program2 『Country girl naive』
窓の外には、雲一つない快晴が広がっていた。こういう日は、外で思いっきり身体を動かすのが健康的であり、運動部に所属する奴らは放課後を待ち遠しにしている事だろう。
俺はというと、そんな空模様とは裏腹に教室にある自分の机にうなだれていた。
「頭いてぇ」
昨日は美里さんを交えての大宴会が開かれた。結局夜中まで盛り上がった挙句、俺は金槌で殴られたかのような頭痛に見舞われ、こうしてホームルームが始まるまでのひと時を休息に使っていた。
一緒に盛り上がっていたはずの妹は、何事もなかったかのように学校に小走りで向かい、美里さんも朝早くに会社へと向かった。酒は飲んでいないはずなのに、何故俺だけがこんな目に合わなければならないのだろうか……。
「おはよう。草壁君」
誰かが俺に対して挨拶をしてきた。顔を見なくても相手は分かった。だから俺は、顔を伏せたまま、もごもごとしか動かない口を無理やり動かした。
「……よう」
精一杯だった。今の俺は、原稿用紙一行分の言葉も述べることができないだろう。
「随分な挨拶ね」
相手は少し不機嫌そうな声色でそう言った。
「いい? 朝は一日の始まりなの。ちゃんと挨拶しなきゃ駄目なんだよ?」
いちいちうるさい奴だ。おい、エルザ。
『はいです!』
左耳に返事が聞こえる。という事は、窓枠に座ってるか外に浮いているのか……。てか、声でかいんだよお前。
『すみません……』
こいつも昨日は宴会の一員として参加していた。とは言ったものの、俺にしか見えないこいつは、自分の住む世界の謎の飲み物や食べ物を自分で用意し、それを飲み食いしながら楽しんでいた。なんだかんだ俺が寝たあともまだ起きていたみたいだが、この謎の生物には疲れというものがないのだろうか?
てか、エルザ。お前、このうるさい女をどうにかできないか?
『昨日転校してきたっていう、柳瀬さんですか?』
そうだ。うるさくてたまらん。お前の得体のしれないパワーでどうにかしてくれ。
『うーん。それは難しいです』
何でだ?
『エルザは、契約者以外の人間に触れることができませんから』
え? そうなの?
『はい。前にも言ったはずですが……』
完全に忘れていた。確かにそんな事を言っていたような気もしなくもない。
じゃあお前には新たな命を授ける。
『はい?』
コンビニで頭痛薬と焼きそばパンを買ってきてくれ。
『いやです。エルザは知樹さんのパシリでも下僕でもありませんです!』
え? 違うの?
『知樹さん。失礼です!』
分かった分かった。冗談だから、そう大きな声をださんでくれ。
それでなくても頭が痛いんだからさ。
「ねえ、聞いてるの?」
エルザをからかっていると、また不機嫌そうな声が耳に入ってくる。お前、まだいたのか。
「……なんか用か?」
「草壁君って、それしか言わないのね」
そういや、昨日もそんな事を言ったな。
「……俺は頭が痛いんだ。要件は手短に頼む」
「今日の約束、覚えてる?」
「ん?」
「放課後、街を案内してくれるって約束」
そういや、そんな約束したな。って、お前!
「私、楽しみにしてるから」
俺は頭痛などもろともせずに顔を上げた。
「お前何で――」
時すでに遅し、とはこの事を言うのだろう。空気の読めない美少女転校生柳瀬は、案の定何も分かっておらず鼻歌を歌いながら後ろの席で鞄をいじっている。
俺は、真後ろに向けた視線を徐々に教室内へと移動させる。レーザーのような視線が俺を焼いていた。
午前授業が終わる頃には、俺の頭痛はどこかへ飛んで行っていた。調子がいいかと聞かれれば普通だが、まぁいつも通りと言った感じだ。
だが気持ちはあまり乗り気ではなかった。
いつもの俺は、朝起きて学校へ行き一生徒として勉学に励む。学校が終わると会社へと赴き、会長として社会人として仕事に励む。
マンネリ化と言えばそうだろうが、俺はその生活を結構気に入っていた。今となっては城を構える主として大金を手にした俺だが、家も昔から住むあの家を維持し、俺や妹の生活も一般人と変わらないものとして今までやってきた。
ただその代償として、俺は異性を愛する事ができなくなった。そのおかげで、女の子とのドキドキイベントなんてなかったんだ。
だけど今までは……。
「さて、行きましょう?」
ホームルームが終わり、俺の前にやってきたのは柳瀬だった。長い髪を靡かせ、こちらに微笑みかけてくる。さっきまで俺の横にいたエルザも『二人のお邪魔はできませんです』とか言ってどっかに行きやがった。邪魔も何も、異性を意識できない俺にとってただの無駄な時間以外の何者でもない事位知ってるくせに。
俺は苦笑いで頷くと、引っ張られるかのように柳瀬の後ろを歩いた。
「知樹。俺たち友達だよな?」
途中すれ違った紀之が、俺の肩に手を置きそんな事を言う。顔は笑っているものの、紀之の手には力が入っており、痛みと体温で肩に汗が滲む。
「久坂君。草壁君と何か約束でもしていたの?」
前を歩いていた柳瀬は、俺と紀之を交互で見ると首をかしげた。
「いや、別にそういう訳じゃないさ。ただ、知樹に少し話したい事があっただけ」
その手はいつどけてくれるのでしょう?
