3話
“魔法”という言葉に、人間誰しも一度は憧れた事だろう。
もしもそれが今、現実として目の前にあったとしたら?
ーー人々は一体、何を願うのだろう。
*****
山の緑、海の青に見守られた中立地、ミシマ村にテオがやってきて半年が経った。
山の麓、開けた土地にいるすのは二人の子供。キヨとテオだ。
飴細工の様な繊細な髪色のテオの手には、ゴルフボール大の水球が渦を巻いて乗っていた。
キヨも教えられた通りに手を翳し、水球を作り出す。
「上手上手。そのまま形を保って」
「む……、 うむ」
これが中々に神経を遣う。
しかもキヨの身体はまだ5才児。早寝早起きに加え昼寝体質なのだ。
空高く陽が登る今時分に彼女が起きているのは、それだけで大変なこと。
その上、魔力と精神力を削る魔法練習は、キヨの身体を強く追い込んだ。
「う、くぅ……、ちとキツいの……ッ」
「ほら、頑張って」
キヨが弱音を吐く度に、返るのは無情な激励。
テオはスパルタだ。
気を抜けば水砲は破裂してしまう。キヨの衣服は水浸しだった。
「さあ、もう一回」
ーー彼らの“鍛錬”はまだまだ続きそうだった。
*****
キヨは高等教育を受けていない。彼女の時代には義務教育はなく、学校とは成金や華族の子弟ばかりが通っていた。
“この世界”も似た様なものだが、その中でも突出している、“魔法学院”という貴族階級でも才能のある者に門を開く学院があるという。
テオも春からからそこに通うことになっているらしい。
「しかし今は兄弟から隠れてなければならんじゃろ?学校なんぞに通えるのかえ」
テオがキヨの治めるミシマ村にいるのは、彼の命が狙われているからに他ならない。しかしーー、
「学院には寮もあるし、関係者以外立ち入り禁止だから、入学さえしてしまえば返って安全なんだ」
ーーと、テオは言い切った。
「うむ?しかし兄弟と鉢合わせなんだか?」
訊けば兄とは14才も離れていて、弟とも年が離れている。
現在、学院に兄弟は通っていないと彼は言った。規則では10才から入学可能らしく、弟が入学するまでに4年は猶予があるということだった。
それまでに家が落ち着けば問題ない、と簡単そうに笑う。
「しかし、なんじゃの。……お前さんも難儀よの」
「……?何が?」
「血を分けた兄弟で諍い合うなど。私には想像もつかん」
そう言うと、テオはきょとんとした顔をした。
「そうかな?兄弟っていっても母親が違うし、あんまり会うこともないし」
まずそこがおかしい。ーーとは言わないでおこう。人間には色々ある。
キヨが何とも形容し難い表情で黙り込むと、今度はテオが質問を投げかけてきた。
「それより僕は、キヨの話し方に興味があるなぁ。難しい言葉を使うし」
まるで長老みたい、という鋭い指摘に、キヨは表情に出すことなく心の中でこっそりと肯定しておく。
ーーだってその通りじゃし。
曖昧に流すと、煙に巻かれたことが分かったのか、彼はそれ以上の言及をしてこなかった。
*****
別の日ーー。
キヨはまたテオの教鞭を受けていた。
「今度は火の魔法。やり方は水と同じ。重要なのはイメージだよ」
この世界の魔法というのは、想像によるところが大きい。元素などの理解がなくても力を顕現出来てしまうのだ。
簡単に言えば魔力さえあれば平民にだって魔法は使える。
それを知ったキヨは、村全体の生活水準を上げる為に、彼から魔法の使い方を習うことにした。
何より、前世には無かった魔法の概念に興味をそそられた。ロマンがあるからだ。
キヨは新しもの好きだった。
ーーそれから数週間が経った。
朝早くにも関わらず、キヨの家は賑やかしい。
それというのも、ドレイク家のサーシャ、シーリーン、ラディに加え、美人三姉妹と名高いレーヌ家の娘達が来ていたからだった。
ーー説明はこうだ。
テオがまもなくアクゼリュオンの魔法学院に入寮するため、ミシマ村を出るという事を耳にしたラディが、自分も行きたいと駄々をこねた。
サーシャがそんな金はないと一笑。しかしラディは諦めることなく、キヨに相談をしてきた。
キヨは村の将来を担う子供の為と費用の援助を了承したが、監督にシーリーンも世話することとなる。
たまたま採寸にやって来ていたレーヌ三姉妹は、村の服飾の責任者達で、それならば新しい服を仕立てる役を、と名乗り出た。
