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思い込みが暴走した後で

作者: 猫宮蒼
掲載日:2026/08/23



 貴族たちが通う学園の、とあるクラスが崩壊した。

 物理的に、であれば良かったのだが――いやよくないけれども――悲しい事にこの崩壊は人間関係を意味する。

 おかげで大層、クラスはとんでもないくらい空気がギスギスしていた。


 事の発端が何か。


 それはとある男女の恋だった。


 侯爵家の次男エリックと、子爵家の長女アルエの秘めた恋。


 エリックにもアルエにも婚約者がいた。


 エリックの婚約者は隣のクラスの伯爵令嬢、アルエの婚約者は既に学園を卒業し家を継いで伯爵となった男である。

 アルエの婚約者の年齢が一つ二つ離れている、くらいならアルエもそこまで気にしなかっただろう。

 しかし彼女と婚約者の年齢は十も離れていて、それがアルエにとって辛いものだった。


 貴族としての政略結婚でそれくらいの年齢が離れているのはまぁそこそこよくある話だ。


 それでも、それは主に高位貴族と呼ばれる家柄であれば、の話。

 アルエの家は子爵家でそういった心構えは本当にふわっとしか教えられていなかった。

 アルエの両親だって恋愛結婚とまではいかなかったが、それでも互いの関係が良好で、家柄も似たり寄ったりのところとでくっついたし、アルエの祖父母たちも似たような状況だった。

 その前も、もっとその前もそんな感じだったという事なので、この先も大体そんなものと恐らくは誰もが思っていたのかもしれない。

 まかり間違っても、上の身分の家に望まれて嫁ぐような事になるなんて考えてもいなかったのだろう。


 アルエの婚約者である伯爵は、年こそ離れているものの別に悪い噂があるわけではない。

 そうであったならいくら望まれたところで、アルエの両親が反対していただろう。たとえそれで家の立場が悪くなったとしても。


 けれども伯爵は両親の目から見て、特に問題のない人物だった。

 ちょっと色々周囲がごたついてそのせいで結婚相手に恵まれない、というのがあってそれで巡り巡った結果である。伯爵だって最初からアルエをターゲットにしたわけではなく、周囲の話からじゃああの家の娘なんていいのでは? と言われ、そこからアルエの両親へ話が持ち込まれ――と、別に無理矢理結婚させようとか、そういうものでもなかったのだ。

 きちんと正規の手順を踏んでいる。


 そうはいっても相手は既に家を継いだ身。社交のシーズンならともかくそうじゃない時は領地で過ごしている事の方が多い。

 そんな相手が気軽に子爵家へやってくる事は滅多になく、アルエと伯爵が顔を合わせたのは片手の指で数えられるくらいしかなかった。



 婚約が決まって、交流の大半は手紙でのやり取りだった。



 手紙の内容は、まぁ当たり障りがないものと言えただろう。

 というかアルエが手紙の内容に困り果てていた結果、当たり障りがないものにしかならなかった、というのが正しい。

 伯爵はそんなアルエの手紙からあれこれ話題を広げてくれていたけれど、アルエにとってそれはなんだか気が重たかった。気を使われている、と思えたし、それに対して自分も相手を尊重しようと思ってはいるけれどやはり相手が年上すぎて何をどうすればいいのかさっぱりわからなかったのだ。