「もう話は終わった。デート、楽しんできてくれ」
「そう。じゃあ、また明日ね」
「おう」
肩に掛かる圧力がさらに上がる。俺は全体に浸透した汗を肌で感じながら、ゆっくりと紀之の目を見た。
「じゃ、じゃあ行ってくるな」
「ああ。楽しんできな」
その目はまったく、友達を見送るような目ではなかった。
「久坂君って、おもしろい人ね」
紀之に解放された後、俺たちは昨日と同じように校門前の並木道を歩いていた。程よい距離感を保ちつつ、横に並びながら。
「その言葉、直接本人に言ってやれ。飛んで喜ぶぞ」
「なんで?」
「何でもだ」
やはりこの女は天然だ。常識人なら分かるであろう事も、それを察知する能力が欠けている。
「ふふ。久坂君の事なら何でも分かるって感じね。そんなに仲がいいの?」
「まぁ、幼稚園の時から一緒だからな。名前順だといつも近くだし」
同じカ行の名前を持つ俺たちは、昔から何かと同じ部類に分けられてたからな。
「……羨ましいな」
「へ?」
丁度並木道の終点に来た時だった。柳瀬は遠い目をして、ぼそりと囁いた。風に流される髪を押さえながら、誰でもない何かに向かって呟くような、そんな幻想的な景色だった・
「草壁知樹!」
そして、俺を現実に戻したのは聞きなれた声を持つ女の怒号だった。
「へ? 何かしら?」
柳瀬が不思議そうに後ろを振り向く。
「気にしなくていい。ただの空耳か、蝉の鳴き声だよ」
俺はそんな柳瀬の肩に手を置き、行こうと促した。
「草壁知樹! 私を無視するのですか!」
ここは学校の敷地じゃなく立派な公道だ。いくら周りがうちの学生ばかりだとはいえ、そんなところで名前を大声で叫ばれる覚えはない。
「草壁君。やっぱりあなた、名前を呼ばれているわよ?」
「気のせいだ。気にせずとっとと行くぞ」
「でも……」
言葉ではそうは言っているものの、気のせいではないのは確かだ。そろそろかな。
「こぉんの! 無視するんじゃありませんわ!」
制服を引っ張られ、俺の歩行は止まる。柳瀬とほぼ同じタイミングで振り向くと、肩で息をする麗奈がいた。
「く、草壁知樹! 何で私を無視するんですの!」
「別に無視した訳じゃない。こんな道の真ん中で叫ぶような奴と、知り合いと思われたくなかっただけだ」
「それを、無視って言うんですの。まぁいいですわ」
いいのかよ?
「じゃあ俺たちはこれで」
俺は麗菜から視線を外し、駅前の方へと向き合った。
「え? ち、ちょっと待ちなさい!」
また制服を引っ張られ、溜め息交じりに振り向く。
「まだ何か用か?」
「まだも何も、私要件を喋っていませんわ」
「じゃあ手短に頼む。俺はこいつと用があるんだ」
ただでさえ柳瀬と下校するのが恥ずかしいってのに、麗奈に掴まり注目を浴びるのはいち早く避けたいからな。
「それが要件ですの!」
麗菜は勢いよく柳瀬の事を指さした。状況が分からず柳瀬は困り顔を浮かべ俺を見るが、悪い。俺も分からん。
「は?」
間抜けな声が、俺の口から漏れる。
「その子は何なんですの!」
柳瀬を指さしたまま、俺に視線を移す麗奈。その顔は怒っているかの印象を受ける。
「どうもこうも、こいつはな?」
「知っています。昨日転校してきた、柳瀬涼香さんですわね。噂通りの美少女ですわね」
なら俺に聞くな。
「あの、草壁君?」
苦笑いを浮かべながら、俺に声をかけてくる柳瀬。そりゃそんな顔になるわな。
「私にも紹介してもらってもいい?」
その言葉に、麗菜は少し驚いていた。何故だかは知らん。どうせ、学園一の有名人である自分を知らないのとでも思っているんだろうぜ。こいつはそういう女だ。
「ああ。こいつは――」
「一年三組、学年次席の大河原麗菜ですわ。この学園の理事長は私の父であり、大河原財閥の現総帥ですわ! 以後、お見知り置きを」
ちなみに学年主席は俺ね。それを理由によく突っかかられたっけ。
「なら私も。柳瀬涼香です。昨日転校してきたばかりですが、よろしくお願いします」
柳瀬が深く頭を下げる。それにつられたのか、因縁をつけていた麗奈までもが手をひっこめ深く頭を下げる。何をやってんだか、こいつらは。
「はっ! いや、今のは違うんですの!」
先に麗奈が頭を上げる。プライド高いこいつの事だ。つられたとはいえ、頭を下げる行為はあまり好きではないのだろう。
「それで、私に何か用ですか?」
遅れて頭をあげた柳瀬が、微笑みながら言った。
「そうでしたわ! あなた達、何故一緒に下校していますの?」
慌てた顔を一蹴させ、麗奈はいつもの調子で腰に手をあてた。
「これから、草壁君に町を案内してもらうんです」
「何ですって?」
隕石が落ちたかのような驚き方をする麗奈。そんなに驚く事じゃないだろ?