しかしその後、ミラが話に加わると、何故かキヨまで魔法学院に入学する話になってしまったのだ。
キヨはまた5才。入学資格が無いと言うと、それは此方で何とかすると言い切ったミラ。
テオは始終笑っていた。
そうこうする内に、とうとう出発の日がやってくる。
キヨの目の前に、合格通知なるものが掲げられる。
ーーなんとミラは、本当に入学の手続きを取ってしまったのだ。
商家マーティン家に学院へのつてがあったらしい。
こうしてキヨは、入学資格を苦なくして手に入れてしまったのだった。
村の運営についてはミラに任せきりになるので心配だったが、手紙の遣り取りで指示を出すことで合意せざるを得なかった。
ーーミラの笑顔は強い。キヨはそう思った。
三姉妹は当日、陽がまだ登らない時間にやって来て、仕上がった衣装を広げてみせた。キヨとシーリーン、テオとラディにそれぞれ3着。計12着も用意してくれ、後は追って届けてくれるという。美人三姉妹は仕事が早い。
ドレイク家は前日、末子達の入学祝いをしたとかで、サーシャ以外は来ていない。
ーーしかし、賑やかなのはそれだけではなかった。
どういう訳か、村民の半数が見送りに来てしまった。緘口のふれを出したはずなのにも関わらず、だ。
「そん、キヨ!勉強頑張ってなー!」
「キヨちゃん、ちゃんと食べるんだよ!」
「キヨさーん!」
「そ、キ、キヨーーッ!
皆、キヨの名を呼ぶ時にぎこちないが、言い間違えることはない。きっと打ち合わせをしてくれたのだろう。ミラをちらりと見れば、ぺろりと舌を出した。
「キヨは人気者だねー」
「そーだぞ。キヨは村ちょ、いてっ」
「キヨちゃん、行きましょう」
シーリーンがラディの頭に一発見舞い、その勢いのままキヨに手を差し伸べる。
すでにアクゼリュオンまでの馬車が乗り付けていて、ステップに登るのを手伝ってくれるのだった。
「キヨちゃん」
そばまでやってきた見送りの中に、優し気な目元に涙を溜めたミラが立っていた。
「いってらっしゃい」
泣きながら笑うミラは本当の母親の様に見えた。永久の別れでもないのに、キヨの心は熱く揺らぐ。
「行ってきます」
それでも力強く返事をして笑みを返すと、その瞬間、ミラの顔がくしゃりと歪んだ。
「うっ、う〜、キヨちゃ……」
とうとう我慢出来なくなったのか嗚咽が聴こえ、キヨは馬車を飛び降りた。
「なに、すぐに戻る。手紙も出すし、休暇には帰って来る。永の別れではありゃせん」
キヨが両手を広げると、彼女はすがる様に抱きついてきた。
それは本来なら保護者の側の言葉だったろう。しかし、二人の間ではこれが普通だ。
遣り取りを見守っている村人達の間でも啜り泣きが蔓延している。
「やっぱり、行っちゃ嫌〜!」
「泣くな。ほれ、もう行くぞ」
それはミラの本心でもあったが、キヨがそれで取り止めることはないだろうと分かって言っているのだろう。キヨが腕を緩めると、そっと離れた。
「本当に、ちゃんと、帰ってきてね」
「ちゃんと帰ってくるとも。私の家はここじゃもの」
「手紙も、忘れ、ないで」
「ああ、忘れずに出すとも」
キヨが頷くと、ミラに手を貸してもらって再び馬車に乗り込んだ。中にはすでにシーリーンとテオ、ラディも乗っている。
「では皆、息災でな」
車内から顔を出して見送り人全員に聞こえる様に言うと、皆が一様に“いってらっしゃい”を言ってくれた。
走り出した馬車が村を出るまで、キヨ一向の耳には村人の暖かい声が聴こえていた。
「っ、う、く」
「愛されているね」
馬車の中でしゃくり上げるシーリーンにハンカチを渡すテオ。その顔は少し寂しそうだった。
キヨも自分のハンカチを取り出して、目元をそっと拭う。
その隣では珍しく、ラディが大人しくしていた。
*****
馬車がミシマ村を発って、数刻ーー。
馬を引くマーティン家の長男、マークが馬の歩みをゆっくりと止めて、後部座席の扉を開けた。
「一旦、休憩だ」
その声に皆が糸を引いたかの様に一斉に顔を向けた。
「お、お尻が痛い……」
「うぅ、関節が……!」
前者はシーリーンで、後者はキヨだ。
馬車に乗り慣れていない二人は馬車から転がる様に出たかと思うと、各々(おのおの)痛む箇所を摩りながら呻いた。
それを見て笑うのは体力馬鹿のラディ。テオは流石に貴族嫡子だ。余裕が見て取れる。