 かといって、年下である事を免罪符に無邪気に振舞うような事も難しくて。

 手紙の内容だってあれこれ馬鹿正直に暴露するような事はしたくなかった。


 いずれ年を取った時、それが黒歴史になるような気がしたのだ。



 アルエにとって伯爵の年齢がもう少しこちらに近ければ、こちらの心構えも少しは違ったのかもしれない。

 けれど、いずれ家を継ぐ兄よりも年上の、年の離れた兄と見るよりもどちらかといえば父の年齢に近い男性。

 アルエにとって周囲がこの婚約を祝福してくれても、それは気が重いものでしかなかった。


 そんな状況の中、同じクラスのエリックとアルエは互いに似た悩みを持っていると知ってしまった。

 似た境遇に二人はあっという間に意気投合してしまった。もしかしたら淡い恋を抱いたかもしれないが、どちらかと言えば同士を発見した気分の方が大きい。

 だからこそ互いに手に手をとって駆け落ちしようなんて考えたりはしていなかった。


 当然だ。そんな事をしてもその先の生活がどうにかなるとはとてもじゃないが思えない。

 どう考えたって今よりももっと酷い生活になるとわかっていて、そんな未来に突き進むまでの覚悟は持っていなかった。


 ただ、そう。ただ、ほんの一時の――現実逃避のようなもの。

 その思い出を胸に、この先の人生を乗り越えるための。


 エリックは侯爵家の次男として生まれ育ってきた。

 長男に何かがあった場合のスペアとして育てられてきた面もある。

 しかし長男は何かがあった場合を想定するまでもなく健康に、どころかちょっと健康すぎるくらいに育ってしまった。あいつは殺しても死なねぇ、と内心で思ってる相手がかなりの数いる事をエリックは知っている。エリックもまた兄がそう簡単に死ぬ事はないなと納得できてしまったので、そこに関しては別に良い。

 別にエリックだって兄の身に何かあれ、とは思っていないのだ。


 エリックは別に家族の事を嫌っているわけではないので。



 ただ、そんな家族が決めたエリックの婚約者。

 伯爵令嬢デイジー。

 エリックは彼女の事が苦手だった。


 活力的な女性だとは思う。


 将来彼女は伯爵家を継いで女伯爵としてやっていくと考えれば、元気いっぱいなのは良い事である。


 ただ――その。


 なんだか兄に似ている部分がある。

 勿論エリックの兄と伯爵令嬢デイジーに血の繋がりなんてあるわけはない。わかっている。


 それでも、ふとした瞬間なんだか婚約者の令嬢ではなく隣にいるのは兄なのではないか、と思えてしまうような事が何度かあって。


 あぁ、兄が女だったらこんな感じだったのかもしれないな、と思うとどうしても。


 ふとした瞬間に兄の姿がちらついて、素直にデイジーを見る事が難しくなってしまったのだ。

 兄が悪いわけではないし、デイジーが悪いわけでもない。けれどじゃあエリックが悪いのか、と問われるとエリックが悪い、とエリック自身は言いたくなかった。


 いっそ自分が兄に恋をして道ならぬ恋に涙するような男であれば――なんて一瞬でも考えた時点で吐きそうになった。ないないそれはない。

 でもだからこそ、余計に兄と近しい雰囲気の令嬢相手に恋をしようとしてもできなかったのかもしれない。

 兄とデイジーは別の存在であるけれど、ふとした瞬間女になった兄と恋愛しているような気がする、というのを考えた時点でもう駄目だった。


 長い時間をかけて兄とデイジーの違う部分をもっと見つけていけば、そのうちこんな認識も薄れて別のものに書き換えられていくとは思うのだが、そうなるまでが遠い。

 そうなるまで、どうしたって兄の姿が脳裏にちらつくのだ。


 食べ物の好みだとか、好きな色だとか。

 そういったものも兄とかぶるのが余計に。


 婚約者への贈り物で、ふとデイジーではなく兄が好きそうだな、と思った物をうっかり贈ってしまった事もあった。そこでいっそこういうのはちょっと……みたいな反応が返ってくればもっと早くに目が覚めたかもしれないけれど、しかし喜ばれてしまったので。

