役御免が楽しみです!」
……僕はもう何も言うまい。
〈あ、あの……シン君、ミナノ。鈴音高校から『怨鬼』の気配を見つけたよ〉
真っ赤な顔で見詰め合う二人に気を遣い、遠慮がちに黒ちゃんが報告する。
「ついにお出ましか! 待ってろ水乃、ちょっくら学校の平和を守ってくるぜ!」
「行ってらっしゃいませ!」
火柩を連れて境内を駆け抜け、鳥居下の階段を駆け下りる。その途中で、
「迎えに来た。シン、ヒツギ、早く乗って」
朧に揺らぐ幻影馬車が、示し合わせたかのように滑り込んだ。
『アリアンロッド』の中は、おどろおどろしい外観とは打って変わって少女趣味全開の空間が広がっていた。
「よく来た、シン。すぐに着くけどゆっくりしていってね」
そう言って真の足元にそっと置かれたのは、ゲームセンターのクレーンゲームなどで目にする大人気キャラクター、“リラックリオネ”のクッション。
予想外に可愛らしいフェリシアの趣味に、真は驚きを隠せないでいた。
「お、おう……サンキュ……。お前の使ってるソレも可愛いな」
「だめ。“パカラナさん”はワタシ専用」
ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめて剥れるフェリシアの可愛さは異常だ!
「べ、別に盗りゃしねぇよ。ったく、いつもの無愛想キャラとのギャップがハンパねぇな」
馬車の中は異次元にでもなっているのか、外から見るより広々としている。その上、車輪からの振動も騒音も一切感じないので、実に快適な乗り心地だ。
「き、霧崎。またこういう機会があったら私の馬車にも乗りなさいよ。その時は私のお気に入りの“たれながすくじら”クッションを使わせてあげるから」
相乗りしていたリリーからの誘いは丁重にお断りさせていただこう。
緊張感の欠片もない無駄話が続く中、進路上にある全ての遮蔽物を透過して走行していた『アリアンロッド』が停車する。目的地である鈴音高校、その校門前に到着したようだ。
馬車から飛び出した真達は校庭まで駆け付けると、そこに渦巻く妄念の瘴霧に息を呑む。
「これはしたり。かように多勢の異形、拙者の記憶を顧みてもそう多くはありませぬ」
戦国乱世より今日までを漂ってきた火柩をしてそう言わしめる、おびただしい数の『怨鬼』。だがしかし、地獄絵図にも勝るこの光景を前にしても真達は怯まない。
「ようリリー、学校に教員やら生徒やらが残ってる可能性は?」
「ご心配無く。死神の仕事に観客は居ないわ」
「上等。そういう事なら暗転幕も要らねぇな」
早秋の夜に浮かぶ白い吐息。血気に逸る真の手に、火柩の指が重なった。
「行くぜ……タイドアップ!」
絡み付く『死の悪寒』を切り裂いて、業火の剣が燼滅の開演を告げる。赫灼と夜空を焦がす錬鉄を翻し、真は雄叫びを上げて地を蹴った。