切り裂き魔の覚醒
お帰り諸君。これで事の顛末は大体お分かり頂けただろう。
そう、真とリリーが川に落ちたのは詰まるところ、ウチの妹の仕業という訳さ。本当にやる事為す事裏目に出る妹で、兄として恥ずかしくなってきた今日この頃です。
「ごっはぁ! げほぁっ、んぐぅ……く……」
口から大量の水を吐いて、爽やかとは正反対の目覚めを味わう真。
「……おはよう。しぶといわね、あなたも」
上体を起こした真に背中で言うリリーの耳は、火が出そうなほど真っ赤だけどね。
「ごほっ、今回ばかりは死ぬかと思ったけどな……ま、お前も生きてて良かったよ」
「……馬っ鹿じゃないの」
ツンとした言葉には、デレの欠片も見当たらない。突き放すような冷たい響きが、その言葉から滲み出ていた。
「私、生きてないわ」
「いやまぁ死神なんだし、そりゃそうかもだけどさ」
「あなたは生きてるでしょ。何で大切な命張って死神を……死人なんかを助けようとするのよ。意味分かんない、頭大丈夫?」
「……あ? 知るかよンナ事! 何だよ人がせっかく助けてやったのにさ、川に落ちた時死ぬほど痛かったんだぞ!? 死んでたってなぁ、痛ぇのは怖ぇだろっ、死人でもよぉ!」
「死人に怖いものなんてないッッ!!」
リリーの怒声に木々が震え、蝉の鳴き声が一斉に消える。
真を見据える瞳。その青緑の瞳には、決意の光が宿っていた。
確かにそうだ。死神の辞書に恐怖という言葉はあってはならない。グリムトゥース・インサイザーともなれば尚の事。
しかしリリーの瞳には、隠し切れない恐怖心が見て取れる。どんなに強がっていても、怖いものは怖いのだろう。
その潤む瞳に見つめられ、罵倒されて暴走していた真の心も氷を投げ込まれたかのように落ち着きを取り戻した。
「はぁ……そうかよ。ま、今はそれでいいけどな。……でもさ」
真は自分の唇を指でなぞり、言葉を区切る。
「助けられたのは、むしろオレのほ……うわ寒っ!? 何だこの寒さは!」
「……来る……!」
吐息も凍る、無音の世界。『死の悪寒』がすぐそこまで迫っていた。
「お、おいおい嘘だろ、こんな真っ昼間っから……」
「霧崎、逃げて!」
河原の石を蹴って走るリリーは、真から少し離れた場所に陣取って敵を待つ。
死神の象徴を振りかざす姿は月の下では凛々しくとも、日の下ではやや滑稽に見えた。
「はぁあっ!」
地面から湧き出す『怨鬼』の首を葦の茎ごと刈り取る。空から襲い来る『怨鬼』の胴に飛沫を上げて切り付ける。
《ケナイン》のお株を奪う迷い無き斬撃を重ね、《インサイザー》は虹を纏って敵を薙ぐ。
──がちゃり。
その時、真の背後で音がした。硬質で軽い、石と石がぶつかり合うような、そんな音だ。
「あ……ぁぁあ……」
否、それは石と骨のぶつかり合う音。
首を回して見た背後には、申し訳程度に腐肉で着飾った骸骨の化け物が立ち、眼球無き眼窩で真を見下ろしていた。
「やだ、霧崎! 駄目ぇっ!」
真の胸に、骸骨の腕が突き刺さる。貫通こそしなかったが、これでは間違いなく致命傷だろう。
それに気付いたリリーは、眼前の敵を捨て置いて川辺を跳ねる。しかし、足元から無数に伸びた青白く仄光る腕が、リリーの身体を無造作に引き倒した。
「ひっ!? やだっ! やだぁっ!!」
青白い腕に身体の自由を奪われ、抵抗もままならぬまま『怨鬼』の群れに飲み込まれていくリリー。
その様子を眺める真もまた、胸先から骸骨の腕を生やしたまま一歩も動けずにいた。
(何だよ、この有り様は……オレ死にそうじゃん。リリーも死にそうじゃん。いや、リリーはもう死んでるんだっけ? なら別に平気じゃね? あれ? でも……泣いてるじゃん。アイツ、泣いてるじゃねぇか。最悪だ。最低だ。そういえば昨夜もそうだった。オレはみんなが戦って傷付いていく間、何もできなかった)
──やれやれ。浮かばれないな、君も。
(オレには何かできないのか? 喧嘩なら自信あるぜ。一日百善とかほざいてさ、その辺のワルに目ぇ付けられてしょっちゅう暴れてたからな。あぁでも、駄目だ。完全にビビってる。相手はこんな化け物だ、オレみたいな普通の人間が太刀打ちできるはずがねぇ)
──普通の人間だったらね。
(あぁそうか、オレって《業報者》じゃねぇか。なぁフェリクス、聞こえてるぜお前の声。今なら戦える気がするよ。だってさ……)
「……戦い方なら……生まれる前から知ってるんだからな!!」
自身に突き刺さる骸骨の腕に手を重ねると、『怨鬼』は光の粒子となって真の胸に吸い込まれていく。光はそこにあるはずの大穴を綺麗に塞ぎ、シャツの損傷のみを残して消えた。
ほう、この土壇場で『怨鬼』の喰い方を覚えたか。こんなに早く能力の片鱗を使いこなすなんて、やっぱり君は大したもんだ。
「知識も、技術も、経験も……全て揃ってる。オレに足りなかったのは……」
加速する視界には無数の光る球体──『幽鬼』の欠片が漂っている。水面に波紋を残して走る真は光る球体の一つを手にし、リリーにむらがる亡者共に光の拳を突き刺した。
「“ユウキ”だあああぁぁぁーーーッッ!!」
陽光よりも眩く燃える魂の輝きが、『怨鬼』の黒山を切り裂く。収束する眩耀の中、握り固めた手の内には一振りのナイフが煌めいていた。
そう、僕の力は『怨鬼』を喰らって傷を癒すだけじゃない。
その神髄は、自分と『幽鬼』の“魂の緒”を結び付ける事で刃と為す、切り裂き魔による霧崎真のための力……その名も。
──『名も無き切り裂き魔』。
「掴まれ、リリー!」
「霧……崎……」
差し出された真の手を取り、鎌を杖代わりにして立ち上がるリリーは、『怨鬼』の爪牙によって深刻なダメージを負ってしまったようだ。
「護れなくてごめんね……」
悲しげに目を伏せたリリーは自分の着衣が酷く破綻している事に気付き、腕で覆うように肌を隠して唇を噛んだ。
「こっちこそ、怖い目に遭わせてごめんな」
真の言葉に、こくりと頷くリリー。目には涙が浮かんでいる。
(何だよ、やっぱり怖かったんじゃねぇか。にしても……これからどうするか)
真の手には『幽鬼』の欠片が変化したナイフが一つ。小さく粗末な作りのナイフはいかにも脆そうで、戦闘に耐え得る強靭さなど期待できそうに無い。
現に、先の一撃だけでもブレード部分に僅かなこぼれが確認できるほどだ。
敵影は尽きること無く増え続けている。
『幽鬼』の欠片なんかじゃ全然足りない。もっと上質な魂、欲を言うなら『幽鬼』そのものと同化したいところだけど……。
「上様ー! りりぃ殿ー!」
何という天佑……川上の空から火柩の声が近付いてくる。火柩は『幽鬼』だ。それもとびきり上質な。
今日は最高にツいてるな相棒。さぁ、僕らの力を見せてやろう!