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緋色と天樹悠子

小説家の女性とツンデレ花職人

「先生今晩暇?」



 悠子が手掛けている人気シリーズの新刊が発売されてから数日後の事だった。今夜七時からの割と交流の深い俳優と彼の友人達と食事をする約束。

 しかし、肝心の店は食べ物はつまみ程度にしか出ない居酒屋だった。最初から酒を飲む事を目的とした計画だったのだろう。あまりアルコールを好まない悠子にとっては好ましくない展開だった。


 甘党と胸を張って宣言する程糖分に依存してはいないが、苦みが強い酒を煽るくらいなら紙パックの安物のジュースを飲んでいた方が幸せではあった。それに関しては俳優も熟知していたのだが、友人達にどうしてもと押し切られてしまったそうだ。「申し訳ない」と平謝りした彼に責任はない。事の発端も友人達が悠子本人より「これ」に興味があるので一度話してみたいと言い出した事から始まった。

 悠子は自分の横を歩く「これ」を見上げた。身長が152センチの悠子より一回り背の高い彼は、時折吹く冷風にその桜色の髪を靡かせながら正面を向いていた。肉体年齢も精神年齢も二十代後半の悠子よりも六つ程下らしいが、身長とその目付きの悪さのせいで信じる者はあまりいない。

 石榴色の双眸は忌々しそうに前方を睨み付けている。薄暗い夜道の先に彼の天敵などいないというのに。


「そんなに嫌なら断っても良かったのよ? 飲み会に行くの」

「当たり前です。あんな所酒臭いだけで何が楽しいのか分かりません」

「そう思ってるならどうして来たの?」

「今日は私がいなければ意味がないと言ったのはマスターでしょうが。あなたの命令通り動くのが私の仕事です」


 見世物にされる事は彼も悠子も嫌っている。渋々重い腰を上げたのは誘ってきた俳優のためだ。半年前に悠子の小説を原作としたドラマの主演者だった彼とは友人のような関係を築いていた。

 しかし、悠子も長居するつもりはなかった。しばらく経ったら用事があるだとか理由を付け、彼を連れて帰る予定を密かに頭に入れていた。


 その前に「これ」の機嫌が底の底まで落ちないように祈る。なので今の内から彼の気に障るような態度は避けておきたい。冷静そうな外見とは裏腹によく喚く性格に彼を知る者は子供っぽい、と語る。

 一番傍にいる悠子からしてみれば融通の利かない頑固な老人のようだった。思春期に突入して不安定になっている心も、長い生の間にがちがちに固められた心も大して変わらない。それなら前者の表現の方が可愛げがある。悠子の友人はそう語った。この捻くれ者に思春期など存在しないと反論すれば、どこまでも鈍い女と返され、悠子はもう何も言わなかった。何が鈍いのか理解出来なかったのだ。


 七時五分前に到着した居酒屋の外装を悠子はここで初めて見た。渡された地図と名前を頼りにやって来たため、どんな店なのかは聞かされていなかった。赤茶色の煉瓦を模した建物に英語の店名が書かれたアイボリー色の看板。

 入り口に置かれたメニュー表にはカクテルばかりが載っていた。

デザートやフルーツのメニュー数もやたら多い。若者向け、というよりは女性向けの店のようだった。酔っ払いの中年が、焼酎片手に焼き鳥を頬張る光景ばかり想像していた悠子は瞬きを数回した。


 開いた自動ドアの先には既に到着していた友人が集まったメンバーを確認していた。悠子が「葉村君」と名前を呼ぶと、彼は世の中の女性を虜にしている笑顔を浮かべて駆け寄って来た。

「遅いよ、先生。来ないかと思っちゃった」

「まだ五分前じゃない。皆はもうここに来ていたの?」

「早い子は三十分前に到着してた。そんだけ待ち切れなかったんじゃないかな」


 呆れたように溜め息をつく葉村の後ろから女性の悲鳴が一斉に湧いた。その内の二人が悠子の連れの両脇につく。中身は頑固老人だが、見た目はドラマや雑誌に引っ張りだこの葉村といい勝負が出来る顔をしている。こうなるのは当然と言えば当然だと悠子は納得して彼の名前を知りたがる女性達に口を開いた。


「こんばんは、私は小説家をやっている天樹悠子と言います。彼は私と一緒に住んでいる緋色君と言ってこんなにでかくて可愛げのない見た目をしていますが、一応『花職人』です」


 女性達は花職人の名前を知るなり笑顔を浮かべてかっこいい、綺麗と連発し始めた。中には今すぐ『あの力』を見せてくれとせがむ声があったので、幹事の葉村から待ったの声が入った。客が出入りする場所でいつまでも溜まっているわけにもいかない。


