変わり果てた親友
「ん……ぅ、懐かしい夢、見ちまったな……」
朝日差し込む真の部屋。その光に瞼をくすぐられ、目を閉ざしたまま残夢に浸る。
「あっ、う……上、様ぁ……」
「その声は火柩だな。おはぎゃああああ!?」
全く真の奴、強の手が柔らかい訳ないだろう。起こしに来てくれた火柩の胸の谷間に、君は寝惚けて掌を差し込んだんだよ。
──コンコン。
「おはようございます、真さ」
「わりぃ!」
今部屋の外から水乃の挨拶があったようだが、そんなものは二の次。真は目にも留まらぬ速さでスパッと谷間から手を引き抜き、痴漢行為を詫びる。
しかし抜いた拍子に指が襟元に引っ掛かり、火柩を自分のベッドへと引き倒してしまう。
「真様? どうかなさいましたか?」
──ガチャ、バタン。
「ちょ待ッ、言い訳くらいさせてっ!?」
一秒もかからず状況を悪い方へと汲み取った水乃を追い、真は火柩を押し退けて部屋を飛び出す。
「待ってくれ水乃っ、今のは違うんだ!」
「いやっ、来ないで下さい! 真様を信じた水乃が馬鹿でした!」
「違う、馬鹿はオレだ! 正直に言う、今回はオレが悪かった! だから聞いてくれっ!」
水乃の腕を捕まえて壁に押し付けると、真は真剣な眼で彼女を見つめる。
「アクシデントはあった。それは認める。寝惚けてて、少し胸に手が当たったかもしれない。けど二つだけ信じてくれ! 火柩は悪くないし、オレも故意でやった訳じゃない!」
そうだ真、正直に謝るのは良い事だ。だけど正確には“少し胸に手が当たったかも”ではなく、“思い切り揉みしだいた”だろ?
「もう、いいです。いいですから……その……」
完全に和解……とはいかなかったものの、とりあえず最悪の事態だけは回避できたようだ。
水乃の仏心に感謝して、失くした信用をこれから着実に取り戻して行こう。
「あ、あらあら……朝から過激ね~……」
「な、なぁ母さん、我々も今晩……ごほんっ!」
だから真よ。ノーパン睡眠法……そろそろやめないかい?
「こっ、こここれは違いますッ! ボクは無実だし娘さんも潔白ですッ!!」
またもや最悪の事態だけを綺麗に回収してしまったらしい。浮かばれない……本当に浮かばれないね、君って奴は。
「はぁ~……浮かばれねぇぜ。優さん達にあんな姿……オレってば完全に変態じゃねぇかよ」
鈴音神社の祭神、蒼眼の黒兎に御膳を出す。脇目も振らずペレットに食い付く黒兎の頭を、真は優しく撫で付ける。
「案ずるには及びませぬ。お父上もお母上も、それに水乃殿だって、上様が思うほど気にしてはおりませぬ」
そう言って励ます火柩もまた、自分への不埒を咎める事は無かった。
「火柩もごめんな。寝惚けてたとはいえ、む、む、胸に……」
「心得違いをなされては困りまする。拙者、上様に触れていただく事こそ本懐と致すところ。拙者が現世に留まることの由、よもや忘れた訳ではありますまい」
そう言って跪く火柩は、上目遣いに真を見る。
「わ、忘れちゃいねぇけど……でもなぁ……」
「心得ておりまする。姦夫姦婦は重ねて四つと申しますように、拙者も水乃殿の目が怖い。ですがもし、もしも許されるのなら……拙者を側室として、いえ! 側室などと我意も通しませぬ。せめて慰みとして、そ、そのぉ」
「さ、さてっ! 早くしねぇとガッコに遅刻しちまうぜっ!」
火柩の熱っぽい視線を振り払い、真は芝居っぽく咳払い。しかし、
「本日は日曜日、学舎が休みだという事も存じておりまする。煙に巻こうとしても無駄ですぞ」
逃げ口上をあっさりと看破されてしまう。
「だ、駄目だ駄目だ! 色んな都合でとにかく駄目だ!」
逃げるように本殿を後にする真。追い縋る火柩を無視して境内を早足に進むと、そこである異変に気付き、立ち止まる。
いい反応だね、真。用心しろ……鳥居の裏に隠れて──誰かがいる。
「誰だ! 出て来やがれ!」
何かあってもすぐに応戦できるよう、火柩の肩を抱いて鳥居に叫ぶ。真の言葉に応じて、鳥居の陰に潜む影がゆっくりとその姿を現した。
「そんな……嘘、だろ……?」
目を見開いて絶句する真。それもそのはず、影の正体は真のよく知る人物──鬼強だったのだから。
それなら真は何をそんなに驚いているのかって? よくぞ聞いてくれた諸君。確かに諸君の言う通り、強が神社を訪れる事自体には何の不思議もない。
だが……強の惨状を見れば、真の心情も自ずと理解できるはずだ。
「惨い。あの精悍な強殿が、豪侠な強殿が、何とした事……くッ!」
「きょ、強……お前、何があったんだ? どうしてお前が、こんな目に……」
真も火柩も、目を側めて声を震わす。変わり果てた強の姿は、とても直視できるものではなかった。
できれば僕も見たくはない。強のこの有り様は、正直吐き気を催すほどだ。アパートから神社までの道程をこの状態で歩いて来たとなると、彼はもう手遅れだろう。
だけど……僕は傍観者。この状況を、諸君にお伝えせねばなるまい。
「強……お前は男の中の男だった。なのに……どうしてこうなっちまったんだよおぉぉぉぉーーッ!!」
そう、男の中の男だったはずの強は……女装、していたんだ──。