筋肉おやじ①
階段から続く廊下を走り、一つの扉を開けて中に飛び込む。小さな会議室のようだ。まだ後ろから声が近づいてくる。反対側の扉を開き、また一つ奥に進む。次が最後だ。建物の大きさから見て、この先がこの階の端だろう。
「追い詰められた……ジャ、ジャイアント・ピーンチ!」
追い詰められた割には、なんか余裕あるな……振り返ると、入ってきた扉の先に女が見えた。もう行くしかない。福は最後の扉を開けた。そこには……。
「はい! ダブルバイセップスぅ!」
……上半身裸、下半身は海パン。筋肉ムキムキ小麦色の男が立っていた。こぶしを腹の前で合わせ、少し震えながら笑顔を作っている。
「……からのうらめしや~」
男は両手を前にたらした。古い映画などでみる幽霊の定番ポーズ。
福の頭がまっしろになった。
「はぁ?」
小首を傾げて考える福。
(なに? これ? この人、霊だよね。なにしてんの?)
「怖く無いッスかー? 怖いッスー」
(怖がらせたいの? あたしを? この程度で?)
福の頬がヒクンと引き攣り、こめかみに青筋が浮かんだ。
筋肉おやじはそのままのポーズで固まり、彼女の目の前におやじの顔がある。
「さあ、早くさっきみたいにバカでかい乳を揺らして逃げるッス~」
これがいけなかった。
ブチン! と、作者には堪忍袋の尾が切れる音が聞こえた気がする。
無言のままポン……っと、おやじの頭に福が右手を置いた。
「ん?」
おやじが頭に置かれた福の手を両目で追った瞬間。
「ハッ!」
気合と共に彼女の左足が強くリノリュームの床を蹴った。同時に右足を折り、ひざでおやじの顎を突き上げる。左足の跳躍力、右手の引き付け、右足の跳ね上げる力がおやじの顎一点に集中する。
「グフゥ!」
おやじの頭が弾け上がる。すばやく着地した福は腰を落とし、右手にこぶしを作り、次の攻撃の隙を伺う。
「バカでかい胸で悪かったな~!」
ありゃま。
(言ったでしょ! あたし、胸の事、馬鹿にされるのだいっ嫌い!)
トラウマでもあるのか? 膝蹴りを食らったおやじの方はと言うと、顎が割れたか、出していた舌を噛んだか、両手で顔を覆いひざまずく。それを見た福は足早に近づき、右足を大きく真上に振り上げた。そのまま左足で床を強く踏み込み、上げた右足をおやじの頭目がけ勢いよく振り下ろす。
「たぁぁぁ!」
とどめのかかと落とし。しかし、その右足はおやじの頭に激突する瞬間、ふくらはぎを何かによって受け止められた。
「えっ!?」
見るとおやじと福の間の床から女が生えている。その女が鈎のように曲げた左手を頭上に上げ、福の右足の落下を受け止めたのだ。そのまま腰、膝、足とせり上がってくる。同時に福の右足も上空に押し上げられる格好になる。
「くっ!」
福な右足に力を込め、軸足だった左足を蹴り上げた。振り上げた左足の力で後方に一回転する。燕のように綺麗な円を描き見事に着地した。ジャングルブーツが床と接触し、ダンッと大きな音を立てる。腰を落とし、相手を見上げる。先ほど追いかけてきた白い服の女だ。
「驚いたお譲ちゃんだねぇ。どうにも」
あきれたように女が言う。福。
(なによ)
触れると言うことは殴れると言うこと……だと言ったな。
(だから、なによ)
それはつまり福の攻撃を相手が受け止める事も出来るし、逆に相手の攻撃も当たると言う事じゃないか?
「あ! で、でもいままでこんな事無かったよ!」
いままでは反撃してくる奴がおらんかっただけだろう。大体、幽霊と肉弾戦を展開したなんて話はあまり聞いたことがない。あ、いや。中国系のホラー映画にはよくあるか。それはそうと福。もう怖くは無いのか?
(へいき。おやじ殴って体あったまった!)
怖い女の子だ……。