 早く席に座るように促した後、葉村は悠子に「ごめんね」と謝罪をした。いくつかの意味が込められての言葉だった。


「仕方ないわよ」


 女性も男性も作りの良い容姿に惹かれるのは昔からの習性だ。顔も平均的で学生時代から趣味は読書と執筆で色恋沙汰など無かった悠子とは無縁の話だが、異性からの人気が高い人間達を小説のモデルにすべく観察していたのでよく知っている。

 緋色は緋色で悠子の茶化した紹介が気に入らなかったらしい。指定したテーブルに向かう際に「可愛げがなくて悪かったですね。あなたに似たんですよ」と愚痴を溢していた。まともに紹介してもらって好感度を更に上げたかった、と言えばそうではないらしい。移動中に近寄ろうとする女性を避けて悠子の隣へさりげなく逃げてきた。

 葉村が吹き出し、直後に彼の短い悲鳴が店内に響く。緋色による一瞬の凶行にも女性の目の色が変わる事はない。


 案内された席に着いて一段落した所で後頭部を擦りながら「じゃあ緋色君見せてもらってもいい?」と葉村が聞く。女性からの質問責めにまだ序盤なのに疲れ切っていた緋色は隣を座る悠子を見下ろした。「……何を咲かせればいいですか」

「何でもいいわよ。緋色君が咲かせたいもので構わないから」


 菊や彼岸花以外なら何でもいい、と思いつつ悠子が答えると緋色は自身の左の掌を見詰めた。すると、掌の中央が淡い緑色に光り始め、光の中から細い植物の茎と葉が現れた。

 それらは上へ上へと伸びていき、ある程度まで伸び切るとその先端にやや大きめな蕾を付ける。やがて蕾はゆっくりと開いていき、その深紅の花びらを外気に晒していった。


「きれい」


 誰かが呟く。人間と何も変わらない見た目の少年が生み出した赤の薔薇の美しさに、全員が言葉を失う。

光の先から生えている茎を右手で抜き、葉村の前のテーブルに置くと緋色は軽く鼻を鳴らした。そして、何故か席を立った。


「もういいでしょう。帰りますよ」

「え? いくら何でも早すぎない?」

「マスター、あなたも一緒です」


 ざわつく声を無視して緋色は悠子の腕を引っ張り上げ、無理矢理立たせた。これは完全に予想外だと困った表情を見せる主人に、緋色の紅い双眸が僅かに揺れる。だが、意志は変わらず「帰りますよ」と再度口にすると悠子は仕方ないと頷いた。


 悠子の手を掴むとそのまま出口へと向かおうする緋色に、女性の一人が引き止める。


「待ってよ、まだ何も飲んでないのに」

「花職人の私はアルコールや食物は摂取出来ません。それからマスターも今から編集部と打ち合わせがあります」


 答えたのは緋色だった。悠子が用意していた口実と同じ言葉を述べていく。それを聞いていた葉村も「それじゃあ仕方ないね。悠子先生よろしく」と援護射撃する。短い時間の中で緋色が異性に靡かない性格だと気付いた女性達も、「先生が羨ましい」と笑顔で見送ろうとした。


 尚も緋色を帰らせまいとするのは最初に引き止めた茶髪の女性だった。酒なんて飲まなくていい、主人にだけ用事があるなら主人だけ帰ればいい。それを緋色ではなく、敢えて悠子に提案した。あまりの鬼気迫る表情に、流されるまま帰ろうとしていた悠子は足を止めた。


「あ、確かにそう……だけど」

「こら。マスターは極度の方向音痴だから私がいなければ帰る事が出来ないでしょう?」


 方向音痴は口実ではなかったので悠子は反論しなかった。ここに来るまでも何度も緋色に地図の見方を教えてもらっていた。

 行きたくないと散々文句を行っていたくせに、結局は正しい道順で連れて来たのは性根は純粋な作りをしているからだ。なのに何故ここに来て花を咲かせて見せただけですぐに帰ろうとするのだろう。彼女達に何かを言われたのかと引き止めていた女性を見てぎょっとした。



 本当に緋色だけを目当てに来ていたのか綺麗な顔は悔しそうに歪められている。


「おばさんのくせにこんなかっこいい人を一緒に暮らしてるなんてなんなのよ。この子は私のペットですって自慢したいわけ? 気持ちは分かるけど、それってどうなのかしら」

「待って。先生は俺達が無理矢理呼んだんでしょ? 自慢も何も」

「大体独身のいい年した女が男の子の花職人なんて持って気持ち悪い。そんなに男が好きで花職人買う余裕あるならホストクラブにでも行ってなさいよ。どうせお偉いさん方に枕営業でもやって面白くない小説で儲け……」

