宇佐美水乃と釣り合うために
* * *
「まさか死神が二人同時に現れるなんて、今回ばかりは水乃も肝が冷えました。フェリシアさんと、あとはリリーさんでしたっけ、えへへ……こほん、んんっ!」
なぜか水乃は、わざとらしく咳払いを一つ。
「……あのっ、真様! ……き、昨日の、そのぉ……悩殺……の件については、どっ、どうお考えですか!?」
水乃は立ち止まり、両手でスカートの裾を握り締めながら言葉を吐き出す。思い切って、という表現がぴったり合う、切実な表情だ。
「ん? どうって、何が?」
「つ、つまり……真様はリリーさん達に……悩殺されたいのかな、とか」
「ハァ!? んなワケねぇだろ! 悩殺はアレだ、悪ふざけで書いてみただけだって。そしたらアイツ悩殺の意味が分かんねぇみたいだったからさ、じゃあこのまま契約したらどうなるかなぁ……みたいな、ちょっとした出来心だよ」
「そ、そうですか。それを聞いて安心しました」
真の説明に納得し、胸を撫で下ろす水乃。
「死神の契約をトンチで退けた真様の手腕、お見事でした。ですが真様、死神の脅威が完全に去った訳ではありません。そこで、真様がよろしければ今夜もまた……警護を」
「い、いらねぇよ、自分の身くらい自分で護る。水乃にはこれ以上迷惑かけたくねぇからな」
真は水乃の申し出を真っ赤になって拒否した。水乃も同じように顔を赤らめていたが、羞恥に堪えながら言い返す。
「迷惑だなんて、そんな事は決してございません。これも宇佐美の務めなれば。ですから」
「宇佐美の務め……か」
拳を握り締める真は、水乃の言葉を遮って口を挟む。
「えっ?」
「……ざけんなよ……オレが……オレが《業報者》だからそうやって無理して護ろうとしてんだろっ! 宇佐美の務めがなけりゃオレなんか引き取らなかったし護らなかった! そうだろ!?」
閑静な朝の通学路に、真の怒鳴り声が響く。
真……お前……。
「真様! そんな事は」
「ずっと変だと思ってたんだ。何で水乃みたいな可愛い子がオレなんかに良くしてくれるのかってさ……はっ、そんなに心配そうな顔すんなよ。オレは宇佐美に護られなくても一人で生き残ってみせる。その上で優さんにも深代さんにも、もちろん水乃にも恩は返すさ。だからもう、無理してオレに付き纏うな」
一人で先に歩き出す真。こうして今日も二人並んでの登校は無くなった。
やれやれ……ここに来て感情が暴発したか。家の中じゃ優等生振って抑えていたようだけど、まぁそうだよね。“《業報者》だから育てられた”なんて知らされたんだ。自分では気にしてないつもりでも、心の底ではやはり相当ショックだったんだろうさ。
(くそっ、何してんだオレは……! だせぇ、マジでだせぇぞちくしょう!)
水乃に八つ当たりしてしまった事を悔い、心中で自分に毒突く真。
(宇佐美は……水乃は悪くねぇ。分かってるのに、何でオレはこんな事を……くそっ! オレにふさわしい女になるように磨いてるって? 勘弁してくれ。水乃の魅力は今の段階で十分ラスボス級だ。《業報者》でもなけりゃオレが下校時に誘っても『一緒に帰って、友達に噂とかされると、恥ずかしいし……』なんて理由で断られてるはずなんだ。水乃にふさわしい男がいるとしたら、それこそ完全無欠の……ん? ……そうかっ!)
そうだ真。こういう時こそ発想の転換だ。
(オレが、水乃にふさわしい男になればいいんだ。宇佐美の務めで嫌々結婚するんじゃねぇ。水乃が心の底から惚れて、本気で結婚したくなるようなスゲェ男に……!)
──どんっ!
「きゃっ!?」
その時、真の腕が何者か──声から察するに女の子──にぶつかった。
「おわっ、すんません! ちょっと考え事してて……あれ?」
慌てて振り返った真の目には、きょとんと小首を傾げる水乃の姿しか映らなかった。
重苦しい空気を引きずったまま教室へと入る真と水乃。そんな二人に真っ先に近づいたのは、不敵な笑みを口元に浮かべる黄泉だった。
空気読め、そう思ったのは僕だけじゃないはずだ。
「おやシンちゃん、そんな仏頂面してどうしたの? ナノちゃんと夫婦喧嘩でもしたのかね?」
夫婦……今の真達には一番の禁句をサラッと言っちゃったよ、この人は。
「…………」
「ふむふむ、この黄泉さんを無視しちゃうほどとは……シンちゃん相当不機嫌じゃのぅ。ナノちゃんに何かよっぽどの事をされたのかな? いけないねぇ、少し他人よりおっぱいが大きいとすぐ調子に乗るからねぇ。でも大丈夫じゃよシンちゃん! 三行半が用意出来次第わしのところへ来たまえ、鬼嫁修業は万全じゃ」
端から尻に敷く気満々かよ。
「つ、謹んで遠慮します。それにオレ、別に不機嫌ってワケじゃなくて……何かこう、クールな男になろうと思ったっていうか。水乃と結婚するつもりなら、カッコ良くなきゃ駄目だと思うんで」
水を打ったように静まり返る教室。
息を呑む水乃に決意を以て頷くと、真は親指をビシッと立てた。その瞬間、割れんばかりの怒声が教室を埋め尽くす。
「霧崎てめぇ! 水乃ちゃん独占禁止法違反だぞ!」
「結婚するつもりだとぉ? そんなのこの俺が許すと思ってんのか!?」
「認めねぇ……認めねぇぞ……ぶっ殺してやる……」
暴徒と化す男の群れ。その様子を冷ややかな目で見守る女子。
水乃の人気、恐るべし……。
──ガラッ!
「ちょっとぉ一体何の騒ぎなのぉ? すごぉくおっきな声が廊下まで溢れてるわよぉ?」
やって来た担任教師、“工口教子”が呆れ顔で教壇に立つ。すると、それまで殺気立っていた男子生徒は秒を待たずに着席し、残響が教室に染み入った。
「工口先生に敬礼ッ!」
「おはようございますっ!」
この工口教子という女教師、恐ろしく肉感的なスタイルをしている上、声も仕草も嫌みなほどに艶かしい。
とりわけこの年代の男子は年上の円熟した魅力というヤツには滅法弱いものだから、こうして崇拝、服従する行為もある意味自然といえるだろう。
「はぁいおはよう。突然だけどぉ、朝のホームルームを始める前に転入生の紹介をしちゃうわねぇ。それじゃあ、二人とも同時に入って来てぇん」
にわかに教室がざわめく。普通転入生がやって来るとなったら、そのクラスの生徒は事前に知らされて色々準備しておくものだ。
しかし今回は誰にも知らされていない。
教室に使用者のいない机と椅子が増えている……などという事もなく、まさに突然の事態としか言いようがなかった。
生徒達が息を凝らして見守る中、開いたままになっていた出入り口から二人の人影がゆっくりと。
一年A組の教室に、その姿を現した。