回想・アブナイ山登り②
緑生い茂る山道と小さな展望場。その繰り返しが続く中、山は新たな表情を見せる。
真達の足下には突然の断崖絶壁、そこには人がすれ違えないくらい細く頼りない吊り橋がぶら下がっていた。
崖の下には何頭もの龍がうねっているかのように荒れ狂う川があり、今にも崩れ落ちそうな橋も相まって一行は足踏み中という訳さ。
「……予告する。絶対に落ちるぞ、この橋」
木と植物の蔓だけで出来た原始的な吊り橋を見て、真が一言。
幾度となく死線を越えてきた真だからこそ、この直感には信憑性がある。
「安心せいシンちゃん。前に登った時、わしは棒高跳びでこの川を渡り切ったものよ」
「その作り話のどこに安心が?」
溜め息を吐きながら大きく頭を振る真に、唇を尖らせた黄泉が言う。
「なんじゃいなんじゃい、最近シンちゃん反抗的じゃぞ! 大方シアちゃんやリリちゃんに懸想して、いいトコ見せようとはしゃいどるんじゃろ? 全くお子様よのぅ」
「そうなんですか真様!?」
「そ、そういう黄泉さんこそ、最近妙に因縁つけてくるじゃねぇっすか」
真の反論に、ギクリと顔を歪ませる黄泉。
「なっななな何言っとるかねキミは!? し、シンちゃんが行かぬなら、こうしてくれる!」
「きゃあっ!」
あからさまにうろたえる黄泉は、リリーの腕を引っ掴んで吊り橋の上へと振り飛ばす。たたらを踏むリリーの足が橋板を一枚、川へと踏み落とした。
「リリー!」
すかさず腕を伸ばした真が、リリーを胸元へと抱き寄せて怒鳴る。
「何て事すんですかアンタは!」
「ふーんだ、シンちゃんが悪いんじゃーい」
び、びっくりした……確かに真の言う通り、黄泉はいつにも増して言動がおかしいようだ。
むしろはしゃいでるのはこの人の方なんじゃなかろうか。
「分かった! 分かりましたよ! オレが一番槍を務めさせていただきます!」
胸に抱いたリリーを解放すると、真は捨て鉢になって橋の前に立つ。背負った荷物はそれぞれの所有者に返して、体重を軽くする。
「シア。強は体重あるから、軽いお前が荷物を持ってやれよ」
そう言い残して橋へと踏み出す。一部の橋板は脆いようだが、ケーブルや橋桁は中々しっかりしている。これなら人の体重で落ちる事はまず無いだろう。
「……ふふ……そろそろかしら……」
真が橋の中程まで歩を進めたところで、リリーがおもむろに動きを見せた。そして……、
「それっ!」
橋に飛び乗ったリリーが、あろうことか左右に大きく橋を揺さ振り始めた。
「おおぉぉっ!? 何しやがるこのバカ、落ちたらどうする!」
「馬鹿はそっちよ! 恩に着せればこの私が情にほだされるとでも思ったの? 任務遂行のために、そこで精々恐怖しなさい!」
「悩殺と関係あんのかコレぇぇ!?」
な、何だ? リリーのこの行動に、一体どんな意味があるっていうんだ?
「関係なら大いにあるわ! これは昨日、比良坂黄泉から教わった高等恋愛術なの。知らないというのなら教えてあげる。その体に直接ね!」
「これが高等恋愛術? ……ハッ! この行為は、まさか……吊り橋理論!?」
何かに思い当たったらしい水乃は、驚愕に声を震わせる。
「教えてミナノ」
「吊り橋理論というのは、揺れる橋の上で生じる生理的な緊張感を利用して心理的かつ物理的に興奮状態を作り出し、そのドキドキを恋の高揚感と錯覚させてしまうという恐るべき恋愛テクニックです!」
なんと、そんなテクニックをリリーが!? 黄泉のヤツ、余計な真似を!
……ん? でも今リリーが実践している方法じゃ、単純に恐怖心しか植え付けられないような……。
「あはははっ! 堕ちなさい霧崎、私との恋にね! これであなたは私の虜、じっくり悩殺してあげるわ! あっはははは」
「させない。シンはワタシが護る」
シャキーン!
その音は、刃物が翻る音。
フェリシアは黄泉と強の目を盗んで鎌を具現化し、吊り橋を支えるケーブルを切断してしまったのだ。
「やや、いけませぬ上様! 拙者に掴まってくださりませ!」
真の背後に浮かぶ火柩が手を伸ばす。火柩を視認できない黄泉達からは空中に浮かんで見える格好になってしまうが、その手を掴めばとりあえず転落を免れる事は可能だ。
しかし真は、その手を払い除けて橋の上を走る。向かう先には、ハンガーロープにしがみついて震えるリリーの姿があった。
「自分だけ助かれるかよ! うおおぉぉーーっ!!」
見る間に崩落していく橋の上を全力で駆ける真。空中でリリーを掴まえ、その身体を包むように強く抱き締めた直後、着水の衝撃が真の意識を奪うのだった──。