「いい加減にしてください」


 緋色の静かで低い声が女性の言葉を遮った。その場が水を打ったように静かになる。


「本当に悠子がそんな人間だと思っているんですか」

「し、知らないわよ……私はただ滅茶苦茶かっこいい花職人が来るって聞いてただけだし」


 葉村に鉄槌を下した時の不機嫌そうな眼差しでも、赤薔薇を咲かせた時の穏やかな眼差しとも違う。明らかな殺意を孕んだ眼光に興奮で赤らんでいた女性の顔が青ざめていく。葉村や他のメンバーもその気迫に心臓を鷲掴みにされたような気分だった。

 悠子は苦笑しながら緋色の手を握った。


「帰ろう。ね?」


 尚も動かずにいるに再度帰りましょうと優しい声で告げる。悠子よりも長い足はようやく動き出し、前を歩く背の低い青年を追い掛ける。

 状況を見守っていたウェイターには頭を一つ下げ、葉村の方を振り向いて「ごめんなさい」と告げる。二人が店内から出て行った所で葉村は前髪を掻き毟った。ああ、怖かった。


「仕事があったのに悪い事したね」


 隣にいた仕事仲間であるモデルは申し訳なさそうに呟くが、問題はそこではなかったと葉村は内心で否定した。打ち合わせは嘘だ。それに小説家である悠子も彼の花職人である緋色も静かな場所を好むが、騒がしさをひどく嫌う性ではなかった。特に緋色は口には出さないものの、悠子がいる場所ならどこでも良いはずだ。

 緋色の気を引きたくて喚いて異性から冷えた眼で睨まれて今は仲間から説教をされている女性は、今度悠子と緋色とは絶対に会わせないようにしなければならない。


「……まあ、緋色君ってあの通りの性格だからさ。彼と仲良くなりたいなら悠子先生の悪口は絶対に言っちゃ駄目だからね」


 その点は葉村も同じだった。向こうには完全に友人として認識されているが、葉村にとっては遅すぎる初恋の相手だ。彼女が罵倒されていた時、緋色が止めに入っていなければ葉村があの女を黙らせていた。


「……これは牽制のつもりかな」


 あんなに早く帰りたがっていたのも、葉村の存在を危険視していたからだろう。残された赤い薔薇を葉村は見詰め、店内の雰囲気を壊してしまった詫びとしてウェイターに渡した。










 かたかたと二時間程打ち続けていたキーボードから手を離し、悠子は欠伸をした。本日のノルマ分の原稿は終了した。後は誤字脱字がないか確認するだけだ。

 リビングに向かうと壁に凭れる形で座り込んで眠る緋色がいた。その周りには彼が咲かせた花が散乱していた。いずれも淡い青色の花びらの花ばかりだったが、一番多かったのは勿忘草だった。

 


 悠子は彼が生み出した花を一輪ずつ拾うと空になっていた花瓶に水を入れてから、そこに飾った。緋色にはシーツを掛けてやり、スケッチブックを用意して花瓶に飾られた青い花を鉛筆で描き始める。

緋色はこうして悠子が原稿に集中していて一人きりになっている時、様々な種類の花を咲かせた後疲れ切ったように眠ってしまう。悠子はそれが無駄になってしまわないように花瓶に移動させると、枯れてしまわない内にスケッチしてその姿を残すのが日課となっていた。

 文字を商売道具にしている悠子の画力はたかが知れていた。学生時代の美術の教師からはこれはひどいと言われ、家族には絶句された。緋色だけがスケッチブックに捲っていた。時々、悠子ですら何の花を描いたか分からないような絵が登場した時は顔をしかめるが、文句は言わなかった。

 悠子の生活や方向音痴な点には口が酸っぱくなるのに、花に関する事で緋色は口を開かなかった。諦められているのかもしれない。

 今日もよく分からない物体ばかりがスケッチブックには描かれたが、勿忘草だけは書き慣れているおかげで花らしい姿を保てている。よく咲かせている勿忘草が好きなのか聞けば、むしろ嫌いだと言われた。なのに緋色は一人でいる時は必ずこの花を咲かせた。

 スケッチを終えてまだ眠る緋色の元に寄り、桜色の髪をゆっくりゆっくり撫でると石榴色の双眸が開く。


「ごめんなさ……」

「悠子」


起こした事を悠子が謝る前に緋色は青年の手を自分の方に引いてわざと体勢を崩させると、落ちてきた細い体を掻き抱いた。

 互いの視線が絡み合うより先に深く口付ける。口内に侵入する舌に体が、心が震えた。


 視線を下に向ければはらはら、と深紅の花びらが床に何枚も落ちていく。緋色が興奮している証だった。こんな風にされるのは初めてだから他の人間とは比べられないが、人形の緋色からは体臭はしない。代わりにまろやかな花の香りがする。


「ひい、ろ君」

「……ずっと寂しかったんです」


 なのに体温もあるし舌を絡めれば唾液も出て、抱かれれば下肢に精液に似た液体を注がれる。まるで、ヒトに抱かれているようだった。


「構って、悠子」


 血色の瞳が愛しげに悠子を見詰める。

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