 ますます兄の女性バージョン、という認識が深まるだけだったのだ。

 ちなみにその時贈った物は軍記物の本だった。女性に贈るにはちょっとどうかなと思うような、内容もかなりずっしりどっしりしていると評判の一冊。

 今までこういうのは読んだ事がなかったのですが、案外楽しめますわね! となり、そちらのジャンルにも手を伸ばし始めたと聞いて。


 あっ、ますます兄の印象補強しちゃったな……とエリックは自らの失敗を悟ったのだ。



 そんな感じで、エリックは中々デイジーと素直にお喋りできない状態だった。

 油断してたらうっかり兄さんとか呼びそうなのが怖い。

 デイジーに兄と同じくらいの頼り甲斐がありそうな雰囲気があるのも恐ろしい。


 どうにか己の認識を塗り替えないといけないが、しかし直接デイジーと会うとますます兄と似た部分を見つけてしまってどうしようもなくなってしまう。


 だから、というわけではないけれど。


 デイジーとは正反対の、なんだかアンニュイな雰囲気を漂わせたアルエの事が気になってしまったのだ。

 聞けばこちらも婚約者に対して思い悩んでいるとなって。

 あぁ、自分と同じだな、と思ってしまった。


 もっとよく聞けば全然違うとわかるはずだが、しかし互いに深い部分まで踏み込んで話したりはしなかった。

 ただお互いに本当に表面上のさわりの部分だけ。

 初っ端から深い部分まで話すには躊躇いしかなかったのだ。

 けれど両者が似たような悩みを抱えていると知って。


 そこで、まるで互いが唯一の味方、みたいに思えてしまった。


 だってアルエの周囲はアルエの婚約を良い縁が結べたと祝福しているし、エリックの婚約も同じくだ。

 そんな相手に自分の不満を口になど出せようか。

 出したところで窘められるのではないか。

 そうしてまるで自分だけが悪いみたいに言われてしまうのではないか。

 そんな風に思ってしまえば、言えるはずもない。


 叱られたいわけでもなければ、あんないい婚約に文句を言うなんて、と自分自身幻滅されたいわけでもないのだ。


 だからこんな状況で、自分と同じ悩みを抱えている相手と遭遇できたのはなんだかまるで運命みたいに思えてしまって――



 気付いたら二人は同じクラスというのもあって、共にいるようになってしまったのだった。



 そしてクラスメイトたちはそんな二人を見て、悲恋の恋物語をそこに見出してしまった。


 互いに婚約者がいるのに惹かれあってしまった二人。

 諦めなければならないと思っていながらも、それでも中々気持ちを割り切る事ができない二人。


 恐らく、ではあるがこれはエリックとアルエ、両名がどこか儚さを感じられる繊細な美貌の持ち主であった事も関係しているのだろう。

 そのせいで余計に許されざる恋に身を焦がしているのだと周囲は思ってしまったし、せめてこの一時、学生である僅かな間だけは二人心穏やかにあればいい、と思い込んでしまった。


 他人事であるからこそ勝手に盛り上がったと言ってしまえばそれまでだ。


 それに、二人が並ぶと絵になった。

 それを見て周囲は密かに盛り上がったし、そんな二人の恋の手助けをしている、という事に酔いしれた。

 言ってしまえば善意だ。自分たちは良い事をしていると、本気でそう思い込んだのだ。


 大なり小なり、まるで物語の主人公たちを手助けしているような気持ちになっていたのかもしれない。



 そうはいっても、大っぴらに何かわかりやすい事をしたというわけではなかった。


 エリックとアルエは同じクラスだからこそ、一緒にいようと思えばその機会を作る事は難しくはなかった。

 違うクラスであったなら人目を避けて二人きりになろうとしたのかもしれないが、その場合前提が異なってくる。

 二人は同じクラスであり、また似たような悩みを持っていたから距離が縮まっただけだ。

 別のクラスだったならこうはならなかっただろう。


 だからこそ二人は周囲の目を多少気にする事はあっても、こそこそと人目を避けるようなところまではいかなかった。

 露骨に恋人たちがやるような行為を人前でするなんて以ての外だったし、精々が互いに愚痴を言い合って慰め合い、せめてこれから先の未来に希望を見出そうともしていた。

 自分一人だけならどこまでも現状を後ろ向きに考えてしまいそうだったからこそ、似た立場の者同士励まし合っていたに過ぎないのだ。

 恋をしていたか、と問われるとわからない。

 同じような悩みを持っていて、互いに共感できた。

 傷の舐めあいと言えるかもしれないが、ともあれ自分一人ではないのだという心の拠り所であったのは間違いではない。


 最初からどこか諦めた様子の恋。


 クラスメイトたちはそんな雰囲気を感じ取って、だからこそこっそりと応援していたのだ。



 その応援に、隣のクラスにいるエリックの婚約者への妨害が入るようになったのは、特に何かの切っ掛けがあったというわけではない。

 授業が終わった後の休憩時間にたまたまエリックが教室を出ていて、その時にデイジーがやってきた。

 エリックなら教師に用事があって、と教えれば済む話だったけれど、アルエとの恋を応援していた者たちはエリックにデイジーが付き纏っているのだという風に受け取ってしまった。