「この甲斐性無しな草壁知樹が、か弱い転校生に町を案内ですって? そんな事、あるんですの?」
「どういう意味だそりゃ!」
「ふん! そのままの意味ですの。私は今まで女性との接点を持たなかった草壁知樹が、何故一緒に下校したりし始めたのかを調査する為に来たんですから」
何で麗奈にそんな事を調査されなきゃならんのだ。今も昔も、俺は女性と接点を持とうとは思ってないぞ。
「草壁君。大河原さんとは仲がいいの?」
「まぁ腐れ縁ってやつだ。決して仲は良くないけどな」
「そうです。私はその腐れ縁が、右も左も分からない転校生に昨日のような奇行を行っていないかを調べなくてはいけないのですわ」
「え? 昨日のような奇行?」
まずい!
「知らないんですの? この草壁知樹は――」
「ジャストモーメント麗奈! その誤解は昨日解けたはずだろ? 今更掘り返す事じゃない」
俺は咄嗟に鞄を捨て、麗奈を抱くように捕まえると右手で口を塞いだ。ちゃんと息は吸えるよう鼻は確保するも、俺に掴まれてるのが気にくわないのか麗奈は手足をばたつかせる。
「何? 気になるじゃない」
「お前は気にしなくていい!」
俺はそう柳瀬に向かって言うと、俺の胸元にある麗奈の顔に口元を近づけ、
「これ以上は何も言うなよ? じゃないと、小三の時のあの話をぶちまけるぞ?」
暴れていた麗奈が、壊れた人形のような静かになった。
俺はそれを確認すると、麗奈を解放してやる。ふらふらと俺から離れる麗奈の顔は少し赤かった。
「それで大河原さん。一体昨日何があったの?」
「……何も」
首をかしげる柳瀬。俺はその横で小さくガッツポーズをしていた。
「じゃあ麗奈。もう用事は済んだだろ? 俺たちはもう行くぞ?」
まだ麗奈のぬくもりが残る右手で、無造作に捨てられていた鞄を持ち上げる。
「失礼します」
俺たちは麗奈から視線を逸らすと、また丁度いい距離を保ちながら歩みを進めた。
「……待ちなさい」
俺は足を止める。まだ何か用があるのか?
「私も……私も一緒に行きますわ」
「は? 何言ってんだお前?」
こちらを向く麗奈の青い瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。そんなに悔しかったのか?
「だから、私も一緒に柳瀬さんを案内するって言っているですの」
だけども、それがこれに繋がる訳じゃない。俺はこれ以上面倒を背負い込むのは勘弁だからな。
「うるせぇな。ほら柳瀬、もう行くぞ?」
「何で? 大河原さんも一緒に来てくれるなら、それでいいじゃない?」
空気を読め!
「ほら。柳瀬さんもそう言っているですから、私も同行しますわ」
くそっ! めんどくせーな。
「じゃあ俺は帰る。あとは麗奈に案内してもらえ」
俺は鞄を持ち直し、今日何度目かの方向転換をした。
「何言ってるの?」
これまた何度目かの制服を引っ張られる感触。俺には立ち止まるしか許されなかった。
「約束したでしょ? ちゃんと守ってね?」
嫌な笑顔を浮かべ俺の顔を見る柳瀬は、何とも言えない恐ろしさを秘めていた。
「これなんてどうかな?」
「いいんじゃなくて? 似合っていますわよ?」
柳瀬を案内するとしてきたのは、隣町にあるショッピングモールだった。本当は電車で隣の駅に行き、そこから少し歩く距離にある。
結局三人で行くことになった今回の放課後活動だが、驚いた事に麗奈は電車に乗った事がなかったらしい。それはそれで驚きだったが、目的地のショッピングモールが大河原財閥の経営するものだった事にも大層驚いた。流石は生粋のお嬢様だ。桁が違う。
そんな事を思いながらも、ショッピングモールでは女子陣を先頭に服などを見て回った。構図的には俺が案内されているような感覚で、俺としてはまったく楽しくなかった。
「草壁君、どう?」
「草壁知樹。こういう服を着るのは初めてなんですけど、どうかしら?」
何件目かの服屋で、試着室から出てきた二人は見慣れた制服を脱ぎ、可愛らしい服装に着替えていた。
さすがは柳瀬と麗奈。まったくベクトルが違う美少女な分、二人が揃うと華があった。
「いいんじゃないか」
俺はそう答えると、二人から視線を逸らす。店の外では男たちがちらちらとこちらを見ていた。
「適当ね。もうちょっといい感想はでないの?」
「だから女性が寄ってこないんですわよ」
「余計なお世話だ」
まぁ、こんなのもたまには悪くない。
さらに案内という名の、俺を連れまわす活動は続いた。ショッピングモールを出た俺たちは、麗奈の案内の元、さらに電車に乗って都会に向かった。まぁ電車で行った事がない麗奈に代わってそこは俺が案内したのだが、そんな事は今となってはどうでもよかった。
降りた駅は、若者の街としては有名な場所で、俺も数回行った事がある場所だった。まさかお嬢様の麗奈がここに来た事があったとは思わなかったが、やはりというか何と言うか、向かったのは若者蔓延る世界の少し先に行ったハイブランドの店が立ち並ぶ高級街だった。
「す、すごい」
田舎育ちの柳瀬にとっては、あの蟻のように人がいる場所も、この異常な値段のする物ばかりの場所も、新鮮さで溢れている事だろう。まぁ何と言うか、来てよかったって事かな。
「いらっしゃいませ。お久しぶりです、大河原さま」
「ええ。支配人はいるかしら?」
「はい。今呼びに行ってまいります」
「結構よ。私が行きますわ」
「左様でございますか。ではごあんないします」
数々あるブランドの店の中、一つの店に先陣をきって入った麗奈は、すぐに店員に挨拶をされ、
「ちょっと支配人に挨拶をしてくるわ。少し待っててくださいまし」
そう言って奥へと消えていった。
「どうする?」
「どうするって言われても……」
この高級感溢れる内装に、並ぶ服やアクセサリーの数々に圧倒され、柳瀬は少し緊張していた。
「そんなに緊張するなって」
「そんな事言われても無理よ。草壁君は緊張しないの?」
まぁ実はこういうところは数回来ているからな。もうあんまり緊張しないんだ。この店も前に希海のプレゼントを買った店だし。
「お待たせしましたわ。じゃあ、好きな物を選んでください」
奥から出てきた麗奈は、突然意味不明な事を言った。え? 好きな物を選んで?