「ここから少し行けば関所だから、もうちょっと頑張れよ」
マークは、父であるハロルド譲りの笑顔を苦笑に変えてキヨ達を励ますが、痛いものは痛い。
出来ることならもう二度と乗りたくないと思った。
「ほら、二人とも。あそこに湖が……、」
ーーバシャンッ
マークが言い終わる前に弾ける水音。
視線を向けると、ラディが服のまま水の中に飛び込んでいた。
「おーい!みんな来いよー!」
何時間も馬車に揺られていたのに、ラディは元気いっぱいに泳ぎ回る。
「こら、ラディ!」
シーリーンは怒りつつもどこか羨ましそうだ。
春の暖かい気候に4人もの乗客が鮨詰め常態で、蒸し暑さを感じていたのだろう、寒暖に強いキヨがそう感じたくらいだ。
キヨはマークに今後の行程を確認した後、二人のトランクから真新しい替えの衣装を取り出した。
「夕刻までに町に着ければよいじゃろ。シーリーン、お前も行っておいで」
「でも……」
「なに、入学式には間に合うよう一週間余裕をもっておる。ちょっとくらい遊んでいっても構わんよ」
「ありがとうございますっ、そん、……キヨちゃん!」
「テオは入らんのかえ?」
シーリーンに着替えを渡した後振り返ると、テオがその様子を伺っていた。
彼は最近、キヨの言動や行動を意味あり気に見つめて来るのだ。
「僕はいいよ。……君は入らないの?」
「私も行かん。マークとちと話があるでの」
近頃、テオはキヨを怪しんでいる。自覚のあったキヨは、敢えて堂々(どうどう)たる態度を取っていた。
彼は敏い。変にこそこそすれば余計警戒するだろう。
そう思い、自宅でも極力ミラと二人きりになるのを避け、村長としての指示や問題点についての遣り取りは、全て手紙で済ませていた。
マーティン家の言語学習をやっておいて本当に良かったと思う。今では村の半数ほどが読み書きを習得していた。
キヨはこれから学院で大半を過ごす。
今まで以上に手紙の遣り取りが増える。
人生、何が実を結ぶか分からないと、この時思っていた。
「マーク、町での補強についてなんだが……」
「あー、と。良いのかい?彼は」
マークはキヨの背後にいる、テオに視線を向けた。
「気にするな。たった今から緘口令かんこうれい)は撤廃じゃ。子供らにもそう伝える」
それは、村長としての判断だか、村全体に知らせることになる決定事項。内容は村長宅の居候であるテオの今後の処遇についての事柄だ。
村の生活で、テオがこちらを探りをいれていたと同時に、キヨもテオを観察していた。正体不明の少年だが、きな臭い感じはない。
ーー彼は信用してもよい。
村長としての見解だか、彼を正式に村の一人と数えて行くという方針に決める。
ミラや村民達には事後報告になるが、学院生活でバレる前に解決しておきたい事柄であると判断した上での決定でもあった。
「キヨ?」
テオが怪訝な声をあげる。
「テオよ、これよりミシマ村の機密事項を告げる。心して聞いて欲しい」
*****
中立地帯、ミシマ村。
山と海に囲まれたそこは、聞いた話では廃れ切った、村とも言えぬ集落であるはずだ。
しかし今、彼の目に映るそこは村と言うには大き過ぎる。活気のある村だ。
かといって喧騒には程遠い。どこまでものどかな風景が広がっている。
その一角、村のシンボルなのであろう村長宅は、他の家々とは違う、広くて頑強な造りだ。
ここが、彼が世話になっている家だった。
しかし、ノックをして出て来るのは腰の曲がった老人でもなければ、威張り散らした大男でもない。住んでいるのはうら若い女性と小さな娘だけ。
ーーどこまでも不思議な村だな。
彼はそう思っていた。
この村の長はミラというまだ20代の女性だと聞いているが、本当に彼女が村を再建させたのか、本人と話してみてもいまいちはっきりしていない。
というのも、普段の発言から利発で優しい人だとは思うが、村のまとめ役という役柄にはしっくりこないのだ。
確かに、頭の回転はよく人当たりも穏やか。しかし、為政者というのは優しくて穏やかなだけでは務まらない。ある種の冷酷さや計算高さも必要で、ミラにはそれらが欠如しているように見える。
つまり、カリスマ性というものが無いのだ。
これで村を再建させたというのは、なんとなく得心がいかない。
