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「魔力なし」と婚約破棄された私ですが、才能が見つかって壊れた騎士の腕を治してしまい、プロポーズされました

作者: 桜木ひより
掲載日:2026/06/10

「エリア嬢、君との婚約を解消させてほしい」


その言葉を聞いた瞬間、私の頭の中が一瞬真っ白になった。


「え!?ちょっと待ってください、今なんて言いました!?」


「だから、婚約を——」


「いや聞こえてましたけど!? 思わず聞き返しちゃっただけです!」


レイン・サーデン。魔力はAランク、社交界一の人気者、そして私の婚約者…だった人。

窓から差し込む朝の光の中で、彼は本当に申し訳なさそうな顔をしていた。


「リリア嬢のことは知っているだろう?魔力Sランクの聖女だ。彼女と共に国を支えていくべきだと、父も、陛下も——」


「あー、はいはいはい!わかりました、噂の聖女さんですね!魔力も最高、外見も絶世の美女で私なんかよりその聖女様の方がいいに決まっていましたよね。いつかこんな日が来るとは思っていました!」


私はぶんぶんと首を縦に振った。

怒っていないわけじゃないけれど、まあこの時はテンパっているのかもしれなかった。



「でも一つだけ…レイン様、正直に教えてください。私と婚約していた間、一度でも私のこと、好きだと思ったことってあったんですか?」


彼は一瞬目を泳がせ、何も答えなかった。

その表情だけで十分だった。


「……ないんですね。うん、それなら仕方ないです!!」


「エリア嬢……」


「大丈夫です!私は聖女様と違って魔力はFランクですし、もとから釣り合ってないと思ってましたから!むしろ…すっきりしました!」


もちろん、全然すっきりなんかしてなかった。



「では、また家の者から正式な書類が届く、ではエリア嬢…お元気で」


そう言ってレインは部屋から去っていった。



レインが出ていった瞬間、壁に背中をぴたっとくっつけて、両手で顔を覆った。


「…うう、ちょっとだけ泣きそう」


しばらくそのまま、息を吸って、吐いた。


前世でも似たようなことがあった。


急に部署異動を告げられて、「君のためを思って」と言われた日。

あの時も泣かなかった。泣いても何も変わらないってわかってたから。


今日は天気がいい。せっかくだし、ずっと行けていなかった市場に行こう。


外に出るなら今しかない。

お父様に理由を告げたら絶対止められるだろうし…。



屋敷を出るのは久しぶりだった。

父は私が傷つくのを怖がって、ずっと外に出させてくれなかった。


Fランクだとわかったあの日から、まるで世界が私を遠ざけるみたいに、私はずっと部屋の中にいて、婚約者も家に決められ、屋敷の中だけで人生を過ごしていた。



市場は賑やかで、色とりどりで、すごくよかった。

香ばしい肉の焼ける匂い、花売りが声を張り上げる声、石畳を踏む靴音が重なって、全部いっぺんに耳に飛び込んでくる。


「なんだここ最高じゃないですか!!たくさんの人…あっ!花がある!」


声に出してしまってから、周りの視線に気づいて口を押さえた。

でも大丈夫、きっと私のことを知ってる人なんて誰もいないし。



花屋の前で立ち止まって、黄色い小さい花を一本買った。


名前を聞いたら「ラフェルと言います、幸運を呼ぶ花ですよ」と教えてもらった。


「幸運を呼ぶ花…可愛い、すごい!」



私は市場を歩き回った。

見たことのない物、嗅いだことがない香り…目に入るすべてが私にとっては新鮮だった。


通りを曲がったところに、訓練場があった。

柵越しに見ると、一人の男が剣を振っていた。右腕に分厚い包帯を巻いたまま。


「……あの人、右手ちゃんと使えてないのに無理…してるのかな」


見ていると、男はよろけた。

足がもつれて、倒れそうになる。


気がついたら走っていた。

柵の扉を押し開けて、駆け寄って、倒れかけた男の腕を両手でつかんだ。


「大丈夫ですか!? 急に走ってきてすみません、でも倒れそうだったので…」


男が顔を上げた。

くっきりした眉、疲れたような目。

若いけど、疲れているから老けて見える顔だった。


「……誰だ、お前」


「エリア・ファルコン、伯爵の娘です!それよりその腕、大丈夫ですか?」


「大丈夫だ。放せ」


「放しません、だって血が滲んでるんですよ!?」


そのとき。


「……暖かい」


男が低い声でつぶやいた。


「え?」


「腕が、暖かいんだ」


言いながら男は、私に握られている右腕を、ゆっくりと動かした。

包帯越しに、何かが伝わってくる感覚があった。

温かいような、光が流れるような…



「……動く」


男の声が、かすかに震えた。


「この三年間…動かなかったのに」


「え?え?ちょっと待って、何が起きてるんですか!?」


私が混乱していると、後ろから声がした。


「ちょっといいかね、お嬢さん」


振り返ると、白髪の老人が立っていた。

宮廷魔法師の証である銀の徽章を胸につけている。


じっと私の手元を見る目は、すごく真剣だった。


「君、ファルコン伯爵の娘かね?」


「そうですが……なんでわかったんですか?」


「目の色だ。ファルコン家特有の美しい澄んだ緑の目をしているからな」


老人はゆっくりと近づいてきて、私の手のひらを見た。


「まさか付与体とは。生きているうちにもう一人見られるとは思わなかった」