「どういう事?」
「だから、涼香が好きな物を選んでいいんですわよ。私からのプレゼントと言いますか、友達になった記念ですわ……」
照れ隠しに顔を背ける麗奈。ここに来るまでの短時間で、下の名前を呼びあう友達になった二人に感心していた俺だが、麗奈にまさかこんな一面があったなんてな。
「いいの?」
「ええ。お金の心配はしないでいいですわよ?」
俺を見てくる柳瀬の目は、少し困っていた。確かに困るだろう。値段だって一番安くても高校生が一か月頑張った給料で買えるか買えないか位のレベルだ。それをプレゼントなんて言われたんだ。そりゃ困るよな。
でもな、柳瀬。
「遠慮するな。好きなのを選べばいいさ」
これが不器用だけど、麗奈なりの絆作りなんだ。これで関係を続けてくれって意味じゃない。よろしくって言葉の代わりなんだ。お前なら、分かってくれるよな?
「何してるんですの? 早く選びなさい、涼香」
「ほら。早く選ばないとあいつの気が変わるかもしれねーぞ?」
「う、うん」
ゆっくりとショーケースの方へ歩いて行った柳瀬は「これ」、と言って一つのアクセサリーを指さした。
俺と麗奈は指先にあるものを覗きこむ。それは、この店で一番安い四葉のクローバーを模ったネックレスだった。
「本当に、これでいいんですの? もっと高いものでも」
「ううん。これがいい」
「そう。なら、これを一つ」
「かしこまりました」
店員さんがショーケースからそれを取り出す。確かに可愛いネックレスだったが、もっと高いものを強請ればよかったのに。
「いいのか?」
「うん。別に麗奈に遠慮した訳じゃないの。四葉のクローバーが好きなの、私」
「そうか」
緊張した顔はどこかに行き、今は暖かい微笑み作っている。それは本当に、見る物すべてを虜にする微笑だった。
「どうぞ。大事にするんですのよ?」
「うん。ありがとう、麗奈」
「き、気にしなくていいんですわ」
店の外で包装され紙袋に入ったネックレスを受け取った麗奈は、それを柳瀬に渡した。まだまだぎこちないやり取りに見えたが、それでも二人が浮かべる笑顔は美しかった。
そう言えば、俺も昔麗奈に物をもらったな。幼稚園の時だったからそんなネックレスみたいな上等なものじゃなかったけど。
「じゃあそろそろ暗くなってきたし、帰るか」
気づくと、長く空にいた太陽は身をひそめ、お月さんとバトンタッチしていた。それでも外には溢れる人がいて、昼間よりも多い印象を受けた。
「あのね、麗菜、草壁君。一つやりたい事があるの」
丁度駅近の若者の街に差し掛かった時だった。柳瀬が口を開き、ゲームセンターを指さしたのだ。
「あ? 何がやりたいって?」
「あれよ」
そこにはプリクラの看板が立っていた。俺は勿論だが、おそらく麗菜もやったことがないだろう。
「プ、リクラって何ですの?」
ほらな?
「写真を撮る機械らしいわよ。色々と飾り付けられるみたいで、田舎じゃ伝説的なものだったの」
「そうなんですの?」
「うん。麗菜も草壁君もやった事ないの?」
「ええ」
「ああ」
当たりまえだろ? そんな機会なかったからな。
「じゃあ、行きましょう?」
半ば強引に俺たちを引っ張っていく柳瀬。つくづく第一印象とは違う奴だ。もっとおしとやかで控えめな子かと思っていたぜ。
「なあ。今更だけど、本当に俺も取るのか?」
今や会長なんてやっている俺だが、休みを見つけては紀之とよくゲーセンには来ている。その時は車のゲームや格闘ゲームで火花を散らしているのだが、プリクラのコーナーには一度も入ったことがなかった。なんというか、あそこはカップルを含む女子の世界だと思っていたからだ。一度紀之と撮ってみようと話をしたことがあるが、その時はその場の雰囲気に負け結局取らなかったんだっけ。
「当たり前よ。ここまで来たんだから、覚悟を決めて」
柳瀬はまたあの有無を言わせない笑顔を浮かべ、俺の袖を引っ張る。
「す、少し恥ずかしいですわね」
それについては同感だ。こんなピンクと白の色彩に囲まれたメルヘンチックな世界、俺には荷が重すぎる。
「さっ。二人とも入って」
渋々プリクラ機の中に入る。中は思ったよりも狭く、暑い。カーテンで遮られているとはいえ、足元は外から丸見えだった。
「へぇ、色々とコースがあるみたいだけどどうする?」
「好きなのにしてくれ」
そして早く終わらせてくれ。
「じゃあ、これでいいかな。あ、今度は柄だって。麗菜、何がいい?」
「えっと――これはどうかしら?」
「いいじゃないそれ! それにしましょう」
よりにもよって麗菜が選んだのは、ハートが無数に散りばめられた柄だった。結構乗り気じゃねーか、お前も。
「あれ、もう撮るみたいだよ? ほら、草壁君が真ん中!」
その細腕からは思いもしない力で俺は引っ張られる。
「何で俺が真ん中何だよ!」
「いいじゃない。そっちの方が雰囲気でるでしょ? 両手に花で羨ましい限りよ」
自分で言うな自分で!
