♯002
「いやぁ、ははは! すまんすまん。驚かしてしまったな」
そう言って、青年は豪快に笑った。
――頬に紅葉の印をつけて。
話を聞いたところ、彼は変態ではないらしい。
この近辺で目を覚ましたが記憶も所持品も何もなく、仕方なく人を探していたのだとか。
その話を聞いて、紅葉は申し訳なさそうに眉を八の字にした。
「すいません。早とちりしてしまって」
「いやいや。俺が悪かったのさ。……ところで、急いでいたようだが?」
彼の声を聴いて、紅葉は自分の邪推を思い出した。
――出来れば、それが邪推のままでいて欲しいものだ。
「いえ、私事ですから……」
――そういえば。
と、紅葉は目の前にいる青年の身体を見た。
2メートル近くあろう長身に、大木のような手足。
――最適ではないだろうか。
「……どうした?」
青年が、怪訝そうにその顔を覗き込む。
その瞬間、紅葉の決意は固まった。
「――あの、実はお願いが……」
○
道場の入り口に着いたとき、紅葉は人生の中で一番、自分の第六感に感謝した。
中から聞こえるのは、野太い男の声。
紅葉の師匠は女性であるため、その時点で既におかしい。
その様子を見て、青年はにやりと笑った。
自信があるのだろうか。
紅葉は彼に竹刀を渡しながら、
「大丈夫ですか?」
その問いに、青年はニッと笑って答えた。
「――分からん」
「――はい?」
あまりにも予想外な返答に、紅葉は笑顔のまま固まった。
「言っただろう? 俺は記憶がないんだ」
そんな紅葉に、彼はあっけらかんに言ってのけた。
青年はそのまま竹刀を振り回しながら、道場の扉をこじ開ける。
――これでは、どっちが道場破りか分からない。
そう思った紅葉だが、彼の考えは正しかったようだ。
事態は、かなり切迫していた。
数人の男が、半裸になった師匠を囲んでいた。
師匠はかなり痛手をくらったらしく、口の端から血を流したまま男たちを睨んでいる。
――男たちが何をしようとしていたのか、それは誰にでもわかった。
それは勿論、青年にも。
「貴様ら……何をしている?」
青年は男たちを睨み付けながら、竹刀の先を男たちに向ける。
男たちは珍客の登場に驚いたのは、自分たちの袴に手を当てたまま、此方を見て固まっている。
「いや、お前こそなんで全裸なんだよ」
そう呟いたのは、男たちか、はたまた他の誰かなのか。
兎にも角にもそれを合図として、青年は飛び出した。
それからの彼は、まさに超人。
男たちには、反撃の隙どころか気付く隙すら与えない。
次の瞬間には、紅葉の目には呆然とする師匠と青年のみが、その場で意識を保っていた。
「凄い……」
思わず、紅葉はぽつりと声を漏らす。
「……」
その青年の姿を見てか、師匠は服の乱れをこっそりと隠した。
青年は竹刀を投げ捨てると、腰が抜けたのか動けないでいる師匠に手を差し伸べた。
――全裸で。
……結局、これがオチとつくのか。
手を握った瞬間己を取り戻したのか、師匠は突然鬼のような顔となり、
「死にさらせこの変態がァァァァァァアアアアア!!」
得意顔の青年の頬に、正拳突きをかますのであった。