くのいち火柩、推参なり!
「むむぅ~っ! んむむぅ~っ!」
こんばんは諸君。夏から秋へと移り変わるこの時期は夜になっても騒がしい。
耳を澄ませばホラ、色んな音色が聞こえてくるよ。キリギリスの鳴き声だとか、コオロギの鳴き声だとか、女の子の呻き声だとか、ね。
「な、なぁ水乃、その辺で勘弁してやらないか? そんなグルグル巻きにしたら窒息しちまうかもしれねぇし」
「大丈夫です真様、この子元々息してませんから……んしょっ! うーん……安全のため、もう少し強めに縛っておきましょう」
ここは宇佐美家二階、真の部屋。縄で手足を縛られ、口に猿ぐつわをかまされ、さらに全身を包帯のような布で巻かれた女の子が床に転がされている。
我が宿主の名誉のために言っておくけど、これは真の仕業じゃないぞ。
「封印……と。ふぅ、これで良し」
縄と布にびっしりと呪文を書き込み、額の汗を拭う水乃。
この有り様じゃ分からないと思うけど、このグルグル巻きの女の子は先刻登場仕ったばかりの火柩ちゃんにござりまする。
そんな火柩が、いつでも誰にでも温厚な水乃からこんな酷い仕打ちを受けるのには、もちろん訳があるのであった──。
* * *
「拙者、“火柩”と申しまする! 霧崎真殿……以後、お見知り置きを」
刀を納め、姿勢を正して名乗るこの少女もまた、ご他聞に洩れず尋常ではない。刀を振るって『怨鬼』を討った事も含めて、服装から言葉遣いまで明らかに怪しさ全開なんだから。
服装を説明すると、えー……何だろう、これは。
ノースリーブで布地の少ない、柿色の道着を身に纏い、下半身は……うん、穿いてない。ズボンだとか袴だとか、何かしら穿く物があっても良さそうな、大変際どい格好である。
あ、語弊がないように補足しておくと、下着は着けてるよ。さっき確認したから間違いありませ、おっと鼻血が……失礼。
しかしこの格好……これはいわゆる日本の伝統──ニンジャ、それもクノイチという奴だろう。真が持っているゲームとか漫画の中で見た事がある。
「お見知り置きって……また一方的にオレを知ってる赤の他人が現れやがった。でも……見たところ死神って感じじゃねぇな。というか、まんま“くノ一”……いや、んなワケねぇか。歴史的観点から見て、ここまであからさまな忍装束は」
「むっ、さすが真殿。隠していても見抜かれてしまいましたな。如何にも拙者、忍びの者にござりまする」
隠してないだろ。というか、忍びの者があっさり素性を明かすなよ。
「うっそぉ!? こんなオレ好みのエロエロなくのいち、い、居るワケねぇ! アンタあれだろ、コスプレイヤーか何かだろ?」
「こすぷれいやあ? はて、そのような一党は存じませぬ」
小首を傾げる火柩。その様子を訝しげな目で睨んでいた水乃はしばらく考え込んだ後、真に意見を述べる。
「真様。この子……『幽鬼』です。恐らく、本物のくのいちではないかと」
「そりゃまぁ、あんな離れ業を見せられたら信じるっきゃねぇけどさ。で? 何でアンタはオレの事を知ってるんだ?」
「今朝方、往来にて腕が触れたではござりませぬか。拙者、『幽鬼』と化してより今日まで霊力の弱き者──即ち殿方にはいささかの声も届かず、肌にも触れられぬ日々を送って参りました。しかし真殿は違い申した。その折には驚きの余り遁じてしまいましたが、こうして再びご縁をいただけた事、感謝致しまする」
火柩はその場に膝を突き、深々と頭を下げた。
「よしてくれ、事情はどうあれアンタはオレらの恩人なんだからさ。ほら、オレに用があって出てきたんだろ? 言ってみろよ」
「かたじけのうござりまする。寄る辺なき身の上だった拙者は、歩き巫女の一派として暗躍した『夜蜘蛛衆』に拾われました。修練道場にて巫女道を学び、いざ初任務! という時、拙者は冥加も無く命を落としてしまったのでござりまする」