「こら、草壁知樹! あんまりこっちに寄らないでくださいまし」
「んな事言ったって! ここ狭いんだよ!」
「きゃっ! 今変なとこに当たったー」
「わ、悪い!」
カシャッ!
『あ』
俺がひっちゃかめっちゃされている間に、一枚目の撮影が終わってしまった。まともな顔どころか、下手したらフレームアウトしている可能性すらある。まぁ、それはそれでいいけどな。
「ほら、今度はちゃんと撮るわよ? 麗奈も我慢して」
「し、仕方ないですわ。草壁知樹、変な事を考えたら承知しませんからね」
黒髪美少女と金髪美少女が俺の両腕に腕を絡めてくる。
どうやら俺は、猛烈に理性を試されているようだ。
右と左ではまったく違うシャンプーの匂いがして、同じような柔らかい感触がまとわりつく。右でくっつく柳瀬からは着やせするタイプなんだなと印象を受け、左で腕を絡める麗奈の見たままダイナマイトメロンに感服する。
って、いくら異性になんとも思わない俺でも恥ずかしさくらいは持っているぞ!
「お前ら、そんなくっつくな!」
俺は終始、羞恥心と自分の中に住む狼と戦い続けた。
「あれ?」
撮り終わったプリクラを女子陣が好き勝手デコレーションした後、その完成品を三人で見ている時だった。
柳瀬が頭を右往左往しながら声をあげる。
「どうした?」
俺と麗奈は状況が分からず、そのプリクラを財布の中にしまった。
「ない、ない、ない!」
何が?
「どうしましたの? 落ち着きなさい涼香」
「ないの! ここに置いておいた鞄とプレゼントの袋が!」
『えぇぇぇ!』
おい、嘘だろ? 何であったもんがなくなんだよ!
「私、トイレとか見てくる!」
「なら、私も店員さんに落し物が届いてないか聞いてきますわ」
「分かった。俺は店内を探してみる」
柳瀬の話によると、プリクラにデコレーションを加えている間、横にある椅子に置いておいたらしい。俺は外にいたけど、あまりにも長いので待ちきれず他のコーナーを見て回っていた。もし、取られたとしたらその時だ。
だけど、まだ取られたと確定した訳じゃない。もしかしたらトイレに忘れたのかもしれないし、落し物かと思って誰かが届けてくれているかもしれない。
だけどその可能性は低いだろうな。ここは若者の街。そんな親切な奴は少なく、姑息な事を考える奴のほうが多いだろう。しかも有名ブランドの袋と一緒に置いてあれば、物取りの可能性は高い。
「店には、届いてないみたいですわ」
俺が店を一周した頃、店員に聞いて回っていた麗奈が返ってくる。やっぱり落し物じゃないか。嫌な方へと予想が傾いていく。できれば、そうはあってほしくない。
「はぁ、はぁ」
走って見に行ったのだろう、柳瀬が息を荒げて戻ってきた。
「どうでしたの?」
「あったわ……」
「本当ですの!」
マジか! よかったじゃねーか。
「……でも、袋だけ」
「え? 袋だけですって? 中身は?」
「中身は空だった。おまけにまだ鞄もない」
息は整ったものの、いつもの柳瀬スマイルは浮かばない。本気でショックなのだろうが、悪いが自業自得でもある。こんな人の多い町で、しかもゲーセンで鞄をその辺に置いとけば取られる可能性は大いにある。
「なら諦めろ」
『え?』
「取られちまったんだよ。ならしょうがねーだろ? 後で交番にでも行って――」
「草壁知樹!」
いきなり大声を出すもんだから、俺はビビッて身体を震わせた。
「んだよ? いきなり大声だすな」
「あなた、それでも男ですか?」
「は?」
「昨日転校してきたばかりで何も分からない女子が、目の前で鞄を取られて涙を浮かべているですわよ?」
怒り顔の麗奈から柳瀬へと視線を移す。顔を伏せ、身体は震えている。俺のアングルからは確認できないが、おそらく目には涙が浮かんでいる事だろう。
「そんな女子に、諦めろですって? 昔はもっと人の気持ちの分かる男でしたのに、見損ないました!」
何だよ? 何でそんなに怒ってるんだよ?