それよりも気になるのは、ミラと一緒に暮らすキヨという幼女だった。
話し方やその内容が大人顔負けで、訊けばまだ5才だという。
彼女がいれば村のどこを歩いても声を掛けられ、終いには土産まで持たされる大人気ぶりだった。
それだけではない。彼女は生まれもっての魔力持ちで、その量たるや脅威さえ感じる。
どうやら本人は自覚していないようなので、魔力制御もかねて彼女に魔法を教える事にしたのは、ついこの間のことだ。
彼女の習得は早かった。尋常では無い速さで呑み込んでしまい、一度教えればあっさりと覚えてしまう。というより、彼女に教えられることはもう無いのが真実だ。
これがたった数ヶ月の出来事なのだから、年単位で習得し自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
見た目も普通とは違った。
見たことのない雪白の髪は艶やかでありながら豊かで、理知的な瑠璃の瞳は神秘掛かっている。
顔形は絶妙な配置で整い、近くで見れば大人でも惑う妖美さがあった。
それは美しい者に出会う機会の多かった彼ですら、呑まれてしまいそうになるような美貌。
僅か5才の少女は、幼くありながらも常人離れした魔性を孕んでいた。
内面一つ取っても、普通ではあり得ない。
滲み出る能力の高さ。知識の深さ。何より、切り捨てることの出来る非情な鉄の心。そのどれをも満たしつつ、忘れることの無い慈悲の念。
まるで老樹を思わせる、全てを見透かす視線。
知れば知るほどに、面白い幼女。
とても、ひとふた月では計り知れない、秘められた存在だ。
彼はもっとじっくり見ていたかった。
ーーしかし、間も無く期限がきてしまう。
彼、テオは、もうすぐこの平穏で過ごしやすい村を離れなければならない。必然的に、観察対象であるキヨとも別れなければならない。
氏素性の知れぬ彼を難なく受け入れ、匿ってくれたこの村は、彼が居易いように皆が接してくれる。
もう何年もここに居たかのような錯覚せえ感じるのは、それだけ彼がこの村に馴染んでしまったからだった。
本来、彼のような身分の者かいるべき場所では無い。
それでも、いつまでも居たくなってしまうような離れ難さを感じた。
彼の元居た場所では感じたことの無い居心地の良い環境。
それを手放すことが、何より勿体無く思えてしまう。
ーー魔法学院の入学を見送ってしまおうか。
ーーいっそ、村ごと取り込んでしまおうか。
テオは、自身がどうするべきか迷っていた。
ところが、彼の頭を巡っていた迷いが突如として叩き落とされた。ーーラディによって。
彼の子供らしい我儘に、何故かラディ、お目付けのシーリーン、更には保護者の強い勧めから、マークしていたキヨまでがテオについてくることに。
これは嬉しい誤算だった。これにより、当初予定に無かったミシマ村との繋がりが出来る。
しかも彼女の同行は何かしら有益であり、大いに期待できそうな予感があった。
彼女を取り囲む周囲はてんやわんやだが、テオは内心楽しくなる。
彼の機嫌は上々だった。
出発は慌ただしくも騒がしい。
早朝にも関わらず、村長宅を取り囲む人の多い事多い事。
だが、普段なら騒がしいものが嫌いな彼の心が浮き立って、寧ろ呼応しているかのようだった。
別れの瞬間は今まで感じたことのない痛みを伴い、自身がどれだけここに溶け込んでいたのかを思い知らされた。
村人はまるで今生の別れのように惜しむ言葉を投げかけてくる。主にキヨに対してだが。
キヨはこの村の宝のようだ。
彼女を連れ出すことになった結果に、喜びと相反するかのように申し訳なさが湧き上がったが、彼女自身があまりにさっぱりと別れを告げたために、村人たちとの心の温度差を感じた一件だ。
曰く、村人たちは自分に依存し過ぎていると。
たまには離れて己の頭でものを考えるべきだと、5才児の口から聞かされた時には眼を剥いた。……というのは後日談だが。
ーーさて、そうこうして一度目の休憩所。出発から数刻で、馬車が湖に乗り付けたのだが。
ここでテオは衝撃的であり、不思議な納得感のある事実を知らされることになる。
ミシマ村の名前の由来を。
凡そ50名から始まった集落の実態を。
そして、それらの長なる人物の名を。
突然にして唐突に、真実が語られることになったのだった。