最初で最後の口付けは
時刻は午後六時を回った。日は傾き、オレンジ色の光が楽園を染める。
「あ、あのさ……マジでこれに乗るんデスカ?」
大観覧車を見上げて恐々と真が零す。見回すと、そこには真達同様カップルの群れが……いや失礼。真達以外はカップルだらけ、だったね。ここ重要だから訂正させて欲しい。
「う、うん……やっぱり最後はこれじゃないと」
「いや~……密室は勘弁して欲しいなぁ~なんて……はは」
萌は緊張した面持ちで真の顔を見下ろす。
「真君の顔、赤いね。わ、わたしもね、今すごく緊張してるよ」
はにかんで胸に手を添える萌。その動作によって上腕二頭筋が隆起し、制服の袖が悲鳴を上げて千切れた。
その様子に乾いた笑いを浮かべる真の隣に、やがてゴンドラが辿り着く。
「足元にお気をつけ、てっ!? え……あっ、ごゆっくり……うわ」
オペレーターに生温かく見送られ、二人はゴンドラに乗り込んだ。
「真君……今日はありがと」
地上との、暫しの別れ。口火を切ったのは萌の方だった。
「今日はね、すっごく楽しかったの。男の子とデートするのって初めてだったんだよ?」
「あ、ああ、オレもだよ……男とデート……」
うん……本当にな。
「こうしてまた逢えたのに……もうすぐ……」
一呼吸の沈黙。そして──、
「お別れなんだね」
ゴンドラからの眺めを目に焼き付けて、萌は小さくそう言った。
「……萌ちゃん……」
この観覧車が一周する時、萌の願いは成就する。それは萌の成仏をも意味していた。
萌は今、どんな気持ちなのだろう。
一度目の死は交通事故。その凶報を受けた時、真は耳を疑った。
中学時代を共に過ごし、これから同じ高校に通うはずだったその女の子が──自分の知らない内に帰らぬ人となっていたなんて。
恐らく萌本人でさえ、自分の死を理解する間も無かっただろう。それが今度はどうだ。ゆっくりと、そして確実に迫る、死という終焉。
萌は一体、どんな気持ちでそれを迎えているのだろう。
「真君は覚えてるかな、わたしと真君が初めて出会った日。真君はね、あっと言う間に悪者をやっつけて、わたしの事を助けてくれたの。あの日からずっと……真君はわたしの王子様だったんだよ?」
「……うん」
萌と過ごした日々が、鮮明に呼び起こされる。長いようで短かった中学の三年間。一緒のクラスになる事は無かったけど、真の側にはいつも萌の姿があった。
……いや、違う。萌はいつも、一歩引いたところから真を見ていた。真の隣には水乃や黄泉が居て、萌はそれを眺める事しかできなかったから。
「ねぇ真君……キス、しよ」
真の目に映るのは、もう強じゃない。あの頃と変わない、鬼萌の姿がそこに在った。
「分かった」
緊張に強張るこの肩も、切なく震える唇も、熱く潤む双眸も全て、今この瞬間だけは紛れも無く萌のものだ。
ゴンドラも、真と萌の感情も、頂点に達する。天国に最も近いこの場所で、終末の世界を焼き尽くすような緋色の中で──二つの影が、重なった。
「っ……ん……」
最初で最後の口付けは、温かくも柔らかくもなくて。ただ冷たく、硬い……刃に口付けたかのような死の感触だった。
「最ッ……低……」
嫌悪感を絞り出したような声がすぐ隣から聞こえ、真は慌てて顔を離す。
声のした方を見ると、そこにはこめかみを押さえるリリー、そして虫ケラを見るような目をしたフェリシアが居た。
リリーの手には大鎌が握られ、真と萌はその鎌越しにキスをしていたらしい。
「おわぁっ!? 何でお前らがここに!」
「宇佐美に頼まれて尾行してたのよ。最初から、ずぅっとね」
真の疑問に答えるリリーは、溜め息混じりに肩を竦める。
「うっそぉ……え、一緒のゴンドラに乗ってたのにどーして姿が見えなかったんだ?」
「姿を消し、気配を隠すのは死神の基本」
真の疑問に答えるフェリシアも、溜め息混じりに肩を竦めてみせた。
「それにしても、あなた達……」
リリーは萎縮する真と、気持ちが昂って気絶した萌を見比べて、
「本当に男同士でキスするつもりだったの?」
言葉のナイフをブスリと突き刺した。
「変態」
フェリシアの一言にも言い返す余地は無い。真はただ呻きながら、己の犯そうとした過ちに打ち震えていた。
「ま……一応ついて来て正解だったわ。あなたを悩殺するのはこの私だもの。こんな男に先を越されたら立ち直れないわ」
「シンを悩殺するのはワタシ」
こんな時にまで対抗意識を燃やすフェリシアだったが、萌が意識を取り戻す気配を感じ取って姿を消した。
「じゃあね、これ以上変な気は起こさないでよ。最後まで見張ってるんだから」
そう捨て台詞を残してリリーも消える。
「ぅ……く……ここ、は……? 俺は萌を呼び出そうとして……ハッ!? そうだ! 早く真に知らせ、ない、と……?」
目覚めたのは萌ではなく、強の方だったようだ。つまり、萌はもう天に召されたという事なのだろうか。
あぁ、天国は無いから冥府が正解だな。
「真! 良かった、お前を探していたんだ。早くここから逃げろ、萌は何かを企んでお前と会って何かを企む気……ああくそっ、俺は何を言ってるんだ! とにかく急いで」
「落ち着け強。もう終わったよ、何もかも。もう……終わったんだ」
赤子をあやすように、真は優しく強の背中に腕を回す。
落ち着きを取り戻した強が自分の異変に気付くのには、そう時間は掛からなかった。
「なぁ、真よ。俺は一体……どうしてこんな格好を……?」
泣くな強。乙女の格好をしていても、お前は男だろ?
「萌ちゃんが来たんだ。その格好で神社まで押し掛けて来て、今はこの通り遊園地デートの真っ最中ってワケさ」
事情を把握した強は、怒る事も嘆く事もできずに複雑な表情を作る。
「そう、か……萌が……。真、結局あいつはどうなったんだ?」
「萌ちゃんはもう帰ったよ。だからオレ達も帰ろう……そう、一刻も早くッ!!」
ゴンドラが地上に戻った瞬間、真は強の手を取って走り出す。若いカップルに笑われ、家族連れに指差されながら、真と強の二人は真っ赤な園内を真っ赤になって駆け抜けていく。
「……萌ちゃん。オレ、忘れねぇから……」
誰に聞かせるでもなく、真は口の中で小さく誓う。
そうだな、真。萌の純真で真っ直ぐな想い、こちらも真摯に受け止めようじゃないか。
「今日の仕打ち、絶対に忘れねぇからなあああぁぁぁーーーっっ!!」
あの世まで届かせるように、真は腹の底から怨嗟の呪文を唱える。
あ、そっちの意味ですかそうですか……。