「一体何だって言うんだよ? 俺は正論を言っただけだろ? 大体柳瀬も悪いんだぜ? こんな人が多い場所に無防備に鞄なんて置くから」
「もう一度、言ってみなさい」
「は? 何だよ?」
――刹那。俺の頬に衝撃が走った。
一瞬何が起きたのか分からず、俺は痛む頬を摩った。目の前には腕を振り切った金髪碧眼の美少女がいた。
「な、何すんだよ!」
「言うに事欠いてあなた、鞄を置いてた涼香が悪いですって? いい加減にしなさい! そんなの盗んだ犯人が悪いに決まってるじゃないですか。そんなことも分からなくなってしまったんですの!」
分かってるさ。だからこそ、もう逃げた犯人の特定なんて俺たちみたいな素人じゃなく、プロに任せろと俺は言ったんだ。
「涼香のいた田舎は、きっとこんな所と違って平和な町だったんですの。だから、無防備で当然じゃないですか!」
「だから、俺はそれが悪いって言ってんだよ! これで勉強になっただろ? 鞄はちゃんと持っておけってことが」
「あなたね――」
「やめて麗奈」
今まで黙っていた柳瀬が、ここで初めて口を開いた。目にはうっすらと涙を浮かべ、身体はまだ小刻みに震えている。
「確かに草壁君の言う通りだよ。世間知らずの私が、自分の中の狭い価値観で動いた結果がこれ。悪いのは私なの」
「涼香、それは――」
「いいの。間違ってない。でもね、一つだけ言わせて……」
柳瀬はさらに大きく身体を震えさせ、大きな雫を目から流した。
「……麗奈。せっかくプレゼントしてくれたのに……ごめんね」
何かが心を突き刺すような、そんな感覚に襲われた。
「いいですわそんなの。また買えばいいだけですし、それより心配なのは鞄の方ですわ」
「ううん。鞄こそ私にとってはどうでもいいの。でもあのネックレスだけは無くしたくなかったから……初めて麗奈が……くれたものだったから」
俺は無意識のうちに拳を強く握っていた。何故か腹が立っていたのだ。それも自分に。
「おい麗奈」
優しく柳瀬の背中をさすっていた麗奈が、不機嫌そうにこちらに振り向く。
「なんですの!」
「柳瀬を連れて先に帰れ」
「はい?」
「聞こえなかったのか? 柳瀬を連れて先に帰れと言ったんだ。荷物の件は俺がどうにかしてやる。だから先に帰れ」
柳瀬の涙や麗奈の平手が効いたわけじゃない。何より、友情の証であるあのネックレスを取り戻したい。俺は愛を知らない。だからこそ、唯一許されている友情だけは大事にしたい。例えそれが、俺に向けられていないものだとしてもだ。
「あなた何を……」
「麗奈。今回お前は一切手を出すな。俺が何とかするから、警察も財閥の力もいらない。いいな?」
「え、ええ」
まるで信じられないものを見るかのような碧眼が俺を捉えている。
「もう行け」
その言葉で麗奈は柳瀬を連れて外へと出た。柳瀬は去り際泣き目で俺を見つめたが、俺は逸らすように視線を移した。
さてと――エルザ。
『はいです』
突然俺の前に姿を現すエルザ。いつもの恰好で、いつものように宙に浮いていた。まるで今登場したかの演出をしてくるが、残念ながらお前がずっといたのはお見通しだ。隠れてついてきていたのもな。
『そうでしたか。全部ばれてましたか。なら私もプリクラ取りたかったですぅ』
指を銜え、何かを強請るように俺を見てくる。だが今の俺は冗談を言っているほど暇じゃないだ。
『オンモードの知樹さん。やっぱり別人みたいです』
時間がない。手短に話すぞ。
『はいです』
お前は俺の後をつけてきていただろ? ならお前は柳瀬の鞄を盗んだ犯人、もしくはそれに近い怪しい人物を見なかったか?
『はいです。犯人までは分かりませんが、怪しい人物なら二人に絞られます』
なら話は早い。その二人の特徴は?
『はいです。二人とも鞄の近くを通りがかった人物で、一人目は金髪の若い男です。いかにも悪そうな身なりをしていて、ちらちらとプリクラ機の方を見てましたです。二人目は、茶髪の長い髪を持つ若い女性です。この人は本当に通りがかっただけで、すぐにその場所からいなくなりました』
十分だ。それだけ分かればいい。
『え? もう分かったんですか?』
ああ。犯人はその女だ。
『え? でもその女はすぐにそこからいなくなっているんですよ? なら男の方が怪しくないですか?』
いや、男の方はただのチンピラだろう。おそらくプリクラ機をちらちら見ていたのは、麗奈と柳瀬を見ていたからだ。
『なら、何で女が犯人なんですか?』
まず手慣れた奴はその場に長くいるような事はしない。目的を果たしたらすぐにその場を離れるのが得策だからな。それに、紙袋が見つかったのが女子トイレだ、犯人が、ばれにくく且つ持ち出しやすくするために袋だけを捨てたのだろうが、それが仇となったな。
『でも、男でも女子トイレに入る事は可能なのでは?』
確かに可能だな。だが、置き引きをした犯人が、わざわざ見つかって騒ぎになるような事をすると思うか?
『いえ、それは』
なら犯人はその女で決まりだ。すぐにそいつを追う。お前ならすぐに見つかるだろう。見つけ次第、後をつけろ。もし仲間がいるならこれから落ち合うはずだ。そこを押さえる。
『了解したです! 探偵みたいにこっそりつけるです!』
とにかく、仲間と合流した時点で俺に場所を教えろ。いいな?