 デイジーはデイジーで単純に用事があるから顔を出しただけなのに。


 だから、どこに行ったかは知らないけれど今はいないと伝えた。


 それだけなら別に責められるものでもないだろうという考えだったのかもしれない。


 面と向かって追い払ったわけでもない。

 嘘だって吐いていない。教室にエリックがいなかったのは事実だ。単純に何処に行ったかを知っていても教えなかっただけ。


 事実だけを口に出して、真実を教えなかっただけ。


 それでも彼らにしてみれば快挙だったのかもしれない。

 結ばれる事がないとわかっている二人の安寧の時間を少しでも守る事ができた、という風に思って、物語で言うところの王子様を手に入れようとする邪悪な魔女を追い払ったかのような――そんな気持ちを持ってしまったのかもしれなかった。


 それがたった一度の事なら、別に何の問題もなかった。

 一度だけならたまたまという言葉で終わることもある。


 けれどもそういった行いが何度も積み重なっていけば、彼ら、彼女らは自分たちの行いは絶対的に正しいのだと思い込んでいく。

 本来は秘めたる恋のはずで、同じクラスの者たちだけがこっそりひっそり見守って応援するだけのそれが、気付けば友人たちに実はね……と素敵な恋物語を共有しようとして、それは噂となって形をどんどん変えていった。


 面白そうな話に乗っかる者は実に多い。

 そんな相手が噂を聞いて、また別の友人へその話をする。

 そうやっていくうちにどんどん話は元の形を変えていって、気付いた時にはとんでもない事になっていた。



 エリックとアルエの秘められし恋。

 それを邪魔するデイジー。

 そこに更にデイジーがアルエを虐めているなんて噂が付け加えられて、デイジーは陰で悪役令嬢と囁かれるようになっていった。


 実際の事を知る者からすれば、原型など留めてもいない話だ。

 だから最初、ロクに噂を知らない者が耳にした時、登場人物の名前が聞き覚えのあるだけのありがちな物語か何かだと思ったくらいだ。

 身近な者は事実と異なりすぎて最近流行りの話かと思っていたし、エリックやアルエ、それからデイジーのこともそう詳しくない相手からすれば真実かどうかなんて関係なかった。

 面白おかしく盛り上がって、そうして実際のエリックとアルエを見て確かにお似合いの二人だわ! なんて盛り上がったりもしていたのである。



 単なる作り話だと思っているのなら、実際のエリックとアルエを見てそこで信じ込む事はしないと思うだろうが、そうはならなかった。特に恋の話に興味があって盛り上がった令嬢たちにとっては、大半が作り話でそこにほんのちょっと現実が絡んでいる、凝った演出か何かだと思っていたのかもしれない。


 それは言ってしまえば、劇で悪役をしている演者を本当の悪人と思い込むかのような――ともあれ、当事者からすれば堪ったものではない。


 これに関して即座に動いたのは、エリックとアルエだ。

 デイジーはそもそも二人と関わらないようエリックとアルエのクラスメイトたちが遠ざけようとしていたので、直接何かをしたことはない。

 アルエがデイジーに虐められている、という噂は所詮噂でデイジーはアルエとそもそも話をした事すらなかった。

 周囲が勝手にエリックとアルエ、二人はとってもお似合いねと盛り上がって、もしかしたらこんな風に愛を囁いたりしてるのかしら、なんて妄想して、更に恋を盛り上げるストーリーとしてこんな事があったら……と、付け加えていくうちに、どれが本当にあった話なのかを知る者が少なくなってしまった結果だ。


 そもそもの話、エリックとアルエのクラスメイト達は勝手に二人を似合いだと思って見守っているだけで、直接二人に対して何を話したのか、どういう関係なのか、そんな事を聞いたわけではないのだ。

