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香川夏彦と花火

「あんの馬鹿……!」


 夏彦が自宅に帰ると、そこはジャングルだった。


 ちなみにここは高級マンションの一室で、アマゾンではない。だが、ジャングルという以外に相応しい表現が無かった。

 部屋中を覆い尽くす大量の植物。それは様々な種類であったが、とりあえず蔦が床だけでなく、壁や天井にまで伸びていた。


 チューリップ、クレチマス、百合、紫陽花、ポピー、ガーベラ、ハイビスカス。統一性のない花々が放つ芳香が鼻腔をくすぐる。鮮やかな色彩の花達が作り出す世界は幻想的な光景で、誰もが目を奪われるような美しさがあった。

 だが、夏彦は魅了される事なく、異世界と化した廊下を進んで行った。

 これらの植物は種類はバラバラではあるが、全て同じ方向から生えている。つまり、リビングからである。


「いやああああああああ! やめてください! 本当マジでやめてください!!」


 リビングの中心には銀髪の少女が奇声を上げていた。翡翠色の瞳には涙が浮かんでいる。

 少女の両の掌は淡い緑色に発光しており、そこからシュルシュルと植物の茎やら蔦が生え出している最中だった。その内の一つは彼女の足元に垂れ落ちると、葉と蕾を一瞬で形成して紫色の花びらを開かせた。更に生えた直後は柔らかそうだったのが徐々に変色していき、細い枝と変化して先端から淡い紅色の桜を咲かせた蔦もある。


「止まってくださいよぉ! 早くしないとあの人帰ってきて……」

「はーなーび?」


 あの人こと夏彦が少女の名前を呼ぶ。リビング中に響いていた叫び声が止み、焦りからか切羽詰まっていた表情で自らの掌を見下ろしていた少女がぎ、ぎ、と首を動かして声の方向を見る。


 掌から光が止み、植物の排出が止まった。それだけではない。美しい世界が一気に崩壊を始めた。花が萎み、生気を失った葉が枯れ色に変わっていく。ぽと。ぽと。夏彦と少女の足元に残骸が次々と落下する。


「クソアマァ……こいつはどういう事だ……」

「すみません! 部屋に飾る花を咲かせようとしたら! つい!!」

「こんだけ量が多いと飾るんじゃなくて侵食とか寄生の域じゃねーか!! さっさと片付けろ!!」

「ふぎゃあ!」


 弁解は許さないとでも言うように夏彦は花火の頭部にチョップを何度も喰らわせた。涙を潤ませた花火の瞳は菫色だった。普段はこの色をしているが、花を咲かせる時は翡翠色に変化するらしい。


 恐らく泣きそうになっているのは痛みだけが理由ではないだろう。ゴミ袋を開けて枯れ果てた草花を捨てていく花火をもう一度夏彦は呼んだ。また叩かれると予想してか少女が肩を跳ね上げた。


「鈴蘭にしろ」

「ふぇ?」

「オメーなぁ、あんだけ色んなもん出しといて鈴蘭が分からねぇって言う気か?」

「知ってますけど、それが何か」

「だから片付けたらそれ出せって言ってんだよ。今日はそれを飾っから」


 また余計なもんを出すなよ。と最後に付け加えると分かりやすいくらい大きく震えたが、花火の菫色は喜びを示していた。片付ける作業も心なしが早くなった。現金な奴だと夏彦は巻き付いていた蔦が全て撤去されたソファに身を沈める。

 花職人の仕事は主人のために花を咲かせる事だ。どんなに酷い目に遭っても、花を咲かせて主人を喜ばせたいと思うように作られている。善良な人間に買われた人形なら問題はないが、逆となると話は別だ。花職人は花を咲かせ、水さえあれば寿命まで動く事以外は見た目も中身も人間と大差はない。

そのせいで可憐な容姿の少年少女は本来の目的とは異なる仕事をさせられる。


「夏彦さぁん! 私やりましたよ! 鈴蘭だけ咲かせました!」


 右の掌からは鈴蘭を咲かせ、左手でガッツポーズを決めている花火も、そう言った変態の性欲を煽るような外見をしている。夏彦は花火以外にも二体の花職人を知っていた。

 一人は近所の洋食店の看板娘だ。主にたんぽぽやシロツメクサなど小さな花を咲かせる事を得意としていた。

 もう一人は夏彦の勤め先の会社の同僚が買った金髪の少女の人形だった。こちらは他の人形よりも賢いようで、精製が難しいとされる特殊な形をした花を咲かせる力を持っていた。

 そして、夏彦の自宅にいる花火は『何でも花を咲かせる力はあるが、暴走しやすい能力持ち』という厄介な人形だった。先程のようにジャングルを作り出したのはもう六回目である。そんな事なのでここに来るまでは、別な理由で買われたらしい。だが、見た目は綺麗でも性格は直情的だ。色々される前に力を暴走させて逃げ出したという。