『はいです!』
そう言って、エルザは姿を消した。奴の事だ。すぐにでも犯人を見つけてくれるだろう。なら、俺はその後の準備だ。
携帯を取り出し、美里さんにかける。数コールもしないうちに、彼女は電話に出た。
『はい。美里です』
「俺だ」
『会長、今日は会社にこないはずでは?』
「ああ。会社にはいかない。でも、お前には動いてもらうぞ」
『仕事でしょうか?』
「いや、少し違う。だがすぐに車と、SAを俺の元に」
『了解しました。場所は?』
場所を伝えると、十分もかからないうちに車は到着した。黒塗りの高級車が路肩に横一列に並ぶ。異様な光景で通行人がこちらを見てくるが、そんなのは関係なかった。
俺は開けられた真ん中の車の後部座席に乗る。するとそこにはさっきの電話相手である美里さんが座っていた。
「お待たせしました」
「いい。それより、仕事はどうした?」
「片付けてまいりました。で、内容は」
俺は経緯を手短に伝える。完全に私情のことにも関わらず、美里さんは何も言わずに頷いてくれた。
「分かりました」
「すまない。私情で美里さんを動かして」
「いえ、SAも私も会長のしもべです。存分にお使いください」
SAとは、俺専属の特殊部隊だ。基本SPを持たない俺にとって、何かあった時の為の護衛部隊。様々な訓練を重ねたエキスパートを集めているので、こういう時には頼りになるのだ。
前の助手席と運転席に座る細身のSAは、その中でもリーダー格の二人で、俺や美里さんの命令を直接受ける人物だ。
『知樹さん!』
俺が車に乗って数分も経たないうちに、エルザが戻ってくる。大胆にも俺の横に座り、報告を入れてきた。
俺の思惑通り、やはり犯人はグループの一人らしく、今はアジトで仲間と落ち合っているらしい。
俺はすぐさま場所を伝え、そこに向かうように指示する。助手席に乗るSAが無線で連絡を取り、一台一台発進する。
目的のアジトは車で十分もかからない場所にあり、その間車内でエルザの報告を受けた。
『犯人グル―プは約二十人。そのうち三分の二は男です。武器はサバイバルナイフのようなものが数本見えましたです』
そうか。よくやってくれた。拳銃などの火器は?
『いえ。ないと思われますです』
俺は短く頷く。銃刀法で縛られているこの国で拳銃を持っている事はかなりほぼありえない。だが、どの世界にも裏ルートなどはある。そういったルートと繋がっているグループは万が一にもそういった火器を持っている可能性があるのは事実だ。
「敵の数は二十人弱。こちらの数は?」
俺は助手席にいる指揮官に言葉を投げる。
「こちらは総勢十八名で隊を組んでおります」
太い声が車内に響く。十分だな。SAはSPと違って常時武器の携帯は許されてはいない。とはいえ、ただの若者に後れを取る事はありえないだろう。
「敵はナイフを所持。銃火器はない。若者とはいえ、気を抜くな」
「はっ」
指揮官が全隊員に命令を伝える事には、目的地へと到着していた。
そこは町はずれにある三階建ての雑居ビルで、ほとんど廃墟のような場所だった。窓ガラスは数枚割れ、壁には誰かが描いたであろう落書きが至るところにあった。
「行くぞ」
俺は車を降りると、外でスタンバイを終わらせていたSAを率いて中へと入った。
少し歩くだけで大きな音がなる階段は、まるで幽霊屋敷の一角のようだ。俺たちはそこを最上階まで登った。
後ろには俺を守るためも精鋭部隊と美里さん。それに得体のしれない生物もついている。恐れる事は何もないだろう。
最上階まで来た時、壁際で息をひそめる。ホールのような場所にグループ全員が集まっているようで、にぎやかな話声が聞こえる。
その中でも一際響く声があった。
「今日は思わぬ臨時収入が入ってラッキー」
声質は女。おそらく柳瀬の鞄を奪った犯人だろう。
「お前もやるな。こんな高級品をパクってくるなんてよ」
「だからラッキーだったのよ。学生鞄の中にもそこそこ金になりそうなものが入ってたし、今日は豊作ね」
拳を強く握る。汗が滲んで嫌な感じがした。
「じゃこれ売って今日はパーっとやろうぜ?」
「そうね。そうしましょ?」
俺の怒りも限界だった。俺は指揮官と美里さんに作戦を伝える。
そして、一歩ずつ前へと進んだ。
俺の踏みしめる音がホール内に響く。それを聞いてこちらを見たグループメンバーが警戒心を最高潮にし、身構えた。俺は後ろの奴らを片手で抑えると、一歩前に出た。
「何だテメ―!」
一番奥に座るリーダー格の奴が声を荒げた。
「あんた、さっきゲーセンにいた高校生じゃない」
リーダー格の横にいた女が俺を指さす。そうか、こいつが犯人か。
「俺が何者だろうがどうでもいいだろ? それより、奪われた物を返してもらおうか」
俺は右手を前に出す。その行動を見て、リーダー格は横に置いてあった鞄を持った。
「これか? お前わざわざこんなものを返してもらうため、一人できたって言うのか?」
「そうだ」
「ばかじゃねーの?」