 二人の様子から勝手に想像して、こんなシチュエーションがあったなら……と妄想を語り合って盛り上がっていたに過ぎない。

 その妄想がまた実際にありそうな、あってもおかしくなさそうなものだったから余計に盛り上がってしまった。


 妄想が留まるところを知らなくて最終的に二人が勇者と聖女にでもなって魔王を倒して世界を救った、なんて荒唐無稽な話であれば、何も知らない周囲だってそれが完全な作り話だと理解して笑い飛ばしただろう。

 けれどもそんなぶっ飛んだ話ではなく、中途半端に現実味を帯びたあり得そうなものだったせいで我も我もと乗っかる人物が増えてしまった。


 エリックとアルエは確かに同じように婚約者に対してちょっと思う部分はあるけれど、だからといってそれで婚約の話を駄目にしてやろうとか思っていたわけではないのだ。

 むしろ婚約が駄目になったなら、後々困るのは自分だと理解している。


 今はまだ心が受け入れられない状況だけど、いつかきっと向き合って受け入れるしかないとわかってはいるのだ。

 いるというのに、周囲が勝手にそれを悲劇だなんだとこちらの意思も何もかもを無視して盛り上がって、言ってもいない言葉をさも自分たちが言ったかのように語っている。

 それのなんと恐ろしい事か。


 確かに二人、ちょっと愚痴を言い合ったり、どうにか前向きになれるように励まし合ったりしていたけれど、それを秘めた逢瀬だと思われても困る。

 密室で二人きりになるような事は決してやっていないし、話をするのだって第三者が通る場合もあるような人目がそこそこあるところでだ。

 話の内容が内容だけに大きな声で話すわけにもいかなくて、こそこそと会話をしている部分もあるけれど、別に互いの婚約者の悪口を言っていたわけではないのでそこは大目に見てほしいくらいだ。

 だってこんな話、他にできる人がいないのだから。


 だがそれを周囲がある事無い事でっちあげようとしているのなら話は変わる。


 このままいけば自分たちの未来は最悪な事になるかもしれない。

 そう判断したからこそ、エリックもアルエも覚悟を決めて親に連絡し、そうして洗いざらい吐いた。

 アルエの婚約者は離れた場所にいるからそちらに話をするのは両親の判断に任せた。

 エリックはやや悩んだが、両親に話をした後にデイジーにも連絡をいれた。


 そこでデイジーが時々エリックに会いに教室に足を運んでいた事実を知ったのだ。

 エリックは知らなかった。

 クラスメイト達は誰一人としてデイジーの事をエリックに知らせたりしなかったので。


 そういえば最近会わないな、とは思っていたが、会ってもどうしても自分の兄を連想するから会わないなら会わないでその間に何とかして自分の認識を変えようと思って、これ幸いと会わないままだった。

 自分が会いに行かない以上、向こうも自分に用がなければ会いにこないのなら、まぁそういう事もあるよな……と思う事にしていたのである。


 ところが実際は何度か足を運んでいたのに会えなかったし、そのまま何もエリックに伝わっていないからエリックはそれを放置した状態になっていた。


 時折コソコソとデイジーに向けて悪役令嬢やらなにやら囁く声はデイジーも聞こえていたが、どこぞの演者と雰囲気が似てるのだろうか、なんてデイジーも深く気にしていなかったのである。

 これがもう少し過激な行動に出るようなのがいて、危険な目に遭えばそうもいかなかっただろう。


 アルエは両親に婚約者との年が離れているのが気になって、でも相手は悪い人じゃないのもわかっていて、どう接するのがいいのかわからなくて不安だったと自身の気持ちを素直に告白したし、エリックも気まずい思いをしながらデイジーに兄が女性になったらこんな感じなのだろうかと思ってしまって気まずくて顔を合わせられなかった事を懺悔した。