「かわいそう……初仕事で失敗しちゃったのね」
火柩の語る身の上話に耳を傾けるリリーは、悲しげに目を伏せて言った。
「いえ。道中立ち寄った茶屋にて、餅を喉に詰まらせ……不覚にござった」
「あー……そう……」
あまり同情できない死に様を知ったリリーは、悲しげに目頭を押さえて言った。
「拙者こう見えて忍者八門は言うに及ばず、五車の術から各種隠遁術、房術に至るまで、ありとあらゆる忍術を学びました。実戦にてそれらを活かせなかった事、悔しくてなりませぬ」
火柩の目には、涙が浮かんでいる。
「真殿は生身の男子にして『幽鬼』を目にし、声を聞き、手に触れる事ができまする。尋常の使い手ではありますまい。推するに、血の滲むような修練を積んで参られた事でしょう。そんな真殿を見込んでお願いがござりまする!」
真剣な眼差しで見つめられ、表情を引き締める真。
「お、おう! 何でも来いっ!」
「真殿! 我が忍術の実験台になってくださりませ!」
夜の公園に響く火柩の声は、死の宣告に近かった。
「待て待て待てぇぇいッ! 言い忘れたけど命に係わる頼み事は無しだぜ?」
「ご安心召されませ、命に差し障りなき忍術にござりまする。真殿に仕掛けまするは房術、それも実際の交接に作用する性技のみと限定致しまする故」
「駄目駄目駄目ぇぇッ!! そんなの駄目ですっ! 絶対駄目です!」
鬼気迫る水乃の絶叫が公園の木々を揺らす。
ん? 一体何がそんなに駄目なんだ? 命に別状が無いならいいと思うけど。
「ミナノ。房術って何?」
「はひっ!? そ、それは、ですね……え~っと、つまり……要するに……」
フェリシアの質問にも、何やら要領を得ない水乃。そんな彼女に代わって火柩自らが説明を買って出た。
「房術とは、簡単に申しますと性行為にござりまする。くのいちがまぐわいするによって男を篭絡せしめる術……是非一度実践してみたく、今も胸が高鳴って」
「いや、完全にアウトだろ」
よくも言ったな真。いや、良く言った真。それでこそヘタレ主人公だ。
「そ、そうよ! 霧崎の言う通りよ! もしもあなた達がそんないかがわしい行為に及んだら、R‐18指定になっちゃうじゃない!」
R指定の死神が何を言うか。
しかし、喚くリリーを咎めたのは意外にもフェリシアの小声だった。
「リリー、死神の仕事を忘れないで。迷える『幽鬼』の未練を断ち、安息を与えるのがワタシ達の使命。ワタシはヒツギを手伝う」
「せ、先輩、意味分かっててそんな事言ってるんですか?」
「分からない。でも感じて、ヒツギの霊力を。ワタシ達に感謝したヒツギが死後も死神として戦ってくれたら、大幅な戦力増強になる」
おおフェリシアよ、火柩を死神の仲間に引き入れるために真を売ろうというのか……。
「霊力を、感じる……? えっ嘘! 何、この異常な霊力は!? 『幽鬼』の時点でこの霊力だと、死神に昇華したらランクX指定──先輩を超える霊力になる……!」
え、X指定って……はっきりと成人指定の死神が誕生してしまうじゃないか。
「ほぉ~、火柩ってそんなにスゲェのか。ちなみに今はランクいくつ指定なんだ?」
真の質問に答えるリリーは、極度の興奮のためかゴクリと喉を鳴らして言う。
「ランク──H指定よ」
「ほぉ~、ランクH指定……え? ランク──えっちしてえ……? エッチ、してぇ」
「いやあぁぁぁ!! 不潔不潔不潔、不潔ですぅぅぅッ! 極めて汚濁き事も滞り無ければ穢濁きは在らじ──今すぐ往生しなさいっ!!」
どこからともなく取り出した護符を手に、半狂乱で火柩に襲い掛かる水乃。
「おわぁっ!? 落ち着け水乃ぉ! 水乃おおぉぉぉッ!!」
* * *
──という事があったんだ。