「ふよ…たい……?」


「付与体だ。自分では魔法を使えないかわりに、他者の魔力を活性化させ、補充できる体質のことだ。珍しい体質でな、数十年に一人しか生まれない」


頭の中が、ぐるぐるし始めた。


「で、でも私は魔力もFランクで——」


「それが誤診だ。付与体は、魔力石に反応しない。自分の中に魔力を溜めないからだ」


「溜めない?つまり……」


「君の魔力は、誰かに触れたときにしか流れない。溜めるのではなく、流すだけだからな。君がずっと一人でいたなら、計測のしようがない」


「……ずっと、一人で、いた」


気がついたら笑っていた。

おかしくて笑っているわけじゃなくて、でも泣くには違う感じで。


「そっか。私、ずっと部屋にいたから…誰にも触れなかったから」


「エリア・ファルコン」


後ろから、ダレンが声をかけてきた。


「俺の名前はダレン・ソルだ。辺境伯の次男で、元騎士だ。

三年前に右腕の魔力回路を壊されて、以来ずっと動かなかった。それが今、動いた」


包帯の上から、右手でゆっくり拳を作った。


「……お前のおかげだ」


「そんな、たまたま触れただけで——」


「礼を言いたい。それだけだ」


ダレンは視線をそらした。耳が少し赤い気がした。


「じゃあ改めて。ありがとう」



その日の夜、父に付与体だとわかったことを伝えると、父は泣いた。


「申し訳なかった。外に出してやれば……」


「もういいですよ! これからたくさん外出させてください!!」



翌日、レイン・サーデンから手紙が届いた。

「婚約の件を再考したい。君に付与体の才能があるならば」


手紙を読んで、私は三秒考えた。


「……いやだ」


机の引き出しに入れて、閉めた。

そのままにした。


その三日後、屋敷に来客があった。


「ダレン・ソル様がお見えです」


「えっ!?」


私は廊下で素の声を出した。


慌てて応接室に行くと、ダレンが背筋をぴんと伸ばして座っていた。

昨日より顔色がよくて、右手をちゃんと膝の上に置いていた。


「お礼に来た」


「い、いやいや、この前も言ってたじゃないですか」


「あのときは言い足りなかった」


「言い足りなかったって…何があるんですか」


ダレンは立ち上がった。

それから、真っ直ぐ私を見た。


「腕が動いたら、また騎士に戻ろうと思っていた。それだけが目標だった。でも…三日間ずっとお前のことが頭から離れないんだ」


「……それは、付与体のせいじゃないですか?あの時魔力が流れて、なんか錯覚してるとか」


「そう思って、あの老師に聞いてみたんだ。…付与体の魔力に感謝の感情は生まれるが、恋慕は生まれない、と言われたさ」


「え…」


「つまり俺が三日間お前のことを考えているのは、付与体とは関係がない」


心臓が、ばくんと跳ねた。


「え、いや、でも、出会ってから三日しか経ってないですよ??」


「知っている」


「会ったのだって一回だけじゃないですか!?」


「ああ…知っている」


「な、なんで——」


「お前が俺の腕を握ったとき、一秒も迷わなかった。Fランクだろうが何だろうが、困っている人間に走っていける人間は素敵だと…思った」


言葉が出てこなかった。


「俺と結婚してほしい」


「……え!?!?」


茶を持ってきた使用人が、盆を持ったまま扉の前で固まっているのが見えた。

わかる。

もちろん私も固まっている。


「早いのはわかっている、だから返事は今じゃなくていい。俺はしばらく王都にいる。ゆっくり考えてくれ」


「ちょっと待ってください…急すぎません!?プロポーズって普通もっとこう、段階があるものじゃないですか!?」


「俺は遠回りが苦手だ」


「そ、そういう問題じゃ——」


「…嫌だったか?」


「嫌いじゃないですけど!!」


気がついたら大声を出していた。

顔が熱い。耳まで熱い。


「えっと……嫌いじゃないです、ダレンさんのこと。三日前から、私もちょっと…気になってて」


「そうか…それは嬉しい」


ダレンが、わずかに口の端を上げた。

笑ったのかどうかギリギリわからないくらいの、小さな変化だった。


「なら、急ぎすぎじゃないかもしれない」


「……急ぎすぎですよ」


でも私も笑っていた。


この手が誰かに触れたとき、初めて私の力は流れる。

ずっと一人でいたから、気づかなかった。

誰かのそばにいていいんだと、この手が動くたびに、そう思える。


「……はい」


声が震えた。でも、ちゃんと声は出た。


「さっきの返事、します。はい、です」


ダレンは少しだけ目を丸くして、それから、今度ははっきりわかる形で笑った。


笑うとずっと若く見えた。

疲れた顔だと思っていたのに、全然違う顔があるんだなと思った。


「……また来ていいか」


「来ていいですよ!! というかもう婚約者なんですから来てください!!」


「まだ婚約はしていない」


「細かい!!」


廊下の向こうで、使用人が必死に笑いをこらえているのが見えた。


この手が誰かに触れたとき、初めて私の力は流れる。

ずっと一人でいたから、気づかなかった。

でもそれはつまり、もう一人でいなくていいということだ。


そばにいていい。触れていい。

この手は、ずっとそう言い続けていたんだと思う。



【完】

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