 アルエの両親はアルエの不安を受け止めて、その上で婚約者である伯爵も色々と気遣ってる部分がある事をアルエに伝える事にした。

 なるべく共通の話題を作ろうとしているだとか、贈り物をする前にこちらにこっそり相談の手紙を送ってきたりしている事も。


 アルエの手紙が当たり障りのない内容だからこそ、彼女の趣味嗜好を把握しきれず好きな物を聞こうにも切り出し方が不自然すぎるような事になるのは避けたい……と度々アルエの両親に相談していたと聞かされて、そこでアルエはなんだかつっかえていたものが取れたような気分になった。


 いくら婚約したとはいえ、直接会って話をするような機会が少なかったのもある。

 だからお互いに見えない壁をうっすら作って、それなのに壁をそのままにした状態で壁の向こうを見ようとするような――無謀な事をしていたのかもしれない。

 足りなかったのはあと一歩踏み込む勇気だったのかもしれない。


 そう思うと、なんだか今まで悩んでいたのが馬鹿みたいに思えてきた。


 なんて考えられるようになったのは、こうなってしまったからとも言える。

 今回の件がなければアルエはきっと誰にも悩みを言えずもやもやした気持ちを抱えたまま嫁いで、そうしてやっぱり壁を作って夫となる相手とぎくしゃくしていたかもしれない。いや、恐らくはそうなっていただろう。


 だからといって、クラスメイト達に感謝できるか、となると話は別だ。



 それはエリックも同じだった。


 エリックもエリックでデイジーに対して思う部分を明かす結果となってしまった。

 兄が女性だったならきっと貴方のような人だったのだろう、なんてデイジーにとっては失礼極まりないものだろうなとエリックだって思っていた。エリックも自分が同じような事を言われたら気分を害すると思うのだ。姉や妹が男になったら貴方のような人なのだろう、と思われるよりも父や兄が女性になったらエリックのような人になるのでは、と思われる方が個人的にはダメージが大きい。

 どちらにしてもエリックが抱いていた気持ちはデイジーにとっては失礼極まりないものである、というのは自覚している。だからこそ今まで明かす事をせず、己の中でどうにかそんな気持ちを抑えようとしていたのだ。


 誰かに話すような悩みというにも困りもの。下手な相手に話してそれが広まったらと思うと気軽に相談などできるはずもないし、身内に話したところで軽く流されたらますますエリックの気持ちの行き場はなくなってしまう。

 だからふとした事で同じような悩みを持っていたアルエが同士に思えて、二人で互いに話をして気持ちをどうにか収まりの良いところへ運ぼうとしていたのは、エリックにとって良かった事ではある。


 だがそれを周囲が勝手に結ばれない恋をした悲劇の人のように扱いだすのはいただけなかった。


 いや、内心で何を思おうとそれは個人の自由だとは思う。だがそれは各々の心の中だけで外に出さなければの話だ。外に出して噂話を広めたり、あまつさえデイジーを悪役令嬢に仕立て上げるのは違う。

 妄想話として盛り上がりたいのであれば、せめてそこは登場人物の名前を違うものへ変更して本当にただの創作物の話として徹底すべきだった。

 中途半端に現実を混ぜ込んだ事で危うくエリックもアルエも、婚約者を捨てて駆け落ちをする一歩手前みたいな話が流されるところだったのだから。

 駆け落ちどころか心中するかも、なんて噂もあったくらいだ。冗談ではない。



 結果としてアルエは一足先に学園を出て早々に伯爵の元へ嫁ぐ形となった。

 あちらにも学校がないわけではないので、転入という形で移動し、卒業後結婚する。

 アルエにとってはそちらの方が良いのかもしれない。


 だが、エリックにとっては戦友にも近しい感情を持っていたアルエとそうなれば会う事もなくなってしまう。友を一人、失うようなものだ。クラスメイトたちの余計なお節介のせいで、と思ってしまうのは仕方なかった。


 いくら噂が噂で作り話だと言ったところで、全ての人がその情報を正しく更新できるか、となるとそうもいかない。思い込みだけで突っ走ったクラスメイトたちのように、自分たちから遠い立場の存在で面白ければそれでいい、なんて考えの者は自分に害が及ばない限りはその噂に乗っかり続ける事だろう。他にもっと面白い話が餌のようにぶら下げられれば話は別かもしれないが、そう簡単に新しい話題が提供されるとも限らない。


