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主人公 福④

 「あのー」

 「あなた……」

 幽霊が彼女を振り向いた。その目はうつろで焦点が合っていない。

 「私が見えるの……」

 「はいー」

 福が小首を傾げてニコッと笑う。幽霊の口元にも笑みが生まれた。ぞっとするような狂気を孕んだ笑み。そのまま幽霊は福の足元にしがみついてきた。

 「見えているのね……」

 「え~っと……あのー」

 「お願い……助けて……」

 「アーっ。鬱陶しい!」

 

 なんと福は幽霊を蹴り飛ばした。

 「いだぁ! な、なにすんのよ!」

 仰向けにひっくり返った幽霊が抗議の声を上げ、眉を吊り上げた福が応じる。

 「この暑いのに引っ付かないでよ。暑っ苦しいってば! まったく」

 「おねがい。熱いの。助けて……」

 「あ。そーゆーの無理。私、見えて話せて触れるだけだから」

 「えー。でも……」

 「そっちは別の……坊さんにでも頼んでよ」

 「なによ、それ! 無能なくせに、ひやかし?」

 ひやかしって……。なんの?

 幽霊は立ち上がり福を睨みつけた。福の顔が『しまった』と言う表情に変わる。改めて声のトーンを落とし、愛想笑いをして再び交渉に入る。

 

 「えへへ……あのさぁ、お願いあんだけどぉ。2、3枚写真取らせてくんない?」

 「はぁ? いやーよぅ。蹴っ飛ばされた上に成仏もさせられない人の言う事なんか聞ける訳無いじゃない」

 そりゃそーだ。幽霊は腕組みをして背中を向けた。へそを曲げられちゃったかな?

 「あー。タダとは言わないから。ね。ね。線香3本でどお?」

 「けっ。しけてるわねー。たった3本?」

 「毎○香の最高級品だよ。じゃ5本」

 なんちゅう駆け引きだ。

 「しょーがないねー。とっとと終わらせてよ」

 常軌を逸すると言うか……。呆れると言うか……。

 交渉がまとまった所で、福は幽霊を被写体にデジカメで撮影を開始した。

 「だめだよー、Vサインなんか出しちゃ。ただうつむいて立ってりゃいいんだから。笑顔もポーズもいらないって!」

 「えー。いいじゃん少しくらい」

 「不自然になっちゃうでしょー。ど真ん中でVサイン出した幽霊の心霊写真なんか、どんなテレビも雑誌も信じてくれないよー」

 

 数枚撮影を済ますと、約束通りポーチから取り出した5本の線香に火を点けた。

 「ありがと。じゃーねぇん」

 福がその場を立ち去ろうと幽霊に背を向けたその時

 「待ってよぅおぅ」

 ぶきみに低くなった声と共に、幽霊が背後から福に抱きついてきた。

 「やっぱりぃ、あんたならぁぁ、なんとかできるでしょぅぅぅ、せめて連れてってよぅぅぅ」

 「ヌン!」

 首に廻ってきた右腕手首を掴み、幽霊の脇に肘を入れ、一旦屈めたひざを圧縮から解き放たれたスプリングのように跳ね上げる。福の腰に乗った幽霊が肩越しに飛び込むような格好で前方に回転し、地面に叩きつけられる。

 

 「え?」

 見事な一本背負いだ。あまりの素早さに幽霊は大の字になったまま目を丸くした。まさに『自分に何が起こったか分かりません』と言う表情をしている。福はそのまま流れるような動作で右こぶしを腰に引き付け、突きの体勢を作った。下段正拳突き。

 「ヒィ!」

 覚悟したかのように幽霊の目が、小さい悲鳴と共にグッとつむられる。その幽霊に対し福は……鼻先数センチにこぶしを止め、彼女が目を開けるのを待った。やがて、幽霊の目がおそるおそる開かれる。息を呑む幽霊に福は

 「触れるって事は、投げれるし殴れるって事だよ。もうやんないでね」

 とだけ穏やかな声で言うと、ニコッと笑いながら立ち上がり、今度こそ、その場を立ち去るべく歩き出した。

 後には線香の煙だけがゆっくりとくゆっている。のろのろと立ち上がり、根元に戻った幽霊のつぶやく声が聞こえる。

 「あー。いい匂い……落・ち・着・く……」

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