グループが一斉に爆笑する。その笑い声は不愉快で、俺の頭の線を数本切るには十分だった。
「今素直に返したら許してやる」
「はぁ? テメー今なんつった?」
「もう一度だけ言う。それを返せ」
「お前、この状況が理解できてないみたいだな? 今日は帰れると思うなよ、小僧?」
一人の男が俺に殴りかかってくる。今まで好き勝手やってきたのだろう。暴力に物を言わすとは、愚かだな。
だが、時に暴力は有効な手段である時がある。
そう。
「ぐはっ!」
正当防衛の時だ。
男が俺の前で無様に跪く。そうだろう。鳩尾に渾身の一撃をお見舞いしたからな。今頃微かな呼吸しかできずに苦しいはずだ。
だけどな。
「ぐはっ」
あいつが受けた苦しみに比べれば、こんなの大した事じゃない。
俺の蹴りが顔に入った奴は痛みをこらえられずに床で悶絶していた。力は抜いた。怪我で済むさ。
「テメ―、やってくれたなおい! この状況分かってないみたいだから、教えてやるよ! ああ?」
俺は口元を緩めた。
「何が可笑しい?」
「いや、お前らの馬鹿さ加減に呆れたのさ」
「んだとコラッ!」
グル―プの奴らが俺に一歩一歩近づいてくる。
「じゃあ教えてやる。この状況を本当に理解していないのは俺ではない。お前らさ」
「何を血迷った事を!」
「まず、お前たちが小僧小僧と馬鹿にした相手が空手黒帯だった事。そしてもう一つは」
その声で、俺の元に駆け寄ってくる足音が無数あった。今のが合図となり、SAが突入してきたのだ。
「俺が、一人じゃない事だ!」
その夜、一つのグループが警察により検挙された。
「ほらよ」
昨日の一件から一夜明け、俺はいつも通り学校へと来ていた。いつもは一つしか持たない鞄をもう一つぶら下げて。
教室に入ると、既に俺の後ろの席は埋まっていた。俺はそいつの前まで歩いていくと、さっきから重かった鞄を机の上に置いてやった。
「え?」
憂鬱そうに窓の外を眺めていた柳瀬がこちらを向く。
「お前の鞄だ。言っとくけど、中身は見てないからな」
興味ないしな。
「……嘘でしょ?」
「嘘じゃねーって。中身見てみ?」
今のはどっちに対して嘘と言ったのかは分からないが、柳瀬はチャックを開け中身を確認する。そして、その中から一つのケースを取り出した。
「……本当だ。信じられない」
柳瀬が手に持つそれは、まぎれもなく昨日プレゼントされた物だ。
「傷もないと思う。だから、安心しろ」
「え、その……」
「それと」
俺は柳瀬の肩に手を乗せた。何事かと柳瀬が俺に視線を向ける。その目はうっすらと赤くなっていた。
「もう無くすんじゃねーぞ。都会は怖いとこなんだ。それをちゃんと理解してくれ」
俺はそう言うと、前にある自分の机に鞄を置いて座った。
まったく、人騒がせな転校生だこと。
「……ねぇ、草――知樹君」
「は?」
俺は下の名前で呼ばれた事に驚き、勢いよく後ろに顔を回した。
「ありがと」
その笑顔は、太陽よりも輝いていて、俺の顔を火照らすのには十分だった。
「あなた、一体どんな手を使ったんですの?」
突然後ろから声をかけられる。いや、俺が後ろを向いているのだから、教室の構造上前から話しかけられたのか。
振り返ると昨日の当事者の一人である麗奈が、いつもの腕組みスタイルで立っていた。
「どうもこうも、ちゃんと正当な手段で取り返したまでさ」
不法な手段は使っていない。俺も正当防衛でしか人を殴っていないし、突入してきたSAの連中も俺を守るという名目で行動した。流石は精鋭部隊という事もあって、ナイフで武装していた奴らもまったく相手になっていなかった。ものの数分で片付いた結果、リーダー格は呆気なく降参。すぐに警察を呼んで処理してもらったってのが事のあらましだ。
な? 全然不正じゃないだろ?
「あの後すぐに、犯人グループが検挙されたようね。しかもほとんどの人間が既にやられていたらしいじゃありませんか?」
さすがは大河原財閥のご令嬢。情報が早いようで。
「たしかあなた。昔空手をならっていましたわね」
中一までだけどな。
「もしかして、あなたの仕業ですの?」
疑いの目を向けてくる麗奈の目は、もう犯人は確定してるような事を訴えてくる。ちらりと柳瀬を横目で見るが、どうやら話しは聞いているものの、あまり興味はないようだ。
「勘違いするな。俺がいくら腕っぷしに自信があっても、一個のグループを壊滅させるほどの実力はねーよ」
碧眼はまだ俺を捉えている。まだお前には色々と知られたくないんでな。
「それに、当の柳瀬が笑ってんだ。何はともあれ、これでいいじゃねーか?」
俺は柳瀬に顔を向けた。昨日プレゼントをもらった時のような微笑みを浮かべながら、俺と麗奈を交互に見ていた。
「それも、そうですわね」
麗奈は一度目を閉じると、吐息を漏らして微笑んだ。
「ありがとうね。麗奈、知樹君」
何はともあれ、結果オーライって訳だ。
明日からは夏休み前最後の土日。これで心置きなく連休を過ごせそうだ。