 そのせいで未だにデイジーが悪党みたいに思われるのも困るし、思い込みで自分が正しいと信じて疑わない相手が善意でエリックを助けてあげようなんてやらかすのも迷惑でしかない。

 結果としてデイジーが傷つくような事になるのをエリックは一度だって望んだわけではないのだから。


 もしかしたらいずれデイジーに危険が及ぶかもしれない、となればデイジーも学園に通い続けるのは危うい。故にデイジーはそれなら、と隣国へ留学しようかと言い出した。勿論エリックも一緒に。

 エリックはその案に乗った。

 デイジーだけが留学し、エリックが残れば周囲でまだ現実が見えていない者は悪役令嬢が消えたと喜ぶかもしれない。同時にアルエもいなくなったが、周囲にとって次なる登場人物に相応しい相手がいたならば、勝手に宛がわれるかもしれないし、その可能性がゼロではないとなれば次に危険なのはエリックだし、新たに登場人物にさせられてしまう誰かかもしれない。


 そんな馬鹿みたいな事に巻き込まれては堪らない。


 だからエリックは同じクラスの学友――最早友とは言いたくもないが――に直接語るような事はせず、家の力を使い彼らがいかに現実を歪めて見ているかを周知させ学園を去っていった。

 この手の連中に直接言葉で説いたところでマトモに聞き入れられる気がしなかったからだ。


 だが結果としてそれが功を奏した。


 教師たちですら流れていた噂があまりにも本人たちと一致しなくてそういう話があって今それが流行っているのか、と思っていた所にまさか実在する生徒で妄想したどころかあり得ない恋愛話を作り出し、それが真実であるかのような振る舞いをしていたのだ。

 成人も間近というのに未だに空想と現実の区別をつけられない、となれば周囲の大人たちの見る目は自然と冷ややかになっていくし、エリックの実家を通して各々の家には抗議の手紙も届けられていたために、彼らのした事は仲間内だけの話ではなくなってしまった。


 同クラス以外の――彼ら彼女らが噂として振りまいた周囲は、一部はそういう噂はあくまでも噂なのでただ楽しんでいただけで本気にしていなかった、という者や、おかしいと思ったのよ、だって実際に知ってるあの人たちとは違いすぎるもの、と真実を悟っていましたとばかりに言う者と、口にする言葉こそ異なれどあっさりとエリックのクラスメイト達を切り捨てる方向に舵を切った。

 自分たちまで現実と妄想の区別がつかない――悪く言うなれば頭のおかしい人と一緒にされては困るからだ。


 他のクラスの生徒たちからも遠巻きにされるようになって、それがやがて「ほら、あの」「あぁ、妄想にふけってばかりの……」と周囲でひそひそ言われるようになり、侯爵家に睨まれるような事をしている、となれば他の高位身分の家の子女らも積極的に関わろうとはしなくなる。

 それでなくともデイジーの家、伯爵家も今回の件に怒りはしていたのだ。直接的な被害をまだデイジーが受けていなかったとはいえ、危うく家の名まで貶められるところだったかもしれない、となれば放置もできない。


 生徒本人が事の重大さを把握するよりも先に抗議文を受け取った各家の当主たちが謝罪をしたものの、今後の関係は様子を見て、なんて事になるのは当然だったし、その結果他の家からも距離をとられた家も存在してしまった。


 社交界から完全に遠ざけられるわけではない、がそのせいで今回の件も噂として広まるのは想像に難くないし、そのせいで色々とやりにくくなる家も存在するのは当然の結果で。


 だからこそそれぞれの家の主たちは子を呼び出して厳しく詰めた。叱責で済めば可愛いもの。どうしてそんな妄想を真実だと思うようになったのか、事細かに追及されて、そこでようやく子供たちはもしかしてとんでもない事をしてしまったのでは……と今更のように気付いたのである。



 学園を退学――なんて処分をする程ではなかった。

 既に当事者たちは学園を去っている。なので直接本人たちに謝罪を、という要求は叶えられなかった。

 学園では教師という教師全体からまた何かしでかしたりはしないだろうな、という厳しい眼差しを向けられて、他のクラスの生徒からも噂にしても流石にアレはヤバイって、と言わんばかりに遠巻きにされた。