 野良人形となってしまった花火を見付けたのがこのマンションの近くにある花屋だ。職業柄か花職人に詳しく、花火を誰かが引き取りに来るまで里親になってあげていたのだ。

 花火を欲しがる人間は大勢いた。暴走しがちではあるものの、数多くの種類の花を咲かせられ、見た目も肉体年齢は15歳程度でまだ子供だ。実験材料に使える上、そういった行為にも最適だった。色んな意味で引き取りたいという声から花屋は花火を守り続けた。

 とにかくこの人形を純粋に愛してくれそうな人間を捜してやらなければ。と花屋は親馬鹿全開だった。


「鈴蘭飾っておきますね」


 テーブルの上の淡い青の花瓶に鈴蘭が飾られる。小さな花だったが、シンプルな間取りのリビングにはよく似合っていた。


「今度草だらけにしたら、オメーの作った蔦で逆さ吊りしてやるから覚悟しておけ」

「逆さ吊り!? ベランダ見ながらそんな怖い事言わないでくださいよ!」


 まだ主人の怒りが収まっていないのかと花火は青ざめながら首を横に振った。流石にベランダから吊るすつもりはない。室内であればやろうとは思う。夏彦がこんな言葉を追加させると、少女の口から悲鳴が漏れた。だが、文句は出ない。出るはずがないのだ。


 花火にしてみれば夏彦は神様のような存在だった。変態ばかりが集まり、困っていた所を仕方なく店の常連客だった夏彦が引き取った。花火は花屋からそう聞かされていたので、この男に頭が上がらなかった。


「次からは絶対失敗しないようにしますから……」

「……それじゃあ鈴蘭が枯れたらガーベラ辺りを咲かせてみろ」

「分かりました!」


 頷いてから花火は夏彦の隣に座った。叩かれ、あれほど脅されても夏彦に反抗しないのは花火にとって彼が恩人であり、それ以上の存在だからだ。

 夏彦は怒ると怖い、を通り越して恐ろしい。元ヤンらしい。


 だが、花火に花を咲かせろとリクエストしてくれる。水は水道水ではなく、高いミネラルウォーターしか飲ませない。本を読む時に使用する栞の押し花も、会社のデスクに飾る花も花火のもの。


「私頑張ります!! 私を拾ってくれた夏彦さんに認められるようになります!!」

「オメーを拾ったのは俺じゃなくて花屋だっつの」

「で、でも、夏彦さんがいなかったら私変なおじさまに引き取られてたって花屋さん言ってたんで。やっぱり夏彦さんは私の恩人なんです」


 花火を求めて押し掛けて来て誘拐しようとした丸々と太った中年を片付け、更に主人になってくれた夏彦にどうすれば恩を返せるか。

 日々、そんな事ばかりを考えて考え過ぎて力が暴走してまたジャングルが出来る。この事に気付き対処するだけで大分恩返しになると少女は気付いていない。

 ふわぁ、と花火は欠伸をした。無造作に花を咲かせるには体力をたくさん使うので、片付けが終わった頃には睡魔が襲ってくる。ベッドに行かなければ怒られると分かっていても瞼は重くなる一方だ。


「夏彦さん……」

「あ?」

「大好き」


 静かにそう告げて眠りに入った花火を横目で確認した後、夏彦は両手で顔を覆った。耳は赤く染まっていた。

 それから五分後、今は何の光も灯さない掌を指でなぞり、ゆっくりと握り締めた。絡ませた指と指が植物の白い根のように見える。夏彦はそう思った。

 夏彦の肩に頭を乗せて甘えるように擦り付けてくる花火の髪をもう片方の手で撫でる。繋いだ手に違和感を感じて見下ろすと、花火の掌が発光していた。少しだけ手を離してみる。掌の光の中からするすると茎が伸び、葉と蕾を作り上げる。

 蕾が花弁を開かせた。

 青い薔薇だった。




 日々、変態の対応をする花屋を見兼ねて夏彦が引き取り主に名乗り出た。花火はそう聞かされていた。なので夏彦に初めて出会い、挨拶代わりに花をあげた時に一目惚れされていた事を花火は知らない。

 ちなみに夏彦が毎日花屋に引き取り先は見付かったのかと聞き続けていた事を知らない。

 ついでに言うなら花屋でいつも飲んでいたミネラルウォーターの買い主が家主でない事を知らない。

 更に更に言うと、花屋は自分が夏彦に花火の主人になるように頼み込んだと言っていたが、実はその逆だった事を知らない。


 知らない事だらけの花火は自らが色んな意味で尊い存在である事すら気付かずに、今日も花を咲き誇らせるのだった。

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