いつも通りの変な朝
諸君、一つだけ注意がある。鈴音高校は三学期制なんだ。九月から二学期、いいね?
おはよう諸君、爽やかな朝だね。
ここは地元民から愛される“鈴音神社”に隣接した一軒家、“宇佐美家”二階の一室。
幼くして両親を亡くした霧崎真の後見人として名乗りを上げたのは、宇佐美家の家主にして鈴音神社の神職でもある、“宇佐美優”だった。
「……もう食べられねぇよぉ……むにゃむにゃ」
いや失礼。先程おはようとは言ったものの、今の寝言からも分かる通り真はベッドの中で未だ爆睡中だ。
しかし安心して欲しい。じきにノックと共にモーニングコールが掛かる。
──コン、コン。
「おはようございます真様。…………真様?」
今の声、お聞きいただけただろうか。
この鈴を転がすような美声の主こそ宇佐美家の一人娘──“宇佐美水乃”、その人だ。
「んん……ん? 水乃? えっ今何時……うっわ!? 七時半じゃねぇか!」
枕元のケータイに手を伸ばし、ディスプレイを確認する真。そういう時は往々にしてヤバい時刻に愕然とするものなのさ。
「悪い水乃! 今日から二学期だってのに、アラームセットしとくの忘れてた!」
ガチャッ!
謝りながら勢いよくドアを開け放つ真。そんな彼の危険行為を水乃は決して咎めたりしない。
というか、ドアの向こうには無人の廊下が広がり水乃の姿はない。
念のために言っておくけど、別に彼女は透明人間という訳ではないよ。視線を少し下に向けてもらえば、ほら。
「おはようございます、真様」
三つ指をついて深々と頭を下げる彼女は、美しい黒髪を後頭部で団子状にまとめた、いわゆるシニョンヘアの大和撫子だ。
真とは同い年で、同じ鈴音高校に通い、しかもクラスメイトだったりする。
「ゆうべは良くお眠りになら……」
上品な仕草でゆっくりと面を上げた水乃は挨拶の途中で絶句し、両手で顔を覆っている。
なぜかって? それは──、
「し、真様……あの、お召し物を……」
「ん? お召しも、のわぁっ! や、悪い、先に行っててもらえるか? はは、は……」
夏の夜をクールに過ごすため、ノーパン睡眠法を実践していたからさ。
ばしゃばしゃ──キュッ。
「ぷはっ、水が生ぬるいんだけど……」
手早く制服に着替えた真は、洗顔を済ませると早足で食卓へ向かう。
「朝からあっちぃなぁクソ~、九月っつってもまだまだ夏か」
歩くだけで額にじわりと汗が滲む。実に暑そうだね。
ところで諸君、夏は好きかい? 僕は好きだよ。暑いのは苦手だけど、夏独特の浮き立つような空気が何となく好きなんだ。
植物も、虫も、人も、全ての命が懸命に生を謳歌している。むせ返るほどの青い季節……だけどそれは、とても短い。だから死にそうなくらい暑くても、その暑さごと楽しまなきゃ損なのさ。
……とはいえもう九月、夏も終わりに近いけどね。
「おはようございます! すみません、お待たせしちゃって」
「おはよう真君。寝坊した罰として娘を貰ってくれないか? はっはっは!」
「あらあら、それは名案ね」
和やかに笑い合う優と幼女。
ちなみにこちらの幼女は水乃の妹だ──と言うのは真っ赤な嘘。
とてつもなく幼い外見をしているため誤解されがちだが、この幼女の名前は“宇佐美深代”。正真正銘、水乃の母である。
「えへへ……真様、どうぞお席へ」
椅子を引いて待つ水乃に着席を促される。健全な男子であれば誰もが羨むありえない高待遇に、真は思わず苦笑する。
「ハハハ、勘弁して下さいよもう……じゃあ、いただきます」
「貰ってくれるのかねッ!?」
「えっ! いや朝食ですって、朝食」
「ああ、何だそうか……それでは、いただきます……」
「いただきます……」
目に見えて意気消沈する宇佐美家一同に、真はもう一度苦笑い。
「あの……オレが思うに、水乃は寝坊の罰で貰えるような安い女じゃないですから」
「真様……お心遣い、大変勿体無く存じます」
ふむ。彼にしては良いフォローだね、及第点だ。
諸君においては杞憂だと思うが、人間関係を円滑、円満にするならば、思いやりが何より肝要だという事をここに明弁しておこう。
「ねぇ真ちゃん。今朝のお味噌、いつもと少し違うと思わない?」
「え?」
今だ真! 今こそ奥さんの期待に応える時!
「……あ、あぁ、ホントだ。少し、え~……まろやか? になってますね」
「ゴメンね、実は何も違わないの」
「……そ、そうですか……」
思いやり。それは結構、難しい。
奥さんは時たま真をからかって遊ぶ、茶目っ気とSっ気に富んだお方なのである。