 他のクラスの友人たちから距離を取られて、結果として同じクラスの中だけで固まっていく。

 だがそれで周囲の目が以前のように戻るはずもなく、誰だよ最初にあの二人が悲劇の恋人なんて言い出したのは、と犯人捜しをするようになった。

 最初に言いだしたのが誰か、となるとその自覚がある生徒は口を噤むしかない。

 だってここで自分だと言ったところで、全ての責任を押し付けられると察していたからだ。

 それに自分が本当に最初だったかもわからないのだ。


 ただ二人が並んでると絵になるね、くらいの気持ちで言っただけでもこの状況の原因だと言われてしまえば、流石にそれは納得がいかない。

 そうやって犯人捜しのせいで今まではエリックとアルエが結ばれなくても、せめてこの一時だけは……なんて盛り上がっていた連中の仲は最高潮にギスギスし始めたし、自分が責められたくはないからこそ、あれを言ったのって貴方だったよね、とばかりに責任逃れが発生した。

 だがそれを言われた側も黙っていられるはずもない。でもそれは貴方が話を振ってきたからでしょ、私はそれに相槌を打っただけ、と返し、私はそんな事言ってないと言い出す者とでどんどんヒートアップしていった。


 最終的に自分たちは悪くない、むしろ他のクラスの連中があり得ない尾びれや背びれをくっつけて話を広めたからだ、となり、騒ぎは小さくなるどころか大きくなる一方だった。


 このままでは他のクラスの生徒を巻き込んでの乱闘にもなりかねない。

 今はまだ口論だけで済んでいるが、手が出るのは時間の問題だった。


 そう判断した教師たちは上に報告、その後このクラスの生徒たち全員が停学処分を受ける事となった。


 自宅謹慎。期間は次の学年にあがるまで。

 随分と長い処分だった。

 その間の勉強に関しては課題を出され、処分明けに提出、という形となった。


 進級はできるらしいが、それまでの間に別の盛り上がれそうな噂でもなければ、新たなクラスになったところで……とは思うが、ではそのクラスの全員が学園を辞めて他の学校へ行くか、となるのもあまり現実的ではない。

 一応他のクラスの生徒たちにもこういう事になるから、あまり刺激はしないように、とだけ通達されたが、それがどこまで適用されるかは定かではない。


 彼らの今後については定かではないけれど。


 アルエは伯爵と物理的に距離が近づいたことで交流する回数が増えたことで、今まで不安に思っていた事の大半は払拭されて学校を卒業後、普通に嫁いだしなんだかんだ上手くやれているし、エリックとデイジーもまた留学先で互いに色々と腹を割って話す事ができるようになって、デイジーが兄に似ている部分も確かにあるけれど、完全に全部が全部そうではない、というような事を目の当たりにした事で、エリックの中でも折り合いがつくようになっていった。

 結果として二人の仲は良好である。


 まぁそれはそれとして勝手な妄想で巻き込まれた事実に変わりはないので、この一件を許して水に流すにはもう少し時間がかかるだろう。

 そういえば昔、猫宮がその場にいないし行ってないにも関わらずどうも似た人がいたか何かで、同日複数個所で目撃談が発生し、猫宮テレポーテーション使える説が流れていた時期がありまして。後日アリバイを確認されて知ったんですが、噂って怖いなぁと思い出した結果からできた話です。

 アリバイを聞かれたといっても別に事件とかではないです。


 次回短編予告

「馬鹿どもを一掃したい」

 そんな殿下の一言。そして突然思い出す前世の記憶。何故今。困惑しつつも、そういや前世であったこんな話、あったよなぁ、で軽率に僕は発案してしまった。実行するのは僕じゃないし。

 結果として殿下と側近の方々が相当苦労したようだけど、殿下の願いは叶ったのである。


 次回 前世の事を思い出した僕の発言で殿下たちが暗躍した結果

 犯罪って割に合わない商売なんだよね、結局のところ。

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